航空母艦(こうくうぼかん、)は、飛行甲板を持ち、航空機運用能力を持つ艦船のことを言う。 航空母艦の多くは航空機を離艦・着艦させると同時に、航空機に対する整備能力と航空燃料や武器類の補給能力を有し、海上において単独で航空戦を継続する能力を有する軍艦(艦艇)である。略称は空母(くうぼ)。洋上基地(司令部)としての機能を持ち、海の上のどこからでも航空機を発進させることができる空母は、現代海軍の主要艦艇である。空母を攻撃力の中心として持つ部隊・艦隊のことを、機動部隊や機動艦隊、航空艦隊、空母打撃群などと呼ぶ。航空母艦は極めて特殊な性格を有する艦種である。すなわち軍艦としての攻撃能力はほとんど搭載機に依存しているため、航空母艦の戦力は搭載した航空機の能力や機数とそれらを指揮運用する能力で決まる。現代において最大の運用規模を持つアメリカ海軍の空母航空団を例にして航空母艦の任務を列記する。上記以外に人員や荷物の輸送を担当するC-2A グレイハウンド輸送機も搭載している。上記任務全てに対応するために、アメリカ海軍の大型航空母艦は航空機やヘリコプターを70機以上搭載し、整備し、指揮・運用する能力を有する。アメリカはこの強力な航空母艦を軍事以外にも外交的に積極的に利用し、親善国へのアピールや、紛争が予想される地域への抑止力として派遣している。他の国の(アメリカより小型の)航空母艦は、上記任務の一部を割愛するか、アメリカ海軍機よりも小型の(性能の低い)機体を採用するか、機数を減らして運用している。航空母艦の任務として冷戦時は核兵器による攻撃が重視されたが、後述のように現在のアメリカ海軍空母は核兵器を搭載していない。今後、アメリカ海軍はF/A-18C/Dの代替のF-35C ライトニングIIの導入を計画している。また、SH-60FとHH-60Hは計12機程度のMH-60R/Sに置き換えられつつある。早期警戒機E-2Cも新型のE-2Dへ、電子戦機EA-6BはF/A-18E/Fの電子戦機型EA-18G グラウラーに代替される予定である。主に以下に分類される。現代において最大の運用規模を持つアメリカ海軍では、1952年10月の艦種種別変更で、「攻撃目的任務の艦:CVA(攻撃型空母, attack aircraft carrier)」、「対潜目的任務の艦:CVS(対潜空母, anti-submarine warfare support aircraft carrier)」という名称分類とし、1961年の「エンタープライズ(CVN-65)」就役に伴い「CVAN(攻撃型原子力空母, nuclear-powered attack aircraft carrier)」が追加されたが、その後、1975年6月に、「多目的空母(前述の正規空母):CV」、「多目的原子力空母(前述の原子力空母):CVN」の2種類に統合している。また、他に、次のように類別している。アメリカ海軍とカナダ海軍では、航空母艦を表す類別略号として2文字の「CV」を用いている。この「CV」が何の略であるか大きく2つ、細かく分けると4つの説がある。なお、空母の略号にCVを使っているのはアメリカとカナダの2国であるが、イギリス人あるいは他の言語域の国民と会話する場合でも英語を用いて会話を行う文脈においてはCVで空母の意味が通用する。ドイツにおいては正規空母はRB、軽空母はRLに類別されている。またポルトガル語圏のブラジルにおいては正規空母はNAe、軽空母はNAeLに類別されている。航空母艦は航空機の効果的な運用を第一義に建造されている。航空機運用機能を追求したスタイルは伝統的な軍艦のイメージとはかなり異なる。洋上航空兵器を運用する艦船は、気球母艦が始まりである。19世紀中頃にはオーストリア海軍の気球母艦から発進した熱気球より爆弾の投下を試みた。南北戦争ではガス気球が使用され、ガス発生装置を備えた艦が建造された。第一次世界大戦でも同様の艦が使用された。