龍樹(りゅうじゅ、、、テルグ文字: నాగార్జున, 、)は、2世紀に生まれたインド仏教の僧である。「龍樹」とは、サンスクリットの「ナーガールジュナ」の漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。別訳に龍勝・龍成がある。大乗仏教中観派の祖であり、日本では、八宗の祖師と称される。浄土真宗の七高僧の第一祖とされ「龍樹菩薩」、「龍樹大士」と尊称される。龍猛(りゅうみょう、、別訳 龍叫)は、密祖(密教の祖)とされ真言宗では真言八祖の1人である。長らく龍樹と同一視されてきたが、諸説あるもののおそらくは、6世紀ごろの別人である。南インドのヴィダルバの出身(ただし一説にこれは龍猛の出身地であり龍樹の出身地は不明)のバラモンと伝えられ、幼い頃から多くの学問に通じた。サータヴァーハナ朝の保護の下でセイロン、カシミール、ガンダーラ、中国などからの僧侶のために院を設けた。この地(古都ハイデラバードの東 70 km)は後にナーガールジュナ・コーンダ(丘)と呼ばれる。当時、勃興していた大乗仏教運動を体系化したともいわれる。ことに大乗仏教の基盤となる『般若経』で強調された「空」を、無自性に基礎を置いた「空」であると論じて釈迦の縁起を説明し、後の大乗系仏教全般に決定的影響を与える。このことにより龍樹は「大乗八宗の祖」として仰がれている。彼の教えは、鳩摩羅什によって中国に伝えられ、三論宗が成立。また、シャーンタラクシタによってチベットに伝えられ、ツォンカパを頂点とするチベット仏教教学の中核となる。8世紀以降のインド密教においても、龍樹作とされる『五次第』などの多数の文献が著された。日本には三論宗が伝来したものの衰退してしまい、この教義を中心に据える特別な流派はない。しかし、大乗仏教のほとんどの宗派は龍樹を重要な存在とみなし、「八宗の祖」と呼び崇めている。インド原典で伝わるナーガールジュナ伝が存在しないため史学的に厳密な生涯は不詳であるが、鳩摩羅什訳と伝えられる『龍樹菩薩伝』などによって生涯の概要を窺い知る事ができる。無論、神秘主義者達による後世のフィクションが多いためそれをそのまま受け取る事は出来ないが、当時の人々が龍樹をどのように伝えていたかを知る上で重要な資料であると考えられている。龍樹菩薩伝の伝説は以下のとおりである。この伝説は学者によっては鳩摩羅什作とも主張されており、真偽のほどは定かではない(この他にも諸伝がある)。この「空」の理論の大成は龍樹の『中論』などの著作によって果たされた。なお、伝統的に龍樹の著作とされるもののうち『中論(頌)』以外に、近代仏教学において龍樹の真作であるとの見解の一致が得られている作品はない。龍樹は、存在という現象も含めて、あらゆる現象はそれぞれの因果関係の上に成り立っていることを論証している。この因果関係を釈迦は「縁起」として説明している。(龍樹は、釈迦が縁起を説いたことを『中論』の最初の帰敬偈において、賛嘆している)さらに、因果関係によって現象が現れているのであるから、それ自身で存在するという「独立した不変の実体」(=自性)はないことを明かしている。これによって、すべての存在は無自性であり、「空」であると論証しているのである。龍樹の「空」はこのことから「無自性空」とも呼ばれる。しかし、空である現象を人間がどう認識し理解して考えるかについては、直接的に知覚するということだけではなく、概念や言語を使用することが考えられる。龍樹は、人間が空である外界を認識する際に使う「言葉」に関しても、仮に施設したものであるとする。この説を、既成概念を離れた真実の世界と、言語や概念によって認識された仮定の世界を、それぞれ第一義諦 () と世俗諦 () という二つの真理に分ける。言葉では表現できない、この世のありのままの姿は第一義諦であり、概念でとらえられた世界や、言葉で表現された釈迦の教えなどは世俗諦であるとする、二諦説と呼ばれる。無我説を固定化してしまった結果として主体の存在概念が捉えられなくなっていた当時の仏教の思潮を、龍樹は「無」と「有(有我説)」の中道である「空」(妙有)の立場から仏陀の本来の主旨に軌道修正したということである。インドでは仏教の僧であるよりも錬金術師・占星術師として有名で著作伝説があるが、これはこの項で触れている龍樹よりもはるか後代に出現した同名の錬金術師と混同されているためである。大正時代の河口慧海や寺本婉雅は、『八十四成就者伝』の龍樹伝が特異であることから、それに書かれた龍樹は、本来の龍樹の没後(寺本によると6世紀)の同名異人であるとした。この説では、本来の龍樹を「古龍樹 ()」、『八十四成就者伝』の龍樹を「新龍樹 ()」と呼び分ける。河口は、密教経典のうち『無上瑜伽タントラ』(左道密教)が新龍樹の著作であるとしたが、これには、古龍樹の著に基づく真言密教の正当性を主張するという背景があった。一方、寺本は、龍樹に帰せられていた密教経典の全てが新龍樹の著作であり、古龍樹は密教とは無関係であるとした。すなわち、古龍樹が中観の祖、新龍樹が密教の祖である。この説に対し羽溪了諦は、2人の龍樹の伝記の骨子は共通であることから、これらは同一人物の伝記であり、『八十四成就者伝』が異なる部分は密教の影響による潤色であるとした。また、栂尾祥雲は『八十四成就者伝』の史料的価値を否定した。寺本は、新古2人の龍樹に加え、古龍樹の弟子の龍猛 () がいたとした。龍猛は浄土教の祖であり、『入楞伽経』に記された龍樹の授記は龍猛のものであるとした。現在、龍猛が別人とされるときは、密教の業績が帰せられることが多い。この点では、寺本説の龍猛ではなくむしろ新龍樹に対応する(ただし龍猛と新龍樹は別の史料に基づく人物像である)。仏教学者の中村元は、ナーガールジュナの同一性を疑う「複数説」を紹介している。中村元によると、以下の6つの人物像がナーガールジュナの名に帰せられている。この内、中村は 5 と 6 が、1 と大分色彩を異にしており、別人ではないかと思われると、疑義を呈している。
出典:wikipedia
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