手袋(てぶくろ)は、保護や装飾のために手(形態によっては腕やその一部を含む)を覆う衣服。親指と他の指が分かれているものは特にミトンと呼ぶ。また、指を解放しているタイプのものもある(オープンフィンガーグローブ)。手袋の素材には多くの素材が使われており、綿やウール・ポリエステル・ナイロン・アクリル繊維の布、毛糸、フェルト、牛や羊の革・人造皮革、ゴム、ラテックス、金属、耐熱手袋にはアラミド繊維やシリコン樹脂も使われている。柔らかい布地で作られたウォッシンググローブ () というものがあり、体を洗うのに使う。数量単位は双。10双をデカ、12双をダースとして取引に用いられる。なお、日本では「革又は合成皮革を製品の全部又は一部に使用して製造した手袋」について家庭用品品質表示法の適用対象となっており雑貨工業品品質表示規程に定めがある。手袋を着用する主な目的は手の保護である。暑さや寒さから手を守ることはもちろん、擦り傷や切り傷、そして素手で触ることが危険な化学物質やウイルスからも手を保護する。ラテックスやビニル製の使い捨ての手袋は医療従事者の間で感染症を防ぐ有効な手段として使われている。逆に直接手に触れることで対象物の価値・有効性が減る事を防ぐ為にも手袋を装着する。例として各種製造過程での製品接触・美術品や骨董品の取り扱い・警察の捜査等がある。フィンガーレスグローブは寒さから手を守る必要があり、なおかつ指先を自由に使えることが必要な状況で用いられる。手袋の中には、手首までではなく肘近くまで保護するものもあり、これらをガントレット(籠手)と呼んで区別することもある。世界中で手袋は生産されており、今でもフランス、イタリア、デンマーク、ハンガリーやカナダでは高価な女性用のブランド物手袋が作られている。ニューヨーク州、特にグラバーズヴィルは手袋の産地であったことが知られているが、近年では多くの手袋が東アジアで作られている。日本では、国内製手袋の約90%が香川県東かがわ市周辺で作られている。手袋の歴史は少なくとも古代ギリシア時代に遡る。ホメロスの『オデュッセイア』のいくつかの翻訳によると、オデュッセウスの父ラーエルテースは庭を歩く時に手袋をしていたとしている。しかし、他の翻訳によると、ただ袖で手を覆っただけである。紀元前440年に書かれたヘロドトスの著書『歴史』の中にレオテュキデスという人物が手袋、あるいはガントレット一杯の銀貨を賄賂として受け取った罪に問われていることが記述されている。古代ローマ人の記述の中にも、度々手袋が登場する。西暦100年前後に活躍した小プリニウスによると、大プリニウスは馬車に乗車中に口述筆記させていた速記者に冬の間は手袋を着用させ寒さの中でも文章を書けるようにしていたという。ファッション、儀式、それに宗教のために手袋は用いられる。13世紀ごろからヨーロッパでは女性の間でファッションとして手袋を着用するようになった。リネンや絹でできており、時には肘まである手袋が広まっていた。16世紀にエリザベス1世が宝石や刺繍、レースで豪華に装飾されたものを着用した時に手袋の流行は頂点に達した。オペラ・グローブと呼ばれるパーティー用長手袋の場合、食事や握手の時にいちいち外さずに済むよう、手首内側に手を出す為の穴が空けられている。刺繍と宝石で装飾された手袋は皇帝や王の徽章の一部となっている。1189年にヘンリー2世が埋葬された時には、戴冠式のときに着用したローブと王冠、それに手袋とも共に埋められたと、マシュー・ペリーは記録している。1797年にイングランド王のジョンの墓を開いた時、それに1774年にエドワード1世の墓を開いた時にも、手袋が発見されている。祭服としての手袋は、主に教皇や枢機卿、僧侶たちが着用している。教義によりミサを祝う時にのみ着用を許されている。