カウンタック("Countach" )はイタリアのランボルギーニが製造していた自動車(スーパーカー)である。Countachとは、イタリア南部の方言で「驚き」を表す言葉。いわゆるスーパーカーを代表する自動車であり、同時にスーパーカーといえば同車を連想する人も多い。1971年に発表されたマルチェロ・ガンディーニによる近未来的なウェッジシェイプを体現したデザインは、文字通り世界中に驚きを与えた(当時はランチア・ストラトスのショーカーなど似たようなアプローチの車種がいくつか登場している)。デザインテーマはプロペラの“ねじれ”。販売車種では珍しく特殊なエアインテーク機構やNAで400馬力を超えるV型12気筒5,000cc前後のモンスターエンジンを搭載するなどコンセプト、デザイン、システムすべての点において異彩を放ち、1970年代後半から1980年代の日本におけるスーパーカーブームの火付け役となった。スーパーカーブーム時には「最高速300km/h」という公称値が話題となりこれが人気の一端を担っていたが、実際には当時のLP400の最高速は300 km/hまで届いてはおらず、最終モデルである25thアニバーサリーでも295 km/hに留まる。また車体下に気流が入って揚力が発生したり、巨大なエアスクープの空気抵抗と導入された気流によって後輪のトラクションが低下するなど、ボディは空力的に問題が多い。この対策としてLP400以降のモデルにはエアロパーツや、オプションでリアウイングが装備されるようになったが、このリアウイングによるリアのダウンフォースが強く高速走行時には前輪の接地感が薄れるという欠点もあり、それを補うためのフロントウイングまでもが登場するという顛末であった。後期型に見られるV型12気筒48バルブとキャブレターの組み合わせは、市販車における唯一の採用例である。LP5000QVの北米向けモデルは、インジェクション(ボッシュKジェトロニック)搭載エンジンであった。後期タイプのエンジン排気量アップはエンジン生産ラインの都合によりシリンダーヘッドとブロックの間にスリーブを挟むという強引な手法によるストローク伸長で実現されており、ディアブロになってようやくボア・ピッチが拡大された。ガルウィングドアの代表的存在として扱われることがあるが正しくない。ガルウィングドアは上ヒンジで正面から見て横開きに上がるもので、カウンタックのドアは前ヒンジで車体前方に上がるものである。シザードア、スイングアップドアなどの呼び名があり統一された名称はない。座席からの後方視界の悪さから、このドアを上方に開け上半身を外に乗り出すように後方を確認しつつバックさせる姿を「カウンタック(またはカウンタックの英語読み“ケンタッチ”)・リバース」と呼ぶことがある。極端に車高が低く5000QV以降はダウンドラフトタイプのキャブレターを採用したことによりエンジンフードに突起物が付き後方視界は非常に劣悪である。ランボルギーニがクライスラーに買収される前、創立25周年記念モデルの開発がスタートしたときに試作車のL150というモデルが開発された。デザインはジュリオ・アルフィエーリで、ベースとなったのは1986年式クワトロバルボーレのインジェクション仕様であったがクライスラーの意向で廃案になり、現存は1台のみであり、現在日本にある。カウンタックは、ミウラを凌駕する次世代のミッドシップ・スーパースポーツカーとしてパオロ・スタンツァーニを中心に開発された。ミウラは横置きミッドシップのV型12気筒エンジンを導入して大成功を収めたが、極端に後寄りの重量配分に起因する高速走行時の不安定性、複雑なトランスミッション系に起因するシフトフィールの悪さなど、横置きエンジン固有の欠点が課題として残された。とはいえ巨大なV12エンジンを縦置きにすると、理想的な重量配分は得られるものの、ホイールベースが長くなるために旋回性能が低下してしまう。スタンツァーニはこの問題を解決すべく、通常とは前後を反転しエンジンの前方にギアボックスを置くという配置を採用し縦置きエンジンであるにもかかわらずミウラよりさらに短い2,450 mmというホイールベースを確保するとともに、コクピット下にギアボックスがあるためワイヤーを介さずギアボックスに直接シフトレバーを取り付けることが可能となり良好なシフトフィールも実現した。エンジンから前方のギアボックスに駆動力が伝達され、更にそこから折り返されたシャフトはオイルサンプを貫通し、後輪のデファレンシャルギアに伝達される。車体はセミモノコック、サスペンションは前後ともダブル・ウィッシュボーン式とした。これにマルチェロ・ガンディーニのデザインによるボディを組み合わせ、カウンタックLP500は誕生した。LPはミッドシップ縦置き("Longitudinale Posteriore" )、「500」は10倍にして排気量(cc)を示す。初登場は1971年のジュネーブショーで、革新的なデザインは大反響を呼んだ。しかしながらエンジンの冷却効率が悪くオーバーヒートが頻発し、量産には至らなかった。ランボルギーニが経営危機に陥ったこともあって改良は難航した。LP500には市販車につながる形状の仮設エアインテークやダクトが設けられ、走行テストが繰り返された。最終的にクラッシュテストに使用された後に廃棄され、この車両は現存しない。LP500と市販のLP400の間には別のプロトタイプが存在し、緑色に塗られた1台はランボルギーニ博物館に展示されている。市販モデルのLP400が登場したのは3年後の1974年である。オーバーヒート対策のためボディに多数のエアインテーク、アウトレットが設けられた。エンジンはより扱いやすくミウラで実績も積んでいた3,929ccエンジンに換装された。また車体構造はテストドライブの際に剛性不足と判断されたため、セミモノコックから丸鋼管を溶接して組み上げたバードケージ(鳥かご)フレームにアルミボディを載せるデザインに変更され、剛性向上と軽量化を同時に果たしている。マルチェロ・ガンディーニのオリジナルデザインに一番近い生産型であるLP400は、わずか150台しか生産されなかった。