久本 祐一(ひさもと ゆういち、1979年3月14日 - )は、大阪府大東市出身の広島東洋カープに所属しているプロ野球選手(投手)。大学時代は2試合登板したのみで登板機会に恵まれなかったが、2001年の第72回都市対抗野球大会で河合楽器が初優勝を果たした際、若獅子賞を受賞する働きを見せ一躍注目される。同年の野球部休部に伴い、特例措置で同僚の山井大介とともにドラフト4巡目指名で中日に入団。は即戦力の期待を受けながらわずか5試合の登板にとどまった。に変化球のキレが増して急成長し、51試合に登板して防御率3.22の好成績を残した。リードされた場面での登板が多かったが、イニング数を上回る奪三振を記録した。、38試合に登板して防御率3点台とまずまずの成績を残したが、シーズン前半は安定感を欠いた。不調で二軍暮らしが長く、防御率6点台と低迷した。同年オフに入団した吉見一起が背番号19をつけることになり、61に変更となった。、不調の高橋聡文に代わる左の中継ぎとして活躍し、27試合に投げて防御率1点台の好投を見せた。5月には3年ぶりのセーブも記録した。ルーキイヤーの2002年から2005年まで毎年1勝しか挙げることができなかったが、2006年は2勝(2敗1S)を記録した。、主に中継ぎとして起用され、36試合に登板。夏場には13試合連続無失点も記録し、チームでは左の中継ぎの一番手としての地位を築いた。日本シリーズでも登板した。シーズン終了後には小林正人、吉見一起らと共にドミニカのウィンターリーグに派遣され、日本一パレードには参加しなかったが、新球・チェンジアップを習得した。は左腕痛によりプロ入り後初の一軍登板なしに終わった。いったんは回復したものの、2009年の春季キャンプ中に再び左ひじを痛め、4月13日にじん帯を移植する手術を行う。リハビリのため、一軍、二軍ともに登板はなかった。から二軍で実戦に復帰。6月4日に一軍に昇格するが6試合登板で終わり、防御率も7点台と不安定な成績だった。はシーズン終盤からロングリリーフとして活躍、10試合に登板した。は5試合の登板にとどまり、10月に戦力外通告を受けた。11月9日に広島東洋カープが獲得を発表し、11月12日に契約を行った。広島に入団した理由として嫁が広島出身であること、落合博満(中日ドラゴンズ元監督)氏が「カープは強くなる」と言っていたことを挙げた。、自身初となる開幕カード2戦目での先発登板を経験。4回を無失点に抑えた(勝ち負けは付かず)。その後4月26日の中日ドラゴンズ戦に先発。5回を137球の球数ながら1失点に抑え、2年ぶりの勝利となる移籍後初勝利を古巣から挙げた。同年は43試合に登板し、8試合で先発を任された。3勝4敗1セーブの成績を残した。、3月28日開幕一軍入りを果たすも、4月6日に登録抹消。6月12日に再び一軍昇格したが、6月29日の対横浜DeNAベイスターズ戦で緊急降板。翌日、「左肘尺側手根屈筋起始部損傷」と診断された。10月28日に球団から戦力外通告を受けた後、11月13日に育成選手として再契約を結んだ。11月には、左肘のじん帯再建手術を受け、同月9日に行われたトークショーでは、2015年度は育成契約としてリハビリに費やすと話している2015年11月12日に2016年シーズンの支配下登録の契約を結んだ。は一軍出場が1試合のみに終わり、10月3日に戦力外通告を受けた。140km/h台のストレートとカットボール、スライダーフォーク、カーブ、チェンジアップを投げる。特にスライダーとカットボールの精度は投球の生命線に挙げている。
出典:wikipedia
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