水上機母艦の最初のものは、1911年にフランス海軍が機雷敷設艦の「ラ・フードル」を水上機の運用が可能なように改修したのが始まりだといわれている。しかしすぐには実戦に投入されなかった。洋上を発進した航空機の実戦活動は、日本海軍の「若宮」搭載機が第一次世界大戦で青島のドイツ軍基地を攻撃したのが世界最初である。日本海軍をはじめとする水上機はそれなりに活躍したが、大きなフロートを装備しているため、飛行性能では(通常の)陸上機に劣った。当初から航空母艦として設計された正規空母として世界最初のものは、第一次世界大戦後の1922年に、同じく日本海軍が同盟国のイギリスの技術援助のもと竣工した「鳳翔」が最初である。第二次世界大戦の空母は、陸上機と同等の性能を有する全金属製の戦闘機や爆撃機を(艦船の性能によるが)50機以上運用し、その汎用性・攻撃力の高さから戦艦をしのぐ海軍の主力艦となった。現在の空母は、排水量10万トン以上のアメリカの原子力空母から、排水量1万トン強で垂直離着陸機を運用するタイの「チャクリ・ナルエベト」まで多岐に及んでいる。航空機が実用化された直後から、各国の海軍は航行中の艦船から航空機を発着させる努力を続けてきた。アメリカは1910年11月14日に軽巡洋艦「バーミンガム」に仮設した滑走台から陸上機の離艦に成功した。翌1911年1月18日には装甲巡洋艦「ペンシルベニア」の後部に着艦用甲板を仮設し、離着艦に成功した。1912年にはイギリスでも仮設甲板からの離艦に成功した。ただし、これらの成功はいずれも仮設甲板を使用しただけでなく港内に停泊中の艦からのものであり、実用性は乏しかった。第一次世界大戦では、航空機による索敵・爆撃・雷撃・空中戦が行われた。1914年に日本海軍の水上機母艦「若宮」(5,180トン)をドイツ軍基地のあった中国の青島沖に派遣し、搭載機(ファルマン水上機)が攻撃を行った。水上機母艦であるため、搭載機の発着は海面を用い、機体はクレーンで揚収する。英国は比較的高速な2,000〜10,000トンの商船を水上機母艦に改造し、1914年12月に数機編隊でドイツ本土を攻撃した。この程度の攻撃力では不十分であると感じたイギリスは、巨砲を有する超大型巡洋艦として建造中の「フューリアス」(19,000トン)の砲を降ろし、前甲板を完全に飛行甲板に改造した。「フューリアス」は1917年6月に竣工している。しかし前甲板のみでは航空機運用に不便であったため、直ちに再改装に入り1918年に後部甲板も飛行甲板となった。世界最初の本格的な航空母艦であったが、艦の真中には巡洋艦と同じく背の高い艦橋と煙突がそびえていた。更に完成度の高い空母として、イギリスは建造中の高速商船を改設計し、航空母艦「アーガス」(14,450トン)を建造した。この艦は世界初の艦首から艦尾までの飛行甲板上に全く邪魔物のない全通甲板で、その後の空母の模範となった。一方、アメリカは給炭艦「ジュピター」を改造した空母「ラングレー」を建造した。第一次世界大戦での実績から、英・日の海軍は海上航空能力の必要性を痛感し、既存艦船の改装によらない本格的航空母艦の建造に着手した。初めから航空母艦として設計された艦で、最初に起工された艦はイギリスの「ハーミーズ」であったが完成が遅れ、最も早く竣工(完成、1922年)したのは日本の「鳳翔」だった(「ハーミーズ」の完成はその翌々年の1924年であった)。また、イギリスは「ハーミーズ」とほぼ同時に空母「イーグル(初代)」を完成させたが、これはアルゼンチンの注文で(英国で)建造していた戦艦を接収し、空母に再設計したものだった。1922年のワシントン海軍軍縮条約の結果、戦艦と巡洋戦艦の建造は一部を除き中止され、日米は建造中の巡洋戦艦各2隻を航空母艦に改造する事になった。英国は先の「フューリアス」とその準姉妹艦2隻を完全な全通甲板を持つ航空母艦に改造した。またフランスは建造を中止した戦艦1隻を改造し空母として完成させた。