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西白河郡

西白河郡(にししらかわぐん)は福島県にある郡。本項では1878年(明治12年)までの名称である白河郡(しらかわぐん)についても述べる。以下の1町3村を含む。1878年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町3村から矢吹町の一部(境町・田内・馬場・本郷町・南町および子ハ清水・東の内の各一部)を除き、白河市および石川郡浅川町の一部(小貫・大田輪)を加えた地域である。西白河郡の旧称である白河郡は、『先代旧事本紀』中の「国造本紀」では、白河国造の支配下にあったとされている。律令制下で白河国造の所領は郡へと変更され、陸奥国への入口として白河関が置かれた。関和久遺跡(泉崎村関和久)が古代の郡衙と推定されている。養老2年(718年)、陸奥国の三分割にともない、白河・石背・会津・安積・信夫の5郡は石背国として分立したが、10年ほどで陸奥国に復帰している。10世紀前半に著された『和名類聚抄』には「之良加波(しらかは)郡」とあり、大村・丹波・松田・入野・鹿田・石川・長田・白川・小野・駅家・松戸・小田・藤田・屋代・常世・高野・依上の17郷が載せられている。17という郷数は陸奥国の中では最多であり、その範囲も後世の西白河郡・東白川郡・石川郡の全部に加え、田村郡および常陸国久慈郡の一部にまで及ぶ広大なものであった。ただし高野・入野・鹿田・常世・依上の5郷てついては、「国、分ちて高野郡と為す」と注記されており、この頃には既に高野郡として分立済みであったと見られている。また石川・長田・藤田の3郷は、康平6年(1063年)に前九年の役の軍功により石川郷一帯を拝領した源有光(陸奥石川氏の祖)が同地に土着して石川荘を開き、この石川荘のちにが白河郡から分離して、石川郡という独立した郡として扱われるようになった。白河郡は文治5年(1189年)の奥州合戦で軍功を挙げた結城朝光に与えられた。朝光への恩賞に白河郡が宛てられたのは、久安6年(1150年)に朝光の父・小山政光が白河荘社・金山の預所職を得ていたことが関係しているという。のち朝光の孫・結城祐広が分家し(白河結城氏)、結城氏による支配は天正18年(1590年)の奥州仕置で結城義親が改易されるまで続いた。江戸時代の寛文年間(1661年~1673年)に白河・高野・石川の三郡を統合し白川郡としたが、元禄年間(1688年~1704年)に、白河・白川(元の高野)・石川の三郡に再分割され、以後若干の郡境変更を経て、明治12年(1878年)の郡区町村編制法の際に白川郡との区別のため、「西」の字を冠して西白河郡へと改称され、現在に至っている。

出典:wikipedia

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