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高崎線

高崎線(たかさきせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から群馬県高崎市の高崎駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線である。運賃計算上の区分は幹線。運行系統・旅客案内上は、基本的に乗り入れ先の東北本線(愛称は宇都宮線)東京駅 - 大宮駅間を含めて「高崎線」と案内される。高崎線は、大宮駅で東北本線(宇都宮線)から分岐し、群馬県の高崎までを結ぶ路線で、東京の近郊路線の一つである。国道17号(中山道)とほぼ並行し、一部区間をのぞき同じ市町村を経由している。路線名には高崎市や高崎駅の「高崎」を冠し、管轄は大宮駅構内をのぞきJR東日本高崎支社であるが、経路上の大部分(大宮駅から神保原駅まで)は埼玉県内であり、高崎線の南部では埼玉県と東京間の地域輸送に機能が偏重している。全線が旅客営業規則の定める「東京近郊区間」、およびIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれている。旅客案内などに用いられるラインカラーは、首都圏地区の東海道線や宇都宮線と同様、普通列車の車体色の一部であるオレンジ()である。高崎線は、日本鉄道が上野 - 熊谷間を開業した当時、日本鉄道では第一区線とされ、政府官報では上野熊谷間汽車とされたが、旅客案内上は仲仙道汽車と案内されることもあった。日本鉄道が国有化された後の1909年(明治42年)10月12日、鉄道院告示第54号国有鉄道線路名称左ノ通定ムにより公式に大宮 - 高崎間を「高崎線」と定め、両毛線や日光線、水戸線等と同じく東北本線を幹線とする「東北線の部」に属する一線として位置付けられた。現在、高崎線はほぼ全列車が東北本線(宇都宮線)の大宮駅以南に乗り入れ、うち約7割の列車は同線の列車線を経由し上野駅、さらにその多くは上野東京ラインとして東北縦貫線を走行して東海道本線の駅を始発・終着駅とする。また、残りの約3割は湘南新宿ラインとして、貨物線を走行して田端駅付近から山手貨物線池袋駅・新宿駅・渋谷駅経由で東海道本線に乗り入れる。一方、終点である高崎駅からは、全体の2割程度が上越線へと乗り入れ、さらに上越線の新前橋駅から両毛線、渋川駅から吾妻線(特急のみ)へ直通する列車もある。かつては高崎駅以北へ向かう上越線・信越線の特急・急行列車が高崎線内を多数通過していたが、上越新幹線・北陸新幹線開通後は大幅に削減された。現在、昼間の特急列車としては「草津」や「あかぎ」「スワローあかぎ」などが運行されている。夜行列車については、北陸方面とを結ぶ寝台特急「北陸」と急行「能登」、秋田・青森方面とを結ぶ寝台特急「あけぼの」が残っていたが、2014年3月15日のダイヤ改正までにすべて廃止された。また広く公表されていないが、当路線では中間駅各駅にテーマカラーが設定されている。これは同線の駅の多くがJR型配線であるためその識別であると思われる。テーマカラーはホーム屋根の柱にワンポイントで入り、ベンチもそのテーマカラーと同系色のものが設置されている。2016年3月10日より、大宮(以南)・上尾・熊谷・高崎を除く全駅一斉に早朝時間帯始発から6:30までの無人化(インターフォン遠隔案内)と、それに伴うみどりの窓口・指定席券売機の営業時間変更およびエスカレータの運転時間短縮が実施された(行田など既に実施済みの駅も他駅に合わせて時間が変更された)。日本初の私鉄である日本鉄道の第1期線として、1883年(明治16年)に上野 - 熊谷間で仮営業を開始したのが始まりである。立案当初、上野 - 高崎間の路線には、王子 - 赤羽 - 大宮 - 鴻巣 - 熊谷 - 高崎という英国人技師ボイルの案と、千住 - 岩槻 - 忍 - 熊谷 - 高崎という米国人技師クロフォードの案の二案があった。