哈爾浜市(ハルビンし、、満州語: 転写:Halbin hoton、、)は中華人民共和国黒竜江省に位置する副省級市。黒竜江省人民政府の所在地であり、黒竜江省の政治・経済の中心である。市区人口は587.9万人、都市圏人口は1063.5万人の大都市である。市名の由来としては、白鳥を意味する満洲語、平地を意味するモンゴル語、栄誉を意味する女真語などの諸説があり定まっていない。洗い越しや渡河を表す満州語「ハルバ」に、ロシア語の接尾辞「ин」を付けたものという説も存在する。漢晋代には夫余、隋代には靺鞨、唐代には渤海鄚頡府の地とされていた。遼朝が成立すると東京道完顔部の支配地となり、やがて完顔部の首領であった阿骨打により金朝が建国されると上京会寧府の管轄とされ、阿城区には金朝の都城であった上京会寧府の遺跡が残る。元代になると遼陽行省開元路が、明代には奴児干都司、清初にはニングタ将軍の、後にアルチュカ(Alcuka、阿勒楚喀)副都統の管轄とされたが、開発が制限されたため当時は森林地帯を形成していた。本格的な開発が着手されたのは光緒初年に民官が設置された後である。松花江を境界として南に吉林将軍の管轄である賓州、双城庁を設置、北側を黒竜江将軍の管轄であるフラン(Hūlan、呼蘭)副都統の管轄とされた。1898年(光緒24年)、ロシア帝国により満洲を横断する東清鉄道建設が着手されると、交通の要衝としてロシア人を初めとする人口が急激に増加し経済の発展をみるようになった。1905年(光緒31年)10月31日、清朝は哈爾関道(浜江関道を設置)、翌年5月11日には正式に道署を設置し現在の浜江城(現在の道外区)に駐在するようになった。1907年1月14日、清朝はハルビンを対外交易拠点とすることを決定、吉林将軍及び黒竜江将軍の奏准を容れ浜江庁を設置、浜江関道の管轄とされ行政権の強化が図られた。これに対しロシアは同年11月23日に中東鉄道管理局による『ハルビン自治公議会章程』を発布、埠頭区(現在の道里区)、新市街(現在の南崗区)の7,000平方キロメートルの地域を市区と定め公議会の管轄とし、清朝に対抗した。1909年10月26日ハルビン駅頭で日本の枢密院議長伊藤博文が安重根に暗殺されている。ハルビン市は黒竜江省の中南部、北流してアムール川に注ぐ松花江の河畔に位置する。中華民国が成立すると1913年3月に浜江庁は浜江県と改称され、翌年1月31日には松北市政局に改編された。更に1921年2月5日にはハルビン市政管理局、1923年3月1日に東省特別区行政長長官公署が正式に成立すると公署がハルビン埠頭区に設置され、現在の政治的な地位の基礎が築かれた。1926年3月30日に東省特別区市政管理局はハルビン市公議会を廃止、ハルビン自治臨時委員会が設置され、ロシア人による統治が終焉した。同年6月17日には『ハルビン特別市自治試弁章程』を施行し、埠頭区、新市街をハルビン特別市管轄区域とし、それ以外の馬家溝、老哈爾浜(現在の香坊区)、新安埠、八区、顧郷、正陽河等の地域を東省特別区市政管理局の管轄とした。満洲事変が勃発、満洲国が建国されると、1933年7月1日にハルビン特別市が成立し、東省特別区市政管理局の管轄とされた。その後1937年7月1日に浜江省管轄の普通市に改編されるなどの行政改編が行われながらも満洲地区からロシア・ヨーロッパ方面への鉄道輸送の要衝として発展し、1940年に実施された国勢調査では人口60.55万人に達している。満洲国が崩壊し、国共内戦の結果中国共産党が1946年4月28日にハルビンの支配権を獲得すると直ちにハルビン特別市政府を設立、1948年4月21日には省轄市に改称し松江省省政府が設置された。1954年6月19日の松江省と黒竜江省の合併により黒龍江省に移管され、省人民政府が設置され現在に至っている。