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本多知恵子

本多 知恵子(ほんだ ちえこ、1963年3月28日 - 2013年2月18日)は、日本の声優、女優、ナレーターである。出身地については、思春期を過ごした長野県とされる事があるが、出生から幼稚園までを過ごした東京都とするプロフィールもある。血液型はA型。1963年(昭和38年)3月28日(木)に東京都で一人娘として出生。祖父が知恵子と命名した。その後、埼玉県川越市で幼稚園時代と小学生時代を過ごす。両親の離婚により小学5年生から母親の実家である長野県に引っ越し、長野市立若槻小学校へ転校。以後、母子家庭で育つ。中学時代はテレビアニメ『海のトリトン』や『機動戦士ガンダム』に親しむ生活を送っていたが、その当時は自分で演技がしたいという考えはなく、軟式テニス部を経てコーラス部に所属していた。当時女子校だった長野市立皐月高等学校(現長野市立長野高等学校)へ進学したが、未熟児として生まれて、少女時代は喘息持ちで体が弱かったと母子家庭であることから、志望していたジャーナリストへの進路を反対され、目標を見失って登校拒否になった。これを心配した同級生の誘いで3年生の文化祭でミュージカルに参加。『11ぴきのねこ』のにゃん蔵を演じてアドリブが受けた快感から、これをきっかけに俳優を志すようになる。さらに『あしたのジョー』の再放送で声優という職業を意識し出すようになり、また、当時深夜ラジオが流行していたことからラジオのDJをも目指して、高校を卒業した1981年にテアトル・エコー付属養成所と俳協付属養成所を受験し、俳協付属養成所に11期生として合格。長野県から上京しサッポロライオンに就職。銀座のビヤホールに勤務し、夜には養成所で演技の勉強をするという日々を送る。養成所同期生には室井深雪などがいた。半年に1度の進級試験を経て2年後の1983年3月、養成所の卒業公演での演技が評価され、東京俳優生活協同組合(俳協)の正式所属となる。同時にマネージャーの薦めで4月に受けたテレビアニメ『プラレス3四郎』のオーディションに合格し、1983年6月に素形真知子役でデビューを果たした。1984年にはテレビアニメ『重戦機エルガイム』でヒロインの1人ファンネリア・アム役を獲得。アムがアニメ雑誌の人気投票で票を集めるキャラクターだったことで、自身もアニメファンから存在が認知されるようになった。さらに1986年放映開始の『機動戦士ガンダムΖΖ』で演じたエルピー・プルは、アニメグランプリの女性キャラクター部門、日本アニメ大賞のファン大賞女性キャラクター部門を受賞するなど高い人気を得て、人気声優の一員となった。1987年にはOVA『エルフ・17』で主役を演じた。デビュー当初は俳協養成所講師だった演出家の手塚敏夫が主宰する劇団「-劇舎(SHIBAIYA)-燐」にも在籍し、声優業と並行して舞台女優としても活動していた。しかし稽古に出られない役者には役を与えない劇団の運営方針でどちらも中途半端となり、公演の音響を手伝うなど裏方として舞台と関わりを保とうとしたが、最終的に両立の難しさから、1985年のステップ公演「うちゅうじん」を最後に舞台活動を断念、以後は声優としての活動を中心とした。1986年から1988年にかけては、テレビアニメ『昭和アホ草紙あかぬけ一番!』(1985年)で共演した井上和彦、小杉十郎太、荒川美奈子の4人でCHOKI!!(ちょき)というグループを結成。ライブハウスでコントと歌のライブ活動を行った。1987年4月からはFM東京系のラジオ『気分はハートビート』で宮原学、出口雅之とともにパーソナリティを務め、ラジオのDJをしたいという当初の夢を叶えた。その後、自分から行動できるように成長したいと、1988年もしくは1989年に俳協を離れ、フリーとなる。明るい役が多く可愛い女の子の役を得意としてきたが、1989年から始まった『魔法使いサリー』のカブではレギュラーとしては初めて男の子役を演じた。1991年のPCエンジン用シミュレーションRPG『レディファントム』のジェニファー・シルキス役でゲームでは初の主演、同年4月にから『キテレツ大百科』の野々花みよ子(みよちゃん)役を荘真由美から引き継いで、1996年6月末まで5年弱に渡って演じ、代表作となった。翌1992年2月放映開始の『花の魔法使いマリーベル』のマリーベル・フォン・デカッセ役で、テレビアニメでは初の主役を演じ、劇場版では主題歌の歌唱も担当した。1998年にデビュー15周年を迎え、同じくデビュー15周年の川村万梨阿と15周年を記念したライブ「MARIA&CHIEKO ANIMATION HIT PARADE」を開催。20年近くにフリーで活動していたが、2008年2月からマックミックに在籍。2009年1月より3月末まで13回にわたって「みっくすぱれーど?-a’la carte For you -」で自身初のインターネットラジオのパーソナリティを務めた。デビュー25周年の2009年に再び川村万梨阿と「MARIA&CHIEKO ANIMATION HIT PARADE'09 <RETURNS>」を開催した。マックミックは2010年5月まで在籍し、6月より再びフリーに。2009年頃にはデジタルアーツ東京の声優学科講師を務めていた。2011年8月よりアメーバブログでブログを開始。2012年11月1日から青二プロダクションに所属した。2013年2月18日(月)、多発性がんにより死去。がんが発見された時点で既に手遅れで余命宣告を受けていたという。しかし最後まで仕事を続けたいという本人の意向で、病気のことはごく近い関係者のみ明かし、2013年に入って体調を崩して仕事のペースを落とすまで、普段と同じく仕事を続けていた。最後の仕事は1月末収録のテレビ番組のナレーション。本人の希望により、近親者のみでの葬儀・告別式を2月21日に終え、2月22日夜になって所属事務所公式サイトより訃報が発表された。