インディアナポリス500マイルレース(Indianapolis 500 インディアナポリス500 インディ500とも呼ぶ)は、アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス市近郊のスピードウェイにあるインディアナポリス・モーター・スピードウェイで毎年5月に開催されるアメリカンモータースポーツイベントである。インディ500の決勝レースは毎年5月最終月曜日・メモリアルデーの前日の日曜日、すなわち5月24日から30日までの日曜日に開催される。インディアナポリス・モーター・スピードウェイのオーバルトラック1周2.5マイル(約4.023km)を200周、走行距離500マイル(804.672km)で争う。第1回開催は1911年。F1モナコGP(開催日程の都合上、近年はモナコGPと同日に開催されることが多い)、ル・マン24時間レースと並び世界3大レースのひとつに数えられる。インディ500の周回平均速度は予選で225mph、決勝でも220mphを超える。これは同じマシンでレースが行われるインディカー・シリーズの中はもちろん、世界の周回レースカテゴリーの中でも最も速い。また、最高速度は380km/hに達する。これはF1の瞬間最高速度記録(372.4km/h)を上回り、これより速いカテゴリーはドラッグレース(NHRAトップフューエルクラスで520km/h超)のような非周回レースに限られる。33台のマシンがテール・トゥー・ノーズ、サイド・バイ・サイドで競り合い、スリップストリームを駆使してオーバーテイクするアメリカンモータースポーツの典型とも言える展開が広がる。1951年から1960年までは世界選手権という体裁を整えるためにF1の一戦として組み込まれていた。しかしF1ドライバーの参戦は少なく、ほとんど名目上のものであった。1996年以降はインディカー・シリーズの最大イベントレースとして組み込まれ40万人の観客を集めるビッグイベントとして存在している。1960年代までのインディ500は、様々なエンジン形式、駆動方式が参加可能であった。1952年にポールポジションを獲得したターボディーゼルエンジン搭載のカミンズ・ディーゼル・スペシャルや1967年と1968年に登場したガスタービンエンジン搭載車が有名である。CARTやインディカー・シリーズなどのオープンホイールレース選手権の1戦に組み込まれるようになると、参戦車両は選手権のレギュレーションに対応したものに変わった。インディ500では「スーパースピードウェイ・パッケージ」と呼ばれる高速オーバル用のエアロパーツが取り付けられる。これは前後共に一枚板構造(シングルエレメント)を持ち、空気抵抗を最小限に抑えることで超高速走行を実現している。速度域の高さや接戦の多さから、毎年事故が多発するレースとしても知られている。代表的な死亡事故には1964年のデイブ・マクドナルドとエディー・ザックス、1982年のゴードン・スマイリー、1996年のスコット・ブレイトンなどがあるが、詳細はインディ500死亡事故一覧(英語)を参照。小さなサポートイベントなどを含めると約2週間にわたって行なわれること、予選グリッドの決め方が独特であることや、レース優勝者には牛乳が与えられるなど(下述)、他のレースと異なる「伝統」を持ったレースである。また、準優勝者(二位)には「最も速かった敗者」、初参戦のドライバーで最上位を獲得した者には「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」の称号が与えられる。また、決勝の順位ごとに賞金が与えられるほか、「決勝1周目をトップで通過したドライバー」、「最後に予選を通過したドライバー」など、さまざまなケースのボーナス賞金が多々ある。インディ500の優勝トロフィーとして「ボルグワーナー・トロフィー」がある。このスターリングシルバー製トロフィーのチェッカーフラッグ状の壁面にはインディ500の歴代優勝者全員の顔を立体的にかたどったレリーフが埋め込まれ、それぞれ下のブロックに優勝者の氏名・開催年・優勝者の決勝レースにおける平均速度(マイル毎時)が刻まれている。トロフィーという名称ではあるが優勝者が持ち回りで所有できるわけではなく、また約153ポンド (約69.4kg)という重さのため持ち上げることもできない。