LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

上越線

上越線(じょうえつせん)は、群馬県高崎市の高崎駅から新潟県長岡市の宮内駅(列車運行上は長岡駅)までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)。このほか、越後湯沢駅 - ガーラ湯沢駅間の支線を持つ。この支線は上越新幹線の保線基地への引き込み線を利用した営業線で、同新幹線から列車が乗り入れるが、これについては新幹線ではなく在来線の扱いであり、線路名称上も実施計画上も上越線の支線である。高崎線の終着駅高崎駅より利根川沿いに群馬県内を北上し、三国山脈を越えて新潟県に入り、中越地方の魚野川・信濃川沿いに六日町盆地などを経て長岡市に至る鉄道路線。終点の宮内駅では信越本線に接続する。後閑駅 - 越後湯沢駅間を除き国道17号とほぼ並走する。路線名の由来は、上州(現在の群馬県)と越後(現在の新潟県本土)を結ぶことに由来する。なお、新潟県には上越市やそれを含む上越地方があるが、上越の呼称の由来は異なり(詳しくは「上越」を参照)、上越線は上越市はおろか上越地方すら通らない。新潟県の上越線沿線地域は全域が中越地方に属する。当線が開通する以前、関東と新潟県を結ぶ鉄道ルートは「高崎線・信越本線ルート」と「東北本線・磐越西線ルート」の二つがあった。しかし、いずれも関東と新潟を直線的に結ぶルートではないうえ、信越本線には碓氷峠の急峻な勾配があり時間的ロスを生じていた。こうした中、上越国境の茂倉岳直下を清水トンネルで越える短絡経路として、上越線が建設された。このうち、水上駅 - 石打駅間は最急勾配20‰で建設され、当初から電化された区間である。1931年(昭和6年)の開業当初、それまで上野駅 - 新潟駅間は信越本線経由の急行列車で11時間6分を要していたのが、新設された上越線経由の急行列車は7時間10分で結び、一挙に4時間の所要時間短縮が図られた。上越新幹線の開業後は首都圏と新潟との都市間輸送の役割を新幹線に譲り、全線を直通する旅客列車は夜行列車などわずかとなったが、首都圏と新潟・北陸・庄内・秋田方面とを結ぶ貨物列車が通る幹線という側面を持っており、今もなおその重責を担う。また、首都圏と青森・北海道方面とを結ぶルートとしても、奥羽本線の一部と田沢湖線がミニ新幹線化(標準軌化)され、東北本線盛岡駅以北がいわて銀河鉄道線・青い森鉄道線に転換されてからは高崎線・上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線ルートがJRのみを経由する唯一の幹線ルートであり、東北本線不通時の長距離列車・貨物列車の唯一の迂回路としての機能も担っている。高崎駅 - 水上駅間が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」に、小千谷駅 - 宮内駅間が「新潟近郊区間」に含まれる。当線の東京近郊区間はIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアとなっており、同様に新潟近郊区間の内、小千谷駅と宮内駅がSuicaの新潟エリア(ともに一部対応駅)となっている(途中の越後滝谷駅についてはエリア外)。ラインカラーは高崎支社管内、新潟支社管内ともに水色(高崎駅の一部で緑色や紺色、新前橋駅では紺色。井野駅・高崎問屋町駅では緑色)。ただし2002年ごろまで新潟支社管内ではオレンジ色をラインカラーとして用いていた。キロポストは高崎線からの数字を受け継いでおり、大宮駅からの距離の表示となっている。高崎駅 - 土合駅間が東日本旅客鉄道高崎支社、土樽駅 - 宮内駅間とガーラ湯沢支線が東日本旅客鉄道新潟支社の管轄であり、土合駅と土樽駅の間(上り線清水トンネルの土合方出口付近、大宮起点146.43km地点)に支社境がある。上越線は、群馬県から新潟県へと抜けるために、三国山脈を越える路線であるが、高崎駅から渋川駅あたりまでは平地が多い。