ニュータイプ (Newtype) は、『ガンダムシリーズ』に登場する架空の概念である。新しい人類とされる人たちを指すが、もともとの概念が曖昧だったことに加え、作品が進むにつれて言葉の意味する事象が広がりすぎたため、はっきりとした定義は困難であり、作中でも一種のバズワードとして扱われる。物語中では、ニュータイプとされる人々は特異な能力を持った人物として描かれることが多い。ニュータイプに対する従来の人類はオールドタイプ (Oldtype) と呼ばれ、やや軽蔑の意味合いを込めて使われるケースも多い。『機動戦士ガンダム』の中盤以降から、『機動戦士Zガンダム』『機動戦士ガンダムZZ』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』にかけて、中心的テーマとなっている「ニュータイプ」であるが、富野由悠季監督は最初から明確な概念像を持っていたわけではない。『機動戦士ガンダム大全集』(講談社・1991)に掲載された監督の発言から、早稲田大学ガンダム研究会は著書『機動戦士ガンダムの機密』で、「最初ニュータイプは素人がいきなりモビルスーツを操縦できる言い訳でしかなかったようだ」と述べている。シリーズ第1作『機動戦士ガンダム』のストーリー中「ニュータイプ」に関する言及が初めて登場するのは、戦果を重ねるアムロのことをマチルダ・アジャンが「エスパーかもしれない」と評する場面である。以後、主人公アムロが強敵打倒を重ねるほどに、その理由付けとして「ニュータイプ」のウェイトは増していった。重要な設定であるはずの「ニュータイプ」の概念が一定しないのは、富野由悠季がガンダムシリーズの第一作『機動戦士ガンダム』の制作途中でニュータイプの概念を入れたことを、最初は「俺は物凄いことを思いついた」と歓喜していたものの、後に疎ましく思っていたためである(なお、アムロ・レイが超能力者であるという構想は最初から持っていた。メモ書き中に「エスパァかもしれぬ」の記述があり、それはマチルダ・アジャンの台詞からも垣間見える)。特に、ファンの間で「ニュータイプ」という言葉が一人歩きしてしまったことや、高千穂遙の評論の中でガンダムがSFではない決定的な理由として挙げられたことなどを快く思っていなかったといわれる。『機動戦士ガンダム』以後の富野の作中(特に小説)では、ニュータイプ概念の肯定と否定が同時に行われているような奇妙な様相を見せている。キャラクターデザイナーの安彦良和はニュータイプのことを「ジェネレーションの別の謂い」だと発言している。ただ、富野由悠季も『月刊ニュータイプ創刊号』(角川書店・1985)のインタビューで、「結局ニュータイプは世代論でしかないわけです」とほぼ同じ意味の発言をしている。おでこに一瞬のパルスが走り、瞬時に敵を倒すエスパー的な描写は、SF作家光瀬龍が指摘するように「古すぎる」ものであると認識し、ラストシーンで総てのキャラクターが意識の交感をするくだりをもって、若い世代は総てニュータイプの萌芽を胸に秘め、「百年戦争」のような暗澹たる未来へ終止符を打つ者たち、と定義している。ただしこれは、「今はもうそれぞれのガンダム」と言い切った安彦の私観である。宇宙世紀を世界観とする作品におけるニュータイプとは、ジオン・ズム・ダイクンとその思想ジオニズムによって出現が予言された、宇宙に適応進化した新人類の概念である。ダイクンの死後勃発した一年戦争の最中、アムロ・レイやララァ・スンらによって現実の存在となった。しかしその能力が戦時下で発現した結果、ダイクンが考えた「お互いに判り合い、理解し合い、戦争や争いから解放される新しい人類の姿」とは縁遠い、人殺しの道具として能力が用いられる結果となってしまった。ニュータイプは、一般に認識能力の拡大により人並み外れた直感力と洞察力を身につけ、並外れた動物的直感と空間認識能力を持ち、独特のサイコウェーブ(脳波)を発する。サイコウェーブ(感応波)はミノフスキー粒子に干渉する性質を持ち、圧(プレッシャー)を受けることで高まる。感応波によって離れていても他者やその状況を正確に認識し、意思疎通をする能力を発揮する事も出来る。後に開発されたサイコミュはニュータイプの感応波を軍事利用する為に生み出された装置である。このため、敵を視認することなく「気配」で探知し、さらにその機動を先読みして攻撃、一方では敵の攻撃を察知して回避するなど、戦闘において圧倒的な力を発揮している。