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名神高速道路

名神高速道路(めいしんこうそくどうろ、MEISHIN EXPRESSWAY)は、愛知県小牧市の小牧ICを起点とし、岐阜県、滋賀県、京都府、大阪府を経由し兵庫県西宮市の西宮ICへ至る、高速道路(高速自動車国道)である。通称名神高速(めいしんこうそく、MEISHIN EXPWY)、名神(めいしん)など。国土開発幹線自動車道の法定路線名は中央自動車道西宮線であり、この一部区間である。なお、小牧インターチェンジ(IC) - 吹田ジャンクション(JCT)間は アジアハイウェイ1号線にも指定されている。東名高速道路・新東名高速道路・中央自動車道・新名神高速道路・東名阪自動車道・名阪国道・西名阪自動車道とともに、東京・名古屋・大阪を結ぶ日本の大動脈の一つである。路線はほぼ中山道に沿って建設されている。小牧ICで東名高速道路(東名)と直結し、かつ車線変更・合流・分岐が不要な形での直通が可能な構造で、ICの番号やキロポストも東京ICからの通しとなっているため、実質的には東名と合わせて一つの高速道路と見なして「東名神」(とうめいしん)と呼ばれることもある。便宜上、東名名古屋ICまたは小牧JCT - 小牧ICを名神として含める場合もある。栗東IC - 尼崎IC (71.7km) は、1963年(昭和38年)7月16日に日本初の都市間高速道路として開通した区間である。1965年(昭和40年)7月1日の小牧IC - 一宮IC開通により、全線開通となった。現在は八日市ICを境に、東側を中日本高速道路(NEXCO中日本)が、西側を西日本高速道路(NEXCO西日本)が管理している。名神高速道路は小牧IC - 西宮ICの営業路線名(通称)である。法定路線名(正式な路線名)は東京都から長野県、岐阜県、愛知県、滋賀県、京都府、大阪府を経て兵庫県に至る路線として指定された、中央自動車道西宮線(東京都杉並区 - 兵庫県西宮市)であり、名神高速道路はその中の一部区間にあたる。高速自動車国道で「高速道路」という呼称を使用しているのは、東名・名神と新東名・新名神のみである。これは、これらの道路の計画・建設が進められる過程で、「自動車道」という呼称が用いられ始められる頃には、すでに広く民間において「高速道路」という通称が使用され一般的に定着していたため、例外的に採用されたものである。法定路線名である中央自動車道西宮線と第一東海自動車道との交点は小牧JCTであるが、営業路線名である名神と東名の接続点は西寄りの小牧ICと、前者とは異なっている。現在のIC番号は、東名高速道路の東京ICからの通し番号であるが、開通当初の名神高速道路では西宮から小牧に向かって、西宮=1、尼崎=2、豊中=3、茨木=4、京都南=5(5A/5B)、京都東=6、大津=7、栗東=8、八日市=9、彦根=10、関ケ原=11、大垣=12、一宮=13、小牧=14であった。このあたりのことは、運転免許更新時に配布される交通安全協会発行の交通教本の標識一覧などに、その名残がみられる。1968年の東名高速道路開通に合わせて、現在のIC番号に変更された。このようにIC番号が振られた理由は、歴史的経緯で東京 - 名古屋間のメインルートの決定(東名高速道路の建設決定)が大幅に遅れた結果、小牧ICで名神高速道路と直結する事になった東名高速道路の各IC・JCT設置の詳細決定が、名神高速道路の供用開始までに間に合わなかったため、名神高速内で暫定的にIC番号を振らざるを得なかったからである。このようなことから、1968年4月の東名高速道路供用開始と同時に、現在のIC番号に振り直される事となった。また、吹田ICは、当初設置構想すらなかったにもかかわらずIC番号(35)に枝番が付いていないのも、東名高速の各IC・JCTの詳細が決定する以前に吹田ICの設置が決定していたためである。並行する新名神高速道路(新名神)は、名神とは異なり、名古屋 - 草津JCTを東海道ルートに沿う。新名神のうち、亀山JCT - 草津田上ICが2008年2月23日に部分開通した。豊田JCT - 草津JCTで伊勢湾岸道 - 東名阪道 - 新名神と経由すると、従来の東名・名神経由より34km・約20分の短縮になる。名神の関ヶ原IC付近では、長い勾配や悪天候(冬季の降雪など)により渋滞や事故が多発していた。