ロシア革命後、ソ連も中東鉄道(東清鉄道の後身)の利権を維持し、満洲国に譲渡したのは1934年のことだった。ケッペンの気候区分では亜寒帯冬季少雨気候に属し、夏と冬の温度差が非常に大きい顕著な大陸性気候である。1月の平均気温は−18.6℃と世界の大都市の中では最も寒い部類に入る。朝の最低気温は平均で−23.9℃にまで下がり、−40℃以下まで下がることもあるが、非常に乾燥していて降雪はほとんどない。この寒さのため、ハルビンは氷の町と言われている。一方、夏は暑く7月の平均気温は22.8℃、日中は平均で28度程度まで上がり雨も多く、年間降水量のほとんどが6月から9月で占められる。年間平均気温は4度、年降水量は502.3ミリである。9市轄区、2県級市、7県を管轄するハルビンでは、農業・漁業、鉱工業、流通・サービス業が盛んに行なわれている。毎年6月中旬に行なわれる「中国哈爾濱国際経済貿易商談会」(通称:ハルビン商談会)はこれらを見るいい機会である。ハルビン近くはいわゆる黒土であり、あらゆる農作物が作られ、稲作も行なわれている。松花江などの大河での漁業も盛んである。中華人民共和国成立後は、重電(哈電集団など)、航空機製造(哈爾浜飛機製造公司など)、薬品工業(哈薬集団など)、自動車産業(哈飛汽車など)、飲料製造(ハルビンビールなど)が盛んになっている。ハルビン経済技術開発区・高新技術産業開発区は市内に3地区あり、内外の企業を誘致している。南崗集中区は市街区の東で三環路内にあり、ハルビン工業大学などの大学にも近く、ここに管理委員会もあり、サービスセンターや創業ビルなどもある。哈平路集中区は南の四環路のすぐ外側にあり(731部隊のそば)、製造工場が集中する開発区工業新区にも近く、自動車産業・製薬業・IT産業などを集めている。迎賓路集中区は南西郊外で、四環路のすぐ内側にあり、バイオ産業・ロボット関係・ロシア関連の企業を集めている。水運、航空機、鉄道、高速道路を通じてハルビンは交通の要衝になっていて、交通・流通関係に勤める人も多い。またそれに連れて、商業(哈爾浜秋林集団など)も盛んである。金融関係では、中国の有力銀行はすべて支店をもっているが、地元の銀行としてはハルビン銀行がある。大多数は宗教に無関心であるが、仏教、道教が多い。キリスト教もプロテスタント(基督教)、カトリック(天主教)、ごく少ないが東方正教もある。ロシア人が多く住んでいたことから、新中国建国までの間に東方正教会の聖堂が多数建設された。聖ニコライ聖堂など文化大革命中に破壊されたものもあるが、生神女庇護聖堂(別名:聖母守護教堂、ウクライナ寺院)は教会として現存し、聖ソフィア大聖堂の建物は博物館として使われている。代表的な仏教寺院には極楽寺がある。ムスリムも多く清真寺(モスク)もある。南崗区の大東直街は中国では珍しい「教会通り」になっており、プロテスタント教会(ハルビン南崗キリスト教会)、東方正教会(ハルビン聖母守護教堂)、向かいにカトリック教会が短い距離に並んでいて、少し離れて極楽寺もある。テレビには黒竜江省TV、ハルビンTVがある。新聞は「黒竜江日報」、「黒竜江晨報」、「生活報」、「新晩報」が発行されている。朝鮮語新聞では「黒竜江新聞」が発行されていて、東北全域に配布されている。スケート競技が盛んである。特にフィギュアスケートでは国際大会に出場してくる有力選手の多くがハルビン市出身の選手である。ペア競技では姚濱の門下から申雪・趙宏博組、龐清・佟健組、張丹・張昊組を輩出している。寒中水泳大会は、冬の風物詩である。ハルビン氷祭り:1985年より毎年1月5日に開かれている氷による彫刻物の展示会である。
出典:wikipedia
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