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JR東日本209系電車

209系電車(209けいでんしゃ)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の直流通勤形電車。日本国有鉄道(国鉄)から大量に引き継ぎ、老朽化が進んだ103系の置き換え、および、一部は輸送力増強用などとして、1993年(平成5年)4月より京浜東北線・根岸線、南武線に本格投入された。これまでの鉄道車両の製造・整備の方法を全面的に改めた新しい設計思想(バリューエンジニアリングの手法)が採用され、JR東日本では本系列以降の車両を「新系列車両」として区分している。車両デザインは栄久庵憲司率いるGKインダストリアルデザインが手掛けた。1993年度通商産業省(現・経済産業省)選定グッドデザイン商品(当時)金賞・ブルネル賞奨励賞受賞。設計段階より廃車後のリサイクル計画が策定されるなど、環境問題にも配慮した設計となっている。派生番台区分として、車体の幅を広げて輸送力を増加させ、中央・総武緩行線用に新製された500番台、地下鉄直通(常磐緩行線⇔千代田線)用の1000番台、八高線・川越線用の3000番台がある。また、東京臨海高速鉄道の70-000形の基本設計は209系と同一であるが、こちらも2004年(平成16年)の組成変更時に6両がJR東日本に売却され、改造の上本系列の3100番台となって八高線・川越線に投入されている(後述)。これに伴い、不足した中間電動車2両が川崎重工業で新造された。京浜東北線・根岸線用の本系列は、2007年(平成19年)12月22日よりE233系1000番台が本系列の配置数と同数の830両投入されたことにより廃車・転用が進行し、2010年1月24日で運用を終了した。最終運用編成はウラ52編成で5号車には元ウラ1編成の6号車であったサハ209-2が組み込まれていた。2010年(平成22年)12月現在、0番台が南武線、500番台が中央・総武緩行線と京葉線、武蔵野線、1000番台が常磐緩行線と乗り入れ先の東京地下鉄(東京メトロ)千代田線、2000・2100番台が総武本線、成田線、鹿島線、内房線、外房線、東金線、2200番台が南武線、3000・3100番台が八高線・川越線で使用されている。本系列はその後のE127系、E217系、E501系、701系の設計のベースとなり、さらに通勤形電車と近郊形電車を融合させた「一般形電車」であるE231系や、E233系、E331系、E531系、E235系へと発展している。本系列を起源とする「新系列電車」は、JR東日本における電車設計の標準となっただけでなく、他のJRや私鉄などの鉄道事業者の車両開発にも大きな影響を与えた。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後も、JR東日本では通勤形電車として国鉄時代に設計された205系を引き続き製造していた。しかし、国鉄時代大量配備された103系の老朽化による置き換え時期が近付きつつあり、また経済事情の変化や民営化に伴うコストダウンの必要性から、新しい設計思想に基づく新世代車両の開発が行われた。その結果、1992年(平成4年)に新世代車両の試作車として「901系」10両編成3本(30両、A, B, C編成)が登場し、京浜東北線・根岸線で試用された。新系列車両の開発に当たっては、『重量半分・価格半分・寿命半分』が達成目標として掲げられた。「重量半分」とは、編成単位での総重量の削減と動力車比率の引き下げによる省エネルギー化およびメンテナンス性向上によるランニングコストの削減を意味し、「価格半分」とは、一部に製造会社の自由度を認めることと大量生産による調達コストの削減を意味している。そして、「寿命半分」とは、新造から20 - 30年経過した際の車両の陳腐化や、技術進歩の恩恵を受けられなくなることなどを避けるため、税法上の鉄道車両の減価償却期間の13年間を大規模な分解補修を行わずに使用し、その段階で廃車にした場合でも経営上の影響を受けることがないようにするということが目的とされた。新系列車両開発における主な施策は、次のとおりである。民営化後のJR各社では、コストダウン策として車両部品や軌道設備用品に日本国外メーカー製品の採用を模索していた。そのため、日本国外製の機器や内装が多く採用されており、一部は量産車にも反映されている。後述するが、901系ではVVVFインバータ装置や内・外装などで編成ごとに異なる仕様のものが採用され、量産化に向けた最終的な技術の選択と調整が行われた。その結果、VVVFインバータ装置についてはC編成で使用された三菱製GTO素子タイプが、CPにはA編成に使用されたスクリュー式装置が、制御装置はB編成で使用されたワンハンドル式がそれぞれ採用され、1993年に量産車が209系として生産開始された。その量産車ではJR東日本の通勤形電車としては初めてとなるLED式車内案内表示器とドア開閉チャイムが客用ドア上部に設置された。製造コストを削減するため、車両製造会社ごとの車体工法の違いが容認されている。