また、名神八日市IC - 大垣IC間は雪の降り方が強くチェーン規制になることがあり、愛知県豊田以東と滋賀県草津以西とを移動する約8割の車が新名神経由へシフトした。東名・名神経由の東京・名古屋 - 京阪神の高速バス(「ドリーム号」など)も、新名神に転換傾向が顕著化している。このため、名神では一宮IC・米原JCT近辺の渋滞は減少する一方で、東名阪道では四日市IC - 亀山JCTの渋滞が悪化している。新名神は現在、未開通の全区間(四日市JCT - 亀山西JCTと大津JCT - 神戸JCT)が事業中である。戦後の道路整備促進の流れは、田中清一らによって主導された国土開発縦貫自動車道構想であったが、これに平行する動きとして、建設省もまた戦前の自動車国道構想を手本に、東京・神戸間高速道路計画の着手に乗り出していた。政府は当面実施すべき区間を名古屋・神戸間に限定し、その計画を有料道路とするとともに、借款を世界銀行に求めることにした。1956年(昭和31年)、名神高速道路調査のために世界銀行はワトキンス調査団を派遣して、調査報告書を発表した。ワトキンス報告書は、名神高速道路の建設を是とした上で、建設費の一部に世界銀行が貸付を行うことを肯定し、日本政府に対しては道路行政の改革を勧告したほか道路予算を3倍増とすることを提言した。名神高速道路の設計計画は、当初はアメリカのターンパイク(有料道路)やインターステイツ・ハイウェイ(州際道路)の基準を手本に日本独自で進められたが、ドイツ・アウトバーンの設計技師であったクサヘル・ドルシュの教えに従って設計手法が大きく変わっていった。世界銀行が派遣し、設計コンサルタントとして来日したドルシュの提言は、高速道路の線形設計では周囲の地形に調和するようにクロソイド曲線を採用したり、それまで設計済みであったインターチェンジ計画を大規模な様式にするなど、それまで高速道路設計の経験が無かった日本の手法を大きく変えさせた。建設省は、1957年(昭和32年)10月に国土開発縦貫自動車道建設法の規定に基づき小牧 - 西宮間について、日本道路公団に対して施工命令を出し、名神高速道路の建設は始められた。この着工によって、日本の高速道路建設はスタートを切ることになった。新幹線開業の前年にあたる1963年(昭和38年)7月16日の名神高速道路 栗東インターチェンジ(IC) - 尼崎インターチェンジ(IC)間(71.7km)の開通は、日本の高速道路開通の歴史の中で最初となる高速道路の誕生であった。自動車が道路を時速100kmで疾走する状況は、当時の世間を沸かせる一大ニュースとなり、前日の7月15日には名神開通記念として額面10円の切手が発行された。1965年(昭和40年)7月1日には、小牧IC - 一宮IC開通によって名神高速道路の小牧IC - 西宮ICの全線が完成し、これまで名古屋 - 阪神地域間の移動に自動車で5〜6時間を要した時間が、2時間程で結ばれることになった。開通当初は高速道路自体が観光名所となっていたため、路肩で弁当を食べ疾走する車を眺めたり、記念撮影したりするなど、今となっては長閑なエピソードも残されている。また、当時の自動車の性能が高速連続走行に耐えられなかったことや、ドライバーが高速走行に不慣れだったため、オーバーヒートや燃料切れで故障する車が続出していた。また全面開通するや否や、トヨタ自動車の乗用車であるコロナ(RT40型)の宣伝として小牧 - 西宮を10万キロ往復耐久テストのコースにも用いられた(58日間で276往復走行)ほか、国鉄の高速バス専用車両開発時には、100km/hでの20万キロ連続走行が課題として各メーカーに要求されていた。高速道路網として続く東京 - 名古屋間については、東海道ルートで第一東海自動車道(東名高速)が中央道よりも先行して建設され、1969年5月の東名高速全線開通によって東京 - 西宮間が高速自動車国道で直結された。中央自動車道西宮線としては、1972年10月の小牧JCT開通、1982年11月の勝沼IC - 甲府昭和IC開通により全線が開通した。名神高速はこのように東名高速より先に開通したわけだが、これは先行決定していた東京 - 神戸間の中央自動車道建設において、名古屋以東を東海道ルート(=現東名高速道路)と中山道・甲州街道ルート(=現中央自動車道)のどちらで建設するかで激しくもめたためである。そのため、その収拾が着く前に、既に建設ルートについて合意に至っていた名古屋 - 西宮間を先に建設することで早期開業を目指したためである。