当時の鉄道局長官井上勝がボイル案を採用し、現在の路線が建設された。開業時の開設駅は上野、王子、浦和、上尾、鴻巣、熊谷で現在は中距離列車の停車しない王子も含まれている。翌1884年(明治17年)には高崎、前橋まで延長され、全通した。高崎まで開通した同年6月25日には、明治天皇臨席のもと上野駅で開通式が行われ、この際に明治天皇は上野 - 高崎間を往復乗車した。1894年(明治27年)12月発行の「汽車汽船旅行案内」には、当線を「上野-赤羽-大宮-高崎と経て直江津線に連絡し前橋まで至って両毛線に連絡する線」とし、中仙道線と案内している。現在も上野を列車運行上の起点とし、さらに現在では別路線の両毛線の駅となっている前橋への直通列車も設定されているのは、当時の終着駅が前橋であることに由来する。ただし、この時の前橋駅は利根川の西岸、現在の新前橋駅付近にあった。この駅は、地元で内藤分停車場あるいは内藤ステーションと呼ばれていた(詳しくは「前橋駅」および「両毛線」の項を参照)。小山から両毛鉄道が西進し、現在の前橋駅まで開業すると同時に、日本鉄道も利根川を渡る線路を敷設して現在の前橋駅まで延伸開業し、旧前橋駅は廃止された。その後、新前橋駅は1921年(大正10年)の上越南線開業で分岐駅として開業している。なお、同社初の路線として、日本初の官営ではない民営鉄道として、この路線が開業した背景には、当時の日本の貿易赤字解消の外貨獲得と殖産興業として当時の一大輸出品目であった生糸や絹織物を、養蚕業と製糸業の盛んな群馬県から貿易港の横浜港まで製品を運ぶ手段が必要とされたことにある。また、同線が当時東西の両京を結ぶ主要鉄道と位置付けられた中山道鉄道(後に両京を結ぶ鉄道の岐阜以東は東海道経由へと変更された)の第1区を形成する計画でもあった。しかし、政府財政の窮乏のために建設が遅れ、株式会社である日本鉄道が代わって建設したのである。第2期線である東北本線を分岐するため大宮駅が開設されたのは、さらにその翌年の1885年(明治18年)のことである。1906年(明治39年)には、日本鉄道が鉄道国有法により買収・国有化され、本路線も官設鉄道に編入された。大宮 - 高崎間が高崎線として分離されたのは、3年後の1909年(明治42年)の国有鉄道線路名称設定時である。東北新幹線建設の際、地元住民への見返りとして建設された通勤新線(現在の埼京線が通る路線で、東北本線の支線:赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅)は、宮原から高崎線へ乗り入れる計画があり、一部工事も行われたが、埼京線の車両基地候補であった戸田市周辺の用地買収が難航、そのため当初の乗入予定の高崎線沿線に車両基地を設置できるかを検討したものの断念。急遽川越線を電化することで沿線に川越電車区を設置し、埼京線を乗り入れさせることになったため、この計画は中止された。しかし、大宮 - 宮原間に取得した乗り入れのための複々線化用地は、一部をのぞいて民営化後の現在も維持されている。また、上尾市はさいたま市との合併協議(その後、合併協議は中止)の際、これを利用した埼京線もしくは京浜東北線の上尾延伸を見返りとして要求していた。かつては、上越線の「とき」や信越本線の「あさま」に加え、羽越本線系統の「いなほ」や北陸本線系統の「白山」「はくたか」といった多数の特急列車が運転されており(これらのほかに比較的運転日の多い季節・臨時特急として、中軽井沢行きの「そよかぜ」、万座・鹿沢口行きの「白根」、スキー臨時列車で石打行きの「新雪」が存在した)、当線を含めた上野 - 新潟間のルートでは最高速度120km/hでの運転が行われていたが、1982年11月15日の上越新幹線、1997年10月1日の北陸新幹線(高崎駅 - 長野駅間)の先行開業により、広域輸送を両新幹線に譲り、新幹線の恩恵を受けにくい上越線水上方面や吾妻線、両毛線方面への中距離特急が運転されるのみとなった。