従来の国鉄や地下鉄および関東地方の大手私鉄の車両は、複数のメーカーが共通の図面を用いて製造し、仕様に違いが出ないように考慮されていたが、本系列ではコンペにより選定し、東急車輛製造(現社名:横浜金沢プロパティーズ、現事業:総合車両製作所横浜事業所)と川崎重工業の2社が製造を担当した。東急車輛製造が従来からの骨組み工法を改良して対応したのに対して、川崎重工業は新しく開発したシート貼り合わせ工法(2シート工法)を採用しており、外観(窓枠隅の丸み、妻面のビードの有無など)に明らかな相違が見られる。また、内装についても東急車輛製造が従来の化粧板を基本とした組み立てに対し、川崎重工業製の車両でFRP(繊維強化プラスチック)製の内装パネルをビスにより固定する方式を採用するなど、随所に仕様の違いが存在する。また、JR東日本でも当初より自社での車両製造を計画し、東急車輛製造から技術供与を受けて自社の大船工場(大船電車区と統合されて鎌倉総合車両所となり、その後、2006年(平成18年)に工場機能は廃止)において試験的に中間車14両(920番台の2両含む)を製造し、翌1994年(平成6年)からは新津車両製作所(2014年(平成26年)4月1日に会社分割により総合車両製作所に譲渡され、総合車両製作所新津事業所に改称)を開設して本系列の自社生産を開始した。前身の新津工場→新津車両所時代も含めて同所で車両を製造したのは、107系に続く2例目である。MM'ユニットを踏襲し、M車(モハ209形)にはVVVFインバータが、M'車(モハ208形)には補助電源装置・空気圧縮機・集電装置が搭載される。JR東日本では、1986年(昭和61年)に常磐緩行線用としてVVVFインバータ制御を採用して製造した207系900番台を承継したが、結局量産には至らず、本系列において本格的にVVVFインバータ制御(1C4M方式)を導入した。このインバータ装置は三菱電機製で、素子にはGTOサイリスタが採用されている。主電動機 (MT68) は交流誘導電動機である。定格出力は 95 kW と低いが、VVVFインバータ装置とともに用いるために起動時などには1時間定格出力以上の過負荷使用を前提としており、実際には直流電動機 150 kW 相当の出力を持っている。その結果、10両編成で 4M6T (地下鉄直通用は従来どおり 6M4T)の動力車比率(MT比)でありながら205系京葉線仕様と同等の起動加速度 2.5 km/h/s ・最高速度 110 km/h を達成している(歯車比は 7.07)。また、整流子のない交流誘導電動機の採用はメンテナンスコストの削減にも貢献しており、主電動機点検蓋の必要もない。台車は、ボルスタレス台車DT61(電動車)、TR246(付随車)が新たに開発された。空気バネ支持位置を台車枠直上と従来よりも内側に持ってくることで、台車構成が簡略化された。軸箱支持は軸梁式であり、軸バネにコイルバネを採用する。空気圧縮機は、保守点検で有利なクノールブレムゼ製スクリュー式が採用される。内装は一新され、大型の熱線吸収ガラスの採用とカーテンの省略、スタンションポールの付いたバケット式の座席、そして客用ドア上部のLED式車内案内表示器の設置など、メンテナンスの簡素化と同時に利用者へのサービス向上を意図したものとなっている。試作車(900・910・920番台)・量産車(0番台以降)・950番台(後にE231系900番台へ改番)・更新改造車を登場順に記述する。1992年(平成4年)3月に登場し、浦和電車区(現・さいたま車両センター)に10両編成3本(30両)が配置された。当初は901系と称したが、1994年(平成6年)1月から3月にかけて量産化改造を行った上で本系列の900・910・920番台とされた。901系としての落成当初は上部側面帯の色が"黒色"であったが、量産化に伴い下部側面帯と同様の"スカイブルー"に変更された。0番台の仕様と極力合わせる量産化改造が実施されたが、主要機器はそのままであった。この特殊仕様が保守上の弱点となったことや、車体の老朽化が0番台と比べると顕著となったことから、E233系の導入を待たずして500番台を中央・総武緩行線から転入させ、不足分をE231系の追加導入で補った。量産車との相違点は、ドア開閉チャイムがないこと、ドア上のLED次駅名表示器を搭載していないこと、車椅子スペースがない、車体の号車番号表示がステッカーではなくアクリル札を使用していること、スカートが小形であること、6扉車が連結されていないこと、などである。また、当初乗務員室仕切り部には窓が3枚配置され、遮光幕としてリニアモーター駆動の横引き式プリーツカーテンが設置されたが、量産化改造時に運転台背面は非常救出口に、中央の窓は通常のロール式の遮光幕にそれぞれ改められた。1992年(平成4年)5月7日から営業運転を開始した。営業開始当日はA編成とC編成が使用され、先頭車の前面にはヘッドマークが取り付けられたほか、A編成は大宮駅で、C編成は桜木町駅において「祝 21世紀の通勤電車デビュー」と称し、出発式セレモニーが実施された。2006年に試作車のB編成(ウラ91)を皮切りに翌年の3月にはC編成(ウラ92)が、同年の8月にはA編成(ウラ90)が東大宮へ疎開回送された。