多摩センター駅(たまセンターえき)は、東京都多摩市落合一丁目にある、京王電鉄・小田急電鉄・多摩都市モノレールの駅である。事業者により正式名称は異なるが、いずれも近接しており、相互乗換駅として案内されている。本項ではこれらを総括して詳述する。開発以前における駅の設置箇所周辺は南多摩郡多摩村大字落合に属し、下落合、山王下、中沢、中組といった小字の丘陵地谷戸部に集落が点在する純農村だった所である。その谷戸部に沿って多摩川に注ぐ乞田川が大きく蛇行して流れていたが、土地区画整理事業による開発が行われ、この小川を水捌けの大きい直線状に改修し、同時に並行する幹線道路が新設された。そして元来起伏があった地形に切土で所要の広さの平地を造成し、そこに駅が建設された。また、当地が多摩ニュータウンの業務・商業地区として「都市センター」地区に位置付けられたことから、京王帝都電鉄(当時)と小田急電鉄の両社は、当地を通るルートで新線の事業工事認可を取得し、2路線が当駅に乗り入れることになった。多摩ニュータウン開発は、東隣の永山駅周辺の諏訪・永山地区から始められ、そこでの第1次入居が行われる1971年に京王・小田急の新線開通の照準があわせられた。しかし新線工事は諸般の事情で大幅に遅れることとなり、途中の永山駅までは1974年6月に小田急が先行開通したが、逆に多摩センター駅までは小田急の工事が約1年遅れ、京王の方が同年10月に開業することとなった。一方、2000年に同駅へ乗り入れた多摩都市モノレールは、当地が東京圏の広域的な連携・交流の拠点として「東京構想2000」の中で《核都市》の心に位置付けられているため、多摩地域の南北間の円滑なアクセスを担う新しい公共交通機関として開通した。駅南側が多摩ニュータウンの「都市センター」地区として位置付けられ、複合した都市機能を有する商業・業務・文化的中心地であることから「多摩センター」となる。“多摩センター”と称する機関や施設がある訳ではない。計画段階の仮称「多摩中央(たまちゅうおう)」とも関係している(下記参照)。駅名は同一場所に位置する場合、同一名称にするのが一般的で親切であるが、京王および小田急は同時期に開業した永山駅と同様に両線が同じ新宿駅を起点とするため、乗客の誤乗車と不正乗車を防止する目的から、あえて会社名を冠した「京王多摩センター駅」および「小田急多摩センター駅」として明確に区別することとなった。また、多摩都市モノレールに関しては自動改札機が普及したことにより前述の心配が不要となり、単なる「多摩センター駅」となっている。これら3駅および地域は、利用者や住民に「多摩セン」および「タマセン」の愛称で呼ばれることもあり、鉄道事業者側も京王多摩センターSCのオープン時の広告のキャッチコピーに使用している。なお、京王および小田急の駅建設計画時の仮称は「多摩中央」であった。開業前、車両の行先表示装置内に「多摩中央」の表示を用意していた事実があるほか、名称に「多摩中央駅」を含む施設も僅かながら存在する。京王・小田急多摩センター駅は双方が別々の3層のコンクリートラーメン高架橋構造の建造物で、3層目にプラットホーム、2層目に駅舎と店舗があり、並行に隣接して配置され、ほぼ一体化して建っている。また、2層目のコンコースは南側で歩車分離をした街づくりの基軸となるペデストリアンデッキとバスターミナルに直結し、1層目の階下は店舗とタクシー乗り場、駐車場などに利用されている。京王の中央口改札と小田急の西口改札は同一通路上にあり、京王⇔小田急間の乗り換えは永山駅とともに便利である。一方、多摩都市モノレールの多摩センター駅は「都道町田・日野線」の上空に建造されているため、京王・小田急の両駅とは約200m程離れており、ペデストリアンデッキで接続されている。もともと暫定で建っていた建物を解体した跡地に連絡通路を建設したため、屋根があるのは新設された部分の数十メートルだけで、将来の建物建設予定地の部分には屋根がない。雨天時にはペデストリアンデッキ下のバスターミナルを経由すれば、屋根のない部分の距離は少なくなるが、上下の移動を要する階段がある。島式ホーム2面4線を有する高架駅である。現行のダイヤでは相模原線の中で唯一各駅停車などが特急・急行の待ち合わせを行う駅である。