普段はIMS内のミュージアムに展示されていて、インディ500決勝日にヴィクトリーレーンに飾られるモニュメント的な存在である。インディ500優勝者にはトロフィーの壁面に自分の顔のレリーフを埋め込む権利、決勝レースの翌日にトロフィーと一緒に写真を撮る権利が与えられ、後日ボルグワーナー・トロフィーを模したミニトロフィーが授与される(こちらは永久保持が可能)。インディ500は5月初頭に開幕し、練習走行・予選・決勝レースなどのレースプログラムと、サイン会やパレードなどの観客向けイベントが1ヶ月(2010年から2013年までは2週間)の長期に渡って開催される。期間中にはインディカー・シリーズの公式戦である「グランプリ・オブ・インディアナポリス」やインディ・ライツの「フリーダム100」といったレースイベントも開催される。以下は例年行われるレース関連行事である。決勝レースの3週間前、5月第1日曜日に行われる。初出場のドライバーや長らくオーバルでのレースに出場していないドライバー(「リフレッシャー」と呼ばれる)が対象となる。インディ500では常に350km/h以上の巡航速度でレースが進むため、極端に遅いマシンはレースの妨げになり大変危険である(これはインディ500に限らず他のオーバルレースでも同様である)。そこでコースレイアウトに慣れることと、安定したペースで周回を重ねられるようになることが主な到達目標に据えられている。細かい部分は年によって異なるが、目標となる平均速度毎にいくつかの「フェーズ」が用意され、それらを1つずつクリアしていく方式がとられる。5月第3週の月曜日から金曜日および第4週月曜日に行われる自由練習期間。前半概ねマシンセッティングの確認が行われる。後半は予選に向けたハイペース走行や、決勝を意識したスリップストリームを使う練習が行われる。特に最終日の金曜日は"ファストフライデー"と呼ばれ、この日のトップタイムを記録したドライバーには賞金が贈られる。5月第3週の土曜日、及び翌日曜日の2日間で行われる(2001-2009年などは4日間)。複雑な方式によって行われるため、それについては下記の予選方式にて解説する。決勝レース2日前、金曜日(2004年までは木曜日)午前に1時間だけ行われる最終練習。予選を通過した33台すべてが決勝レース用のセッティングを施してコースに入り、ドラフティングを利用しながらレースを想定した練習走行をする。カーブ・デイとはカーブレーション・デイの略であり、かつて決勝レースの前にカーブレーター=キャブレターを調整できる最後の時間であったためにこの名がついた。また、この日の正午過ぎにフリーダム100が開始される。午後には一部のドライバーと担当ピットクルーがピット作業の速さを競う「ピットストップ・コンテスト」が行なわれる。インディ500の予選方式は何度か変更されているが、2014年以降はおおむね以下の方式によって行なわれている。インディ500では、予選と決勝でドライバーを交代させることができる。ただし、ドライバー交代が行われたシャシーはグリッドが最後尾に降格する。2台以上で交代があった場合、選手権ポイントが少ない方が最後尾につく。予選1日目では、30位までの決勝進出者が決定する。エントリーする全ての選手が最低1回のアテンプトを行い、その暫定順位によって以下のように振り分けられる。また、33位までのドライバーにはポイントが与えられる。1日目は予選時間中であれば、回数に制限なくアテンプトを行える。2回目以降のアテンプトに臨む際は、直前に記録されたタイムを取り消すか残すかを選択できるが、取り消した選手が優先的に出走できる。予選2日目は、3つのセッションが行われる。前日の記録はすべてリセットされる(暫定順位は保存される)ため、全ての選手が再びアテンプトを行う必要がある。セグメント1では、10番手から30番手のスターティング・グリッドが確定する。暫定10位から30位の選手を対象に、順位の低い選手から一度だけアテンプトを行い、その最終順位がスターティング・グリッドとなる。セグメント2では、31位以下の決勝進出者とスターティング・グリッドが確定する。ただし、エントリーが33台以下となった場合は、セグメント2は行われず、セグメント1で10-33位を確定させる。この予選方式初年度となった2014年はエントリーが33台に留まったため行われなかった。