ズヴォニミル・ボバン(Zvonimir Boban、1968年10月8日 - )は、クロアチア・イモツキ出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(レジスタ)。現在はサッカー解説者を務めている。ユーゴスラビアの名門クラブ、ディナモ・ザグレブでプロデビューし、19歳にしてキャプテンを務める。1990年5月13日、クロアチアとセルビアの対立を背景にしたディナモ・ザグレブ対レッドスター・ベオグラードの試合で起こった暴動の際に、セルビア側の警官隊と乱闘を起こし、9か月間の出場停止処分を受け、ワールドカップ・イタリア大会を棒に振る。1991年、謹慎が解けると才能を見込まれてセリエAのACミランへ入団。1年間バーリへレンタル移籍した後、ACミランの主力選手として活躍し、冷静な戦術眼でチームを牽引したが、度々外国籍枠に悩まされた。ユーゴスラビア代表では8試合に出場して1得点(フェロー諸島戦でクロスを足で流し込み得点)。1989年に行われた親善試合のブラジル戦では後半から途中出場してストイコビッチ、サビチェビッチ、プロシネチキと中盤を組み一緒にプレー。当時のユーゴを代表する4人のテクニシャンが一堂に会したのはこの試合だけである。ユーゴスラビアが解体し、クロアチア代表として臨んだUEFA EURO '96ではベスト8に進出し、褒賞金を孤児の教育費や戦火で荒廃した故郷の復興費にあてた。またワールドカップ初出場となった1998年のワールドカップ・フランス大会では日本と同じH組に入り、グループリーグ突破と3位入賞に貢献した。2001年、リーガ・エスパニョーラのセルタに移籍したがシーズン終了を待たずして現役を引退。2002年10月7日には引退試合が開かれ、多くのクロアチア国民が別れを惜しんだ。引退試合には親交のある元テニスプレイヤーのゴラン・イワニセビッチも出場していた。現在はイタリアの放送局で解説者を務めている。また父が経営しているレストランがザグレブにある。「チェスは生活の一部」と語るほどのチェス愛好家、また大変な読書家でもある。さらに大学で歴史を学び博士号を取得するなど、高い知識、見識を備えた人物と見られ、クロアチア国内で大きな人気を集める。このことから次代のクロアチアサッカー協会のトップを担うと期待されているが、本人は幾度となくその誘いを断っている。また、前述の暴動の当事者である自らを「純粋な愛国主義者」を称し、サッカーについては「人間の人文、宗教、愛情、芸術などによって、数多くの特徴を備えている」とクロアチア人としての境遇を踏まえて語っている。ユーゴスラビア紛争の際には「私は100人の政治家にできないことをできる」と自身の表現力を表現した。またその経験から「サッカーを戦争だと言う者は、本当の戦争を知らない」という名言を残している。
出典:wikipedia
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