手袋はこの習慣は10世紀に遡り、儀式の際に手をきれいにしておきたいという単純な欲求が始まりかもしれないが、特権階級として豊かになった聖職者たちが己の身を飾るためにつけたものが始まりかもしれない。フランク王国からローマにこの習慣は広まり、11世紀の前半にはローマでも一般的になった。日本では、鎌倉時代に鎧の篭手として発達した。当時は手覆(ておおい)とも呼ばれた。15~16世紀に南蛮貿易によって西洋式の手袋が輸入され、珍重された。やがて国内生産も始まり、手袋づくりは貧乏武士の内職として盛んになっていく。手袋は俳句における冬の季語でもある。女性皇族は常に白の手袋を携帯しているが、これは帽子と共にその貴族性を象徴する為の物である。手術や鑑識の際に着用される医療用手袋の基礎となるゴム手袋は「レジデント制度の父」と呼ばれるジョンズ・ホプキンス大学のウィリアム・スチュワート・ハルステッドが1890年に自身の恋人であった看護婦のキャロラインの為に発案した。当時は消毒のために強力な消毒液に手を漬けて手術に挑まなければならず、手の皮膚が弱いキャロラインは消毒液で手荒れをしてしまう為にゴム手袋を発案した。殺菌性についても今まで行っていたとされる消毒液に手を漬けて行うものよりも強力であったために注文が殺到し全世界の手術の現場で普及することになる。ちなみにその後ふたりはこのことがきっかけで結婚することになった。だが、当の本人であるキャロラインはハルステッドと結婚し看護婦を引退するため、このゴム手袋を使うことは無かった。ラテックス製の手袋は、1964年にオーストラリアのアンセル社が開発した。一般用は食品産業や精密作業などで使用されるのに対し、手術用は管理のため一双ずつ梱包してあり、価格も10倍以上違う。ゴールキーパーグローブやゴルフ、ドライブ用のものは通常の手袋の目的の一つである手の保護以外にも、掴んだものを滑りにくくするグリップ性を重視している。野球用グラブ・ミット、ボクシンググローブ、乗車用手袋の様に特殊な用途に特化したものも存在する。工場や農作業での作業用として用いられる手袋は一般に軍手を指す場合が多いので、軍手の項目を参照のこと。また、水仕事などを行うために用いられるゴム製や合成樹脂製の手袋もある。油や電動工具の研磨などを取り扱う場合は怪我防止や粉塵に触れないために豚革や牛革の手袋を使うこともある(軍手は繊維を巻き込むので危険のため使えない)。シンナーやトルエンなどの溶剤は専用のゴム手袋を使う。モーニングコート等の礼服に用いられたり、警備員が手旗の代わりに用いたり、タクシー等の運転手が礼装をアピールしたり手やハンドルを汚さない為に用いる。なお、礼服ではドレスグローブという言い方をし、ボタンかスナップで留めるのが特徴。材質は革か布、色は白か灰色である。礼装は白・灰共に用いられ、ピンタックという三ツ山の装飾が外側に付いている。女性向けの礼装用ドレスグローブには、二の腕あたりまですっぽりと覆うロンググローブタイプのもの(オペラ・グローブ)もある。作業用は白が多い。一部の警備会社では略して「白手」(しろて)と呼ぶ。本来は燕尾服やタキシードなど夜の正装に用いて、モーニングコートなど昼には用いなかったが現在は関係なく用いられている。色は白が幅広く用いられているが厳密には燕尾服には白、モーニングコート・フロックコートには灰色、タキシードは黒となっている(背広で代用した場合も同じ)が現在は気にせず白や灰色を用いることも多い。弔事には服装を問わず灰色や黒を用いる。手袋製造のポイントは、親指の位置に起因する3次元性と、着脱時手幅と装着時手首幅の両方を受け入れる手首部分の柔軟性にある。
出典:wikipedia
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