認識力の拡大から、“刻”(=時間)を事象として認識するにまで到った者も、数名(アムロ・レイ、ララァ・スン、バナージ・リンクス、フル・フロンタル)のみだが存在している。能力発現には心身に強いストレスを受けることを必要としているようで、アムロの場合は危機的状況と重圧が長く続いたことや、親しい者との別れや死が契機となっている(発現前には両親と生き別れており、ラル、リュウ、ハモンと立て続けに大切な存在を亡くしている)。シャアの覚醒も、ララァ・スンを失ったことによるものだった。人工的に生み出された強化人間も、記憶操作で強いストレスを与えられている。(フォウ・ムラサメは本名や記憶を奪われており、ロザミア・バダムはコロニー落としで兄と生き別れたという偽の記憶を植え付けられた)また、地球圏を遠く離れて暮らす宇宙居留者には、シャリア・ブル、パプテマス・シロッコ(共に木星帰り)、ハマーン・カーン(小惑星アクシズ育ち)といった高い能力を持つ者が生まれている。ダイクンはニュータイプを宇宙生活者であるスペースノイドの進化形としていたが、実際にはアースノイドの中からも多く出現している(ララァはシャアに見出されるまで地球を離れたことはなく、アムロとカミーユも地球で生まれ幼少期を過ごしている。逆にシャアとセイラは、宇宙生まれの地球育ちである)。つまり、素質自体は誰にでも少なからずあるが、高い能力を発現する者はごく限られているということになる。『機動戦士Ζガンダム』では、ニュータイプとしての力が特に高い者の身体(もしくは本人が搭乗しているモビルスーツ)からオーラが迸るような描写がなされた(キャラクターの性格や状態によって描写が違い、怒りに燃えるカミーユ・ビダンの赤いオーラや、キュベレイの背後に悪鬼のように浮かび上がるハマーン・カーンの影などがあった)。その他、一部のパイロットにおいてもビーム兵器の過剰出力や、攻撃を無効化するバリアの展開、そのプレッシャーによって相手MS(パイロット)を一時的に行動不能に追い込む等の現象が見られている。ただし、これらはあくまでパイロット(戦士)としての戦闘能力であり、ニュータイプの持つ能力の一面的な発現に過ぎない。本来のニュータイプ能力とは相互理解のための力であり、前述のとおり洞察力、認識力の拡大による精神的な共感、そして肉体的な体感によって隣人を大切にすることのできる人間である。カツ・コバヤシなど、パイロットとしての能力が低くともニュータイプの資質を持つ者もいる。また一方、ジュドー・アーシタやシャア・アズナブルのようにパイロットとしての戦闘能力が高く、なおかつサイコミュを備えた機能を扱えても、ニュータイプとしての資質自体にはやや乏しい者も存在する。よって、パイロットとして超常的な戦闘能力を示すことが、必ずしもニュータイプとして高い能力を持つことを証明するわけではない。最もニュータイプ能力が高いといわれるカミーユにおいては、その共感能力の拡大によって死者の思念を集め自分の精神に同化させ、その力で超常的な現象を引き起こしている。ジュドー・アーシタもまた死者の思念を集め、超常的な現象を起こし、アムロもサイコフレームの共鳴現象で敵味方なく協力を取り付け、アクシズの地球落下を防いだ。一年戦争当時、ジオン公国軍では通常では考えられないような能力を発揮したパイロットをニュータイプと捉え、彼らに対応した兵器の開発が為された。その結果、ニュータイプ専用機と呼ばれる新しいタイプの兵器が完成した。また、戦後はそれらの技術が連邦側に接収され、それを元に強化人間等の研究・開発も行われている。ニュータイプの概念の本質は宇宙空間で生活するようになった人類が、それに対応するために進化していったものであるとされている。元々はジオン・ズム・ダイクンが提唱した概念の一つであり、宇宙という広大な生活圏を手に入れた人類は洞察力、認識能力が拡大し、肉体的、精神的にあらゆる物事を理解することができ、それが全人類に広がった時にかつてなしえなかった相互理解が可能となる、という主旨であった。アニメ映画『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』内にて、レビル将軍は軍の公式見解ではなく私見と断ったうえで、「直感力と洞察力に優れた人間と考えている」と述べた。