カブラヤオーは、日本の競走馬、種牡馬。1975年度優駿賞年度代表馬および最優秀4歳牡馬。無謀ともいえる驚異的ハイペースで逃げるレースぶりから「狂気の逃げ馬」の異名で呼ばれた。馬名の由来は、流鏑馬などに使う鏑矢からきている。全妹にエリザベス女王杯を勝ったミスカブラヤがいる。年齢は当時の馬齢表記とする。デビュー戦こそダイアモンドアイの2着に惜敗するも、以降5連勝で1975年のクラシック戦線に駒を進めることとなった。1975年の年初の時点での牡馬クラシック路線は、前年の阪神3歳ステークスの優勝馬ライジンを筆頭に、ホシバージ・ニルキング・ロングホークなど関西馬の下馬評が高く、4歳になっても現れる有力馬はエリモジョージなど関西馬が中心の状況は続いており、対する関東馬はテスコガビーの他は目立った馬もおらず、全体を見渡せば西高東低となっていた。だが、カブラヤオーは東京4歳ステークスを最後の直線で急激に逸走しながらも立て直し、テスコガビーを競り合いの末に破り、牡馬クラシック戦線の中心に躍り出た。なお、テスコガビーとカブラヤオーは共に主戦騎手が菅原泰夫であったが、このレースでは関係者間の話し合いの結果、「テスコガビーは所属厩舍の馬ではないから、一度降りたら再度乗れる確証が無い」という理由で菅原はテスコガビーに騎乗、カブラヤオーには茂木厩舍の弟弟子である菅野澄男が騎乗していた。騎手としては大成できなかった菅野にとって、この東京4歳ステークスは騎手人生で唯一の重賞勝利となっている。春のクラシック戦線の本番でもその強さは発揮され、皐月賞ではスタート直後から先頭に立ったレイクスプリンターに猛然と競りかけ、前半1000mを58秒9という短距離戦に匹敵するラップタイムで走破。第4コーナーを回ってもスピードは衰えず、ロングホーク・エリモジョージの追撃をも振り切って逃げ切り勝ちを収めた。道中カブラヤオーと激しい競り合いを演じたレイクスプリンターは、競走中に右後脚を骨折、最下位で入線したものの予後不良と診断されて殺処分となった。この為、後世の出版物などでは「殺人ラップ」「狂気のハイペース」などと称される事も少なくない。また、カブラヤオーが作り出すハイペースについて、レイクスプリンターに騎乗していた押田年郎はレース後「あの馬は普通じゃない。化物です」と涙ながらに語っている。東京優駿(日本ダービー)前哨戦となるNHK杯では大外を回りながら差し切り勝利した。迎えたダービーでは、今度はトップジローに競りかけられながらも、皐月賞を超える前半1000m58秒6、1200mを1分11秒8という驚異的なハイペースで逃げ、さらに最後の直線では、苦しさから口を割りふらつきながらも、迫ってきた後続をさらに突き放して優勝した。この時点でデビュー2戦目から無傷の8連勝を達成、クラシック二冠馬となった。競馬評論家の井崎脩五郎は「このレースは不滅だ」と賞賛し、自分の見てきた20世紀最強馬はマルゼンスキーと語りつつも「この1レースだけとればカブラヤオーと言う人がいてもおかしくない」と語っている。この年、鞍上の菅原泰夫はテスコガビーで桜花賞、優駿牝馬(オークス)も制し、史上初の春のクラシック完全制覇を成し遂げて、これをきっかけに一流騎手へと飛躍していく事になった。秋の菊花賞戦線を前に屈腱炎を発症し、三冠への道は閉ざされたが、治癒後に復帰。復帰戦のオープン戦を勝ったあと、復帰2戦目ではゲートに頭をぶつけ脳震盪を起こすアクシデントがあり、生涯唯一の着外負け(11着で最下位入線)を喫して連勝は9で止まるが、この連勝記録9は現在でも中央競馬記録である。古馬になってからはマイル、1800mの中距離オープン戦を主に戦い(当時は中距離重賞が現在ほど整備されていなかった側面もある)、最終戦となった中山のオープン(平場)では62kgの斤量で優勝している。しかし、最後は秋の天皇賞を目指す調整過程で屈腱炎が再発してしまい、これで引退を余儀なくされた。生涯通算成績は13戦11勝2着1回であった。1977年から日本軽種馬協会胆振種馬場で供用される。その後、日高軽種馬農協三石種馬場を経て、同荻伏種馬場、日本軽種馬協会静内種馬場で供用された。種牡馬としては小柄であり、異形の血統、狂気の血統と言われながらの種牡馬生活は、種付け料もさして上がらず、決して恵まれたものでなかった。しかしその中で1988年にGIエリザベス女王杯を勝ったミヤマポピーを送り出している。2003年8月9日、老後を送っていた栃木県の日本軽種馬会那須野牧場にて死亡。31歳の大往生であった。翌年5月9日、JRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」の一環として「カブラヤオーメモリアル」が東京競馬場芝1600mにて施行された。驚異的な逃げを武器にしたが、その逃げも、NHK杯での大外回りも、幼少時に他馬に蹴られて馬込みを極端に嫌う気性となっているのを隠して、絶対に競りかけられずに力を発揮させるために陣営が編み出した戦法であった。ハイペースの逃げ戦法に耐えうる能力が引き出された理由は、この臆病な気性故のことであった。さらに生まれつき心肺能力が優れていた点も見逃せない。この様な事情があった為、カブラヤオーの臆病な気性は関係者の間でずっと極秘にされており、極端な逃げ戦法の理由がようやく明らかになったのは、カブラヤオーの引退後随分経って、1980年代も後半になってからの事であった。条件戦重賞では、高知B級・浦戸特別をブラッドナムラが勝ち、銀杯(福山)をカブラヤホープが勝っている。母系血統は祖母のミスナンバイチバンから大きく広がっており、近親の活躍馬にはダイタクヘリオス、ダイタクバートラム、ダイタクリーヴァ、ダイタクテイオー、チャンストウライなどがいる。
出典:wikipedia
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