その後3編成とも長野総合車両センターへ廃車回送されている。2010年(平成22年)より、クハ209-901が車両番号表記を登場時の「クハ901-1」に復元した上で東京総合車両センターの正門付近で保存されている。3編成とも試作車であるため、それぞれの仕様は大きく異なっている。901系登場時の各編成の主な仕様は次のとおり。1993年(平成5年)に登場した量産車である。京浜東北線・根岸線用は同年2月15日より1編成が限定運用で営業運転を開始し、3月1日より5本が本格的な営業運転を開始した。一方、南武線用(ナハ1編成)は同年4月1日より営業運転を開始した。本系列の投入にあたっては、乗客へのサービス向上と経済効果の高い路線として京浜東北線が選定された 。一方、南武線は1993年(平成5年)4月10日のダイヤ改正において、横浜線の列車増発を行うこととなり、横浜線は205系で統一していたことから、南武線から横浜線へ205系を転用することが決定した。南武線の205系を転出させ、補充用に103系を転入させた場合、南武線の新車比率が下がってしまう(205系は南武線へ直接投入した新車)ことから、南武線に本系列が直接投入されることとなった。当初の南武線用のナハ1編成は運用を限定して使用されていたが、1994年12月のダイヤ改正より103系(当時)・205系と共通の運用となった 。なお、その後も南武線には103系の置き換え用として209系の直接投入が計画されたが、次に述べるダイヤ改正の列車増発用車両を最後に、同線への直接投入は中止となった。1997年(平成9年)3月22日のダイヤ改正の南武線列車増発用として車両が必要となったが、103系の転用には改造工事が伴うことから、新車(ナハ32編成)が直接投入されることとなった。前面は踏切事故対策として骨組を追加して強度を向上させたほか、スカートを大形化、運転室スペースを拡大、運転台背面に非常救出口を設置した。空気圧縮機にドイツ・クノール社製スクリュー式を採用し、1 - 6次車は電動発電機 (MG) のような甲高い動作音が特徴である。運転席のマスター・コントローラーに左手操作のワンハンドル式を採用。ドアエンジンは量産初期ロットでは従来と同じ日本製の空気式が採用されたが、ウラ(浦和電車区の電略)16編成(3次車)から外国製の戸挟み安全装置付き電気式に変更された。ドア開閉時のチャイムと、扉上部に3色LEDディスプレイによる次駅表示などを行う旅客案内表示器を装備している。また、先頭車には車椅子スペースが設置されたほか、連結面に転落防止幌が設けられた。ワンハンドルマスコンの採用については、901系でのでの試行時に運転士から「時隔の短いところでは無理」、「操作は別々に行うもの」、「ブレーキはハンドルの角度で判断する」などの否定的な意見もあったが、最終的には量産車となる209系で正式な採用に至っている。当初は運転士が慣れていないこともあって評判は良くなかったが、その後は操作性が良いことや、疲労が少ないことなどから評判は非常に良いものとなった 。2016年(平成28年)現在、京浜東北線、南武線ともに全ての編成が営業運転を終了している。京浜東北線用のE233系1000番台への置き換え前となる2007年(平成19年)10月1日時点では、浦和電車区に10両編成78本(780両)と中原電車区に6両編成2本(12両)の合計792両が配置され、京浜東北線・根岸線、南武線で運用されていた。MT比は京浜東北線・根岸線用が 4M6T 、南武線用は 4M2T であり、MT比が高い南武線の車両はVVVFインバータ装置の設定を変更しており、インバータおよびモータから発する変調音が若干異なる。京浜東北線・根岸線用の車両は登場当初全車が4扉車の編成であったが、ウラ36編成(1995年度製造分で最初の新津車両製作所製車両)から6号車に6扉車を連結した編成となり、1996年(平成8年)から1997年(平成9年)にかけて6扉車サハ208形を多く製造して従来の編成の6号車と差し替え、全編成への6扉車連結を完了させた。なお、従来の編成の6号車(サハ209形)は他の編成に組み込まれていったため一部の編成では、川重製と東急・新津製の車両との混結があった。6扉車を連結した編成には先頭車の前面と6扉車の扉の上部に「6DOORS」のステッカーを貼付していた。車内の座席は折り畳み式で、平日の初電から9時30分までは座席を使用することができなかった。1996年(平成8年)3月16日の八高線八王子 - 高麗川間電化開業時に用意された単線区間仕様車で、ハエ61編成が川崎重工業製である他は東急車輛製造製である。これまでの0番台とは仕様が異なるため、番台区分が行われることとなったが、区分は同じ川越電車区(当時)所属の103系3000番台に合わせた「3000番台」に決められた。基本的な仕様は0番台をベースとしているが、列車交換時の停車時間が長いことを考慮して客用扉が半自動機能対応(ドアスイッチを設置)となっている。車体ラインカラー帯は川越線車両のウグイス色と電化開業で結ばれる中央線や青梅線車両のオレンジ色を組み合わせた2色による新しいものとした。