プラットホームには開設当初から8両編成分の上屋とエスカレーター設備の準備工事が施されていたが、その後数回のリニューアルで10両編成分の上屋と上り・下りの両エスカレーターおよびエレベーターが設置された。なお、当初設けられたエレベーターはラッチ外に通じていたため、身体障害者専用の特殊な使い方がされていた。また、東改札口が新設され、その後においても駅務室の位置が改札口の北側に改装されている。なお、当駅が始発・終着駅であった時期は上り方に両渡りの分岐器があり、3・4番線のみが常用されていた。南大沢延伸後は西側の橋本側に引き上げ線が設備され、折り返し運転に利用されている。また、かつては小田急多摩センター駅とホームの番号が連番になっていた。10両編成1本の夜間滞泊が設定されている。島式ホーム2面2線を有する高架駅。元来は島式ホーム2面4線の構造であるが、開業当初は副本線には軌道は設置されておらず、2面2線のみ使用していた。その後、車両留置線の確保のために1985年3月10日より上下線とも副本線の使用を開始し、2面4線の構内配線となった。また、延長線上も引き上げ線として整備され、長い間列車の発着や回送列車の留置などにも使われていた。その後、1990年に多摩ニュータウン唐木田地区の入居開始に合わせ、多摩線は唐木田駅まで延長され当駅は終点で無くなると同時に、唐木田駅に車両基地が新設されたため、当駅西方の渡り線や副本線であった側線の必要性が薄弱となり、2006年5月頃から省メンテナンスの目的から使用中止、同年5月19日・20日にそれぞれ1・4番ホーム側が閉鎖され、7月までにホーム片面に安全柵が設置された。そして2007年2月に1・4番ホームへ至る線路が本線(2・3番ホーム)と完全に分断されポイントが撤去され、同年9月2日には従来の2番ホームが1番ホーム、3番ホームが2番ホームとなり、「停車場」から「停留場」扱いになったのを機に信号の取り扱いも変更され、進入する電車は速度を落とさなくなった。なお、閉鎖された副本線側ホームの線路は残っている。同時に信号所も閉鎖された。リニューアル工事後は、先の京王と同様に東口が新設されるとともにエスカレーターやエレベーターが設置された。また、駅高架建物南面の風防壁がガラススクリーンに改装されている。2008年度末から、改札ラッチ内とプラットホームで乗客案内用の発車標の使用が開始されている。各駅の案内サイン等で使用される当駅名のローマ字表記は時期によって異なり、「Odakyu-Tama-Center」「Odakyu Tama-Center」「Odakyu Tama Center」(最新)のいずれかとなっている。2013年12月頃、駅名標がLED化され、多摩線内2駅目の新型駅名標化になった。なお小田急多摩線は、JR相模原駅を経由して上溝駅に至るルートが運輸政策委員会の「今後、整備について検討すべき路線」とされ、相模原市が延伸の促進を重点プロジェクトに位置付けている。相対式ホーム2面2線を有する道路上に構築された高架駅で、多摩モノレール線の起点駅である。地上およびペデストリアンデッキの高さから、上部の駅舎建物には階段の他にエスカレーターとエレベーターが通じ、完全にバリアフリー化されている。上北台方の上下線間にモノレール特有の両渡りポイントが設置されている。駅の外観は蒸気機関車の動輪をイメージしたデザインであり、そのデザインを施した部分の窓の内側がエスカレーターの部分になっている。「多摩ニュータウンの中心に新たに誕生した車輪をイメージしデザインされた駅」として、2000年に関東の駅百選に選定された。駅の北側で京王相模原線と小田急多摩線を越えるが、高架の両線のさらに上を通る関係で、地上からの高さが最も高い駅となっている。多摩モノレールは、当駅より先、町田駅、八王子駅方面への延伸が東京都による次期整備路線(導入空間の確保に着手すべき路線)とされているため、将来中間駅になる可能性がある。2013年に町田市は「多摩都市モノレール町田方面延伸協議会」を設立し、町田市として延伸を推進している。なお、町田方面へは、すでに多摩市内の全区間と、町田市内の一部区間で導入空間の確保がされている。