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死球

死球(しきゅう、)とは、野球において投手の投げたボールが打者に当たった結果、打者に一塁が与えられることである。日本ではデッドボール(和製英語)とも呼ばれる。投手の投球が打者に触れた場合、球審はボールデッドのジェスチャー(両手を上方に広げる、ファウルボールと同じジェスチャー。デッドボールとは主旨が異なる)をしてプレイを停止する(公認野球規則5.09(a))。ここで「投球が打者に触れる」とは、適正に着用された打者のユニフォームをかすった場合や、バウンドした投球が打者に触れた場合も含まれる。そのうえで、球審が次のいずれにも該当しないと判断した場合、死球が宣告され打者に一塁が与えられる(公認野球規則2.73(e)および6.08(b))。死球が認められる場合、球審はボールデッドのジェスチャーをし、必要に応じてボールが当たった箇所を示す(ノーボイス)。これにより打者は一塁への安全進塁権を得る。また、打者が一塁に進んだことで押し出される走者に限り、次の塁へ進む権利を得る(満塁の場合、三塁走者は本塁へ進む。いわゆる「押し出し」)。なお、投球が打者に触れた時点でボールデッドとなるため、次の塁を与えられた走者以外は進塁を試みることは認められず、盗塁を試みていても元の塁に戻される。死球のリスクをともなう一方で、投手が打者に近いコースを狙って投球することは野球における戦術のひとつである(内角攻め)。アメリカ合衆国では打者の頭部を狙う投球を「ビーンボール(beanball)」と呼び(beanは古い英語のスラングで頭を指す)、打者を仰け反らせることを意図した投球である「ブラッシュバック・ピッチ(brush-back pitch)」とは区別している。しばしばビーンボールを投じる投手は「ヘッドハンター(head hunter)」と呼ばれる。日本ではこれらを区別せず、打者を狙った投球を一般にビーンボールと呼んでいる。また、野球の不文律を破った選手に対して制裁として故意に死球が投じられることがある。この場合は頭部ではなく、より危険の少ない背中や足(アキレス腱以外)などが狙われる。公認野球規則では8.02(d)において、投手は打者を狙って投球することが禁じられており、「これを投球した投手およびそのチームの監督には、審判員により退場を宣告もしくは同様の行為をもう一度行った場合は即刻退場させる旨の警告が発せられる」と定められている。この場合、打者に投球が当たったか否かは問わず、審判は自身の判断で投手(または投手と監督)を退場させることができる。日本野球機構ではこれとは別に、セ・パ両リーグのアグリーメント39条に危険球についての規定を置いている。これによれば、「投手の投球が打者の顔面、頭部、ヘルメット等に直接当たり、審判員がその投球を危険球と判断したとき、その投手は即退場となる」とされている。また、「危険球」とは「打者の選手生命に影響を与える、と審判員が判断したものをいう」と定義されている。なお、頭部に投球が当たった場合でも緩い変化球などでそれが危険球ではないと判断された場合は、投手は即退場にはならず、警告が発せられる。この場合、次にいずれかのチームの投手が頭部付近への投球を行えば退場を命じられる。退場の記録はその試合が雨などでノーゲームになっても残る。1982年に審判員により危険球に対する規定が制定され、同年より適用。同年8月6日、井上祐二の投球に対して適用され退場処分となる。危険球制度がより確立されたきっかけは、5月11日にヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ(巨人)戦で発生した死球合戦と乱闘騒ぎである。事態を重く見たセントラル・リーグは緊急理事会を開き、さしあたって「故意・過失を問わず頭部に死球を与えた投手は退場」というアグリーメントを新規に設けた(最初の適用者は中日ドラゴンズの郭源治)。一方でパシフィック・リーグでは、審判がそれまで以上に厳しいルールの運用をするという見解にとどめた。両リーグの違いの一例として、1999年4月9日に巨人・村田真一が横浜ベイスターズ・斎藤隆から顔面に死球を受けた際、斎藤は即退場となったが、同年の9月8日に福岡ダイエーホークス・秋山幸二が西武ライオンズ・松坂大輔から顔面に死球を受けた際は、松坂は警告処分のみ発せられた。セ・パ共通の現行のルールになったのはからである(最初の適用者はセでは巨人・三浦貴、パではのダイエー・吉武真太郎)。前述のとおり、最初の危険球で警告となるか即退場となるかは球審の裁量に委ねられるが、従来から一度でも危険球を投げた場合は即退場としていたセ・リーグでは現在でも即退場となる場合が多く、対照的に警告後退場のルールを運用していたパ・リーグでは即退場処分が少ない傾向にある。2005年5月13・14日に行われた西武ライオンズ対巨人(インボイスSEIBUドーム)の試合では、両日2戦合わせて6個の死球が出たことから、審判団が15日の第3回戦を「パ・リーグ アグリーメント」に基づいて「警告試合」とし、この試合で死球を与えた投手は即刻退場、また意図的にぶつけたなど悪質な場合はそのチームの監督も退場にするという警告を両チームに発した。なお、シーズン終了時点で、危険球による退場の最多記録は桑田真澄と浅尾拓也と山口俊の3度である。桑田は1995年、1999年、2005年に、山口は2012年、2014年、2015年に、1度ずつ記録したものに対し、浅尾は全て2008年の記録である。プロ初登板で危険球退場になったのは、9月1日の小林正人(中日)、4月18日の矢地健人(中日)、5月3日の風張蓮(ヤクルト、先発登板では初)である。また1球で危険球退場になった投手として、6月17日の高井雄平(東京ヤクルトスワローズ)、4月30日の岩瀬仁紀(中日)、8月2日の有銘兼久(東北楽天ゴールデンイーグルス)、9月16日の甲藤啓介(ソフトバンク)、4月24日の松井光介(ヤクルト)、5月24日の山崎康晃がいる。2012年の日本シリーズ第5戦では多田野数人(北海道日本ハムファイターズ)が日本シリーズでは初めてとなる危険球退場の処分を受けている(ただし、これは危険球の基準からしても誤審であった可能性がある)。また、渡辺俊介(千葉ロッテマリーンズ)は2006年4月29日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、6回までノーヒットノーランピッチングを続けていたものの、7回先頭の鉄平に2打席連続の死球となる頭部に死球を与えてしまい、危険球による退場処分を受け、アクシデント以外では非常に珍しい被安打0での降板かつ退場処分ながら勝利投手という珍記録を樹立した。なお、渡辺は勝利投手となり、ヒーローインタビューも受けている。その際に、渡辺は鉄平に対して謝罪を行った。与死球(よしきゅう)は、投手が打者に死球を与えることで、投手に付けられる記録である。上記の要領で打者に死球が記録されると同時に、投手には与死球が記録される。対戦打者の死球と対戦投手の与死球は必ず同数になる。

出典:wikipedia

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