フリオ・セサル・フランコ・ロブレス(Julio Cesar Franco Robles, 1958年8月23日(公称) - )は、ドミニカ共和国のアト・マジョール州アト・マジョール・デル・レイ出身のプロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ、プロ野球監督。右投げ右打ち。にフィラデルフィア・フィリーズと契約。にメジャーデビュー。からにかけてシルバースラッガー賞を受賞。1991年には打率.341で首位打者を獲得している。はMLB史上最長のストライキによる影響で千葉ロッテマリーンズでプレー。シーズン後、長打力不足やGMの広岡達朗との確執からロッテを解雇されたが、その際「ヒロオカが辞めたら帰ってくる」と言い残し帰国。広岡解任後のに宣言通り復帰した(このときすでに40歳だったが、当時27歳だったジェイソン・トンプソンを外国人枠から押しのけて契約した)。ロッテではそのリーダーシップを買われ、外国人選手としては珍しく主将を務めた。とには、日米野球のメジャーリーグ選抜としても来日している。現役生活は40代後半まで続き、6月27日にはメジャーリーグ史上最年長(46歳と308日)での満塁本塁打を記録。その他にも史上最年長での代打ホームランや史上最年長での1試合2盗塁など「史上最年長」と付く記録の多くを塗り替えた。食事を脂肪に変えず、エネルギーを欠乏させないために1日に5〜6食、少ない量の食事を摂るボディビル式の調整法などで、45歳の時チームメートをして「フランコほどコンディションのよい選手は他にいない」といわしめたほどである。4月20日対サンディエゴ・パドレス戦では代打本塁打を放ち、1930年にフィラデルフィア・アスレチックスのジャック・クインが46歳と357日目で放ったメジャー最年長本塁打記録を更新。5月4日の対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でランディ・ジョンソンから2点本塁打を放ち、自身の持つ最年長記録を48歳254日まで伸ばした。しかし生年には様々な説があり、ロッテ時代には1961年生まれとされていたが、後にメジャーリーグ機構の発表で1958年と訂正された。1955年生まれという説(2004年放送のプロ野球珍プレー・好プレー大賞で登場した時も、「(当時)45歳というのは嘘で本当は48歳」と自称していたこともあり、実際の生年は今も不明である。1955年生まれだとすれば最年長本塁打記録は50歳を超えていたことになる。はメキシカンリーグのキンタナロー・タイガースでプレーしていたが、5月3日に同年限りの現役引退を明らかにした。メジャー通算2586安打は、ドミニカ共和国出身者としてエイドリアン・ベルトレ、ブラディミール・ゲレーロに次ぐ歴代3位。また、日本のプロ野球で286安打、韓国プロ野球で156安打、メキシカンリーグで316安打、ドミニカウィンターリーグで267安打、メジャー傘下のマイナーリーグで618安打を放っており、プロ26年間で公式戦通算4229安打を記録している。2012年1月、メキシカンリーグのプエブラ・パロッツの監督に就任した。2014年5月、米独立リーグ、ユナイテッドリーグのフォートワース・キャッツがコーチ兼任契約をした事を発表。55歳で6年ぶりに現役復帰し、主に4番DHで7試合に出場し打率.222(27打数6安打)を記録した。、BCリーグの石川ミリオンスターズに選手兼任監督として入団した。選手として打率.312(77打数24安打)を記録し、監督として31勝38敗3分を記録した。チームはリーグワーストの失策を記録するなど低迷、石川は2シーズン制導入以来続いていた地区チャンピオンシップ進出がストップした。10月20日、石川を退団し、2016年から韓国・ロッテ・ジャイアンツの2軍打撃コーチに就任すると発表した。2016年8月18日、ロッテジャイアンツの1軍コーチへ配置転換された。バットのグリップを上に掲げ、バットの先を投手に向ける非常に個性的なフォームが特徴。この打撃フォームをはじめたきっかけは「神のお告げがあったから」だと語っている。典型的なアベレージヒッターであり、1991年には首位打者を獲得。MLB通算打率も.298と高い。足も速く、かつては30盗塁以上を何度も記録していたが、に膝の大怪我をしてしまい、それ以降はほとんど盗塁は出来なくなった。しかし40歳後半になってからも、少ないながら毎シーズン盗塁を記録した。デビュー当初は遊撃手だったが、あまりのエラーの多さから二塁手にコンバートされた経緯がある。二塁手に関しても足の割に守備範囲が狭いことなどであまり評価は高くなかった。膝を痛めてからは一塁手、指名打者に専念した。NPBでは1995年に一塁手としてゴールデングラブ賞を受賞している。
出典:wikipedia
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