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ジョシュ・バーネット

ジョシュ・バーネット(Josh Barnett、1977年11月10日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家、プロレスラー。ワシントン州シアトル出身。CSW所属。ブラジリアン柔術黒帯。現無差別級キング・オブ・パンクラシスト。元UFC世界ヘビー級王者。ニックネームは「ザ・ウォーマスター」、「ザ・ベビーフェイスド・アサシン」(ベビーフェイスの暗殺者)。また、漫画・アニメをこよなく愛し、おたく文化にも造詣が深く、特に『北斗の拳』のケンシロウの熱烈なファンであることから、日本では「蒼い瞳のケンシロウ」、「世界最強のオタク」の異名を持つ。K-1 ROMANEXではボブ・サップを指導したことから、「野獣の調教師」と紹介されていた。レスリング、柔道、ムエタイを学び、1997年に18歳でプロ総合格闘技デビュー。1999年9月、SuperBrawl 13のヘビー級トーナメントで優勝を果たした。2000年2月、SuperBrawl 16でUFCスーパーファイト王者のダン・スバーンに一本勝ちを収めた。2000年3月、ADCC 2000の99kg以上級と無差別級に出場し、どちらも1回戦で敗退した2001年2月23日、「UFC 30」でペドロ・ヒーゾにKO負け。キャリア11戦目で初黒星を喫した。同年6月29日の「UFC 32」では無差別級キング・オブ・パンクラシストのセーム・シュルトに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。2002年3月22日、「UFC 36」でUFC世界ヘビー級王者ランディ・クートゥアをTKOで下し、史上最年少で王座獲得に成功した。試合後の薬物検査でステロイドの陽性反応が検出されたため、7月26日にUFCから王座を剥奪された。これに関して、ジョシュは禁止薬物(ステロイド)使用については否定しているが、その前駆体であるプロホルモンについては摂取したことを認めている。このドーピング疑惑については、試合後のPRIDE移籍を臭わせた彼の発言に対する制裁ではないかとの見方もあった。同年8月28日、「Dynamite!」でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦したボブ・サップのセコンドに付き、試合に勝って喜ぶノゲイラに対し「オマエハ モウ シンデイル」と日本語で挑戦表明した。2003年5月2日、新日本プロレス主催「ULTIMATE CRUSH」にてジミー・アンブリッツと対戦し、グラウンドでの打撃によるタップアウトでTKO勝ち。8月31日、無差別級キング・オブ・パンクラス王座決定戦で近藤有己と対戦し、ジャーマン・スープレックスを連続で決めるなどし、最後はチョークスリーパーで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。10月13日の「ULTIMATE CRUSH」では高橋義生に腕ひしぎ三角固めで一本勝ちを収め初防衛に成功。12月31日の「INOKI BOM-BA-YE 2003」ではセーム・シュルトに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め2度目の防衛に成功した。2004年5月22日、「K-1 ROMANEX」にてレネ・ローゼにマウントパンチでKO勝ち。同年10月31日、PRIDEデビューとなった「PRIDE.28」でミルコ・クロコップと対戦するが、開始早々に左肩を脱臼。1R46秒、自身初のタップアウト負け。ケガが癒えた翌2005年10月23日の「PRIDE.30」で再戦するが、フルラウンドの攻防の末判定負け。2006年2月26日、「PRIDE.31」で中村和裕と対戦、1Rにチョークスリーパーで一本勝ち。ジョシュはPRIDE初勝利を収めた。同年5月5日、「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦」におけるグランプリ1回戦でエメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦、激しい打撃戦の末、相手のスタミナが切れたところでテイクダウンを取りV1アームロックでタップを奪う。同年7月1日、「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND」におけるグランプリ2回戦でマーク・ハントと対戦、1Rにチキンウィングアームロックで一本勝ち。