なお、実際の車両重量についてはカタログ記載より約500kg程度重い1.6tであり、エンジン出力についても実際は330英馬力程度と思われる。これらの数値は実際の各種テストデータ、0~400m13秒台後半、最高速度260km/hなどから考えても辻褄の合う内容である。LP400のスペシャルモデルとして有名なのが、わずか3台のみが製作されたウォルター・ウルフ・カウンタックである(スーパーカーブーム当時の日本では「LP500S」と呼ばれた)。カナダの石油王でF1チームのオーナーでもあったウォルター・ウルフは熱狂的なランボルギーニ・マニアであり、ランボルギーニの経営に乗り出そうと計画したほどであった。そんなウルフの耳にカウンタックがついに発売されるという話が入るのには、そう時間はかからなかった。ウルフはすぐさまオーダーし、LP400の量産3号車を1974年に手に入れることができた。しかし、ウルフはこの新型車の仕上がりに不満を持っており、間もなくウルフの指導の元、大型リアウィング、オーバーフェンダー、コンセプトカーのブラーボから譲り受けたホイール、ピレリP7の超扁平タイヤなども装着された赤の「1号車」が製作され、1975年に出荷された。この1号車には、排気量がプロトタイプより1リッター縮小されたエンジンが搭載されていたが、その性能に不満を持ったウルフは、特別に手を加えたエンジンを搭載し、サスペンションの改良を受けたカウンタックをランボルギーニに製作依頼した。こうして青の「2号車」が製作され1976年に出荷された。その後このエンジンはさらなるチューンを施された上でネイビーブルーの「3号車」に換装され、1978年に出荷された。この3号車はエンジンの換装のみならず、ダラーラの指揮の元でフレームやブレーキ、クラッチが強化されたいわば「究極のウルフ・カウンタック」となった。なお、2号車には代わりに通常のLP400のエンジンが搭載された。これらの3台は通称「ウルフ・カウンタック」(スーパーカーブーム当時の日本ではLP500S)と呼ばれ、特にエンジンの換装やダラーラが各所に大幅に手を加えたいきさつが詳しく語られることがなかった上に、ウルフが手放した後に入手した日本人オーナーが一般に公開することを拒んだ3号車は、その存在自体が確認されない「幻の存在」として語られる事となる。ちなみにオーバーフェンダーやリアウィング等は後のLP400S、500S、5000にて正式採用されている。各車の現在の状況だが、1号車はブームが過ぎ去って以降も日本に留まり「蘇える金狼」の劇中車として使用されたり、僧侶・タレントの織田無道が所有していたことで知られている。2号車はドアミラーが変更されてドイツのロッソビアンコ・ミュージアムにて展示されていた。2016年5月、イタリアで開催された「Concorso d'Eleganza Villa d'Este 2016」にて、ランボルギーニの元テストドライバーであるヴァレンティーノ・バルボーニ氏の運転で会場に登場し、現存していることが確認できる。3号車は新たな日本人オーナーの手に渡り2014年に完全なレストアを受けた。なおレストアを受ける前後にオーナー自らがウルフとダラーラと会い、3号車の開発のいきさつとエンジン換装についての確認を受け、さらにその内容が「Genroq」や「ベストカー」、「カーグラフィック」などに掲載されたことで「幻の存在」から脱却することになった。スーパーカーブーム当時、ウルフ・カウンタックと双璧を成す人気モデルとして通称LP500R(カウンタックSSまたはGT)と呼ばれるカスタムモデルがある。ブラックボディにホワイトのウェーブラインが特徴的なワンオフモデルで外観はウルフ・カウンタックに似ているがリアウィング形状が異なり、エンジンもノーマルである。イオタSVR同様にミステリアスな個体であるが、ロッソ誌にて当時ファクトリーでテスト中のスクープ写真が発見されている。タミヤ製RCブラック・カウンタックLP500Sのモデルである。尚、LP500Rも日本で動態保存されており、イベントなどでその姿を見る事が出来る。1978年には、ウォルターウルフ・カウンタックを基にした改良型のLP400Sが登場し、237台が生産された。1982年には4,754 ccの市販車種であるLP500Sが登場し323台が生産された。V12エンジンの2バルブ、キャブレターはサイドドラフトでボディと内装はLP400Sシリーズ 3を引き継ぎエンブレムは5000Sとなっている。北米仕様はKジェトロニックのインジェクション。1985年にはフェラーリ・テスタロッサに対抗すべくV12エンジンを4バルブ化、キャブレターをサイドドラフトからダウンドラフトに変更すると同時に排気量を5,167 ccまで拡大し、テスタロッサを75 馬力上回る最高出力455 馬力をマークした5000クアトロバルボーレ(5000QV)が登場し632台が生産された。このエンジンは改良が施されてLM002にも搭載されている。1988年にはランボルギーニ創立25周年記念モデルでありリアバンパーの装着や細部の形状変更などの外観上の変更がなされた25thアニバーサリーを発売、カウンタック各モデルの中で最大となる657台を生産した。LP400Sからオプションだったリアウイングは無くなった。本モデルがカウンタックの最終モデルとなり、1990年に生産を終了。後継車種のディアブロにフラッグシップモデルの座を譲り渡した。スタイリングを担当したのは、当時ランボルギーニに在籍していたオラチオ・パガーニ(現パガーニ・アウトモビリ代表)最後にラインオフしたカウンタックは当初デザイナーのガンディーニに寄贈される予定だったが、ガンディーニは「(自分の)過去の作品には興味がない」との理由でこれを辞退した。 シルバーのアニバーサリー、シャシーナンバーZA9C005AOKLA12085は現在ランボルギーニ・ミュージアムに展示されている。
出典:wikipedia
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