夜行列車としては、東北方面への臨時寝台特急「あけぼの」のほか、北陸方面へ運転される臨時急行「能登」が高崎線を経由する。急行「能登」はJRに残った数少ない急行列車であるが、2010年3月13日のダイヤ改正で臨時列車に変更された。同改正では同じく北陸方面へ運転されていた寝台特急「北陸」が廃止されている。また、「あけぼの」も2014年3月15日のダイヤ改正で臨時列車に変更された。詳細は、以下の各項目を参照。大宮を出ると大宮総合車両センターを挟んだ西側を東北新幹線・上越新幹線・ニューシャトルの高架が並行する。大宮駅構内では東北本線(宇都宮線)が北北東に向けてカーブするのに沿って北向きに進むが、その下り線築堤の下に潜って東北本線線路と分かれると進路を北北西に修正する。なお、湘南新宿ライン等、東北貨物線・武蔵野線大宮支線からの下り直通列車は、はじめ東北本線下り線用の築堤上の線路を進み、途中で分岐して北北西に進路を取り、築堤を下り高崎線本線に合流する。現在は大宮駅が起点の高崎線であるが、上野駅(東京駅)を起点とする本線である東北本線が高崎線から分岐しているかのような構造になっており、これは当初日本鉄道が現在の高崎線に当たる路線を上野駅起点として建設し、第2期線として大宮駅から分岐して現在の東北本線が建設された歴史を示すものである(その後、上野駅 - 大宮駅間は東北本線と制定される。「#歴史」節を参照)。間もなく左手より、大宮駅地下ホームの川越線が地上に出てきて、並行しながら、鉄道博物館の東側を通過する。その後、すぐに新幹線・ニューシャトルおよび国道17号の高架が高崎線を跨いで東側に緩くカーブしながら離れていく。ちなみに、大宮駅から高架の手前まで湘南新宿ラインなどの下り線路のさらに西側(大宮総合車両センター隣接)にもう一本線路が並行し、下り線路が合流した後もしばらく高崎線が複単線のように見える状態で並行して、高架の手前で川越線に合流している。これは、川越線が埼京線開業前に大宮駅地上11・12番線を使用していた際の旧線路である。現在は高崎線 - 川越線間の連絡線として使用されている。並行する川越線が西側に離れると、左側に再開発された高層住宅街が見え、右側にカーブを切るとまもなく宮原駅に到着する。宮原駅を出ると新大宮バイパスをくぐり、その後区画された新興住宅地の中を北西に進んでいき、マンション群の中を進み上尾駅に到着する。上尾駅は、昭和中期の国鉄労組闘争に対し、主に上尾駅など高崎線利用の通勤労働者が起こした国鉄職員・国鉄設備への暴力・破壊事件、「上尾事件」が発生した駅である。事件の際は、通勤時間帯の上尾駅の通勤客ら高崎線利用客10,000人が暴徒化したと伝えられている。北上尾駅、桶川駅と新興住宅地の中を進み、市街地が途切れ、宅地の合間に畑地を見ながら北本駅、複合商業施設エルミこうのすが見えてくると鴻巣駅に着く。この辺りから田畑が目立つようになり、野菜生産全国第6位、花卉生産高全国第8位、米生産高全国第17位を誇る(いずれも平成19年の数値)、埼玉県を代表する田園風景が続く。利根大堰から導水される武蔵水路を渡って北鴻巣駅を過ぎ、列車は元荒川沿いを北西に進み、緩く西にカーブして民家が増えてくると吹上駅に着く。吹上駅を出ると元荒川を渡って右にカーブを切り、荒川の東側の田畑の中を荒川に沿うように並行して行田駅に着く。行田駅を出ると、蛇行していたかつて元荒川の旧流路を2回渡り、熊谷市久下の田畑地帯を北西に疾走して秩父鉄道、次いで上越新幹線が東側から乗り越し、右側に現れた複合商業施設ニットーモールを通過すると、熊谷駅に着く。この鴻巣 - 熊谷間は河川等水面とほぼ同じ高さの平面上を走る。熊谷駅を出ると、上越新幹線の高架および秩父鉄道としばらく並行する。タイミングが合えば、秩父鉄道のSL列車「パレオエクスプレス」を間近で見ることができる。高崎線と秩父鉄道の間に存在する、使われていない線路は東武熊谷線跡である。