日南線(にちなんせん)は、宮崎県宮崎市の南宮崎駅から鹿児島県志布志市の志布志駅までを結ぶ九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(地方交通線)である。日南海岸沿いや鰐塚山地を縫って走り、宮崎県南部や鹿児島県東部の市町を結ぶ行楽・地域輸送路線である。日南線内では南宮崎駅と田吉駅のみICカード「SUGOCA」が利用可能である。全線鹿児島支社の管轄である。気動車を使用した南宮崎方面 - 青島・油津・志布志方面と、電化区間のみを運行する電車を使用した宮崎空港線直通列車の2つの運転系統に分かれるが、後者でも特急に関しては、宮崎空港線分岐駅の田吉駅に停車しないため、前者の運転系統のみが「日南線の列車」として案内される場合が多い(宮崎空港方面は日南線の区間を含めて「空港線」の路線愛称がある)。ここでは、主に宮崎空港線へ直通しない列車について記す。ほとんどの列車が、南宮崎駅から隣の日豊本線宮崎駅まで乗り入れる。朝ラッシュ時には日豊本線佐土原駅・高鍋駅まで乗り入れる。油津駅行き下り最終列車を除き、すべての普通列車で、ワンマン運転を実施している。宮崎駅 - 志布志駅間の列車が1 - 2時間に1本程度運転されているほか、宮崎駅・南宮崎駅 - 青島駅・油津駅・南郷駅間と油津駅 - 志布志駅間の区間列車が運転されている。下りでは宮崎発志布志行き、上りでは南郷発宮崎行きで快速「日南マリーン号」が1日1本ずつ設定されている。「日南マリーン号」に使用されている車両は下りがキハ40形1両で、上りはキハ47形2両編成である。2009年10月10日から、観光特急列車「海幸山幸」が宮崎駅 - 南郷駅間で運行されている。車両は、廃止された高千穂鉄道より譲渡されたTR400形をキハ125形400番台へと改造して使用している。田吉駅から南郷方面では初の特急列車運転となる。非電化区間の田吉駅 - 志布志駅間を走る普通列車には、国鉄時代に製造されたキハ40系が使用されている。なお、キハ125形0番台や、キハ200系などの民営化以降に製造された車両は運用に入ったことがない。南宮崎駅 - 田吉駅間には宮崎空港線と直通する列車が多数運転されており、南宮崎駅から日豊本線の延岡方面まで直通している。日豊本線の特急列車も一部が直通している。特急は南宮崎駅のみ停車し、宮崎空港線分岐駅の田吉駅を通過する。なお田吉駅は青島方面と宮崎空港方面の接続は完全ではない。南宮崎 - 北郷間は、1963年(昭和38年)に開業した。これは、宮崎交通が1962年(昭和37年)に廃止した南宮崎 - 内海間の線路跡を利用したもの。この時に、志布志線と繋がり、志布志 - 北郷間を編入して南宮崎 - 志布志間が日南線となった。北郷 - 志布志間は、当初、志布志線の一部として開業した。このうち、飫肥 - 油津間は宮崎県営鉄道飫肥線という軌間762mmの軽便鉄道として開業した路線を、改正鉄道敷設法の予定線に重なることから1935年(昭和10年)に国有化し、その後志布志線として新線(軌間1067mm)に切り替えたもので、一部は実質的に改軌したものである。1963年(昭和38年)の日南線全線開通時に、志布志 - 北郷間が、志布志線から日南線に編入されたことで、志布志線は西都城 - 志布志間となった。日南線の終点となった志布志駅は、日南線の他にも、志布志線、大隅線が合流する交通の要衝で、機関区を擁していたが、1987年(昭和62年)には、志布志線、大隅線が特定地方交通線として廃止され、1990年(平成2年)には東方へ移転して1線のみに縮小された。かつての栄華は、今では見る影もなくなってしまった。なお、日南線自身は1987年(昭和62年)時点で代替輸送道路が未整備だったため、第3次廃止対象特定地方交通線から除外された。2008年度分の統計によると、日南線の輸送密度(平均通過数量)は851人/日であり、JR九州の路線のうちでは最下位から3番目に少ない(最下位は吉都線、2番目に少ないのは肥薩線)。この数字は、特定地方交通線として廃止された志布志線と大隅線の廃止対象とされた当時の輸送密度の半分程度である。便宜上、直通列車の多い日豊本線宮崎駅からの区間を記載。
出典:wikipedia
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