ファストナイン・シュートアウトではポール・ポジションから9番手までのスターティング・グリッドが確定する。暫定1位から9位の選手を対象に、セグメント1同様順位の低い選手から一度だけアテンプトを行う。ファストナイン進出者は最終予選結果に応じてボーナスポイントが与えられる。2連勝したドライバーが5名いる(3連勝以上したドライバーは存在しない)。日本では、トミー(現:タカラトミー)から、1997年5月23日に、プレイステーション用ゲームソフトとして、Indy500がリリースされた。Indy500の日本での知名度は低いが、当時の大ヒットゲームとなった。また、セガからもアーケードゲームとしてインディ500がリリースされた。1991年ヒロ松下の参戦後、数多くの日本人ドライバーが挑戦しており、最高位は2003年に高木虎之介が記録した5位。以下参戦ドライバーと決勝順位を記載する(「DNQ」は予選落ちの意)。インディ500では、優勝したドライバーは牛乳を飲むという慣習がある。1933年、ルイス・メイヤーは自身二度目の優勝を飾ったが、レース終了後にバターミルクをリクエストした。ルイス・メイヤーは1936年にも自身三度目の優勝をし、この際もバターミルクをリクエストしたが、コップではなくボトルで手渡され、それをそのまま飲んだ。その飲んでいる写真が牛乳会社の目に止まり、それ以降優勝者には牛乳が提供されるようになった(1947年から1955年までの間を除く)。唯一この慣習に従わなかったのがエマーソン・フィッティパルディで、1993年の優勝時には自身がブラジルでオレンジ農園を営んでいるという理由から、牛乳の代わりに(厳密には牛乳より先に)オレンジジュースを飲んでいる。この「ヴィクトリーレーンで牛乳を飲む」という行為にもスポンサーがついており、仮に牛乳を飲まなかった場合は該当スポンサーからの賞金は与えられない。1998年に優勝したエディ・チーバーは、この「Winner's Milk」を表彰台でボトル二本も飲み干した。レース開始前のエンジン始動の有名なアナウンス「(A(One) lady/Ladies and) gentlemen, start your engines!」は、現在インディアナポリス・モーター・スピードウェイを所有するハルマン家の当主マリ・ハルマン・ジョージが行っている。元々はマリの父であるトニー・ハルマンがアナウンスを行っていたが、1977年に死去し、翌1978年からはトニーの妻でありマリの母であるメアリー・フェンドリッチ・ハルマンが行うようになった。しかしメアリーも1998年4月に死去。それにともない、1998年からは娘のマリが引き継いでいる。ただし1982年と2007年はインディアナポリス・モーター・スピードウェイの場内放送アナウンサーだったトム・カーネギーが行っている。かつてはレースに参加するドライバーは男性ばかりだったので、アナウンスの台詞は「Gentlemen, start your engines!(紳士諸君、エンジンを始動してください)」だったが、女性ドライバーが参加するようになり、セリフは「A(One) lady and gentlemen, start your engines!(淑女と紳士諸君~)」と改められ、女性が複数人参加するようになった現在ではセリフも複数形に改められ「Ladies and gentlemen, start your engines!」となっている。1976年以降、優勝者には手作りのキルトが贈られている。これは、地元のキルターであり、自らも元女性レーサーであったジャネッタ・ホールダーが手作りしたもの。レースをこよなく愛するホールダーは、レーサーのサインを集めて刺繍(ししゅう)したオリジナルのアップリケキルトを毎年作り、優勝者に贈っている。そのため、彼女は「キルト・レディ」として、レーサーや関係者に親しまれている。そのうちの一人、数回の優勝経験をもつボビー・アンサーはヘンリー・フォード・博物館(ミシガン州ディアボーン)にキルトを寄贈した。また、アル・アンサーは自ら設立したアンサー・レーシング博物館(ニューメキシコ州アルバカーキー)に授与されたキルトを飾っている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。