49歳没。歌手としての活動もあり、本多知恵子個人として1990年5月に4曲入りミニアルバム「KEEP UP YOUR WAY」をユーメックスよりリリース。1991年にはメルダックから写真集とカセットとOVAがパッケージになった「VOICE ARTIST BOX COLLECTION」でCDアルバムを出した。1996年2月にはエアーズより4曲入り「NAMIX」をリリースした。出世作となった『機動戦士ガンダムΖΖ』の主題歌「サイレント・ヴォイス」のカバーバージョンや『きまぐれオレンジ☆ロード』など出演作品の企画もののアニメで楽曲を歌ったほか、ユニットとしては、1987年から1990年にかけてOVA『ガルフォース』シリーズに出演したメンバーによるビデオ発売イベントなどの活動を見せた。OVA『SDガンダムMk-III』のエンディングテーマ「Tokyo Boogie Night」は林原めぐみとのデュエット曲であり、この曲は現在でも林原の看板番組『林原めぐみのTokyo Boogie Night』の主題歌として林原のソロバージョンという形で遣われ続けている。長い付き合いとなる友人の声優松井菜桜子、川村万梨阿とは、かねて何か活動をしたいと話し合っており、それが1993年にオリジナルビデオ『サイレントメビウス外伝 幕末闇婦始末記』への出演をきっかけにThe Ripple(ざ・りっぷる)を結成して結実。ビデオ主題歌でデビューし、ラジオ、コンサートなどの1年の期間限定活動を行った。シングルとアルバムをそれぞれ1枚ずつリリースした。演奏できる楽器はエレクトーンとギターで、歌のみならず作詞と作曲を手掛けている曲もある。芸能人の物真似も披露する明るい性格。業界でも美人と評判だった。『重戦機エルガイム』に出演していた頃は、総監督の富野由悠季に尻を触られるため、撃退法を井上瑤に相談したこともあったという。身長が144cm。『重戦機エルガイム』で初対面した川村万梨阿が子役と勘違いしたり、背の低さのためスタジオではマイクが1本専用に使えることもあったという。また、時代劇の『サイレントメビウス外伝 幕末闇婦始末記』のときは小柄なためにセッシュという台が使われた。1988年に運転免許を取得し、日産・シルビアを購入。趣味はドライブ。小柄なため、車を運転していても対向車から姿が見えず、無人運転のナイト2000のようということで、仲間内では「ナイトライダー知恵子」と呼ばれた。「声優界の一寸法師・親指姫」と自虐ギャグに使うこともしばしば。声優の三ツ矢雄二からは手乗り声優とも言われた。その他の趣味は、読書、スウェーデン語、パソコン、コンピュータゲーム、中期国債ファンド。スポーツでは卓球とスキー。特技は振り付けで、CHOKI!!やThe Rippleのイベントで振り付けをしたり、ビデオアニメでアニメキャラクターへの振り付けを担当したこともある。養成所時代から遅刻の常習犯で、友人の松井菜桜子や川村万梨阿とともに遅刻をネタにしたり、松井菜桜子がエッセイで自分をK嬢こと川村万梨阿とC様こと本多知恵子ともに遅刻の三大女王だとネタにしていた。仕事でインタビューしてから田原俊彦のファンで夢はいつか共演することだった。少年隊のファンだとも公言していた。持ち歌の「KEEP UP YOUR WAY」は、もともと少年隊がコンサートで歌っていた曲で、それを許可を得て歌詞を変更したもの。その後はSMAPのファンにもなり、毎年のようにコンサートに行っていた。名前を「本田」「智恵子」「千恵子」とよく間違えられる。中でも『江戸っ子ボーイ がってん太助』では最後まで「本多智恵子」とクレジットされた。他にも『それいけ!アンパンマン』で、1991年4月1日放送の回では「本多和恵子」とクレジットされた。『声優ROM 沢田愛美』では、本多知恵子の名前の「知」という字がペン字で書きなおされている。月刊DVDよしもと本物流では、ほんだちえことひらがなで表記されている。漫画『ああっ女神さまっ』に「本田智恵子」という同音のキャラクターが登場するが、これは本多のファンであった原作者の藤島康介が名前をそのまま使用したものである。その縁で、同作品の企画CD『ああっ女神さまっ 特典王』に収録の「勝手に名前を使わないでね」というタイトルのキャラクターソングを歌っており、アニメ化された際には声も担当した。ファンからは「本多知 恵子」(ほんだち けいこ)という宛名になったファンレターが来たことがあり、ファンクラブ向けの書籍では「芸名をつけるとしたら?」という設問に「本多知 恵子」と回答している。元気な少女を演じる際の声が、若手時代の荘真由美に似ていると言われる場合が多い。『キテレツ大百科』では荘からみよ子役を引き継いだが、アニメ版『キテレツ大百科』の大ファンで毎週見ていたという作者の藤子・F・不二雄も、みよ子の声優が変わったことには全く気づかなかったという。また日清チキンラーメンのCMにおいては、姉妹として登場する外国人少女の声を、荘が姉、本多が妹という形で吹き替えたこともある(実年齢は荘の方が2歳年下)。本多の死後、役を引き継いだ声優は以下の通り。※太字はヒロイン・メインキャラクター。1983年1984年1985年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年1985年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年2003年2009年2010年2012年1988年1989年1990年1991年2001年1992年1994年1996年1999年2003年2010年2008年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年

出典:wikipedia

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