現在、4編成が3100番台とともに川越車両センターに配置され、八高・川越線の八王子 - 高麗川 - 川越で運用されている。なお、川越車両センターを出庫する電車の一部は、南古谷駅 - 川越駅間でも営業運転を行っている。八高線電化当初は、拝島から青梅線に乗り入れて立川まで直通する運用も存在したが、2010年現在は青梅線には乗り入れていない。また、基本番台では先頭部と車体部の境目に垂直の黒いラインが存在していたが、E501系に合わせて、この番台区分からは廃止されている。2006年(平成18年)12月1日から運行区間のドア扱いが終日半自動になったため、ドアの開け方を表記したステッカーがドア上に貼り付けされた。また、ハエ63編成は可変座席を設置していた時期があった。2007年(平成19年)には側窓開閉化工事が施工されたが、0番台とは異なり、車体中央部は固定窓で存置されている。1998年(平成10年)10月に落成したE231系の試作車であり、2000年(平成12年)6月に量産化改造を行ってE231系900番台に改番された。三鷹車両センターに10両編成1本(10両)が在籍し、中央・総武緩行線で運用されている。詳細はE231系900番台の項を参照。中央・総武緩行線の103系を置き換えるために1998年(平成10年)11月に落成し、同年12月29日から営業運転を開始した。このグループはJR東日本新津車両製作所が初めて独自に設計から製造までを行った車両である (全車両が新津車両製作所製)。同線では本系列の次世代の通勤車両(→E231系通勤タイプ)の投入が計画され、これに該当する試作車209系950番台(現・E231系900番台)が1998年(平成10年)10月に落成し、量産化に向けて運用されることとなった。しかし、老朽化した103系に車両故障が頻発したため、209系950番台の量産車(E231系0番台)が登場するまでの間の「つなぎ役」的な車両としての存在として、209系950番台の拡幅車体に0番台の制御・機器システムを組み合わせた車両となっている 。そのため、過渡的かつ折衷的な車両となり170両(10両編成17本)の新製にとどまり、以後は2000年(平成12年)登場のE231系通勤タイプに引き継がれた。基本的な仕様は京浜東北線・根岸線用の0番台と同様の10両編成で、車両性能も同等としている。ただし、209系950番台で連結されていた6扉車はなく、全車両が4扉車となっている。前面デザインは先に落成した209系950番台の前面と同様としながら、前面FRPカバーを白色に塗装することで、シルバーメタリック塗装の同車との区別を図っている。なお、本番台区分とE231系0番台(常磐快速線・成田線用)ではFRPカバーが白色塗装であるのに対し、E231系0番台(中央・総武緩行線用)では銀色塗装が基本となっており、印象が異なっている。車体は209系950番台をベースとした 2,950 mm の拡幅車体(従来車より 150 mm 拡大)とされた。従来車では先頭車の車体長が中間車に比べて 420 mm 長かったが、本番台区分では中間車と同じ 19,500 mm(全長 20,000 mm)に揃えられた。その関係で先頭車の第1ドア・第2ドア間の寸法が短くなり、従来車ではすべて7人掛けであったドア間の座席がこの部分のみ6人掛けとなっている。台車中心間隔は拡幅車体の採用による曲線での偏倚量の関係(拡幅車体で台車中心間距離を 13,300 mm にした場合、曲線通過時に車体のはみ出しが多すぎてしまう)で、同じ拡幅車体のE217系などと同様に 13,800 mm となっている。なお、500番台という番台区分はこの車体形状の変更に由来する。基本的に車内は0番台を基本としており、座席は片持ち式のバケットシートである 。このうち、座席クッション材はウレタンからポリエステル樹脂成形品を使用することで汚損時の表皮張り替えを容易にしたほか、合わせて廃棄時のリサイクル性も高められている。また、車内非常通報装置は警報式から乗務員と相互に通話が可能な通話式へと変更した。側面のドア間の大窓は従来車がすべて固定式であったのに対し、本番台区分では第1ドア・第2ドア間(先頭車を除く)と第3ドア・第4ドア間にある大窓(1両あたり4か所(先頭車は2か所))の車端寄り3分の2が開閉可能な下降窓構造に変更された。このため、従来の0番台・3000番台において妻面上部に設けられていた非常換気口を廃止している。その後、先頭車は第2ドア・第3ドア間の固定窓が0番台と同じ手法で開閉窓に変更された(後述)。このほか、行先表示器と運行番号表示器は字幕式をやめ、LED方式を採用した。制御装置をはじめとした走行機器類は0番台と同様だが、台車は209系950番台とも共通のヨーダンパ取り付け台座付きである。なお、本系列でヨーダンパ台座付き台車を使用するのは500番台と次に述べる1000番台のみである。また、パンタグラフは電磁鉤外し機能付きのPS28B形菱形を使用している。この番台区分は本系列の中では、貸出や転配が多い。