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静岡鉄道静岡清水線

静岡清水線(しずおかしみずせん)は、静岡県静岡市葵区の新静岡駅と、同市清水区の新清水駅を結ぶ静岡鉄道の鉄道路線。全列車2両編成ワンマン運転となっている。平日は朝ラッシュ時間帯に最大1時間あたり15本、土曜休日の終日と平日の昼間は6-7分間隔の高頻度運転を行っており、昼間の普通列車は新静岡 - 新清水間を21分で結んでいる。その運行形態や路線の特性から、欧米ではLRTとして紹介されることもある。ワンマン運転は終日行われている。新静岡 - 新清水間の全線通し運転が基本であるが、平日ダイヤにおいて朝に急行と接続する新静岡 - 県総合運動場間の区間列車(後述)や、長沼駅の北側に隣接して車庫(静岡鉄道では鉄道運転所と称する)があるため、朝夕ラッシュ時の前後には出入庫運用として、柚木発新静岡行き、新静岡発柚木行き、新清水発長沼行き、長沼発新清水行きの区間列車が数本設定されている。現在は全駅に自動券売機、ICカードチャージ機、自動改札機(全レーンICカード対応)が設置されている。乗車カードは、自社の「LuLuCa」、PiTaPa、及びPiTaPaと相互利用可能なICカード(Suica・PASMO・Kitaca・TOICA・manaca・ICOCA・はやかけん・nimoca・SUGOCA)、磁気プリペイドカード「パサールカード」が利用できる。なお、各駅のICカードチャージ機ではLuLuCa以外のICカードのチャージはできず、新静岡・草薙・新清水各駅の有人窓口にてチャージを受け付けている。同路線の踏切は、遮断機の遮断かんを視認性向上のために従来の黄色・黒の縞模様からより目に付きやすい赤・白のものに逐次交換している。新静岡駅付近等での試験的な使用を経て、2009年現在は主要箇所で遮断かんの交換が完了した(警報機の塗装変更は行われていない)。1960年代までは長沼駅に隣接する自社の長沼工場で製造した電車が在籍していたほか、他社からの譲渡車もあったが、1973年(昭和48年)から1985年(昭和60年)にかけて新製された1000形にすべて置き換えられた。ほかに車庫の奥に1926年(大正15年)に製造された電動貨車デワ1形、構内の一角に無蓋車ト1、ト2が保存されている。ト1、ト2の一端およびデワ1には、現在各地の鉄道関連の博物館の保存車両や伊予鉄道松山市内線の坊っちゃん列車などでしか見ることのできないバッファー・リンク式連結器が装備されている。2016年春から新型車両(A3000形)を投入し、現行の1000形を8年計画で順次代替する。1000形の置き換え用に製造された車両で、2016年3月24日から営業運転を開始した。同日現在1編成が運用中。2024年頃にかけて総合車両製作所横浜事業所にて2両編成12本(合計24両)を製造する。編成はクモハA3000形(Mc・静岡側)-クハA3500形(Tc・清水側)となっている。100形や300系などの旧形車の置き換え用に製造された車両である。東急車輛製造にて2両編成12本(合計24両)が製造された。編成はクモハ1000形(Mc・静岡側)-クハ1500形(Tc・清水側)となっている。2016年6月現在で11編成が在籍しており、300系の車体をモチーフにした編成や、ちびまる子ちゃんラッピングを施した編成もあるなど、バラエティに富んでいる。全長18mのオールステンレス車両。抵抗制御でカルダン駆動方式を採用している。1973年に1次車が登場し、その後鉄道友の会静岡支部より「79年 おれんじ賞」を授与されている。A3000形への置き換えに伴い、2024年までに全編成が引退する予定。2016年3月24日のA3000形第1編成の営業運転開始に先立ち、クモハ1004 - クハ1504編成が同年3月11日に営業運転を終了した。電化開業時に用意した木製単車14両の記録は不完全である。1-3(定員40人)、附随客車附1-3(定員40人)は玉川電気鉄道より、番号不明5両(定員40人)が美濃電気軌道より、そして前歴不明の11-13(定員40人)。これらは早期に処分されている。美濃電の5両は1921年及び1923年に廃車。玉電6両は1925年に1-3、1926年に附1-3が秋葉線へ転属、1929年に11・12が散水車となり13が廃車となる。なお1926年に入線した池上電気鉄道丙号電車(11・12)は静岡電気鉄道より譲渡されているが旧番号不明である。1921年に入線した木製ボギー車22、24(日本車輌製、定員65人)は1923年に池上電気鉄道へ売却され乙号電車となった。終戦間近の1945年6月20日と7月6日の空襲により主力の200・220・300形の10両のうち7両が被災した。これらは1946年から1948年までに復旧されたが、輸送整備のため1946年東急よりモハ1・2・7 - 9を購入。さらにデハ3251・3252が入線し、続いて近江鉄道、国鉄より車両を調達した。戦時中に鷹匠町車庫が手狭になり、湿地帯で稲作にむかず蓮田となっていた静岡市東部の長沼地区を苦労しながら埋め立てて車両基地を建設した。陸軍射撃場の資材を手に入れて大砲格納庫を車庫に転用したりして整備を進めた。そして戦災車両の復旧や転入車両の改造を手掛け、1957年の静岡国体開催にあたり、3両の車両の新製を始めるまでになった。やがて急増する旅客輸送のため従来の2両編成の定員220人を300人程度までにするため大型の100形が投入され300系・350形と「静鉄形電車」が生産されることになる。ただ大型車導入によりラッシュ時には変電所がパンクすることも多かったためにのちに変電所は増強された。自社製の車両は、1986年(昭和61年)に福井鉄道へ譲渡された300系を最後に、同線から姿を消した。電化時に用意された車両は電動無蓋貨車(デ1・2)、無蓋貨車(ト1 - 3・5 - 11)1924年に電動有蓋貨車(デ3・5・6)、有蓋貨車ワ1 - 3、5・6が増備され、1926年に電動有蓋貨車(デ10-12)が増備される。1927年にデ3・5が秋葉線に転出、かわりにト12・13、ワフ7 - 9転入。1930年に無蓋貨車(トコ20-23)が製作される。しかし不況と自動車の進出により貨物量が激減し、1937年にデ6、ワ5、ト1・2・5・7・9 - 11が廃車(同時に秋葉線より貨車2両が転入)となり1941年には貨物は廃止された。以後の車両の動きは不明。1997年(平成9年)までは車籍の無い入換用機械として、旧鶴見臨港鉄道の生き残りであるクモハ18形20が使用されていたが、同年導入したモーターカーに役目を譲った形で長期に渡って留置され、その後老朽化が著しく進行していたため2007年(平成19年)3月に解体された。解体前にはさよなら撮影会が開催されている。静岡清水線の近年の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。静岡清水線の近年の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。当路線で駅間距離が最も長い狐ヶ崎駅 - 桜橋駅間の大坪・追分地区への新駅設置が静岡市により検討されている。事業費は約5億1400万円と見込まれている。大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2014年4月1日改定。

出典:wikipedia

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