谷中 真二(たになか しんじ、1973年5月15日 - )は、大阪府阪南市出身の元プロ野球選手(投手)。大阪府阪南市出身。体は小さいが内角攻めの投球が得意で、阪神在籍当時の野村克也監督から「谷中は度胸のある内角攻めが持ち味だ」と評価され、谷中を先発ローテーションの一角にしていた。しかし内角攻め故に死球も多かった。お笑いタレントたむらけんじとは小学校の同級生であり、軟式ではバッテリーを組んでいた、(たむらけんじはキャッチャー)。泉州高等学校(現・近畿大学泉州高等学校)から小西酒造を経て、のドラフト3位で西武ライオンズに入団。ドラフト指名した当日は、酒蔵で樽の中に醸造中の酒の様子を確認するために梯子に登っている谷中に、同僚が西武の指名を伝える場面がテレビで映された。1年目の1997年は中継ぎとして14試合に登板した。1998年は6試合と前年より登板数を減らした。1999年は新入団しマスコミ陣に囲まれる当時同僚の松坂大輔を捲く影武者として谷中が一役買った。同年は8試合に登板し、4試合で先発を任されたが結果は出なかった。2000年に主に中継ぎとして32試合に登板したものの、目立った活躍は少なかった。2001年は開幕から1軍登板できず、シーズン途中に平尾博嗣との交換トレードで阪神タイガースへ移籍。途中入団ながら先発ローテーションに定着し、7勝を挙げた。翌2002年は自己最多の41試合に登板し、11試合で先発した。最終成績は5勝8敗、防御率3.43と負け越してはいるが、安定した活躍を見せた。しかし2003年は29試合の登板で先発での登板はわずか1試合だけだで、3勝3敗であったが防御率は5.88と悪化した。オフに牧野塁・葛城育郎との交換トレードで斉藤秀光と共にオリックス・ブルーウェーブに移籍した。同年は投手陣が崩壊する現状において中継ぎ中心に24試合に登板し、5試合で先発を任されたが1勝4敗、防御率7.20と成績を残せなかった。2005年、選手分配ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。同年は21試合に登板するも、防御率8.17と炎上した。2006年も20試合の登板で、0勝2敗防御率5.13の成績で終わった。翌2007年はロッテの竹原直隆に3ランを打たれるなどわずか2試合の登板に終わった。10月に戦力外通告を受け退団した。結局楽天在籍時の3年間で43試合に登板したが、球威の低下は隠せず打ち込まれる場面が目立ち、防御率は7.24という結果に終わった。現役続行を希望し、これを受け古巣の西武が横浜から戦力外になった種田仁と共に獲得した。2008年では中継ぎで起用された。西武復帰後初登板となった4月10日のロッテ戦では2回を投げるも、里崎智也、大松尚逸、ホセ・オーティズに3者連続本塁打を浴び3失点で2軍に降格したが、8月19日に再度1軍昇格してからは10試合に登板して1失点、シーズンを通しての防御率は2.77と安定感を見せた。10月19日クライマックスシリーズ初登板し、無失点ではあったが2四死球と安定しなかった。2009年は2試合の登板に終わった。2010年も8試合しか登板できず、戦力外通告を受けそのまま引退を表明。11月4日に任意引退選手公示され、翌5日に打撃投手として球団スタッフに就任すると発表された。翌年2011年から2015年まで打撃投手を務めた。
出典:wikipedia
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