クハ209-501 - 512以下12編成120両は新製当初より中央・総武緩行線で運用されているが、クハ209-513 - 517以下の5編成50両は、編成ごとで異なる時期にさまざまな貸出・転配がなされ、頻繁に帯色が変更されている。この番台区分の車体帯色は、2010年(平成22年)12月時点で存在しないものを含めると、黄色(黄1号)・カナリアイエロー(黄5号)・スカイブルー・ワインレッド(赤14号)・「オレンジ+茶」の5種がある。以下その詳細について述べる。本番台は当初習志野電車区に集中投入され、中央・総武緩行線で営業運転に就いていた。ただし、2次車最終となる2編成(クハ209-516,517以下2編成、ラシ66,67編成 → ウラ80,81編成)は製造当初から京浜東北線・根岸線への転属を考慮しており、D-ATC装置の搭載準備工事や乗務員室に各種準備工事を施工していた 。そして、これら2編成は2000年(平成12年)11月に京浜東北・根岸線用のD-ATC化改造に伴う予備車確保用として習志野電車区から浦和電車区に転出し、その代替として習志野電車区にE231系が投入された。転属の際にはD-ATC装置の搭載とラインカラー帯変更、ATS-P形装置の撤去などが実施され、2001年(平成13年)1月5日から京浜東北線・根岸線での営業運転を開始している。その後、この2編成はD-ATC化完了後の2004年3月ダイヤ改正時の列車増発用として使用されることに変更された 。2003年(平成15年)12月には習志野電車区の廃止に伴い、この時当区に所属していた千ラシ51 - 65編成(クハ209-501 - 515以下15編成)は三鷹電車区(現・三鷹車両センター)へ転属となり、ミツ501 - 515編成となった。2003年(平成15年)5月からは浦和電車区の209系0番台に車体保全(走行距離240万km毎に実施する定期検査)が開始され、この検査は入場期間が長いことや入場が続き予備車の確保が難しいこともあることから、2005年(平成17年)10月から2006年(平成18年)3月にかけてミツ515編成を一時的に浦和区へ貸し出し、中央・総武緩行線と京浜東北線・根岸線との共通予備車として運用した。当編成は2006年(平成18年)3月に三鷹電車区へ返却されたが、その時の帯色は103系などと同じ黄5号(他の500番台車両は黄1号)であった。さらに2006年(平成18年)10月から翌2007年(平成19年)3月にかけて、浦和電車区に所属していた209系試作車(209系900・910・920番台)置き換えのため、3編成(ミツ513 - 515編成→ウラ82 - 84編成 クハ209-513 - 515以下3編成)が同区に転出した。代替として三鷹車両センター(当時の三鷹電車区)にE231系3本が追加投入された。これはミツ515編成にとって二度目の浦和区への転配であった。その後、2008年(平成20年)7月から12月にかけて、京浜東北線・根岸線へのE233系1000番台投入に伴い、ウラ81 - 84編成(クハ209-517,513 - 515以下4編成)は浦和電車区から京葉車両センターへ転出した。これらは京葉線用として2008年(平成20年)12月1日以降順次営業運転を開始し、同線の201系の非分割編成を置き換えた。当初の計画では京浜東北線・根岸線用の本番台は全5編成が京葉線に転属することが決まっており、4編成については予定通り京葉線用に転属した 。しかし、山手線においてホームドアを導入することが決定しており、同線のE231系500番台の6扉車(サハE230形500番台)を廃車にするために新津車両製作所において代替用4扉付随車(サハE231形600番台・4600番台)の製造を開始した。その際、三鷹車両センター所属のE231系0番台1編成(B27編成)が東京総合車両センターに転属の上、この代替用4扉付随車の配給輸送用として使用されることになった。このため、将来の京葉線列車増発用として転属を予定していたウラ80編成(クハ209-516以下1編成)は変更により、前述したE231系0番台B27編成が転出した分の補填用として2009年(平成21年)12月に一時的に三鷹車両センターに転属させた。2010年(平成22年)10月1日現在、三鷹車両センターに10両編成13本(130両)、京葉車両センターに京葉線用10両編成3本と武蔵野線転用予定の8両編成1本(計38両)が配置されている。なお、京葉車両センター配置の京葉線用10両編成は、同線へのE233系投入に伴い、順次、サハ2両を廃車して武蔵野線に転用される予定で、同年12月4日のダイヤ改正より武蔵野線での営業運転を開始した。なお、余剰となったサハ6両(3編成分)は2010年9月から2011年1月にかけて順次廃車となった。E217系と同じく制御装置・機器類の更新をすることが2006年(平成18年)12月5日に、自動放送装置の整備をすることが2007年(平成19年)3月6日に、それぞれJR東日本のプレスリリースで発表され、三鷹車両センター所属車については、2008年(平成20年)6月27日に自動放送装置の取り付けが完了した。このグループの前面排障器(スカート)は2009年(平成21年)内に全先頭車がV字に尖がった形状の大型スカートに交換されている。