その後、高崎線は北側にカーブを切って両線から分かれる。田園地帯をしばらく北西に進むと熊谷貨物ターミナル駅を過ぎる。貨物ターミナルでは、本線の下り線のみ、貨物ターミナルをオーバークロスして越えた後、貨物専用線の秩父鉄道三ヶ尻線と並行し、ほどなく三ヶ尻線が分かれていき、分岐した側に回送線が延びて籠原駅に着く。一部の列車は、この駅で高崎寄り5両を増解結する。籠原駅を出ると、高崎車両センター籠原派出所・籠原運輸区が広がり、多くの車両が待機している。しばらく、住宅街と工業地の合間を抜けて唐沢川を渡り深谷駅に着く。深谷市は東京駅に使われたレンガを製造した地で、それにちなみ、現在の深谷駅舎は東京駅をモチーフにしたデザインとなっている。また、全国にその名を知られた深谷ねぎで著名な土地でもあり、深谷・大里地区はねぎ生産高全国第2位の埼玉県きってのねぎ生産地である。深谷市街地を抜けて、再び畑地の中を進んでしばらく行くと岡部駅に着く。田園地帯の中に埼玉工業大学のキャンパスが建つのを見ることができる。田畑の中を西北西に進み、藤治川、志戸川を渡ると、新岡部変電所を右に過ぎる。さらに進むと小山川、女堀川を次々と渡って宅地に入ると間もなく本庄駅に着く。そして、住宅地に次いで工場地を抜けると神保原駅を過ぎ、田圃の中を走ってイオンタウン上里の横を過ぎると、利根川水系である神流川を渡り群馬県に入る。最初に見えてくるガトーフェスタ・ハラダの工場を右に過ぎ、住宅地に入ると間もなく新町駅に着く。工場地を過ぎて温井川を渡り、宅地と畑地を見ながら進むと南側から八高線が接近し合流する。合流地点には八高線側に北藤岡駅があるが、高崎線にホームはない。その後、すぐに右にカーブを切り烏川を渡ると、今度は左にカーブを切り、高崎東部工業団地を抜けてしばらくすると倉賀野駅に着く。倉賀野駅を出て踏切を渡ると、程なく高崎操車場が見えてくる。その高崎操車場を過ぎ、倉賀野バイパス(国道17号)をくぐり、高崎機関区を過ぎて右に大きくカーブすると程なく高崎駅に着く。高崎線における運行形態の詳細を以下に記す(2015年3月14日ダイヤ改正時点)。八高線に乗り入れる列車と朝5時台・夜23時台の籠原駅 - 高崎駅間(朝5時台は前橋行き)の1往復をのぞくすべての定期列車が、大宮駅から東北本線(宇都宮線)浦和方面に乗り入れるが、この区間でも基本的に高崎線として案内されている。普通列車・快速列車は、かつてはほとんどが上野駅を発着していたが、国鉄時代末期に貨物線を利用した赤羽駅発着列車が設定され、JR発足後はそれが池袋駅・新宿駅へ延伸したのち、2001年12月1日には東海道本線の平塚駅・小田原駅と直通する湘南新宿ラインに発展した。2015年3月14日には上野東京ラインが開業し、上野駅から東京駅経由で東海道線との相互直通運転が実現した。また、朝夕は特急列車「あかぎ」「スワローあかぎ」が運行。このほか、上野駅 - 群馬県草津方面を結ぶ特急列車「草津」が当線経由で運転されている。日中時間帯は上り・下りそれぞれ1時間あたり上野東京ラインが3本、上野駅発着が1本、湘南新宿ラインが2本(1本は特別快速)設定されている。また、一部列車が高崎駅から先の上越線新前橋駅や両毛線前橋駅と直通する。快速列車はいずれも上野駅・新宿駅 - 大宮駅 - 熊谷駅間でのみ通過運転を行い、熊谷駅 - 高崎駅間は各駅に停車する。普通列車・快速列車はグリーン車を組み込んだ10両編成または15両編成の近郊形電車で運行されており、E231系・E233系(4ドア車)で運転されている。15両編成での運用は大宮駅 - 籠原駅間のみとなっており、籠原駅 - 高崎駅間では10両編成での運用となる。このため、高崎方面発着の一部の列車は、籠原駅で付属編成5両の増解結を行う。優等列車の待避などで長時間停車する場合については車内温度保持のために半自動ドア扱いを行う。2005年までは主に冬期(11月15日 - 翌年3月31日)のみの実施であったが、2006年度からは夏期(7月8日 - 9月30日)にも実施されるようになり、2007年7月1日からは通年化された。