猫 ひろし(ねこ ひろし、1977年8月8日 - )は、日本で活動している日系カンボジア人のお笑いタレント、マラソン選手。リオデジャネイロオリンピックカンボジア代表。2011年よりカンボジア国籍。本名:瀧﨑 邦明(たきざき くにあき)。WAHAHA本舗所属。千葉県市原市出身。千葉県立市原八幡高等学校、目白大学人文学部卒業。身長147cm。体重45kg。血液型A型。小さい頃より背が低かった。ただし、顔は小学3年の頃から老けて見えたため、低身長の人にありがちな「子供料金でバスに乗った」といった類の話とほぼ無縁であった。むしろ「学生なのに学割を利用できない」といった苦労を味わったという。このように、ブログ等でしばしば自身の身長が低いことをネタとして話している。中学と千葉県立市原八幡高時代の部活は陸上ではなく卓球部。しかし陸上部の記録会で借り出されたこともあった。高校生時代からお笑い芸人を志し、上京するために目白大学に入学。元々お笑い好きで、大学時代はお笑いライブをよく観に行ったり、友人を強引に誘って路上で漫才を披露したりもしていた。大学卒業後はフリーで活動、最初は漫才をやっていたが相方がすぐに辞め、その後はピン芸人として漫談を行っていた。それを見た先輩から「只の落ち着きの無い人だ。話し方よりも、顔や体付きが面白く見えるからそれを活かしたギャグをやった方がいい」と指摘されたことで独自のスタイルを模索し、ギャグを言い続ける現在のスタイルに行き着く。師匠に当たるハチミツ二郎が社長を務めていたインディーズお笑い事務所「トンパチプロ」で活動。2003年3月15日にデビュー。現在の芸名である「猫ひろし」を名乗る以前は、師匠のハチミツ二郎から「タランチュラ」「本田美奈子」「塩ラーメン」「六本木まこと」などとつけられたのを始めとして一年間に30回以上改名したと語っている。「猫ひろし」の芸名の由来は、舘ひろしの「たち」を同性愛用語の攻め役「タチ」と捉え、それに対しての受け役を意味する「ネコ」≒「猫」に変えたものである。本人は単に猫好きであるから、とも話している。命名時、ハチミツ二郎により「東京都港区六本木出身」「ピエロの父とダンス教室の生徒である母の間に生まれる」「米ミネソタ州立大学機構 () 秋田校に駅前留学後、目白大学文鳥部卒」等の架空の経歴が付けられる。これらは公式サイトでも経歴として紹介されているが、『キャプテン☆ドみの』出演時は経歴詐称を認め学歴不明となっていた。WAHAHA本舗の演出家兼社長の喰始の目に止まる。赤地に白のゴシック体で「猫魂」(そのすぐ下に「NEKO DAMASHI」)と表記されたTシャツ、ビキニパンツ一丁に裸足といういでたちで登場してネタを披露する。その特徴は、ハイテンションにひたすら一発ギャグのようにフレーズを連発するというもの。代表的な芸は猫の真似であり「ニャー」と挨拶をする。また口を開け、両手を前に出したポーズをする。これは単に「“猫”だから『ニャー』と言えばいい」と言うアドバイスを受けて始めたもので、代表的なギャグ「ポーツマス、ポーツマス」も大学受験勉強で覚えたポーツマス条約を元に出したものである。2005年頃から徐々に知名度が上がりさまざまな番組にゲスト出演するようになる。2006年には女子高生ファッションモデル4人と企画ユニット「ソーランはっぴぃずと猫ひろし」でCDをリリース。2000年代後半以降は当初バラエティ番組で“挑戦”的に始めたマラソンを本格的に取り組んでおり、アマチュア陸上選手としての顔も持つ(詳細は#マラソン選手としての節を参照)。2006年12月10日、一般人女性と婚約。2007年4月28日に婚姻届を提出し、6月25日に結婚式を挙げた、「猫の飼い主が、見付かりました」とコメントしている。2011年2月11日、第1子となる女児誕生。2011年11月9日、翌年8月に開催予定のロンドンオリンピック・男子マラソンカンボジア代表を狙うため、日本国籍を離脱しカンボジアに帰化。カンボジア国籍となるが、実績や居住年数などの点で要件を満たしていなかったため、ロンドンオリンピックに出場できなかった。足が速く、毎朝ジョギングを行っているという。TBSテレビの特番『オールスター感謝祭』に初めて出演した際、番組の恒例企画である赤坂5丁目ミニマラソンにてその健脚を披露し、何かギャグを見せるのかと思いきや、真面目に走ったことも含めて多くの驚きの声があった。ただし、1周目は圧倒的に速かったものの、2周目以降に次々と後続ランナーに抜かれている。