常磐緩行線と帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)千代田線の信号保安システム更新に伴う列車増発に伴い、1999年(平成11年)12月4日のダイヤ改正から営業開始した番台区分である。地下鉄直通仕様のため、営団との相互乗り入れ協定に準拠した 2,800 mm 幅車体で、先頭車の長さは中間車と同一としたため第1ドア・第2ドア間の長さが短くなっており、その間の座席が6人掛けであるのは500番台と同様である。台車中心間距離については0番台と同様の 13,300 mm であるが、雨樋端部が千代田線内で限界を支障するため先端が斜めに削られている。地下鉄線内における非常時の脱出用として先頭車前面には非常口(プラグドア)を設置し、乗務員室内に格納式の非常用ハシゴを搭載する(格納枠に収め、乗務員室仕切上部に収納)。車体の帯は、落成当初に同線で共通運用されていた203系や207系900番台(共に現在は廃車)に合わせて窓下部にのみエメラルドグリーンの帯を配しており、窓上部には配色されていない。従来の旧国鉄・JR車両と同様、代々木上原から小田急電鉄に乗り入れることはない。なお、2013年4月以降に計画されている、JR車両を小田急線への直通運転に対応させるための改造は、同線で運用しているE233系2000番台が対象であり、当車種は計画に含まれていない。2016年3月25日まではE233系2000番台と区別されることなく共通で運用に就いていたが、同26日のダイヤ改正でE233系2000番台が小田急線に乗り入れるようになったため、現在は小田急線に乗り入れない運用に限定されている。基本的な機器構成は同時期に製造されていた500番台に準じているが、主電動機はE231系と同一のMT73形に変更されている。さらに相互乗り入れ協定に必要な性能を確保するため、電動車の比率向上 (6M4T) により起動加速度を 3.3 km/h/s に強化し、常用最大減速度と非常減速度は 4.7 km/h/s を確保している。編成中の7号車には千代田線用の誘導無線送受信機と妻面・床下に誘導無線アンテナを設置しているほか、パンタグラフは剛体架線に対応したPS21形を搭載していたが、現在はシングルアーム式の物に交換されている。電動車比率の高い本番台では編成中にモハ208形が3両連結されるが、補助電源装置(SIV)、空気圧縮機は編成中2台で十分なことから5号車のモハ208形はこれら補機を準備工事としている。その他の仕様は500番台に準じており、車内では車椅子スペースが営団車に合わせて2・9号車に設けられている。側面の行先表示器は行先と路線名を交互に表示するタイプで、路線名の部分は「常磐線・各駅停車」「千代田線直通・各駅停車」「常磐線直通・各駅停車」(それぞれ「・」を境に2段表示)と表示される。行き先は路線名の表示パターンごとに設定されており(路線名を表示せずに行先のみの固定表示のものもある)、通常は綾瀬駅で適宜切り替える。また、案内装置は千代田線内でもJR線と同様の表示が行われているため、千代田線の駅ナンバリングには対応していない。なお、203系と207系900番台の置き換え用として2009年(平成21年)度よりE233系2000番台が導入され、同年9月9日より営業運転を開始しているが、209系1000番台についてはE233系導入後も引き続き使用される。2005年(平成17年)に八高・川越線八王子 - 高麗川 - 川越間に投入された番台区分である。現在、2編成が3000番台とともに川越車両センターに配置され、八高・川越線の八王子 - 高麗川 - 川越で運用されている。なお、川越車両センターを出庫する電車の一部は、南古谷駅 - 川越駅間でも営業運転を行っている。車体の帯の色は、3000番台と同様のオレンジ色とウグイス色()である。同線の103系3000・3500番台を置き換える際、当初は全編成を205系3000番台(4両編成7本)で置き換える計画であった。しかし、2004年(平成16年)10月16日ダイヤ改正において埼京線と東京臨海高速鉄道りんかい線の相互直通運転の拡大が実施され、その際JR東日本では埼京線205系10両編成1本の車両増備が必要となった。この捻出用に205系3000番台転用予定車2編成分が充当されてしまい、205系3000番台の最終的な配置は4両編成5本に計画変更された。この不足分を補うために同時に実施された東京臨海高速鉄道70-000形全車10両編成化に伴う編成組み替えの際に余剰となった70-000形の先頭車4両と中間車2両の計6両をJR東日本が購入し、改造したのが本番台である。さらに、翌2005年3月には不足する中間車2両を新製し、4両編成2本の計8両を本番台とした。りんかい線からの6両は、民鉄・第三セクター鉄道に在籍していた車両がJR車籍に編入された最初の例である。元々東京臨海高速鉄道70-000形はJR東日本の209系をベースとして製作された車両であり、制御システムは共通で運用されている3000番台に合わせたものとなっている。編入にあたっては以下のように改造が施工されている。