籠原駅 - 高崎駅間については2011年6月から全列車・全駅で半自動ドア扱いに統一している。首都圏の主な路線では大晦日から元日にかけて終夜運転が実施されているが、高崎線では2006 - 2007年以降、『終夜臨時列車』が消滅し、終電後の臨時列車(終電後に上下2本増発した後、元日の始発まで空きがあった)となっていたが、2010 - 2011年からは前年までと運転本数は変わらない(上下各2本)ものの、運転時間がシフトし、下り終着時刻が早朝4時台となったため、扱い上は再び「終夜臨時列車」となっている。ただし本数が少ないことには変わりないため、「運転間隔」は他路線では「約○○分間隔」「約○○〜○○分間隔」になっている中で、高崎線のみが「上野〜籠原間で、下り2本・上り2本運転」と具体的本数が明記されるようになった。なお、終夜臨時列車でも終電後の臨時列車でも、運行区間は上野駅 - 籠原駅間となっており、籠原駅以北では運行されていない。各快速列車などの現行の停車駅は「#駅一覧」節を参照。朝夕を中心に上野駅・新宿駅発着の近距離特急「あかぎ」(平日上り2本、土曜・休日3往復)、「スワローあかぎ」(平日下り9本上り2本)が運転される。このほか、上野駅と上越線・吾妻線沿線を結ぶ特急「草津」(平日2往復、土曜・休日3往復)が当線経由で運行されている。詳細は、各列車の記事を参照。過去に高崎線で運転されていた列車については「#優等列車の沿革」節を参照。平日夕方以降に1時間あたり1本運転される快速列車である。土曜・休日は代替として後述の快速「アーバン」が運転される。JR発足後初のダイヤ改正となった1988年3月13日の運転開始時から1990年3月10日までの間は快速「タウン」の名称で運行されていた。快速「アーバン」と異なり、運行開始当初より熊谷駅 - 高崎駅間は各駅停車で運行されている。上野東京ライン開業後も、通勤快速は上野駅発着で運転されている。夕方以降のみの運転のため、が、籠原での増解結を行わずに上野駅 - 籠原駅間でも10両編成(基本編成のみ)で運転し、上野駅 - 浦和駅間で尾久駅を含めた各駅に停車する一方で、利用客の多い上尾駅・桶川駅は通過している。これは、上野駅から高崎方面への所要時間を短縮し、乗客の遠近分離を目的としているためである。ただし、2004年10月16日改正より下りの最後の2本(上野駅21・22時台発)は上野駅 - 籠原駅間で15両編成に増強し、同時に上尾駅と桶川駅にも停車するようになった。また、上りの最後の2本(高崎駅19・20時台発)も籠原駅から先では15両編成で運転されている。下りの上野発21時台までは鴻巣駅で先行の普通列車に接続しており、上野発18時台・19時台はこれに加えて上尾駅で先行の普通列車を追い抜く。また、上野発22時台は桶川駅で先行の普通列車に接続し、熊谷駅で籠原行きの普通列車から接続を行う。上りは熊谷駅で先行の普通列車に接続する列車があるほか、桶川駅で追い抜く列車もある。ダイヤが大幅に乱れている場合、発車前または途中で普通列車に変更されることがあるが、駅での表示は変更されず、本来停車しない宮原などの駅においても「通勤快速」と表示される。ここでは、「アーバン」の愛称が付かない湘南新宿ライン系統をのぞく快速列車についても解説する。1989年3月11日の運行開始当初は日中のみ1時間あたり1本(下り6本、上り7本)で全列車が上野駅発着で熊谷駅 - 前橋駅間でも快速運転(途中停車駅は深谷駅・本庄駅・新町駅・高崎駅・新前橋駅)を行っていた。その後、1992年3月14日の改正で終日にわたって運転されるようになり、池袋駅発着も最大で1日2往復設定された(東北貨物線を経由するため当時貨物線ホームのない浦和駅は通過)。当時、池袋駅発着の日中の1往復は通過駅の籠原駅発着で運転されていたほか、上下数本は北本駅にも停車していた。