多摩センター駅の利用者数は、周辺の住宅開発(特に多摩ニュータウン開発)や、業務施設・商業施設等の進出に比例する形で増加してきているが、下表にある通り、当初からの乗降者数を比較すると、圧倒的に京王の方が多かった。この現象は、京王が開通時から新宿方面への都心直通列車を主体に運行し、利便性で比較にならない優位性を示していたのに対し、小田急が町田方面への需要逼迫から本線への直通列車が運行されず、新百合ヶ丘止まりの区間ローカル列車主体のダイヤ運行に終始していたためである。その後、小田急が地下鉄千代田線に直通する「多摩急行」の運行を開始して都心方面への新たな直結ルートが成立したことや、多摩都市モノレールの開通で小田急沿線から立川方面への新たなルートが成立したことにより、相互間の乗り換え利用客が発生したこと、小田急の複々線化が進捗し、都心方面への所要時間が短縮したこと、多摩線の運賃を値下げしたことなどで、現在は小田急の利用者が京王の半分程度の数字まで追い上げる結果となっている。東京都は多摩ニュータウンを「核都市」としており、その業務・商業市街地地区の1つである多摩センター駅周辺は東京都の「都心等拠点地区」に位置づけられている。また、首都圏基本計画では多摩市が「業務核都市」と位置付けられ、そのなかで多摩センター駅周辺は「業務施設集積地区」として位置付けられている。どちらも「多摩センター地区」として、多摩センター駅を中心とした多摩市落合・鶴牧・山王下・愛宕の各一部が区域に定められ、地区の北側は八王子市との境界になっている。近年では業務施設の進出が活発で、2007年にティアック本社とCSK(現・SCSK)の研究施設、2009年にJUKI本社、2010年には野村総合研究所、東京都民銀行研修センターが竣工した。このほか2018年までにTISと長谷工コーポレーションのオフィスビルが竣工する予定である。また、大型商業施設は2005年にワーナー・マイカル・シネマズ(現・イオンシネマ)が、2006年にザ・ダイソーの大型店舗(2015年現在、東京都で4番目の規模)、2008年に多摩中央公園に隣接して「クロスガーデン多摩」が開業した。さらに2009年には駅ビルに「京王多摩センターSC」、2015年には「マグレブEAST」が開業している。行政施設としては、多摩市役所多摩センター駅出張所、東京法務局多摩出張所、多摩中央警察署、多摩消防署、多摩郵便局、東京都住宅供給公社多摩窓口などがあり、文化施設としては、複合文化施設パルテノン多摩や多摩美術大学美術館のほか、屋内型テーマパークの「サンリオピューロランド」が国内外から多くの観光客を集めている。2007年現在、多摩市内の商業集積地の年間商品販売額において多摩センター駅周辺(33,140 百万円)は、多摩市で最大の聖蹟桜ヶ丘駅周辺(47,612 百万円)に次ぐ規模である。アニメ『とある科学の超電磁砲』では多摩センター駅前の風景が「学園都市」として多く登場することから、多摩市ではこれにあやかり「とあるアニメの学園都市化計画」を展開しており、実際の地図にアニメの画像をリンクさせた限定非売品のマップ「学園都市広域詳細地図」の配布などのイベントが多摩センター駅前で実施された。実際に多摩センター駅周辺には大学が多く、中央大学・帝京大学・桜美林大学・恵泉女学園大学・国士舘大学・東京医療学院大学などへスクールバスや路線バスが発着している。多数の施設が集積しており、都市軸となり駅からパルテノン多摩を直線で結ぶ歩行者専用道路「パルテノン大通り」を境に南東・南西と分けた。駅の南側一帯が多摩ニュータウンの「都市センター」であり、多摩ニュータウンの中心として、また周辺地域も含めた広範囲のエリアに高次な都市機能を提供する役割を担っている。新住宅市街地開発事業による計画的な街並みで、歩行者と車の通行を立体交差で隔離した歩車分離を基本とする歩行者専用道路を導入した独特の道路整備が行われている。駅北側は「多摩土地区画整理事業」によって整備され、雑居ビルやマンションが立ち並んでいる。1987年(昭和62年)の施行計画第11回届出で、多摩センター駅を中心とする商業・業務エリアと、その南西に隣接する未開発地区が「多摩センター地区」として設定され、未開発地区は「集合住宅用地」とされた。