『修羅の門』(しゅらのもん)は、川原正敏による日本の漫画作品。千年に亘り不敗を誇るとされる架空の古武術・陸奥圓明流の継承者である陸奥九十九(むつ つくも)を主人公とし、陸奥圓明流が地上最強であることを証明するため、彼が様々な強敵達と戦う様を描く格闘漫画。『月刊少年マガジン』(講談社)において1987年5月号から1996年12月号まで連載の後に長期休載。2010年11月号より『修羅の門 第弐門』(しゅらのもん だいにもん)として連載を再開し、2015年7月号を以て完結した。1990年、第14回講談社漫画賞少年部門受賞作。前作『あした青空』において描かれた格闘シーンが好評を得たことにより、連載終了後に改めて格闘漫画を描くことを編集部から打診され、本作が制作されることとなった。日本を舞台に第一部で実戦空手との対戦、第二部で異種格闘技大会を描いた後、第三部では舞台をアメリカに移しプロボクシングへの挑戦、第四部ではブラジルに場を移して世界規模での総合格闘技大会を描いている。しかし第四部を連載中、ストーリーの展開や描写に読者から否定的な意見が多く寄せられた(後述)。この反応に川原は落胆し、第四部完結をもって無期限の連載休止とすることを発表。第31巻の巻末でその顛末や、川原自らの心境が綴られている。川原の弁によると、陸奥圓明流という「人殺しの技」の使い手をあえて主人公として描き、人を守るための活人拳に対するアンチテーゼに据えて様々な疑問を提唱することが本作の主題だったという。しかし第四部終盤(後述)の描写について「殺人を実行できる人間こそが強者であるという理屈は間違っており、そのような描写は控えるべきだ」という旨の投書が届き、川原は「10年以上同じテーマを描き続けてきたのに、それでも伝わらなかったのか」と愕然とし、筆を置く決心をしたと述べている。この後、川原は休筆中に受けたインタビュー内で「何だか疲れてしまった。格闘技について自分が描きたいことは大体描いたし、『修羅の門』は自分の中のものを出し尽くした感がある」と語るなど連載再開について消極的ともとれる発言をしている。その後『海皇紀』が好評を受け長期連載となり、『修羅の門』は事実上完結した作品として認知されるようになった。しかし川原が抱いていた読者に対する責任感と、『海皇紀』内で格闘を描いたことによって再び人間対人間のぶつかり合いを描けるように感じたことから、『海皇紀』終了後に第四部終了から14年を経て連載を再開することが決定された。連載再開は『修羅の門 第弐門』と改題の上で行われ、また現実で過ぎた14年と作品内の時間がダイレクトに繋がらないことを考慮して第四部の直接の続きとはせず、4部終了時の約3年後から再開している。1990年(平成2年)に、川原は本作で第14回講談社漫画賞少年部門を受賞している。同じく格闘漫画を執筆している板垣恵介は、第四部について「グレイシー柔術を食い散らかさず、骨まで残さない描き方をしていて感激した」とその内容を絶賛している。初出はいずれも講談社の『月刊少年マガジン』。第一編となる「修羅の門」は全四部で構成されており、1987年5月号から1996年12月号まで連載された。この間に川原は『週刊少年マガジン』(講談社)で「ヒーロー」の連載を本作と並行して行うなど様々な作品を発表しており、1989年以降は本作の外伝「修羅の刻」を、本作との同時掲載や本作を休載しての連載などの形によって同じく『月刊少年マガジン』誌上で並行して断続的に発表している。第四部終了後、『修羅の門』は再開未定の形で連載を休止し、「修羅の刻 源義経編」の連載を経て13年に及ぶ長期連載となった「海皇紀」の連載が開始される。そして「海皇紀」完結と同年の2010年11月号より、「修羅の門 第弐門」と改題し連載が再開された。