「鳳翔」や「ハーミーズ」が1万トン台であったのに比較し、「赤城」は基準排水量約26,900トン、「レキシントン」も33,000トンと空母の大きさは急拡大することとなった。ワシントン海軍軍縮条約を受けた各国の空母建造状況は、以下の通り。その後、日米は上記改装空母の運用実績を生かした新しい空母の建造を(ワシントン条約の枠内で)続けた。この時代の各国の空母の特徴として、格納庫の構造があげられる。アメリカは 主船体の上に1層の広い格納庫を載せ、その上に飛行甲板を設けていた。日本とイギリスは、格納庫を主船体内に取り入れた結果、面積が大きく取れなかった代わりに、2層以上の格納庫を設けていた。ワシントン条約に続くロンドン海軍軍縮条約では、航空母艦の保有量にも制限が加えられた。しかし1936年の日本の脱退により、条約による艦船建造の規制時代は終わりを告げた。日本とイギリスは条約明け直後から、充分な航空機搭載力を有する大型の空母の建造を開始した。少し遅れてアメリカも大建造に着手した。戦力増強を急いだアメリカは、既存のヨークタウン級1隻を建造しつつ、新たな設計の空母(後のエセックス級)の開発に入った。これらの空母は充分な攻撃力と相応の防御力を有しており、正規空母や艦隊型空母と呼ばれた。この中でイギリスの空母は敢えて搭載機数を犠牲にして飛行甲板と格納庫を強固な装甲で防御しており、実戦でもその有効性が証明されたが、搭載機数の少なさは否めなかった。飛行甲板に装甲を施すことによる搭載機数の少なさの解決は、後に就役したアメリカのミッドウェイ級が登場するまで待たねばならなかった。またまったくの未完成に終わったが、下記の空母も新規建造が行なわれた。第二次世界大戦で航空母艦は海軍の主役となり、それまで海軍の主力であった戦艦は緒戦で航空機の攻撃に太刀打ちできないことが実証され、以後は航空母艦搭載機による制空権の確保が、戦略上の重要課題となった。日本海軍においても大艦巨砲主義の終焉に伴い、艦政本部を中心に設計・建造方針においては空母を主軸とした機動艦隊(第一航空艦隊やその後続の第三艦隊)が戦力の中核をなした。しかし軍令・戦術方針においては、艦隊決戦至上主義や大艦巨砲至上主義が依然根強く、あくまでも戦艦中心の第一艦隊あっての機動艦隊という編成であった。戦艦中心編成の第一艦隊を廃し、空母等の機動力を主とした第一機動艦隊を創設したのは昭和19年3月だった。戦時急造の空母として、日本では中型の艦隊型空母、イギリスでは小型で若干速度の劣る軽空母が建造された。また、第二次世界大戦では正規空母以外にも大量の空母が改装によって建造された。第二次世界大戦の海の戦いの主役は、従来の戦艦からより汎用性の高い空母に変わった。太平洋では日米海軍の空母が主戦力として活躍し、大西洋や地中海では空母を持つイギリス海軍がドイツやイタリアの艦船を攻撃した。主戦場以外の局面においても、アメリカが大量建造した護衛空母は、「空の隙間」をうめて対潜哨戒機の補助としてドイツのUボートに打撃をあたえ、連合国側のシーレーンを確保した。特に太平洋戦争では日米ともに有力な空母部隊を擁しており、それら空母を中核とする機動部隊が戦局を大きく左右することになる。空母を中核とした機動部隊の活躍は日本の空母6隻から発進した航空機がオアフ島真珠湾に停泊していたアメリカ太平洋艦隊の戦艦群を壊滅させた真珠湾攻撃から始まり、その後、日米の正規空母が正面から激突する海戦も度々生起した。史上初の機動部隊同士の海戦は、1942年5月8日に発生した珊瑚海海戦である。この海戦は米海軍を主力とする連合軍が正規空母1隻及び駆逐艦1隻を撃沈されたのに対し、日本海軍の損害は軽空母一隻を撃沈されたに留まり日本側の勝利で終わっているが、引き換えに日本側は作戦目標を放棄せざるを得ず、戦略的には連合軍側の成功であったと評価されている。