しかし「集合住宅用地」となった未開発地区には、高層住宅の建設が計画されたものの、結局長らく開発されないまま残されることになった。未開発地区は長年の間に幾度となく土地利用計画が変更されたが、最終的には2001年(平成13年)に公団と多摩市により多摩センター地区での住宅建設が同意され、この南西部の未開発地区に加え、駅前の一部用地に「都市センター用地」の「住機能許容街区」が設定された。これは商業・業務用地の一種であるが、店舗や事務所を併設すればマンションを建設できるものである。 これを受けて南西部の未開発地区では、未整備だった歩行者専用道路が整備され、隣接する地区の歩行者専用道路や、多摩センター駅前の歩行者デッキと接続された。歩行者専用道路と車道は立体交差になっているため、自宅から多摩センター駅前、公園や商業施設、学校などへ車道を一切横断することなく移動を可能にしている。多摩ニュータウンでは新住宅市街地開発事業区域全体に渡ってこうした歩行者専用道路が整備され、安全だと評価されている。こうして、2005年(平成17年)入居の「D'グラフォート多摩センター煉瓦坂」を皮切りに多摩センター地区での住宅供給が始まった。それまで分譲マンションを多摩ニュータウンで主に供給してきた公団は、1999年(平成11年)に分譲事業から撤退していたため、多摩センター地区では民間デベロッパーに土地を売却する形で住宅供給が行われている。一方で民間が建設するマンションは、それまで多摩ニュータウンで建設されてきたものとは異なり、マンション敷地内に緑地が全く確保されていないと指摘されている。また、日照を確保するために横に大きく広がった板状の高層マンションは圧迫感を与え、「超高層の“壁”が建設されている」と批判されている。駅前南側ペデストリアンデッキ下部の1階にバスターミナルがあり、京王電鉄バス、京王バス南、神奈川中央交通、東京空港交通、富士急山梨バスの5社の路線バスが乗り入れている。停留所名はいずれも多摩センター駅となっている。ほかに、京王電鉄バスが運行している多摩市ミニバスや京王バス南の深夜急行バス新宿駅西口発橋本駅行もある。なお、多摩センター駅を開業した1974年の時点で駅周辺は開発中であり、1976年には駅高架に近接して仮設のバス乗り場が設置されたのみで、現在の本格的なバスターミナルは存在していなかった。多摩センター駅周辺におけるニュータウンの住宅開発は落合・豊ヶ丘・貝取・愛宕・松が谷・鹿島の各住区で始まったが、いずれも駅から2km以上離れた遠い地点から建設を始めた経緯があり、住民の足にはバス路線網によるアクセスの整備が肝要であった。また、各住区へ向かう正規の道路も完成されておらず、「多03系統」豊ヶ丘四丁目行を例にとると、現存しない多摩中央公園予定地西側寄りの仮設道路から現在の「西落通り」となった道を経由して運行していた数年の時期があった。また、2014年現在では当初とターミナルの運用が大きく異なっている。当初、中州部分に17・18・19番乗り場があった。ターミナルに入ってきたバスは2 - 13番のバスは直進、17 - 19番のバスは中州の手前を右折、中州を貫く斜めの道路を通して合流、マグレブの前をターンして出口へと向かっていた。また正面道路にも14・15番の乗り場があった。現在、17・18・19番乗り場前は路線バスが当初とは反対の向きで多数待機し、中州を貫く道路部分では主に空港連絡バスが出発時刻まで待機している。2014年時点でも各乗り場のバス停などは残されており、過去の運用状況が見受けられる。当駅は周辺の各住区や鉄道の駅とを結ぶバス路線網が充実し、羽田・成田の各空港への直通リムジンバスが運行されるなど、多摩地区において有数の重要なバスターミナルになっている。16番のりばの空港連絡バスは、京王バス南(南大沢営業所)と東京空港交通が、富士山駅・河口湖駅方面の中央高速バス(多摩河口湖線)は、京王バス南(南大沢営業所)と富士急山梨バス(本社営業所)が運行している。この3系統のみ当バス停名は「京王多摩センター駅」となっている。
出典:wikipedia
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