飯塚市(いいづかし)は、福岡県中部に位置する市。筑豊三都の一つ。筑豊で最大の人口を擁し、筑豊の政治・経済の中心機能を持つ都市である。また、福岡市、北九州市、久留米市に次いで県内で4番目の人口を擁する。飯塚都市圏の中心都市であり、筑豊地方、嘉飯山地区の中心都市でもある。福岡県の中央部に位置する筑豊地方の中心都市で、福岡市の東約35km、 北九州市中心部の南西約40kmの場所に位置する。市域中央部を一級河川の遠賀川が流れ、この付近は市街地を形成している。市域西北部から西部〜西南部にかけて三郡山(935.9m)、 砥石山(828m) など400 - 900m級の山々が連なっており、三郡山地と呼ばれる山地を形成している。市域東部にも200 - 300m級の山がいくつかあり、小さな山地を形成している。よって市域中央部から北部は山に囲まれた盆地となっている。市域西端部の八木山峠やショウケ越、市域南端部の冷水峠は道路が整備されるまでは交通の難所であった。内陸部のため夏場は気温が上がりやすく暑く、冬場は放射冷却現象が強く最低気温が氷点下の冬日も多い。統計期間1981 - 2010年の現平年値での冬日は32.2日。1972年 - 2001年の30年平均の年降雪量/最深積雪量は17cm/6cmと、京都市市街地と同じ程度で、九州北部の都市では同じく内陸に位置する大分県日田市と並んで雪が多い。近年では2010年1月13日には17cmの積雪を観測した。過去に2度、年降雪量が1mを超えたことがある(1963年の185cm・1968年の118cm)可住地人口密度は1249.1人/km²となっている。遠賀川水系の肥沃な沖積平野で弥生時代より稲作が行われ、各地に古墳が点在する。立岩式石包丁の製作工場跡や人骨を収めた甕棺が話題を呼んだ甕棺墓群等で有名な立岩遺跡がある。日本国内での鋳銅技術発祥の地としても知られている。(筑豊地域)現在の市域に長崎街道が整備された。現在の市中心部に飯塚宿が、市南部(旧・筑穂町町域)に内野宿が整備され、それぞれ宿場町として栄えた(筑前国内区間には全部で6箇所の宿場町があり、「筑前六宿」と呼ばれた)。この頃から、農業中心から商業中心になってきた。近代に入り、石炭がエネルギー資源としての利用価値を帯びるようになると、石炭発掘が盛んになり、周辺一帯は筑豊炭田と呼ばれ発展し、国の基幹産業となった。飯塚市は筑豊地域の中心部となり、全国各地や外地から多くの炭坑労働者が移住し、人口が急増した。しかし、戦中戦後の乱掘と昭和30年代のエネルギー革命によって石炭産業は衰退し、炭鉱の閉山による急激な過疎化が進んだ。近畿大学や九州工業大学が飯塚にキャンパスや附属高等学校や附属幼稚園を設置して以来、飯塚は学生を中心に人口が増加し、過疎化は止まった。しかし2000年代に入り、人口は再び減少に転じている。なお、旧穂波町とは、8回にも及ぶ合併案が出たが、すべて破談となっている。平成期の合併案はじつに9回目であり、ついに実現に至った。(参考・・・昭和に学ぶ 合併ものがたり<1>飯塚・穂波 7回の破談を重ねて)合併して福岡県下4番目の都市になったが、一部地域では、いまだに電話が市内通話対応されていない。炭鉱跡地に工業団地を造成し、製造業の誘致が行われている。また2003年4月に「飯塚アジアIT特区」と呼ばれる経済特区の指定を受け、市域北部の幸袋地区に先端産業向け工業団地「飯塚リサーチパーク」が建設されており、市内の九州工業大学と連携して先端産業の育成を図っている。飯塚駅は旧市街地の中心駅であり、名目上の中心駅は飯塚駅だが、市中心部や市役所は新飯塚駅が最寄りである。飯塚市を通っている鉄道交通の中心は福北ゆたか線で、主に北九州市の主要駅(門司港駅、小倉駅、黒崎駅、折尾駅)から鹿児島本線を出発し筑豊本線を経由、桂川駅から篠栗線に乗入れし、博多駅を終着駅とする電車が主流となる。(直方駅や折尾駅で乗換が多い)なお、博多駅や小倉駅から折返し運転である。高速道路なし。最寄りインターチェンジは九州自動車道若宮インターチェンジと福岡インターチェンジと大分自動車道筑後小郡インターチェンジ。福岡ICからは八木山バイパスを使い、筑後小郡ICからは冷水トンネルを使うと便利。山口・北九州方面からは八幡インターチェンジと北九州高速4号線金剛出入口から国道200号を使うと便利。
出典:wikipedia
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