高崎駅を出ると、信越本線の線路をくぐり、針路を北東に変える。すぐに、上越新幹線と北陸新幹線の高架をくぐると、住宅街が広がる中を進む。高崎問屋町駅を出ると、程なく井野川を渡り、井野駅に到着する。井野駅を出ると、だんだんと畑や田が目に入るようになる。関越自動車道の高架をくぐると、進行方向両側に日高遺跡が確認できる。これは、関越自動車道の工事時に発見されたもので、現在では公園として古墳などが整備されている。右手にフォレストモール新前橋が見えると、新前橋駅に到着する。新前橋駅を出ると、急なカーブで針路を北に変え、住宅街の中を進む。群馬総社駅を出ると、だんだんと畑が増えてくるとともに、工場が右手に見えるようになってくる。また晴れている場合には、右手に赤城山、左手に榛名山が見えるようになる。この間に吉岡町を通過する(駅は設置されていない)。八木原駅からは針路を北西に変え、関越自動車道の高架をくぐる。左手に住宅街が広がるようになり、右手に大同特殊鋼の渋川工場が見えると程なく渋川駅に到着する。渋川駅を出ると、利根川を渡る。東京や埼玉方面から高崎線経由で来た場合には、初めて渡ることになる。この橋梁の北側で、利根川と吾妻川が合流する箇所があり、車窓左手からはこれがよく見える。橋を渡ると段々と山が迫り、またそれに伴って勾配を上っていく。敷島駅を過ぎると、これも先と同じく、初めてのトンネルを通る。津久田駅を過ぎると利根川を再び渡り、西岸に出る。こんにゃく畑をかすめ、三度目の利根川を渡ると、すぐ棚下トンネルに入る。トンネルを抜けると、四度目の利根川を渡ることになるが、この橋は当線の撮影スポットであり、蒸気機関車 (SL) などの列車が減速することもある。岩本駅から沼田駅までは利根川と並走する途中で、ダムを確認できるが、これは沼田ダム計画が白紙化されたためにできた綾戸ダムであり、ここで群馬用水が分岐している。岩本駅の先では片品川の河岸段丘を確認できる。五度目の利根川を渡り、景色が開けると、沼田駅に到着する。沼田駅を出ると後閑駅辺りまでは住宅や田畑が広がるが、同駅を過ぎると、利根川が左手に迫り、山が迫るようになる。上牧駅の先では上り線に長いトンネルがある。水上温泉のホテルが見えるようになると、程なく東京近郊区間の末端である水上駅に到着する。水上駅から越後中里駅までは、一日5往復前後しか定期旅客列車が運行されていない閑散区間になる。最後である六度目の利根川を渡ると、左手にはスキー場が見える。下り線は湯檜曽駅手前で谷川岳を貫く新清水トンネルに突入するため、同駅と次の土合駅は下り線のみ地下駅になっている。土合駅は地下深い場所にホームがある「モグラ駅」として有名である。また同駅は付近に谷川岳へのロープウェイが整備されており、夏は登山客で賑わう。なお、湯檜曽駅、土合駅ともに上り線は地上にある。その上り線の湯檜曽駅と土合駅の間にはループ線が、土合駅の宮内寄りには清水トンネルが存在し、新清水トンネル同様に谷川岳を貫いている。清水・新清水トンネルを出ると、新潟県に入る。一旦上下線が合流するが、土樽駅を過ぎると再び分かれ、下り線はカーブで勾配を緩和しながら坂を下り、上り線はループ線の坂を登って、越後中里駅までに合流する。なお、川端康成の小説『雪国』の冒頭の「国境の長いトンネル」とは単線時代の(現在は上り線の)清水トンネルのことであり、冒頭の場面で主人公の島村と同じ汽車に乗り合わせた葉子が駅長を呼ぶ場面は当時の土樽信号場(現在の土樽駅)が舞台である。その後、新潟県屈指の温泉越後湯沢温泉を擁し、前述の『雪国』の舞台になった湯沢町の玄関駅、越後湯沢駅に到着する。付近には冬は首都圏から気軽に行けるスキー場が多くあり、スキー・スノーボード客で賑わっている。観光エリアの越後湯沢を後にし、六日町周辺では、右手に見える魚野川によって形成された河岸段丘地帯を進む、両脇を山々が路線に平行に連なっている。一帯は日本でも有数の稲作地帯である。六日町駅で直江津方面への短絡経路である北越急行ほくほく線が分岐していく。