源 博雅(みなもと の ひろまさ)は、平安時代中期の公卿・雅楽家。醍醐天皇の孫。兵部卿・克明親王の長男。官位は従三位・皇后宮権大夫。博雅三位(はくがのさんみ)、長秋卿と呼ばれる。管弦の名手。臣籍降下し、源姓を賜与される。承平4年(934年)に従四位下に叙せられる。天暦元年(947年)中務大輔、天徳3年(959年)右兵衛督、康保2年(965年)に左中将、天延2年(974年)に従三位・皇太后宮権大夫に叙任。雅楽に優れ、楽道の伝承は郢曲を敦実親王に、箏を醍醐天皇に、琵琶を源脩に、笛は大石峰吉、篳篥は峰吉の子・富門と良峰行正に学んだ。大篳篥を得意とするが、舞や歌は好まなかった。天暦5年(951年)内宴で和琴を奏する。康保3年(966年)村上天皇の勅で『新撰楽譜(長秋卿竹譜)』(別名『博雅笛譜』)を撰する。現在でも演奏される『長慶子』の作曲者。天徳4年(960年)のいわゆる「天徳四年内裏歌合」に講師として参加、歌(和歌)を詠ずる役であったが、天皇の前で緊張し、出されていた歌題とは異なる歌を読んでしまうという失敗をしたという逸話もある。朱雀門の鬼から名笛「葉二(はふたつ)」を得、琵琶の名器「玄象(げんじょう)」を羅城門から探し出し、逢坂の蝉丸のもとに3年間通いつづけて遂に琵琶の秘曲「流泉(りゅうせん)」「啄木(たくぼく)」を伝授されるなど、今昔物語などの多くの説話に登場する。また、言い伝えによると酒に強く、酒豪であったともいわれている。性格について藤原実資はその日記『小右記』で「博雅の如きは文筆・管絃者なり。ただし、天下懈怠の白物(しれもの)なり」と評している。
出典:wikipedia
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