同年9月10日、「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦」におけるグランプリ準決勝で、Dynamite!での対戦要求以来4年越しとなるアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの対戦が実現。PRIDE史上に残る寝技対決となり、判定2-1で勝利。その後決勝戦にてミルコ・クロコップとの3度目の対戦に挑むが、1Rにパウンドでギブアップ負けを喫し準優勝に終わった。同年10月21日、「PRIDE.32」においてUFC以来の母国アメリカへの凱旋を果たし、パウエル・ナツラと対戦、2Rにアンクルホールドで勝利を収めた。同年12月31日、「PRIDE 男祭り 2006」においてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの再戦を行ない、0-3の判定負け。2007年12月9日、フィリピン・マニラにて開催された「リング・オブ・ファイヤー」にチームジョシュ・バーネットのコーチとして参加(自身は試合なし)。同年12月22日、4年4か月ぶりの参戦となったパンクラスで佐藤光留とキャッチレスリングルールで対戦し勝利。2008年3月5日、戦極旗揚げ戦「戦極 〜第一陣〜」のメインイベントで吉田秀彦と対戦、1Rにバックドロップで投げるなどし、3Rにヒールホールドで一本勝ち。同年5月18日、前回に引き続き「戦極 〜第二陣〜」のメインイベントでジェフ・モンソンと対戦、3-0の判定勝ち。2008年7月19日、Affliction旗揚げ戦でペドロ・ヒーゾと約7年半振りに再戦し、左フックによるKO勝ちでリベンジに成功、2009年1月24日に開催されたでギルバート・アイブルにマウントパンチでギブアップ勝ち。2009年8月1日、でエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦予定であったが、カリフォルニア州アスレチック・コミッションが実施した試合前のドーピング検査でアナボリックステロイドの一種であるドロスタノロンの陽性反応が検出されたため出場停止となり、その影響で同大会は開催中止となった。2009年11月8日、世界ノーギ柔術選手権の黒帯ペサディシモ級に出場。1回戦、準決勝を勝ち抜き、決勝ではトレーニング・パートナーでもあるブルーノ・パウリスタと対戦し、レフェリー判定で優勝を果たした。2010年3月22日、DREAM初参戦となったDREAM.13で自身の練習パートナーでもあるマイティ・モーと対戦。金的で試合が中断される場面もあったが1Rにアームロックで一本勝ち。2010年、オーストラリアの「Impact FC」に参戦。7月10日の旗揚げ戦ではメインイベントでジェロニモ・ドス・サントスにマウントパンチでTKO勝ちを収めた。2013年8月31日、約12年ぶりのUFC参戦となったUFC 164でヘビー級ランキング6位のフランク・ミアと対戦し、膝蹴りで1RTKO勝ちを収めた。2013年12月28日、UFC 168でヘビー級ランキング5位のトラヴィス・ブラウンと対戦し、1RKO負け。2015年9月27日、でヘビーランキング級11位のロイ・ネルソンとメインイベントで対戦。テイクダウンを奪われ、寝技でもポジションを取られるなどしたが上手く回避し、スタミナ面と打撃で優勢に立ち、3-0で判定勝ち。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2016年1月30日、UFC on FOX 18でヘビー級ランキング7位のベン・ロズウェルと対戦。2Rにタックルした際にギロチンチョークで捉えられそのままタップアウト。総合格闘技においてキャリア初の一本負けを喫した。2016年9月3日、で、ヘビー級ランキング6位のアンドレイ・アルロフスキーと対戦し、リアネイキドチョークで一本勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトとパフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2002年12月、新日本プロレス大会に登場。2003年1月4日、新日東京ドーム大会で初参戦にしてIWGP王者永田裕志と対戦(経緯後述)。2003年は新日の地方巡業にも参加すると共に、新日主催の総合格闘技イベントへも参戦。2005年、新日本プロレスのG1クライマックスにエントリーされるも、直前で川田利明に変更された(新日サイド側より「川田の方が集客力があるから」と説明を受けたとしている)。同年11月23日、U-STYLE Axisで田村潔司と対戦、腕ひしぎ十字固めで一本負け。