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ゆうきまさみ

ゆうき まさみ(本名:佐藤 修治、本名読み:さとう しゅうじ、1957年12月19日 - )は、日本の男性漫画家。北海道虻田郡倶知安町出身(札幌市生まれ)。北海道倶知安高等学校卒業。1980年(昭和55年)『月刊OUT』(みのり書房)に掲載された「ざ・ライバル」でデビュー。当初はプロの漫画家になるつもりはなく、サラリーマン稼業の傍らでみのり書房やラポートの雑誌で活動する。退職後に「きまぐれサイキック」で『週刊少年サンデー』(小学館)での活動を開始し、以降主に同誌で活躍。代表作に『究極超人あ〜る』・『機動警察パトレイバー』・『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』など。1957年(昭和32年)に北海道札幌市で生まれる。幼少期を東京都中野区や千葉県で過ごした後、中学生の時に両親の故郷の北海道虻田郡倶知安町に移り、高校卒業まで過ごす。ちなみに、『究極超人あ〜る』の「生き霊少女」のエピソードは、高校時代の体験に基づいているという。小学生の時に7歳年上の従兄がノートに漫画を描くのに影響を受け、石森章太郎の『マンガ家入門』で描き方を憶えて漫画を描きはじめる。1975年(昭和50年)に高校を卒業し、上京して就職。1977年(昭和52年)の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』公開前後より、アニメや漫画の愛好者達の集い場となっていた江古田のまんが画廊に通うようになる。ここで『パロディ宇宙戦艦ヤマト』(水谷潤)という有名な同人誌を見て触発されて自身もパロディ要素を含んだ漫画を執筆し、これが仲間達から好評を得て執筆を続けるようになる。また川村万梨阿やとまとあきらとともに、架空のアニメの設定などをでっち上げる「企画ごっこ」という遊びを始め、これが後の『機動警察パトレイバー』へと繋がって行く。まんが画廊でみのり書房がパロディ漫画を描ける人物を捜しているとの情報を得たゆうきは、同社を訪れてアイデアを見せ、OKが出たため漫画を執筆して持ち込む。『機動戦士ガンダム』のパロディ作品「ざ・ライバル」が『月刊OUT』1980年(昭和55年)4月号に掲載されて漫画家としてデビューする。ただし4ページの原稿のうち掲載されたのは1ページ目と4ページ目だけであった。その後も同誌でコンスタントにアニパロ(アニメのパロディ)読切の発表を続け、1980年12月号から開始した「ど貴族物語」が初の連載作品となる。当初はプロの漫画家になるつもりはなく、サラリーマンを本業として続けながらの活動であった。活動の場をラポートの『アニメック』やOUTの増刊として始まった『アニパロコミックス』と増やし、新谷かおるの元でのアシスタントを行うと漫画活動の幅を広げるが、漫画によって本業が疎かになっていく。そして勤務年数が退職金が出る年数に届き退職しても当面の生活には困らなくなったこともあり、勤務態度を注意されたことを機として6年勤めた会社を1982年(昭和57年)に退職。同年には『アニメック』でアニパロではないオリジナル作品「マジカル ルシィ」を、翌年には『アニパロコミックス』と『月刊OUT』を跨ぐ形で古事記のヤマトタケルノミコト説話を漫画化した「ヤマトタケルの冒険」の連載をそれぞれ始める。1982年頃に出渕裕と知り合ったゆうきは意気投合して「企画ごっこ」のノートを見せ、これを気に入った出渕は構成として火浦功を加え『機動警察パトレイバー』として実際にアニメ化することを目指す。制作プロダクションへと企画を持ち込むが受け入れられず頓挫し、多忙となった火浦は企画から撤退する。1983年(昭和58年)の『時をかける少女』の公開により、ゆうきの周りでは原田知世ブームが起こる。出渕裕・火浦功・美樹本晴彦・かがみあきら・とり・みき・河森正治・米田裕といった面々が原田について熱く語る日々を過ごし、エッセイ漫画などの形で仕事としても昇華していた。ゆうきも『OUT』で連載したパロディ作品「時をかける学園(ねらわれたしょうじょ)」などいくつかの漫画で原田を取り上げた他、原田に近づく機会が得られるかもしれないとの理由から角川書店のアニメ雑誌『月刊ニュータイプ』での連載を受諾している。