また、土曜・休日ダイヤの導入に伴い、平日は通勤快速として運転される夜間の列車が土曜・休日ダイヤでは快速「アーバン」として運転されるようになり、そのうちの夜遅い時間帯の列車は通勤快速と同様に熊谷駅 - 前橋駅間は各駅停車で運転された。1997年10月1日改正で全列車が熊谷駅 - 前橋駅間で各駅停車に統一された。かつて上野駅発着の一部列車と池袋駅発着(土曜・休日の1本のぞく)が北本駅にも停車していたが、2004年10月16日改正で日中の「アーバン」はすべて湘南新宿ラインの特別快速に置き換えられる形で廃止され、2009年3月14日のダイヤ改正で平日夕方の「アーバン」の運転がなくなった。2015年3月14日現在では、毎日運行される東京発下り朝8・9時台の2本(平日は二宮・小田原発が1本ずつ、土曜・休日は国府津・小田原発が1本ずつ:東海道線区間は普通列車として運行)と土曜・休日の夕方以降に5往復(すべて上野駅発着)が運行されている。毎日運行の下り2本に関しては1本のみ上尾駅で先行の湘南新宿ラインからの普通と接続する。土曜・休日夕方以降の列車に関しては、一部列車をのぞいて下りが桶川駅・鴻巣駅のいずれかで、上りは熊谷駅・鴻巣駅・桶川駅のいずれかで先行の普通列車と接続する。また、1997年9月30日までは、朝ラッシュ時の上りに高崎駅 - 深谷駅間で新町駅・本庄駅のみに停車し、深谷駅から各駅に停車する池袋行きの列車が設定されていた。この列車は、設定当初は「通過駅のある普通列車」という扱いであったが、1994年12月3日のダイヤ改正以降1997年10月1日のダイヤ改正での設定消滅までは快速列車として取り扱われた。新宿駅改良工事などの大規模工事で湘南新宿ラインの運行ができない場合、湘南新宿ラインの特別快速は上野発着の快速として運転される。この場合、快速「アーバン」の停車駅に加えて北本駅にも停車するため「アーバン」の愛称はつかない。停車駅の変遷東北本線(宇都宮線)上野駅 - 大宮駅間の列車線上にホームのある駅すべてと、高崎線内の各駅に停車する。2015年3月14日の上野東京ライン開業に伴い、多くの列車が上野駅から先、東京駅に乗り入れて東海道線に直通し、小田原駅・熱海駅まで運行する。従来、終着・始発駅としていた上野駅を始発・終着とする普通列車は毎時1 - 3本程度で上野終着列車は日中午後、上野始発は土休日の夕方・夜間に設定の無い時間帯がある。朝夕には品川駅行き、平塚駅・国府津駅発着の区間列車のほか、東海道線JR東海管内沼津駅行き、伊東線伊東駅発着もある。一方高崎側では、一部、高崎駅より先に直通し上越線新前橋駅発着・両毛線前橋駅発着で運行される。下りは朝に平日1本・土休日2本のみ東京駅始発の籠原行き(上野東京ライン扱い)があるが、上りの東京行きは設定がなく、上野東京ライン直通列車は最短でも品川駅までは東海道線内へ乗り入れる。日中時間帯は1時間あたり上野駅 - 大宮駅 - 籠原駅間で4本、籠原駅 - 高崎駅間で2本設定されており、4本のうち3本が東海道線直通、1本が上野駅発着である。上野駅発車は毎時05・15・30・45分に揃えられている。なお、上野駅始発の下り2本は、後寄り1両(1号車)を新聞輸送に用いる。日中以外は深谷駅発着列車も朝に上野行き上り1本、夜に平日は東海道線熱海発・土休日は平塚発で下り1本が運転されている。また、上野駅発着の下り初電前(朝5時台)・上り終電後(23時台)には籠原駅 - 高崎駅間(朝5時台は前橋行き)の列車も1往復設定されている。下り終電の高崎駅到着時刻は1時37分で、これは高尾駅とともに日本で一番遅い終電時刻である。また、2005年12月10日改正までは大宮駅 - 籠原駅間のみを運転する列車が、2007年3月18日改正までは本庄行きの列車が設定されていたが、いずれも上野駅や高崎駅まで運転区間が延長され消滅した。また、2000年頃までは両毛線の伊勢崎行き、上越線の渋川行きが、2001年頃までは上越線井野駅を通過する普通列車(下り新前橋行き最終)が、2004年10月16日改正までは信越本線の横川駅発着と両毛線の桐生・伊勢崎発の列車も設定されていた。