また、『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』では、「ニュータイプ≠超能力者」であると述べている。彼によれば、「ニュータイプ=戦争を必要としない人間」なのだという。『機動戦士クロスボーン・ガンダム 鋼鉄の7人』や『機動戦士クロスボーン・ガンダム ゴースト』、『機動戦士Vガンダム』の頃の時代には、ニュータイプ能力と共に、特殊な能力(ヒーリングやテレパシー)を持つ「サイキッカー」と呼ばれる存在が出現している。このサイキッカーとニュータイプが同一の概念で時代の変遷による呼称の変化なのか、ニュータイプの新たな能力の一端なのか詳しい説明はない。各種ゲームなどではニュータイプと同じ扱いであることが殆どである。『機動戦士Vガンダム』の頃の時代には、ニュータイプの存在は歴史上の伝説となりつつあり、それらしき人物は登場するが「ニュータイプ」という言葉で明言されることはあまりない。ジオン・ダイクンが提唱したのを皮切りに、シャア・アズナブルやアムロ・レイなどが世にニュータイプという存在を知らしめた時代から数十年を経た『機動戦士ガンダムF91』の時代U.C.0123では、ニュータイプという概念そのものが薄れていた。またそれに先立つU.C.0096の『機動戦士ガンダムUC』でも既に、作品世界内の大衆世論は「明確な定義を持たず可能性しか示さないニュータイプに飽き」ており「撃墜王と同義」の認識になっていることがカーディアス・ビストの口から語られている。ニュータイプとは『パイロット適性の高い人間』や『モビルスーツに関するエキスパート』という程度の捉え方が一般的になっており、優秀なニュータイプであるシーブック本人がそのように考えていた。ただし、ザビーネ・シャルはニュータイプのことを「あるがままを見ただけで、そのものの本質を洞察できる存在」と語り、本来の意味付けに近いニュータイプの概念を受け継いでいる人々も、少数派ながら存在するようである。さらに原作者の富野由悠季が著述した作品のうち、『機動戦士ガンダムF91』からさらに80年あまり経った、宇宙世紀では最も遠い未来を描いた『ガイア・ギア』においては、ニュータイプの存在は非常に希少であり、ましてやその能力を発揮するパイロットはほとんどいなかった。ニュータイプ専用機も開発されていたが、それも通常はオールドタイプによりサイコミュを切られ運用されていた。ただし技術の進歩によって、サイコミュシステムそのものはパイロットがオールドタイプであろうと使用可能である。ファンネルなどのニュータイプ用兵器の使用はもちろん、サイコミュシステム起動時は使用者にニュータイプ的な超感覚が備わるほどの性能を発揮する。ラジオドラマ版では、オールドタイプのサイコミュ使用は肉体・精神的な障害を引き起こす危険があるとされ、それがサイコミュシステム封印の根拠になっている。原作小説では「オールドタイプのパイロットにとってサイコミュが危険だったのは、技術が未発達だった過去の話」とされ、劇中ではオールドタイプのパイロットが何の問題もなくサイコミュを使う場面がある。このような背景があるため、「ガイア・ギア」には強化人間が登場しない。ただしニュータイプがサイコミュを使用したほうが、オールドタイプが使用する場合に比べ格段に効果は高い。ニュータイプの超常的な能力を実感した軍は、軍事利用を目的として後天的にニュータイプと同様の能力を持つ兵士を生み出そうと試みた。その所産が強化人間(人工ニュータイプ)である。彼らは、非人道的な肉体改造や投薬、精神調整の結果生み出されたもので、精神的に不安定になったり、本来の人格を壊され異常に攻撃性が強くなったり、偏狭的になったりしている。これとは別に、元々のニュータイプとしての能力を人工的にさらに高める技術も生み出されていた。ニュータイプと強化人間の間に能力的違いはなく、両者に共鳴は起こる。実体験により段階的に能力を覚醒させるニュータイプと異なり、改造強化で能力を引き出された強化人間は大きな成長が見込めないという点が異なる(むしろ、成長してしまうと扱う側に不都合を生じる)。アフターウォー(『機動新世紀ガンダムX』)を世界観とする作品におけるニュータイプは、作中で語られる戦後世界においては「人類の新たなる革新」と明確に定義されている。