2007年6月29日、IGF旗揚げ興行「闘今 BOM-BA-YE」で安田忠夫に4分17秒腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。2007年12月20日、IGF「GENOME2」でモンターニャ・シウバと対戦、シウバのパンチで苦戦を強いられるもゴッチスペシャルで勝利。2008年2月16日、IGF「GENOME3」で小川直也と対戦。4分48秒腕ひしぎ十字固めで一本勝ちするも、ロープに手がかかっていたと小川が抗議。すぐさま再戦が行なわれ、5分13秒STOボンバーからの片エビ固めでピンフォール負け。同年から参戦した戦極では、エースとして期待され「KING OF 戦極」というキャッチフレーズが与えられ、独自に戦極ポーズも開発した。得意な日本語は「メッチャスゴイ」「コロシテヤル」「オレニサワルトアブナイゼ」等。「ゼッコーチョー(絶好調)」という日本語は、新日本プロレス参戦時、巡業に帯同していた高山善廣が教えた。その際、高山に対してはタックルのコツを教えたと高山自身が語っている。また、NHK教育テレビの『えいごでしゃべらナイトJr』(2008年6月9日)に出演し、通訳なしでの受け答えが可能なほどの日本語の堪能さを披露した。アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ戦でのデスバレーボム、近藤有己戦でのジャーマン・スープレックス、吉田秀彦戦でのバックドロップなど、総合格闘技の試合でプロレス技を披露することがある。また、UWFをこよなく愛し、前田日明の名を度々口に出したり、UWFインターナショナルについての論文をネット上に公表した他、やはりU系派生団体の一つであるパンクラス無差別級王者となった際には「UWFハシナナイ」と発言したほど。自らを「プロレスラー」と呼び、「プロレスこそが最強」を声高らかに叫ぶ。U系の技術の根本となるキャッチ・アズ・キャッチ・キャンこそ、ブラジリアン柔術を超えるグラウンドの技術であると提唱していたが、近年はヒーガン・マチャドの下でブラジリアン柔術を学び黒帯を授与されている。日本に立ち寄るときは秋葉原や中野ブロードウェイにフィギュアなどを買い求めに赴くことが多いという。「世界最強のオタク」と呼ばれる所以でもある。好きなキャラクターは『北斗の拳』のケンシロウ。また、ロボットアニメでは『機動戦士ガンダム』を好み、ガンダムを好きじゃない人間が地球上にいるわけがないと断言するほど。ほかに『装甲騎兵ボトムズ』や『ファイブスター物語』を好み、ボトムズが何の略か(Vertical One-man Tank for Offence & Maneuver-S)をソラで言える上、FSSは紀伊國屋書店で英訳版を取り寄せるほど。日本のアニメへの馴れ初めは『宇宙戦艦ヤマト』で、この作品をきっかけにアニメに没頭するようになった。この頃はインターネットもあまり普及していなかったため、雑誌やテレビ・ラジオなどを通してそれら作品を研究していた。また、そのような自身を「アメリカンオタクスタイル初期型」と語り、自らを旧ザクに喩えた。ヤマトや『マクロス』等の有名どころは勿論、一般人では到底知らないアニメや特撮までもその範疇としており、「好きではないけど一応知っている」というオタク特有の性質までも併せ持っている。通訳者が「ガチャガチャって単語伝わるかな?」と説明に苦慮していると、「これガチャポンでしょ?」と言ったり、「高校鉄拳伝タフ」を説明しようとしていると、「知ってるよ」と言いながら財布から同作品のテレカを出した。「『ジョジョ』よりも、『バオー』の方が好き」という一風変わった趣味とオタクぶりを見せる。『ドラゴンボール』については「強さに際限がなく、現実的でない」などと辛辣な評価を下している。どちらかというとリアリティの高い作品を好む傾向にあるが、作品に誠実さがあれば多少リアリティがなくとも問題ないとのこと。日本のアニメ声優にも詳しい。雑誌「CONTINUE」でインタビューを受けた際、バックナンバーを流し読みした時に「あ、林原めぐみだ」とポロっともらした。テレビゲームも大好きであり、日米版それぞれのプレイステーション2を保有している。最も好きなプロレスゲームは『ファイヤープロレスリング』シリーズ。レスラーの行動パターンロジックを調整して、自動で戦わせて観戦するのが好き。映画『ブレードランナー』のマニアであり、ビデオ、LD、DVDなど様々なバージョンの同作をコレクションしている。ホラー映画、スプラッター映画も好きで恋人とデートでスプラッター映画を見に行くほど。これらのセリフは北斗の拳からの引用である。

出典:wikipedia

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