六日町地域を過ぎ、なお魚野川を右手に見て進み、浦佐駅で再び上越新幹線と接続する。浦佐駅を出ると、只見線との乗換駅である小出駅までは再び長閑な田園風景が続く。小出駅を過ぎると、線路は大きく左へとカーブする。両脇の丘陵が一気に迫り、トンネルが増え、車窓にも変化が見られる。線路は北堀之内駅の先で魚野川右岸へと渡り、左手に緩やかに流れる川を見るようにして越後川口駅へと到着する。付近で谷川岳を源流とし、幾多の流れが集まった魚野川は長野県から流れてきた信濃川に合流する。これと共に上越線は、長野からやってきた飯山線と接続する。小千谷駅からは、新潟近郊区間に入る。妙見トンネルを過ぎると、急速に周囲が開け、越後平野に入る。越後滝谷駅を過ぎ、国道17号としばし並走しながら越後平野を一直線に進む線路は、左から合流してくる信越本線と共に、上越線の終点宮内駅へと滑り込む。越後湯沢方面からの普通列車はすべて一駅先の長岡駅まで運行されている。以下の上野駅・新宿駅から直通の定期特急列車が両毛線前橋駅・吾妻線長野原草津口駅まで運行されている。普通列車は水上駅を境として、群馬県内の地域輸送の高崎駅 - 水上駅間と県境・新潟県内の水上駅 - 長岡駅間の2系統に運転系統が分かれている。後者はさらに水上駅 - 越後中里駅間と越後中里駅 - 長岡駅間に分けて解説する。高崎駅 - 新前橋駅間については、歴史的経緯と通勤需要から高崎線や両毛線と一体化された輸送がなされており(詳細は「歴史」を参照)、両毛線や高崎線への直通普通列車を中心に1時間あたり5 - 7本程度運行されている。高崎線からは上野東京ライン直通を含む普通列車・快速「アーバン」・通勤快速や、湘南新宿ラインも乗り入れている。前橋駅発着の列車は「両毛線」(「高崎・両毛線」)と、上越線は省略して案内されている。かつては新前橋駅発着の列車も「高崎線」と、上越線の案内が省略されていたが、上野東京ライン開業に伴う方向幕更新により「高崎・上越線」と省略せずに案内するようになった。新前橋駅 - 渋川駅・水上駅間の上越線・吾妻線系統は1時間あたり朝夕が2 - 3本、日中は2本程度運行されている。このうち1本は水上駅発着で、もう1本は渋川駅から吾妻線に直通する。いずれも群馬県内で完結する列車のみの運行となっている。朝夕には高崎駅 - 渋川駅間の区間列車もある。かつては水上駅を越えて長岡駅や新潟駅方面まで直通する運用も存在した。この区間の1日の普通列車は、平日は5往復、土曜・休日は午前中に1往復が加わった6往復のみの運行となり、2 - 4両編成で運行されている。ただし、冬期間は増発され、平日1日7往復、土曜・休日は1日8往復となる。普通列車は最大で3 - 4時間ほど運転されない時間帯もあり、貨物列車のほうが首都圏と北陸を結ぶ役割もあって本数が多い。この区間を走る普通列車は全列車が後述の越後中里駅 - 長岡駅間と直通運転する。上越国境の山間部を走る区間であり、恒常的なローカルな旅客流動は少ない。しかし、冬季のスキー客輸送や、夏季の尾瀬ハイキング客輸送には上野駅・新宿駅から直通の臨時列車が運行される。湯檜曽駅・土合駅の下り線(長岡方面)は、トンネルの中にホームがあること、また湯檜曽 - 土合間と土樽 - 越後中里間の上り線には、勾配を緩和する目的で2箇所のループ線が存在する。この区間は新潟県内のローカル輸送のため、普通列車主体の運行が行われている。越後中里駅 - 越後湯沢駅間は3時間ほど運行のない時間帯があるが、越後湯沢駅 - 長岡駅間は1 - 2時間に1本程度(土曜・休日は午前中に1往復追加)運行されている。水上駅・越後中里駅・越後湯沢駅・石打駅 - 信越本線長岡駅間が基本的な運行形態であり、越後湯沢駅 - 長岡駅間の列車が最も多い。線路名称上の終点である宮内駅を始発・終着駅とする列車はない。2014年よりジョイフルトレイン「越乃Shu*Kura」と「ゆざわShu*Kura」が運行されている。また、北越急行の列車が越後湯沢駅 - 六日町駅間に乗り入れる。北越急行ほくほく線は東京 - 直江津ルートの短絡線である。