「第弐門」開始の翌月からは、川原が原作を担当した本作の異伝サッカー漫画「ふでかげ」が、飛永宏之の作画によって同じく『月刊少年マガジン』誌上で隔月で連載を開始し、本作との同時連載となっている。単行本は〈講談社コミックス月刊マガジン (KCGM) 〉より『修羅の門』が全31巻、『修羅の門 第弐門』が全18巻発行されている。また『修羅の門』は講談社漫画文庫より文庫版が全15巻刊行されている。(各巻の書誌情報については#書誌情報を参照。)九十九が道場へと到着すると、そこでは道場破りの毅波秀明が看板を持ち帰ろうとしていた。実力差を痛感しながらも武門の娘として毅波と戦おうとする舞子を下がらせ、九十九は毅波と戦い勝利する。そしてその場に現れた神武館館長龍造寺徹心に祖父の手紙を渡してその意を伝え、道場に居候を始める。ヴァーリ・トゥードを制覇し、ケンシン・マエダとの一戦の為に九十九がコロンビアの紛争地帯に向かってから3年近い月日が流れた。あれから九十九は一切の消息を絶ち、周囲も安否すら確かめられないままに月日を過ごしていた。次々と新しい世代の格闘家達や大会が現れ、何時しか九十九の名を知る者も限られる様になっていた。そんな九十九不在の中、日本で開催されていた総合格闘技大会「兵(つわもの)」に圓明流の技を使う覆面格闘家が登場、九十九の再来ではないかとの噂が立つ。同じ頃、街中で九十九と共に消息を絶っていたマッイイツォを見つけた舞子は九十九の行方を尋ね、九十九は既に日本に戻っているが「行方不明となっている」と知らされる。舞子達はが九十九ではないと感じながらも確信を持てず、とプロレスラー宮本翔馬の試合観戦に向かう。宮本の入場コールにもかかわらず、に似た覆面の選手が入場してくるが、その正体は宮本ではなく、山田という正体不明の男性の暗躍により現れた九十九であった。九十九はの元々の対戦相手である宮本を下し、続いての正体であった毅波秀明をも破って、陸奥圓明流の不敗神話が今もまだ続いていたことを世に知らしめる。次は「兵」王者ミカエル・ビーゴルストかと思われたが、ビーゴルストは台湾からやって来たルゥ・フォン・シェンに敗れる。ルゥ・フォン・シェンは台湾の暗殺者一族「呂家」の1人であった。呂家のルゥ・フォン・シェンをリング上で、ルゥ・ズ・ミィンをリング外で破った九十九は、アメリカの格闘団体TSFと「兵」とで繰り広げられるトーナメント戦「THE APEX」に参戦する。その初戦でTSF王者ヴォーダン・ファン・デル・ボルトを破り、決勝戦で呂家のジャン・ズ・ヤと闘う。決勝戦でケンシン・マエダとの一戦の記憶が蘇り、自身=陸奥圓明流が未だ不敗であることを思い出した九十九は四門を開き四神・青龍によってジャン・ズ・ヤを打ち倒す。「THE APEX」終了後、「兵」主宰者・羽生つばさは九十九を別荘で養生させると共に、アメリカで武者修行を続けていた海堂晃を招待。舞子や龍造寺徹心、片山右京、山田らを観戦者として、再戦の約束が果たされる。2度のテレビゲーム化がなされている。本作と世界設定を共有する派生作品が2作執筆されており、主に本編と並行する形で同時期に発表されている。詳細は各記事を参照。いずれも著者は川原正敏、講談社からの発行。以下の出典は月刊少年マガジン公式サイト『月刊少年マガジンWeb|講談社コミックプラス』(講談社)内のページ。書誌情報において発売日の出典としている。以下の出典は月刊少年マガジン公式サイト『講談社BOOK倶楽部』(講談社)内のページ。文庫版の発行日の出典としている(この他の発行日は各巻の奥付を参照した)。
出典:wikipedia
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