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南海加太線

加太線(かだせん)は、和歌山県和歌山市の紀ノ川駅から加太駅までを結ぶ南海電気鉄道の鉄道路線である。沿線にある新日鐵住金などの工場への通勤路線であるほか、夏季には磯ノ浦や加太への海水浴客なども見られる行楽路線でもある。過去には和歌山製鉄所への貨物輸送も行っていた。途中、西ノ庄駅のみ無人駅で、その他は有人駅である。全駅でスルッとKANSAIカード、PiTaPa、およびICOCAなどPiTaPaと相互利用可能なIC乗車カードが使用可能。また、全駅に自動券売機、自動改札機、自動精算機(ICOCAは利用不可)、IC乗車カードの現金チャージ機が設置されている。2014年11月より、沿線の海産物を売り物に観光客を誘致するため、「加太さかな線」の愛称のもとに各種広報、イベントが行われる。運行系統上、南海本線・和歌山市駅より加太駅に向かって記述する。左側に住ノ江検車区和歌山出張場を併設する和歌山市駅を出ると、しばらく右側にJRの紀勢本線が並走する。大きく左にカーブをしながら築堤を上がると紀勢本線は右に別れていき、紀ノ川橋梁を渡ってから左に緩やかにカーブをすると、加太線の起点である紀ノ川駅に着く。同駅から南海本線より西側に分岐し、七箇川・打手川の南側を川沿いに進んでいく。途中にある梶取信号所は関西の大手私鉄で唯一、もっぱら単線区間の列車の行き違いのために設けられている信号場であり、ここを過ぎて東松江駅の500mほど東側で県道粉河加太線と交わり、しばらくその南側に沿って左手に新日鐵住金和歌山製鐵所を見ながらほぼ直線で走る。八幡前駅を過ぎて、移転前の和歌山労災病院跡地辺りから南に向きを変え、県道と離れやや海岸沿いに走る。続く西ノ庄駅、二里ヶ浜駅、そして磯ノ浦海水浴場の最寄り駅である磯ノ浦駅までは非常に見通しがよく、住宅地の間を縫って走るが、最後の磯ノ浦駅 - 加太駅だけは景色は一変し、カーブが多くなり山間部を抜けて進んでいく。堤川と交わる辺りで再び県道粉河加太線と合流し、途中県道をアンダーパスで潜り抜けて県道の北側に出て500mほど進むと、終点の加太駅となる。紀ノ川駅が起点だが、列車はすべて和歌山市駅に乗り入れる。普通車(南海電鉄では普通列車のこと)のみの運転でワンマン運転を実施している。基本的に和歌山市駅で特急「サザン」(時間帯によっては急行も)に、紀ノ川駅でなんば行きの普通車(時間帯によっては区間急行)との接続が考慮されている。加太線が分岐する紀ノ川駅には特急・急行が停車しないため、和歌山市駅で下車しないで加太線と南海線とを乗り継ぐ場合に限り、紀ノ川駅 - 和歌山市駅間の重複乗車が認められている(これは南海線と高野線とを乗り継ぐ際における、天下茶屋駅 - 岸里玉出駅間も同じ)。使用される車両は、ワンマン改造された7100系と2200系、2230系のみであるが、港祭りなどの時は、7100系でツーマン運転(車掌乗務)が行われることもある。過去には7000系や吊掛駆動車の1521系も運用されていた。南海本線・高野線の二幹線以外で唯一4扉車と2扉車の混用が日常的に行われており(多奈川線でも一部同様の運用が見られる)、時刻表に2扉車運用を識別する黒い□かこみをつけているのも、支線では加太線のみである。加太軽便鉄道が1912年に和歌山口(のちの北島) - 加太間を開業させたのが始まり。1930年の電化を機に加太電気鉄道と社名変更した。1942年に南海鉄道の加太線となり、1944年に陸上交通事業調整法に基づく企業統合で近畿日本鉄道の路線となった。当初は北島経由であったが、近畿日本鉄道時代に松江線(まつえせん)として紀ノ川 - 東松江間の貨物線が開業し、南海電鉄独立後に旅客列車も運転系統が紀ノ川経由に変更された。和歌山市 - 北島 - 東松江間は、台風により一部区間が休止(後に廃止)され、北島支線となった残る区間も1966年に廃止された。

出典:wikipedia

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