ほくほく線の普通・快速列車は上越線内では一部の普通列車が塩沢駅・上越国際スキー場前駅(ただし、上越国際スキー場前駅は季節限定)に停車するが、石打駅・大沢駅は全列車が通過する。新幹線接続のアクセス列車である超快速「スノーラビット」は下り2本・上り1本のうち1往復が六日町駅を含め、上越線内は全駅通過し、越後湯沢駅の次の停車駅はほくほく線十日町駅となる。越後川口駅 - 長岡駅間では、飯山線からの直通列車が気動車で2往復設定されている。2往復とも車掌が乗務しないワンマン運転を行っており、越後滝谷駅(無人駅)では後乗り・前降りとなる。高崎駅 - 水上駅間では、臨時列車として夏季や冬季の多客時に上野駅 - 水上駅間の特急「水上」が運転されるほか、D51 498またはC61 20牽引によるSL列車「SLみなかみ」などが運転される。高崎駅 - 渋川駅間では、吾妻線に直通する臨時列車としてジョイフルトレイン「リゾートやまどり」を使用して特急「リゾート草津」や快速「リゾートやまどり」などが運転される。このほか、夏季に行われる高崎花火大会の日に臨時列車が運転される年もある。長岡側からは、2014年5月2日から高田駅 - 十日町駅間で運行を開始した「越乃Shu*Kura」が、宮内駅 - 越後川口駅間を経由し、「越乃Shu*Kura」と同じ車両を使用して同年5月9日から高田駅 - 越後湯沢駅間で運行を開始した「ゆざわShu*Kura」が、宮内駅 - 越後湯沢駅間を走行する。「越乃Shu*Kura」は上越線内では、往路は宮内駅に停車後、長岡駅に向かって同駅で折り返し、宮内駅と越後滝谷駅を通過し、小千谷駅と越後川口駅に停車する。復路は往路と逆で、越後川口駅と小千谷駅に停車し、越後滝谷駅と宮内駅を通過して、長岡駅に向かって同駅で折り返し、宮内駅に停車する。「ゆざわShu*Kura」は、上越線内では、往路は宮内駅に停車後、長岡駅に向かって同駅で折り返し、宮内駅と越後滝谷駅を通過し、小千谷駅・越後川口駅・小出駅・浦佐駅・六日町駅・塩沢駅に停車する。復路は往路と逆で、塩沢駅・六日町駅・浦佐駅・小出駅・越後川口駅・小千谷駅に停車し、越後滝谷駅と宮内駅を通過して、長岡駅に向かって同駅で折り返し、宮内駅に停車する。2015年3月14日の北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間の開業に合わせ、「越乃Shu*Kura」と「ゆざわShu*Kura」について上越妙高駅 - 高田駅間を延伸した。この区間はJR線路名称公告上は上越線の支線となっているが、運行上の形態は上越新幹線の一部である。在来線の扱いだが、新幹線用の施設・車両を使用し新幹線特例法の対象となっている。途中駅はなく、終点のガーラ湯沢駅は隣接のスキー場にアクセスするために新設された駅であり冬季のみ営業となっている。ゆえにこの区間は冬季のみの営業で、運行期間中は東京方面からの新幹線列車が乗り入れる。この区間を運行する列車はすべて特急列車であるため、乗車する場合は乗車券のほかに特急料金100円が必要となる。この区間のみの指定券は発売しないことになっている。また、特急料金不要の特例は無く、普通列車用の企画乗車券である青春18きっぷや北海道&東日本パスでの乗車はできない。この運行形態は、西日本旅客鉄道(JR西日本)の博多南線とほぼ同等である。また、オフシーズンでも越後湯沢駅終点の新幹線列車が折り返しのために入線するが、客扱いはしない。また冬季であっても、路線の性格上スキー客がほぼすべてであるが、本数はそれほど多くはなく、下りは朝8時台の2本を除いて1時間に1本程度で15時以降は2時間運行されない時間帯もある。また終電は18時22分越後湯沢駅発で終了する。上りは始発から16時台の2本以外は、1時間1本程度の運行であり、終電は19時6分ガーラ湯沢駅発で終了する。列車の運行されない時間帯の同区間の交通は、シャトルバスが担っている。開業当初はこの区間内のみを走る「シャトル・ガーラ」が運転されており、最盛期の1992 - 1993年シーズンは下り12本、上り13本が運転された。