ハエ71編成は、先頭車が70-000形からの編入車である。中間電動車(モハ209・モハ208-3101)は新製車で、すでに新製が次系列のE231系電車に移行している時期であったが、あえて本系列で新製され、GTO素子を用いたインバータ装置を搭載している他、車内の内装と座席の色を先頭車に合わせている。この2両が本系列最後の新製車となった。ハエ72編成は全車が70-000形からの編入車であるが、先頭車の扉上部にある車内の旅客案内表示器は全扉配置のままとなっている。中間車は2002年製で、案内表示器が千鳥配置となっているほか、ドアの構造がハエ71編成と同様に異なっている。編成と新旧の車両番号対照は下表のとおり。括弧内はりんかい線時代の番号。千葉支社管内で運用されている113系・211系置き換え用に導入される車両で、10両編成を組成していた0番台を4両編成または6両編成に組成変更されたものである。帯色は同支社管内の211系に準じた黄色と青色の房総色である。ドアエンジン方式の差異から、空気式ドアエンジン装備車(種車が0番台1・2次車)は2000番台、電気式ドアエンジン装備車(種車が0番台3次車以降)は2100番台に区分されている。6両編成の車両については、元々の10両編成からサハ4両が単純に取り除かれたものであるが、4両編成については他の編成の先頭車と電動車(中間車)から再組成したものも存在する。そのため、4両編成の先頭車の一部には2000番台の空気式ドアエンジン車両と川崎重工業製車両が含まれる。外観では行先表示器のLED化、排障器(スカート)を強化型へ交換、併結運転のため、全ての先頭車に電気連結器と自動解結装置が搭載されている。また、2000番台の先頭車には蓄電池と整流装置 (ARf) が搭載されていなかったため、廃車となったモハ208形から流用された。車内は先頭車両の客用ドア間の座席をセミクロスシートへ改造、「ドア3/4閉スイッチ」の設置、2号車に組成されるモハ208形への車椅子対応の大形トイレ(真空式)設置も行われている。さらにトイレ設置に伴い窓が埋められ、床下には汚物処理装置も搭載された。車内非常通報装置は警報式から乗務員と相互に通話が可能な通話式へと変更した。次に述べる機器更新などにより、特にトイレが取り付けられたモハ208形の自重は改造前の 29.9 t から 31.5 t に増加している。このほか、転用改造に合わせてE217系と同じく主要機器の更新工事(機器更新)を実施している。内容としてはVVVFインバータ装置と補助電源装置(静止形インバータ)は、制御素子としてGTOサイリスタを用いたものからIGBTを用いた SC88A および SC92 に、制御伝送装置は MON19 に変更している。さらに、ブレーキ制御装置や戸閉制御装置など主要機器についても更新され、ATS-P装置や補助電源装置に関しては二重化により冗長性が確保されている。2009年(平成21年)10月1日(東金線は2010年3月13日ダイヤ改正以降、鹿島線は2010年12月4日ダイヤ改正以降)から営業運転を開始した。営業運転開始後しばらくの間は途中で増結や分割を行わない運用に充てられた。2010年12月4日のダイヤ改正では、総武本線・成田線などでも4両編成単独での運用を開始した。今後、2012年度中までに4両42本と6両26本の計324両を配置する予定となっている。また、当番台は先頭車のセミクロスシート化や中間車へのトイレの設置など、改造規模が大きいため、1編成当たりの改造工期は4両編成で約2か月、6両編成で約2か月半を要する。このため、車両の捻出ペースと比べて改造ペースが追いつかないため、改造待ち編成の保管場所として長野、郡山、秋田の各総合車両センター、仙台、青森の各車両センター、高萩駅、直江津駅を中心に、JR東日本エリア全域にわたり疎開留置させているが、青森車両センターなど、使用中止となっていた線路をメンテナンスのうえ復活させた箇所もある。また保管場所は回送ロスを少なくするため、改造場所となるべく近いところとしている。改造は2013年3月5日に出場したC618編成を最後に終了した。南武線用の車両で、0番台を改造したものである。帯色は南武線用0番台に準じた黄色、オレンジ色、ぶどう色()の3色である。南武線では配属時期が違う0番台が配属されており、そのため空気式ドアエンジン車(1次車のナハ1編成)と電気式ドアエンジン車(8次車のナハ32編成)が混在する状態では、メンテナンス上の観点から好ましくないため、電気式ドアエンジン車に統一することとして配置された。2000番台・2100番台と同様に機器更新や行先表示器のLED化が施工され、2009年(平成21年)6月12日より営業運転を開始した。2000番台・2100番台と異なりスカートは0番台時代のままである。6両編成3本計18両が配置された。導入名目は以下の通りである。2016年(平成28年)5月現在、E233系8000番台の導入でナハ52、54編成は営業運転を終了し、53編成のみ現在も運用されている。試作車と0・3000・3100の各番台車では、側窓が各車端部の2枚(先頭車)ないし4枚(中間車)しか開かない構造になっていた(ドア間の大窓はすべてはめ殺しの固定窓)。