続くミッドウェーでは4隻の主力空母を失い、大きく戦力を減じた日本海軍だが、後の南太平洋海戦では勝利し、一時はアメリカ軍を稼動空母皆無の状況まで追い込む。しかし強大な国力、工業力を背景に空母戦力の大増強を続けるアメリカ側に対し日本側の戦力回復は遅々として進まず、その後のパワーバランスはアメリカ側に大きく傾く。マリアナ沖海戦時には最早日本側の衰勢が明らかになっており、レイテ沖海戦時の日本空母部隊は、アメリカ軍の目を『レイテ湾に突入する栗田艦隊』から逸らせるための囮の役目しか果たせなくなっていた。なお、終戦直前にはイギリスの空母も沖縄近海での作戦行動を行っている。太平洋戦争における日米の空母同士による海戦一覧なお、歴史上、現在に至るまで空母同士の海戦は日本対アメリカ以外では発生していない。第二次世界大戦後、空母は艦載機のジェット化と核戦略による転換期を迎える。ジェット機はレシプロ機に比べ高速、大型であり従来の空母艦載機の使用条件とは一致せず、各国の海軍の頭を悩ませることとなる。アメリカ海軍では冷戦が始まった1945年以後はソビエト本土への核攻撃能力が重要視され、比較的小型の航空機しか運用出来ない航空母艦の価値が低下したと考えられていた。海軍は海軍長官出身のジェームズ・フォレスタル国防長官の助けにより、核搭載可能な大型艦載機A-3Dの運用を前提とした排水量65,000トンの大型空母「ユナイテッド・ステーツ」の建造を計画するが、この大きさでもジェット機の運用は困難とされ、空軍のB-36戦略爆撃機との比較の結果B-36に軍配があがり、「ユナイテッド・ステーツ」は起工から5日目に建造中止されてしまう。空母への風当たりが強くなる中、1950年6月25日に北朝鮮が突如韓国へ侵攻し、朝鮮戦争が勃発する。不意を衝かれた韓国は総崩れとなり北朝鮮はさらに南へ侵攻、急遽アメリカは西太平洋に展開していたエセックス級「ヴァリー・フォージ」を朝鮮半島近海に進出させることを決定する。途中「ヴァリー・フォージ」はイギリス海軍コロッサス級「トライアンフ」と合流し北朝鮮近海に進出、開戦8日後の7月3日から作戦に入った。その後は空軍機の展開により対空戦闘の中心は空軍機に譲るが、停戦までの間に11隻のエセックス級空母が参戦し主に対地攻撃を担当した。このうち1951年以後に参加したエセックスを含む4隻はジェット機対応の改装を済ませており、ジェット機による攻撃を行った(他の7艦はプロペラ機を搭載)。朝鮮戦争の戦訓から、空母の任務として対地攻撃が重視されるようになった。朝鮮戦争での実績から、空母は即時展開可能な航空基地として有効であると認識されるようになり、空母不要論は一応の終結を見ることとなった。しかし、依然としてジェット機運用には問題が多く、着艦速度が速くても正確に着艦させることができる誘導システムと、重い機体を十分に加速させることができるパワーのあるカタパルトが必要であった。従来の空母は甲板上から艦載機をすべて取り除かない限り、着艦のやり直しがきかなかったため、これも改善する必要があった。これらの問題は第二次大戦末期から考えられるようになり、イギリスで大戦後から1950年代にかけ、ジェット機でも運用できる強力な蒸気カタパルト、ミラーランディングシステム、アングルド・デッキという現代空母の基礎となるものが開発され、空母の運用能力は大幅に向上した。これらの技術を集大成して、1955年に戦略核攻撃任務航空機を搭載する超大型空母「フォレスタル」(6万トン)が完成した。その後アメリカ海軍はフォレスタル級の改善・就役を行いながら1968年までに8隻の通常推進型空母を建造した。艦船の原子力推進搭載第一号は1955年にアメリカで完成した原子力潜水艦「ノーチラス」。通常推進に比べて原子力推進の利点は下記の通り。この二点は隠密裏に長期の行動を要求される潜水艦にとって非常に有利であるが、原子力化は航空母艦にとっても大きな利点がある。