1985年(昭和60年)の同誌創刊号から連載を開始したエッセイ漫画「ゆうきまさみのはてしない物語」は四半世紀以上を経た2016年現在においても続いており、同誌最長の長寿連載となっている。「星雲児」で『週刊少年サンデー』に出入りするようになった出渕裕の紹介でサンデー編集部とのコネクションを持ち、1984年(昭和59年)の同誌25周年増刊号に「きまぐれサイキック」が掲載されサンデーでの活動が始まる。同年に本誌で「♡LY BLOOD」の短期集中連載を行い、さらに月刊で発行されていた『週刊少年サンデー増刊号』で「鉄腕バーディー」(オリジナル版)の連載を開始する。しかし当時の担当が週刊でやることを推したため増刊での「バーディー」の連載を中断し、1985年(昭和60年)より本誌で「究極超人あ〜る」の連載を開始。以降同誌はゆうきの主戦場となり、2002年(平成14年)までの17年間に渡って作品を掲載することとなる。1986年(昭和61年)には新たに脚本家の伊藤和典と当時伊藤の妻であったキャラクターデザイナーの高田明美を加えて『機動警察パトレイバー』の計画を練り直し、バンダイでOVA化を取り付ける。1988年(昭和63年)には『少年サンデー』での漫画版の連載とOVAの発売が始まり、翌1989年(平成元年)には映画化・テレビアニメ化も達成し、デビュー前の構想が元となった企画が実現された。「パトレイバー」連載開始の同年には前年連載が終了した「あ〜る」で第19回星雲賞マンガ部門を、翌年には連載中の「パトレイバー」で第36回小学館漫画賞少年部門を受賞する。1994年(平成6年)には6年続いた「パトレイバー」を完結させ、担当から提示された題材を元に「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」の連載を『少年サンデー』で開始。同作も連載期間が6年に渡る長期連載となり、単行本では全26巻となる最長のタイトルとなっている。また「じゃじゃ馬」と並行して、1995年(平成7年)からは『月刊少年キャプテン』(徳間書店)で「土曜ワイド殺人事件」(とり・みきとの共作)、2000年(平成12年)からは『AICコミックLOVE』(AIC)で「マリアナ伝説」(田丸浩史との共作)の連載を開始している。両作は掲載誌を移りながらも連載が継続され、2004年(平成16年)と2005年(平成17年)にそれぞれ完結している。2001年(平成13年) より連載を開始した「パンゲアの娘 KUNIE」が翌2002年(平成14年)に打ち切りとなり、「あ〜る」以来17年連載を続けてきたサンデーを離れる。「KUNIE」の打ち切りによって仕事の無くなっていたゆうきに『週刊ヤングサンデー』へと異動していた「じゃじゃ馬」時の担当が『バーディー』を名指しで連載を持ちかけ、同誌で2003年(平成15年)より『鉄腕バーディー』のリメイク版の連載を開始する。2008年(平成20年)には『鉄腕バーディー DECODE』としてアニメ化もされるが、アニメ放映中に『ヤングサンデー』が休刊し『週刊ビッグコミックスピリッツ』へと移籍。その後「鉄腕バーディーEVOLUTION」と改題の上で連載を継続した。改題によって個別タイトルとしては「じゃじゃ馬」などより短くなっているが『EVOLUTION』は完全に話の繋がった続編であり、無印と『EVOLUTION』を合わせたリメイク版『鉄腕バーディー』全体では連載期間で10年以上、単行本では30巻を越えるゆうき最長の作品となっている。2013年より、現代に生きる吸血鬼をテーマにしたサスペンスミステリー作品「白暮のクロニクル」を連載中。特記のない連載作品は『週刊少年サンデー』での連載。漫画作品については連載作品のみを抜粋して記載する。詳細な漫画作品および単行本のリストはゆうきまさみの漫画作品一覧を参照。アニメ『機動警察パトレイバー』の原作者集団。ゆうきの元でアシスタント経験のある人物。主要参考文献のみを記載。この他の参考文献については個別脚注方式で#出典に記載している。

出典:wikipedia

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