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能勢電鉄妙見の森ケーブル

妙見の森ケーブル(みょうけんのもりケーブル)は、兵庫県川西市の黒川駅からケーブル山上駅に至る能勢電鉄が運営するケーブルカーである。2013年3月16日に妙見ケーブルから改称した。なお、正式名称は鋼索線であるが、国土交通省監修の『鉄道要覧』に路線名称は記載されていない。能勢妙見堂のある妙見山への足である。山上へはさらにケーブル山上駅から5分ほど歩いたふれあい広場駅から出ている妙見の森リフトに乗り継ぐ。1067mm軌間の多い日本のケーブルカーとしては珍しく標準軌を採用している。車両は、1号車に「ほほえみ」、2号車に「ときめき」という愛称がついている。車両はナニワ工機製(アルナ工機を経て現在はアルナ車両)で、1960年の再開業時の車両である。通常は20分間隔、多客期は10分間隔の運行である。所要時間は5分。2006年12月から冬期は年始と能勢妙見堂の行事がある2月11日の祝日および「のせでんハイキング」の日を除き、週末も含めて運休するようになった。1919年、東谷村、多田村、川西村(いずれも現在の川西市)の有志8名が妙見山の麓から山上までを結ぶ妙見鋼索鉄道を申請したが、能勢電気軌道(現在の能勢電鉄)も同様の計画を持っていたので、交渉の結果、能勢電軌が妙見鋼索鉄道の資本金の半分を出資することになった。1922年に鋼索線の免許状が下付され、1924年に鋼索線と能勢電軌妙見駅(妙見口駅)を連絡すべく電気鉄道線(軌間1435mm、距離1哩24鎖、建設費15万円)の免許を得た(1937年免許失効)。1925年になり完成したケーブルカーは滝谷 - 中間間の下部線と中間 - 妙見山間の上部線からなり、年間約37万人の乗客を運んだが、戦時中に不要不急線として全線の撤去という憂き目に遭うことになる。ちなみに、このとき撤去された上部線の機材は、戦後1956年に開通した伊豆箱根鉄道の十国鋼索線に転用され、現在も1925年の製造当時のまま使用されている。戦後、妙見線の乗客誘致策の一環として能勢電気軌道により下部線が復活され、現在の妙見の森ケーブルとなる(上部線は妙見の森リフトに代替)。しかし、阪急池田駅から山頂に直通する路線バスの存在や、能勢妙見堂への参拝客自体の減少により、妙見の森ケーブル・リフトの乗客は戦前の1/2 - 1/3程度に留まった。黒川駅が麓側、ケーブル山上駅が名前の通り山上側に位置する。戦前の下部線の撤去前には、黒川駅を滝谷駅、ケーブル山上駅を中間駅と称し、中間駅が下部線と上部線との乗り換え駅となっていた。かつての妙見山駅の位置には、同じ名前で妙見の森リフトの乗り場が設置されている。黒川駅 - ケーブル山上駅中間駅 - 妙見山駅

出典:wikipedia

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