アメリカ海軍は上記利点を考慮し、1961年に就役させた3隻の空母のうち1隻を初の原子力空母(「エンタープライズ」)とした。また 同時に建造した原子力ミサイル巡洋艦「ロング・ビーチ」(15,111トン)、「ベインブリッジ」(7,982トン)と協同して原子力艦隊を作ろうとした。しかし「エンタープライズ」は建造費があまりにも高くなったため、次に建造された空母2隻は一旦通常推進型に戻された。1964年から始まったベトナム戦争では「エンタープライズ」やほぼ同じ大きさの通常推進型のフォレスタル級やキティホーク級、より旧型で小さいエセックス級やミッドウェイ級など多数の空母が参戦し、その中で原子力空母のメリットが改めて確認された。その結果 1975年から「エンタープライズ」を更に改良したニミッツ級の量産建造が始まり、計10隻が建造された。ニミッツの建造に合わせてカリフォルニア級(10,150トン、2隻)やバージニア級(11,000トン、4隻)の原子力ミサイル巡洋艦が建造されたが、この種の艦の建造は1980年完成のバージニア級の4番艦で終了し、その後建造されたミサイル巡洋艦は全て通常推進のタイコンデロガ級(9,400トン、27隻)となった(原子力巡洋艦9隻は全て退役済み)。これらの事実を総合すると、艦船の原子力化のメリットは 潜水艦>航空母艦>巡洋艦という結果であった。2009年に、アメリカ海軍では最後の通常推進空母であった「キティホーク」が退役し、空母は全て原子力推進艦となった。アメリカ海軍の戦略核攻撃任務は1960年代後半には弾道ミサイル潜水艦に任され、同任務に就いていた空母上のA-5超音速攻撃機は偵察機に改造されたが、A-4やA-6といった戦術攻撃機は1990年頃まで核攻撃能力を有していた。1989年のマルタ会談での冷戦終結を受け、1991年に戦術核兵器の撤去が始まり、1992年7月には当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領が航空母艦から戦術核兵器の撤去が完了したと発表した。カタパルトやアングルド・デッキなどの採用によってジェット時代の空母の技術が確立されたが、空母のような大型艦船は財政的な問題が無視できなかった。空母の運用にかかる費用は莫大なものとなってゆき、アメリカ以外ではまともに運用することが不可能となった。海軍国であったイギリスも例外ではなく、第二次世界大戦後に完成した4万トン級の「イーグル」や「アークロイヤル」等の正規空母の後継艦の建造を1960年代に計画するものの予算の面で断念、1970年代にはすべての正規空母は退役してしまった。一方フランスは1961年以後自国技術により、3万トン級のクレマンソー級2隻を建造した。フランスは政治的にアメリカ追随ではなく独自の歩み方をすることを選択し(対米自立外交)、ド・ゴールが大統領時代の1966年に北大西洋条約機構から脱退した。以後フランスはアメリカに頼らない独自の空母戦力維持に力を注いでおり、現在は4万トンの原子力空母「シャルル・ド・ゴール」1隻を運用中である。またソビエト連邦も海上航空勢力の整備を目指し、まず垂直離着陸機とヘリコプターを運用する4万トン級のキエフ級航空母艦を1975年から4隻作った後、1991年に6万トンの重航空巡洋艦「アドミラル・クズネツォフ」を建造した。イギリスで建造されたコロッサス級とマジェスティック級は小型の軽空母であったが、蒸気カタパルトとアングルド・デッキの装備などの改装・改設計により最低限のジェット艦上機運用能力を持っていたため、1960年前後にカナダ・オーストラリア・インドなどのイギリス連邦諸国やオランダ・ブラジル・アルゼンチンに売却または貸与されたので、これらの国でも空母を運用している時期があった。1970年代終わりにこれらの小型空母が老朽化した際に大半の国では後継空母の取得を諦めたが、インドはイギリス軽空母「ハーミーズ」を購入し「ヴィラート」として空母戦力を維持、ブラジルはフランスより「フォッシュ」を購入して「サン・パウロ」として戦力を維持している。