第7時宇宙戦争以前の地球連邦(旧連邦)は、ニュータイプを積極的に戦争に利用し、専用のシステムであるフラッシュシステムやサテライトシステムなど開発しており、戦況の流れを一変させることができる人たちにその呼び名を使用していた。この作品では、精神的なショックなどのために「能力を失ったニュータイプ」が登場する。また、第7次宇宙戦争でその全てが命を落とすか再起不能になったため、この世界で人為的によるものではない生まれながらのニュータイプは極めて稀で、作中で登場したのはティファ・アディールとアベル・バウアーのみ(共にフラッシュ・システム適合者)である。また、ニュータイプ能力を持つ者は人間に限定されないようで、それと思しき能力を持つ白いイルカが登場した。しかしティファは、アベルが覚醒したときに感じたプレッシャーから、アベルは自分やルチル・リリアントとは違うと感じていた。アフターウォーでは、宇宙世紀シリーズ以上にニュータイプは「戦争の道具」と見なされており、地球連邦(旧連邦)・宇宙革命軍共にニュータイプ専用機を投入したのみならず、ニュータイプを新兵器の生体部品として利用する研究も行われていた。先の大戦で双方とも壊滅した後もこの傾向は変わらず、新連邦は戦争兵器としてニュータイプを求めていた。さらには、宇宙革命軍では思想統および選民思想の道具としてまでニュータイプを利用している。これに対して、旧連邦のニュータイプ兵士として世界崩壊の引き金を引いてしまったジャミル・ニートは、ニュータイプは新しい時代を切り開くための存在であるべきだと考え、彼らを保護する活動を始め、後に宇宙革命軍の兵士でジャミルのライバルでもあったランスローも、ジャミルの行動や考えに共感を示すようになった。物語の最終局面で三者はそれぞれ、この世界のファーストニュータイプと呼ばれる存在と接触すべく、月面の「D.O.M.E.」という施設を目指し、そこでファーストニュータイプと呼ばれた存在を内包したD.O.M.E.の意思から、「ニュータイプという概念は人間が作り出したもので、幻想に過ぎない。ニュータイプと呼ばれる者たちは異能者ではあるが、異能力と人類の革新とは別である」というメッセージを受け取る。異能者であるにも関わらず、専用のシステムを起動させられなかったがゆえにニュータイプと似て異なる「カテゴリーF」なるレッテルを貼られたフロスト兄弟は、その屈辱から両軍首脳を抹殺し、自分たちを否定した世界を滅ぼそうとする。カテゴリーF( - エフ、Category F)は、ニュータイプの素質がある人間を探していた段階で発見された分類の一つ。ESP的な能力を持ち、一時はニュータイプと持ち上げられたが、フラッシュシステムに対応していないという理由でニュータイプの枠から外され、隅に追いやられる存在となった。作中ではフロスト兄弟の2人がカテゴリーFに分類された人間として登場し、彼らは、物理的距離に関係なく兄弟同士の間だけテレパシーによる意思疎通・感覚共有をする特殊能力を持っていた(ツインズシンクロニシティ)。また、彼らは自分たちがカテゴリーFに分類されていることを恨み続けていた。また、エスタルドでニュータイプ候補とされその試験を兼ねた戦闘に投入された士官たちは全員撃墜、殺傷された後の報告で「カテゴリーF」と判定を受けている。なお、「F」とはフェイク(fake=紛い物)の頭文字を取っている。ゲーム作品では「カテゴリーF」という能力クラスとして表現される場合が多いが、原義ではあくまで「フラッシュシステム非対応の特殊能力保持ないしは兆候のある者」であり、能力そのものの呼称ではない。正暦(『∀ガンダム』)を世界観とする作品では、過去のニュータイプはみな外宇宙に出ていってしまい、太陽系圏内にはもはや存在しないという設定である。福井晴敏によるノベライズ版∀ガンダムでは、がある。アニメーション本編には、ニュータイプ、ないしそれに類するような特殊能力者は全く登場しない。他シリーズでのニュータイプ専用装備に類似した遠隔操作兵器「プラネイトディフェンサー」「モビルドールシステム」も、通常の人間が操っている。漫画版では「ニュータイプ」という単語がはっきり出てきており、ゼクス・マーキスが該当する。ただし、後半ではこの単語は一切使われなくなった。
出典:wikipedia
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