毎年恒例の臨時増発列車として、熊谷花火大会の帰宅客輸送のため、普段は設定されない熊谷始発大宮行きが数本運転される(過去は上野行きだった)。事故・トラブルや、大雨・落雷などでダイヤが大幅に乱れた場合、通常は設定されていない、鴻巣駅・吹上駅・熊谷駅折り返しの列車が運転されることがある。また、上り東海道線直通列車がダイヤ乱れで途中から急遽東京行きに変更されることがまれにある(通常は上野行きに変更される)。湘南新宿ラインは東北貨物線・山手貨物線新宿駅経由で東海道線に直通する列車である。快速と特別快速の2つの種別がある。2015年3月14日のダイヤ改正からE231系とE233系で運行されている。さいたま新都心駅は貨物線上に旅客ホームがないため全列車通過となる。長年通過していた浦和駅は2013年3月16日から東北貨物線ホーム完成に伴い停車を開始した。また、横須賀線が停車する西大井駅・新川崎駅・保土ケ谷駅・東戸塚駅を経由するが、定期列車としてこの4駅に停車する列車は設定されていない。この4駅へは、大宮駅 - 横浜駅間のいずれかの停車駅で、後続の宇都宮線からの湘南新宿ラインに、または、武蔵小杉・横浜のいずれかの駅で、総武快速線・東京駅からの横須賀線に乗り換える必要がある。上野東京ラインに乗車の上、品川駅または横浜駅で横須賀線に乗り換える方法もある。2004年10月16日改正まではこの前身である東北貨物線経由の池袋駅・新宿駅発着の普通列車(浦和駅・さいたま新都心駅通過)が設定されていた。2004年10月16日に運行を開始した。日中に1時間あたり1本運転されている。高崎線内では日中の「アーバン」を湘南新宿ラインへ置き換えた形で運行されており、「アーバン」の停車駅に加えて北本駅にも停車する。山手線内では恵比寿駅を通過、直通先の東海道線内では同線の快速「アクティー」と同じ駅に停車する。日中の湘南新宿ライン快速は籠原駅発着での運転のため、この時間帯の高崎駅発着の湘南新宿ライン系統はこの種別のみとなる。2001年の湘南新宿ライン運転開始当初から横須賀線電車と線路を共用する区間では大崎駅 - 戸塚駅間のみ快速運転をし、高崎線内と東海道線戸塚駅 - 平塚駅・国府津駅間は各駅に停車(一部高崎線内快速運転)する快速列車(後述)が運転されている。その上位列車として「特別快速」という種別が設定された。北行の1本目が平塚発である以外は小田原駅 - 新宿駅 - 高崎駅間で運行されているが、以前は祝日や長期休暇を中心に土休日ダイヤで2往復が熱海駅まで延長運転を行う日があった。また、2008年12月 - 2009年1月の土休日・年末年始には臨時列車として国府津行きの特別快速が設定された。土休日の1本を除き南行(上り)は桶川駅で先行の上野東京ライン方面の普通に接続、北行(下り)は多くの列車が鴻巣駅で先行の上野東京ラインからの普通に接続する。籠原以南では全列車15両で運転される。2001年12月1日の湘南新宿ライン開業に合わせて運行を開始した。終日運転されている。実際に通過運転を行うのは横須賀線と線路を共用する大崎駅 - 戸塚駅間のみで、高崎線内と戸塚駅 - 平塚駅・国府津駅・小田原駅間の東海道線内は普通として運転されており、当路線区間(北行は大崎駅から)では「普通」と案内される。この種別は日中は籠原駅 - 平塚駅(一部国府津駅)間の運行で1時間あたり1本が運転される。特別快速の設定がない朝や夕方以降は高崎・国府津・小田原駅発着も運転され、1時間あたり2 - 3本が運転される。また、朝の南行には両毛線前橋発が設定されているほか、平日朝には深谷発の南行も1本設定されている。2004年10月15日までは高崎線内でも快速運転する快速(高崎線内の停車駅は現在の特別快速と同じ。東海道線内は各駅停車)も存在した。全列車大宮駅 - 籠原駅間では15両で運転される(平日朝の深谷発は全区間で15両で運転される)。