なお、どちらの側も自案を捨てずに強硬に主張を続けたため、最終的には日本道路公団が東名・中央の双方を建設するとして幕引きを図った。東名とは違い、最高速度が80km/h制限となっている区間が多いので、速度超過には注意を要する。大垣IC - 竜王ICは12月から3月の間、冬型の気圧配置が強まると積雪になる場合がある。名神高速では10 - 15分おきに除雪車の連隊で除雪作業、凍結防止作業を行っている。降雪区間は50km/hの速度規制になり、除雪・凍結防止作業区間では作業車連隊を追い越し禁止する規制と同時に、作業車自体で車線をふさぎ強制的に速度を抑える。このため当該区間では10km以上の大渋滞になる。とは言え、帰省ラッシュ等の渋滞と異なりコンスタントに50 km/h程度の速度は出ているので極端な所要時間増にはならない。24時間態勢で大掛かりな作業をしているため、運用上は普通タイヤでも通行することが出来るが、降雪が強まると除雪部隊から離れた地点などでは路面に新雪が積もり、それがシャーベット状や凍結状態になるなど、非常に危険な状況に陥る可能性がある(上述の作業車連隊による速度維持を行う理由でもある)。更に降雪が強まり除雪が追いつかなくなった場合には、通行止め措置がとられる。また、関ヶ原付近は冬期になると天候が急変し、突発的に雪が降って視界が遮られる「ゲリラ雪」現象が発生する。このため、NEXCO中日本のTV・ラジオCMでは「冬の名神は雪国です」という旨の告知がされている。2008年2月23日に新名神の部分開通により、関ヶ原・米原地区を迂回することが出来るようになった。滑り止めの無い車両を比較的雪害の少ない新名神ルートで流すことが出来るようになったため、近年では強い降雪の場合には関ヶ原・米原地区でもチェーン規制措置を行うようになった。道路照明灯は京都東IC - 豊中IC間に設置されている。名神高速道路は全区間を通して交通量が多いため、羽島パーキングエリア (PA)・下り線、湖東三山PAを除くすべてのサービスエリア・パーキングエリアに売店がある。また、大津SAを除くすべてのサービスエリアと草津PAにガソリンスタンドが、すべてのサービスエリアにレストランが設置されている。ガソリンスタンドはいずれも24時間営業。かつて、岐阜県から滋賀県にかけての区間には、距離に対し多数のサービスエリア・パーキングエリアが設置されていた。大垣IC - 八日市IC(59.7km)にはサービスエリア2箇所・パーキングエリア4箇所、特に彦根IC - 八日市IC(21.2km)に多賀SA・甲良PA・秦荘PA(現・湖東三山PA)の3エリアが連続して設置されていたが、2001年に上石津PA、2005年の日本道路公団民営化直前に甲良PAが廃止されている。NEXCO中日本名古屋支社とNEXCO西日本関西支社の管理境界となる八日市ICを境に、東側は名古屋支社の一宮管制による4点チャイムの後に「○○時○○分現在の高速道路情報をお知らせします」で始まる形態、西側は関西支社の吹田管制の4点チャイムで始まる形態に分けられている(吹田管制は一定時間おきに「こちらは西日本高速道路側○○(局名)です」の局名告知が入る)。また、交通量と選択ルートが多いため、吹田管制管内では渋滞・規制情報のほかにハイウェイラジオ放送区間から主要ICまでの所要時間情報が放送される。なお、かつては関ヶ原ICを境に放送形態が分けられていたが、民営化直前に関ヶ原IC - 八日市ICが当時のJH関西支社からJH中部支社に移管され、民営化後に吹田管制から一宮管制に移管された。24時間交通量(台) [道路交通センサス][国道統計年報]東名に引き続き交通量が多く渋滞も昼・夜、時期を問わず激しい。このため路面等の損傷が早く、車線規制を伴う名神集中工事が5月下旬に1年に1回ほど行われている。この際はいつも以上に激しい渋滞となる。工事実施時期は違うものの、同じく交通量が多い東名では東名集中工事が、中国道の吹田JCT - 宝塚IC付近では中国道集中工事が行われている。名神では導入時の1991年から2006年までは「リフレッシュ工事」と称していたが、現在では東名や中国道と同様に「集中工事」に呼称を変更している。なお、新名神や第二京阪道路の開通により、2010年の交通量は一部区間で減少した。2002年度(2003年度日本道路公団年報)※1 : 上石津町の飛地部分

出典:wikipedia

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