これを補うために貫通路の上部に換気口があり、異常時などで指示があった場合にはカバーのネジを緩めて開くことができるようになっている。しかし、2005年(平成17年)に京浜東北線大森 - 蒲田間で列車(ウラ3編成)が長時間にわたって立ち往生した際に、換気性能の悪さから多数の乗客が体調不良を訴え、停電時における長時間停車時の問題点が浮上した。このため、同年末からドア間の大窓を開閉可能とする改造工事が、緊急性の高い京浜東北線・根岸線用0番台については下十条運転区において、他線の車両については各車両基地で、それぞれ改造作業が施工された。ただし、試作車(900/910/920番台)は対象外となった。この改造では、車体の構造上と改造工事の簡略化を図るためにE231系のような1枚下降式ではなく、はめ殺しの大窓を縦方向に約2:1の割合で二分割し、大きい方の部分に上段下降、下段固定の2段窓を用いて開閉可能にするもので、改造対象は各車両6枚の大側窓のうち4枚に限定されている。編成数が多いことから各編成の4・5・7号車の窓改造が優先的に行われ、それが完了した後は順次他の号車の窓改造を行った。ただし、6号車の6扉車は工事対象外であった。また、南武線用0番台と八高・川越線用3000・3100番台、および0番台と同様の車体・窓構造の常磐線用E501系についても全車両に施工された。中央・総武緩行線用500番台とE231系900番台(209系500番台と同様の窓構造となっていた)、常磐緩行・千代田線用1000番台は、E217系後期車と同様に先頭車の車体中央の窓のみ施工された。2005年(平成17年)末のウラ38編成(2両の片側のみ)から工事が始まり、2007年(平成19年)4月までに完了した。営業運転中にホームのない場所でドアが開く事故を防止するため、浦和電車区所属の全83編成を対象に、ホームの有無を超音波センサーで検知する、ホーム検知装置を取り付ける工事が行われた。この装置により、操作する車掌スイッチ側にホームがない場合や、オーバーランで列車がホームから外れた場合、全てのドアが開かなくなった。ただ、従来どおり非常コックでの開操作は可能であり、緊急時にこの装置が妨げとなることはない。当初は試作車3編成も対象とされていたが、E233系1000番台への置き換えが発表され、それに先駆けて試作車が廃車になることから試作車は対象外とされ、後に三鷹車両センターから転入した500番台3本は試作車の代わりに対象として含まれた。設置箇所は、両先頭車の前端両側で、高さはホームに揃えてある。外付けとなったため、センサーと信号線カバーが目立つ。運転室内には車掌スイッチの上にホーム検出を知らせる装置が取り付けられた。前後どちらかのセンサーでもホームが無いことを検知した場合、開操作を行っても扉が開かないうえ、警報が鳴る仕組みとなっている。全車が浦和電車区で施工され、2007年(平成19年)3月までに完了した。なお、後に登場するE233系1000番台、5000番台でもこの装置は装着している(同系列の0番台、2000番台、3000番台には装着されていない)。0番台の一部電動車MM'ユニットを、廃車後、クハ208形・クハ209形と同様の運転台を新設(廃車の運転台は再用されておらず、全くの新造である)して訓練車に改造したもので、首都圏の訓練センターに残る、103・105系ベースの訓練機械を置換えるため、2両編成3本が投入された。旧モハ209・モハ208-76は大宮総合訓練センターに、旧モハ209・モハ208-39(大船工場製)が横須賀線久里浜駅構内の横浜支社総合訓練センターに、旧モハ209・モハ208-40が武蔵野線新秋津駅構内の八王子支社訓練センターにそれぞれ配置された。いずれも機械扱いで車籍はない。また、クハ209-7(1両のみ)は2012年10月に開設された大宮総合車両センター内の社員用の検修施設「大宮グローアップスクエア」において、脱線復旧訓練所の訓練用車両として使用されている。在来線用試験電車「MUE-Train」(ミュートレイン)は、在来線車両の技術革新のために製作された試験電車で、2008年10月に元ウラ2編成から7両が改造された。川越車両センターに配置され、10月より東北本線(宇都宮線)・高崎線などで各種試験を開始した。形式のみ「ハ」→「ヤ」に変更されているものの、車両番号はすべて種車のままである。埼京線や川越線の車両と同じ向きになっているため、宇都宮線・高崎線などでの試験時は、他の編成の方向とは逆に、上野方先頭車が7号車となって運転されている。MUE-Trainにおいて高速データ通信「WiMAX」で使用するアンテナの形状や設置位置が試行され、「成田エクスプレス」用E259系に反映されている。また、2010年(平成22年)7月1日より営業運転を開始したE233系5000番台にも適用された。南武線で運用されている車両については2014年10月5日より運用を開始したE233系8000番台により、置き換えが行われることになっている 。

出典:wikipedia

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