しかし、この区間に並行する形で無料のシャトルバスが頻繁に運転されていたため利用客は多くなく、さらに東京方面からの直通列車も増えたことから、1994 - 1995年シーズンを最後に運転されなくなった。「シャトル・ガーラ」は全車自由席でグリーン車は閉鎖されていた。号数は紙の時刻表には表示されていなかったが、駅の発車案内表示機にはシステムの関係で表示されており、上越新幹線で原則として使われない200号台(列車番号は92xxC)が割り当てられていた。2015年3月14日のダイヤ改正で日中の「たにがわ」が廃止されたため、この区間のみを走る「たにがわ」が設定され、「シャトル・ガーラ」の事実上の復活となった。号数も「シャトル・ガーラ」時代と同様の200号台である。貨物列車については先述のとおり首都圏と新潟・秋田方面とを結ぶ列車が、おおむね毎日9往復(1往復の臨時便を含む)運行され、線内完結の列車は設定されていない。また、上越線内で定期貨物列車が停車する駅も存在しないが、信越本線南長岡駅への停車は設定されている。近年はほとんどが上越線を夜間帯に走行していたが、2009年3月14日のダイヤ改正より4往復(臨時便1往復を含む)が上越線を日中時間帯に走るダイヤに移行した。また、総合車両製作所新津事業所(旧:JR東日本新津車両製作所)で落成した車両の首都圏への甲種輸送は、一部をのぞき当路線経由で行われる。線内を通過する貨物列車の2014年時点での運行区間・本数は以下のとおり。臨時列車は季節ごとに設定されるため、使用車両・所属は季節によって変更される場合もある。また、運転されない年もある。貨物列車の牽引については、次の電気機関車が担当している。上越新幹線から越後湯沢駅 - ガーラ湯沢駅間に冬季のみ乗り入れ。関東と新潟を短絡する鉄道として計画されたもので、1920年には新潟県側の上越北線(じょうえつほくせん)宮内(長岡) - 東小千谷間、1921年には群馬県側の上越南線(じょうえつなんせん)新前橋 - 渋川間が開業した。両線は順次延長され、1925年には北線が越後湯沢まで、1928年に南線が水上まで開業している。なお上越線の開業以前より、1893年には高崎 - 渋川間に群馬馬車鉄道が、1911年には渋川 - 沼田間に利根軌道、新来迎寺 - 小千谷間に魚沼鉄道がそれぞれ開業していたが、群馬馬車鉄道は路面電車化されて最終的に東武鉄道の高崎線となった後1953年廃止、利根軌道は路面電車化され東京電燈の所有路線となった後に上越線の開業により1924年休止・1925年廃止、魚沼鉄道は国有化されて魚沼線になったものの1981年に特定地方交通線に指定され1984年に廃線となっている。三国山脈が立ちはだかる県境の水上 - 越後湯沢間は、全長9,702mの清水トンネルをはじめとしてその前後に2つのループトンネルを有する山岳路線であり、同区間が開通し上越線が全通するのは1931年のことである。この区間は長大トンネルを有するので、運転の保安上から水上 - 石打間が開業当初より直流電化され、電気機関車の牽引により運転された。太平洋戦争後の1947年には、高崎 - 長岡間の電化が完成している。1960年代は、東京と日本海側を結ぶ主要幹線として複線化による輸送力増強が進められ、1967年に湯檜曽 - 土樽間に新清水トンネルが開通して、全線の複線化が完了した。1982年の上越新幹線開業を境に、上越線は東京 - 新潟間の都市間広域輸送の役目を新幹線に譲り、一部の列車をのぞいて地域輸送と貨物輸送が主力となる(列車についての詳しい沿革は、「上越線優等列車沿革」・「水上」を参照のこと)。便宜上、宮内駅側で全旅客列車が直通する信越本線長岡駅までの区間を記載する。JR東日本:各駅の乗車人員より※六日町駅の乗車人員には、上越線とほくほく線を直通する列車で六日町駅を通過するだけの乗客の数も含まれる。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。