事故・トラブルや、大雨・落雷などでダイヤが大幅に乱れた場合、通常は設定されていない、鴻巣駅・吹上駅・熊谷駅折り返しの列車が運転されることがある。高崎線で、毎年一定時期に定期的に運転される臨時列車として、以下のものが挙げられる。1984年運行開始の大宮行きの「ホームライナー大宮」を延長する形で1988年7月6日に運行を開始した。運行区間は上野駅 - 鴻巣駅間で、平日夜間に下り鴻巣行きのみ4本運転した。座席定員制であり、乗車にはライナー券が必要で、始発駅である上野駅以外での乗車は不可とされた。グリーン車も連結されていたが、当列車では普通車扱いとなっており、ライナー券のみで着席可能とされていた。大宮総合車両センター配置(元田町車両センター配置も含む)の185系(7両編成)で運転されたほか、3号は2010年3月12日まではJR西日本金沢総合車両所所属の489系(9両編成)で、2010年3月15日から2012年3月16日かけては新潟車両センターの485系(6両編成)で運行されていた。速達性よりも着席サービスの提供のための列車であり、全列車とも先行の普通列車を追い抜かない。2014年3月15日のダイヤ改正で特急「スワローあかぎ」の新設に伴い廃止された。当線には首都圏と倉賀野駅および日本海側の諸都市を結ぶ貨物列車も毎日数往復ずつ設定されている。線内の取り扱い駅は熊谷貨物ターミナル駅と倉賀野駅である。普通・快速列車用車両は宇都宮線や東海道線と共通で、通称「湘南色」とも呼ばれるオレンジ色と緑色()の帯を巻いた電車が運用されている。2004年10月16日のダイヤ改正で湘南新宿ラインの全列車に、2006年7月8日のダイヤ改正で上野発着の全列車にそれぞれグリーン車が連結されるようになり、それに伴って東海道線と同様の基本編成10両・付属編成5両を組み合わせた15両編成で運転されるようになった。E231系及びE233系は、バリアフリー対応の洋式トイレが設置されている。また、それぞれ小山車両センター・国府津車両センターの2つの車両センターに分散して所属しているが、2015年3月14日以降、高崎線(両毛線直通含む)と東海道線(伊東線直通含む)・宇都宮線(一部除く)及び上野東京ライン(常磐線系統除く)・湘南新宿ラインで車種を問わずに共通運用されており、同じ列車でも日によって車種が異なる場合がある。更に車種・所属車両センター違いの車両を組み合わせての15両編成運用もある。それぞれ担当している所属車両センターは決まっているが、ダイヤが乱れた場合は通常とは異なる車両センターの所属車が充当されることもある。湘南新宿ラインの全列車と上野東京ライン直通の多くの列車が国府津車両センター所属のE231・E233系が充当されていて高崎線内では国府津車両センターの編成の運用が非常に多い。大宮駅を含む川越線との並行区間はJR東日本大宮支社、宮原駅 - 高崎駅間は同社高崎支社の管轄である。支社境界は川越線と分かれた後の大成第六踏切付近(大宮起点3km地点)に設けられている。東海道本線との境界である東京駅(東北本線)からの区間を記載する。括弧内は大宮駅からの営業キロ。ピーク1時間(ラッシュ時)の通過人員と混雑率は、宮原駅→大宮駅間で、2008年度がそれぞれ48,360人・192%、また2010年度は48,350人・191%である。この混雑率は「体が触れ合うが新聞は読める」目安とされる180%と「週刊誌なら何とか読める」目安とされる200%のほぼ中間となっている。JR東日本:各駅の乗車人員より以下の新駅建設の話が以前より出ているが、いずれも具体的計画には至っていない。なお、新駅設置は現在すべてが請願駅であり、100%地元自治体負担でJR東日本は負担しない。新駅設置は各自治体が財政難もあり消極的である。

出典:wikipedia

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