伊勢市(いせし)は、三重県南東部に位置する都市である。市域は旧度会郡及び多気郡の一部。伊勢神宮の門前町として発達した都市で、「神都」の異名を持つ。江戸時代には「お伊勢まいり」の街として多数の観光客が訪れ、現在も伊勢志摩の中心都市となっている。伊勢神宮では20年に一度社殿を建て替え神座を移す「神宮式年遷宮」が催行され、街に活気をもたらすことから「伊勢の町は遷宮のたびに新しくなる。20年ごとに活性化する」と言われている。直近の式年遷宮は2013年に開催された。1906年(明治39年)までは度会郡に属しており、明治維新直後の慶応4年7月6日から明治2年7月17日まで度会府の府庁が置かれた。廃藩置県により度会府は度会県となり、三重県に編入される1876年(明治9年)4月18日まで県庁所在地であった。志摩半島の北東部に位置する。市の北部は平地(伊勢平野の南端)であり、伊勢湾に面している。南部は標高100m - 500mの丘陵・山地が広がる。中心市街地は伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)の周辺に形成されている。市街地を外れた森の中に、伊勢神宮 内宮(皇大神宮)が位置する。「伊勢市」と称する以前は「宇治山田市」と称しており、内宮周辺が宇治、外宮周辺が山田に当たる。宇治山田という地名は、翌年に市制・町村制の施行を控えた1888年(明治21年)に紛糾の末、「宇治山田共ニ往古ヨリ稱スル著名ノ冠名ニ付、兩稱ヲ合セテ宇治山田ト撰定ス」すなわち、「宇治と山田は古来から全国民に親しまれている」という理由から内宮鳥居前町の宇治と外宮鳥居前町の山田の両方の名を合わせて決定した。町名には神都または伊勢の名を冠するべき、宇治を外して山田と単称するべきという意見のほか、そもそも市とするか町とするか、宇治と山田は別個に町制を敷くべき、といった議論もあった。1887年(明治20年)時点の人口は26,546人で、市制の標準人口の25,000人は満たしていたが、「宇治山田町」として出発することになった。その後、1906年(明治39年)9月1日に市制を施行することになったが、また名称をめぐる問題が起きた。結局、この時点では町名と同じ宇治山田を市名とすることで決着したが、これ以降、折に触れて市名問題が発生することになる。具体的には1935年(昭和10年)頃、1941年(昭和16年)の神社町編入時、1943年(昭和18年)の大湊町・浜郷村・宮本村編入時である。1948年(昭和23年)1月には戦災復興都市計画の中で市名改称の是非を問う公聴会が開かれたが、賛成3人、反対15人、不明1人で否決された。大きな流れとなったのは1955年(昭和30年)1月1日の豊浜村・北浜村・四郷村・城田村との合併であり、前年の1954年(昭和29年)11月13日に市名改称公聴会の賛成、11月29日の臨時市議会での議決を経て合併と同時に「伊勢市」に改称された。このようにして自治体名としての宇治山田の名は消滅したが、現在でも駅名・学校名・店名などに残っている。また、宇治山田神社という伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社がある。ただし、読み方は「うじようだじんじゃ」である。伊勢神宮の門前町として古代から発展し、江戸時代には江戸幕府が伊勢神宮の管理を目的とする山田奉行所を設置した。山田奉行所は大岡越前として知られる大岡忠相が奉行を務めたことがあり、このころ紀州藩にいた徳川吉宗により、のちに抜擢されることになった。明治から昭和にかけて参宮鉄道線(現在のJR東海参宮線)・参宮急行電鉄本線(現在の近鉄山田線)・伊勢電気鉄道本線(後の参宮急行電鉄伊勢線。1942年廃止)など鉄道が次々と開通したことにより参詣客が増加した。さらに、国家神道の下で、第二次大戦までは「神都」として国威発揚の場ともなった。伊勢神宮は、江戸時代には「お伊勢さん」として民衆に親しまれたが、明治初年には、市内の寺院の数は300以上から15にまで減らされ、1871年には御師が廃止、神域にあった民家も破壊されるなど、民衆から隔絶した、天皇・皇室のための神社として改変された。「皇紀2600年」にあたる1940年(昭和15年)には、約800万人が参宮のために当地を訪れた(当時の市名は宇治山田市)。大戦末期には、6回の大規模な空襲を繰り返し受けた(宇治山田空襲)。1946年(昭和21年)11月20日には伊勢志摩国立公園に指定された。宇治山田市からの市名の変更は、当地が伊勢神宮の門前町で、江戸時代から「お伊勢まいり」と呼ばれてきたことが要因とされる。議員定数:28名
任期:2013年(平成25年)11月27日から2017年(平成29年)11月26日
構成 2015年12月8日現在※なお、衆議院議員選挙の選挙区は「三重県第5区」、三重県議会議員選挙の選挙区は「伊勢市選挙区」(定数:4)となっている。いずれの旧市町村域も大字以下の変更はない (例外として、二見町 茶屋、光の街の2地区が、二見町の中で独立した町名になった)。市内各地にぎゅーとら、マックスバリュ中部、とよはた、オークワなどがスーパーマーケットを、ジップドラッグやスギ薬局などがドラッグストアを展開している。中心市街地には、伊勢銀座新道商店街や伊勢高柳商店街を始め、多くの商店街が存在する。(2012年12月現在)※伊勢市内の郵便番号は以下のとおり(特記無しは伊勢郵便局の集配担当)。伊勢市は三重県南部では最大の都市であり、三重県南部ほぼすべてを周辺人口に含むため、文化施設と高等学校が多い。中心となる駅は近鉄、JR東海両社が接続する伊勢市駅であるが、近鉄に限れば、近鉄における列車の運行上の拠点となっている宇治山田駅の方が利用者は多くなっている。かつては伊勢電気鉄道本線(後の参宮急行電鉄伊勢線。1930年 - 1942年。大神宮前駅など)、路面電車の神都線(1903年 - 1961年)、ケーブルカーの朝熊線(1925年 - 1944年)も存在した。2003年度には、伊勢神宮を中心として年間約550万人の観光客が訪れた。式年遷宮が催行された2013年には26,412,049人が来訪、伊勢神宮には14,204,816人が参拝した。また、近畿地方内の多くの小学校が修学旅行先としており、JRや近鉄の臨時列車も運行される。観光ガイドでは、「伊勢・奈良・京都」が「3点セット」とされる事がある。2012年6月1日より、それまで市の緑化推進キャラクターだった「花照ちゃん」(2009年開催の「全日本花いっぱい伊勢大会」のマスコットとして公募)が市の観光PRキャラクターに任命され、名前もひらがな表記の「はなてらすちゃん」に改められた。伊勢ではこれまでに数多くの博覧会が開催されている。既に1873年(明治6年)には、文明開化を意図して神宮司庁と度会県庁の共催で実施されている。観光的な意図をもって博覧会が開催されるようになったのは、昭和以降である。以下に挙げる博覧会のうち、平成に入ってから開催された世界祝祭博覧会以外は、「伊勢の博覧会男」の異名を持ち、宇治山田市長を務めた北岡善之助が開催に関与している。
出典:wikipedia
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