その後、2008年春・2011年春・秋・2013年秋と4回優勝し、その結果プロのランナーの次に重いハンデが課されるまでになっている。東京マラソン2010では、開催前に3時間以内での完走を目標とし、この目標を達成しなかった場合に芸名を本名の“ 瀧﨑邦明 ”に戻すと宣言していた。谷川真理を育てたコーチ・中島進の指導を受けており、中島進がヘッドコーチを務めるプーマランニングクラブ所属。日々メニューをこなしている。マラソンが速い理由は「練習の賜物」とのこと。国際試合で好成績を残し始めた頃、2010年12月にアンコールワット国際ハーフマラソンで3位に入賞したのをきっかけにカンボジア側からのオリンピック代表への打診があり、2011年2月にカンボジアへの国籍変換の手続きを申請、受理されることがほぼ確実になったことで、同年6月21日にはカンボジアオリンピック委員会のバス・チョモラン理事長とともにマスコミ向けの記者会見に臨んだ。この会見で2012年のロンドンオリンピック男子マラソンにカンボジア代表として出場することを目指していること、国籍変更ができた場合は2011年11月にインドネシアで開催される東南アジア競技大会にカンボジア人として出場することを公表。2011年11月9日にカンボジア国籍を取得し、同月16日の代表選考レースに臨んだ。練習拠点は、国籍変更後も日本である。猫ひろし本人のブログでは、2009年8月29日に出演した放送番組でカンボジアへ帰化する計画が堀江貴文らから出された事が語られている。これにおいては「東大受験」「国籍を変えてオリンピック出場」など挙げられたプランの中で、国籍変更を選んだが、この時点では企画のままで終わった。しかし個人的に国籍変更してオリンピック出場への思いは強くなっていった。2012年2月5日の別府大分毎日マラソンにおいて、カンボジア代表のヘム・ブンティンの2011-2012年シーズン最高タイム2時間31分58秒を上回る記録を出した。北京オリンピックカンボジア代表内定の基準とされている「2時間31分台」をクリアした。2012年3月25日、ロンドンオリンピックのカンボジア代表に決定したことが明らかになった。国籍を変更してオリンピック出場を目指すことに、日本では倫理的な問題が指摘された。有森裕子は「これが本当にいいことなのかと考えると、複雑な気持ちだ」と発言している。しかし、カンボジアではほとんど論争となっていない。カンボジアではマラソンは人気のあるスポーツではないため、世論の反発は少ないと考えられていた。北京オリンピックでカンボジア代表だったヘム・ブンティンを差し置いて代表に選ばれた理由には、ブンティンがカンボジアオリンピック委員会と対立していることと、日本向けにカンボジアのマラソンをPRしたいカンボジア政府の意向があったという説が挙げられている。一方で、代表としての資格に疑問を抱いた国際陸上競技連盟がカンボジア陸連に説明を求めていることが、2012年4月12日に明らかになり、同年5月8日には国際陸連は「過去に国際競技会での代表経験がない」「(ロンドン五輪の時点で)国籍取得から1年未満かつ連続1年以上の居住実績がない」ことから参加資格を満たしていないと正式に判断、特例も認めないことをカンボジア陸連に通達した。その後、カンボジア側は決定を受け入れると報じられたため、ロンドンオリンピックに出場することは不可能となった。2013年9月12日、同年12月にミャンマーの首都ネピドーで開催された東南アジア競技大会のカンボジア代表選考会で2時間36分39秒で優勝し、カンボジア代表に選ばれた 。2014年8月17日、アンコール・エンパイア・フル&ハーフマラソンで優勝した。2014年アジア競技大会には、カンボジア代表として出場した。その翌日には、『オールスター感謝祭』の赤坂5丁目ミニマラソンに出場している。2016年6月3日、カンボジア・オリンピック委員会より、リオデジャネイロオリンピックの男子マラソン・カンボジア代表に選出されたことが発表された。本名の Kuniaki Takizaki でエントリーし5km通過時点では一旦全選手中最下位になりながらも、最終的に完走した140人中139位となる2時間45分55秒の記録で、オリンピック初出場初完走を果たした。2010年11月、共同開発したマラソン用GPS腕時計「ARES GPS」が発売される
出典:wikipedia
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