一時期、空母保有をあきらめたイギリス海軍は、哨戒ヘリコプター多数を運用する全通甲板型指揮巡洋艦を計画したが、この計画中に空軍で使用されていたホーカー・シドレー ハリアーに目をつけ艦上機型のシーハリアーを開発、これにより満載排水量20,000トン程のインヴィンシブル級軽空母でも固定翼機を運用することが可能となった。これが現代における軽空母の新たな定義づけを生む。軽空母とシーハリアーの組み合わせは、1982年にアルゼンチンとイギリスとの間で行われたフォークランド紛争で艦隊防空において「空戦での損失ゼロに対し撃墜23機」という予想以上の成果を上げたため、スペイン・イタリア・インド・タイなど他の多くの国で採用されることになったが、艦載機に早期警戒能力が無かったため、アルゼンチン攻撃機の低空攻撃を許した。後にSH-3 シーキングを改修し、現在までヘリコプターを早期警戒機として運用している。フォークランド紛争以後、ヘリコプターとV/STOL機(シーハリアー)の組み合わせでの運用が確立され、以後建造される軽空母の方向性を決定したと言える。ただ2000年代以降は4万~6万トン級でCTOL機を運用する中型正規空母が各国で建造され、一方ハリアー自体が旧式化したこともありこのクラスの空母も次第に退役するか、空母自体は運用されていてもハリアーの運用を終了もしくは凍結して実質的にヘリ空母として運用されつつある。事実このクラスの空母の先駆者であるイギリス海軍は、インヴィンシブル級でのハリアーの運用を2010年いっぱいで終了し、代わりに6万5,000トンクラスのクイーン・エリザベス級を建造。またインドも軽空母にかわり4万トン級中型正規空母を建造するなど、軽空母保有国から脱却しつつある。一方軽空母保有国でもイタリアの「カヴール」のような多目的空母としての運用や、スペインの「フアン・カルロス1世」など強襲揚陸艦での固定翼機の運用を行う国も現れてきている。現代空母の分類は、第二次世界大戦頃の名残で正規空母と軽空母を中心にその他のヘリ空母・強襲揚陸艦(STOVL機を運用可能な艦が少なくない)等の艦種を加える方法ともう一つ、搭載機の発着方式で分類する方法の二通りが主である。前者の分類について、正規空母と軽空母の境界は明確とはいえない。空母に限らず軍艦を運用する場合、整備や訓練などを行う必要もあるため、常時1隻以上を稼動状態にするには最低3隻程度は必要であり、その意味で空母を常時運用できる国は限定される。また、空母は軽空母サイズでも他の艦船に比べ運用には費用がかかるため、他の艦船の稼働率に影響を与える場合もある。航空母艦は潜水艦による魚雷攻撃に対し虚弱性を有し、操艦による回避は大型化すればそれだけ困難となり、十分な対潜能力をもつ護衛艦隊を伴わない場合、空母の大型化は格好の標的となりやすい。米国が大型の原子力空母を運用するようになってから、潜水艦による魚雷攻撃を受けた経験はまだ一度もなく抗堪性については現実には未知数である。2006年、沖縄近海で護衛艦隊を伴った米空母「キティホーク」の8キロメートル範囲内に中国の宋級潜水艦が急浮上し米海軍を驚愕させている。このとき米軍は浮上まで同艦の存在にまったく気が付かなかったとされる。S/VTOL機を搭載する軽空母や強襲揚陸艦は、ハリアーの旧式化による退役で、第5世代機のF-35Bの搭載が主軸になる。2015年現在、大型ジェット機も離着陸できるメガフロート空母という構想も出ているが、速力と防御力の面で問題がある為に実用化には至っていない。空母あるいは空母に準ずる艦を保有し、もしくは保有を計画する諸国の近況を、以下に記す(あいうえお順)。
出典:wikipedia
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