カニカマ(、 )とは、色や形・食感をカニの身に似せたかまぼこ(魚肉練り製品)のこと。「カニカマ」はかに風味かまぼこを略した名称で、カニ棒・かにぼこともいう。この種の製品の名称は、JAS法の品質表示基準によれば「風味かまぼこ」または「風味かまぼこ(かに風味)」と記載することができるが、実際にはカニ肉は入っておらず、海外ですり身に加工し冷凍すり身として輸入されたスケトウダラを主原料とする場合が多い。冷凍すりみを急速に解凍し、もう一度冷凍すると、カニの足と同じような繊維ができる。すり身に含まれた水分が、一定の方向に向かって流れるようにすると、よりカニに似る。最外層の赤色は食品添加物の食用色素である天然着色料のモナスカス色素(紅麹色素)、コチニール色素、トマト色素などで、カニの香りと味は、同じく食品添加物の香料(フレーバー)とカニ抽出物(かにエキス)でつけられている。食品スーパーや回転寿司店などで見かける大量生産型のカニ風味かまぼこは、切れ目を入れたシート状のかまぼこを、ロール状に巻くことで製造しているものが多い。また、近年は消費者の本物志向や高級志向もあるため、本物のカニ肉が使用されたカニカマも少数ながら見受けられる。「カニカマ」の発明については幾つかの説がある。石川県七尾市の水産加工メーカーであるスギヨは、1972年(昭和47年)に、着色・着香した蒲鉾を細く裁断した商品である「珍味かまぼこ・かにあし」を発売したのが最初と主張している。スギヨの三代目社長杉野芳人が、コンブから取れるアルギン酸で人工クラゲを作ろうとしていたところ、その失敗作がカニの食感に似ていることに気づき、人工カニ肉の製作を思いつく(アルギン酸ナトリウムの溶液はカルシウム溶液に入れると凝固する性質があり、人造イクラも同じ製法で作られている)。試行錯誤の末、「珍味かまぼこ・かにあし」を開発し発売したものの、「インチキじゃないか!」などとスギヨに苦情が寄せられた。しかし、杉野はこの消費者の声を逆手にとり「カニのようでカニでない」とのキャッチコピーで、あくまでも「アイディア商品」として全国に広告宣伝活動と販売を行った。このカニカマ誕生の話は、2007年(平成19年)日本テレビ系列のテレビ番組「未来創造堂」の中でも紹介された。ちなみに、「珍味かまぼこ・かにあし」は、取り出されたカニの身のような蒲鉾が、プラスチックパックの中に入れられていた。現在の広島県広島市西区の漁師町である草津の蒲鉾屋を発祥とする大崎水産が「カニカマの元祖」とする文献もある。大崎水産も自社が「カニカマの元祖」としている。大崎水産の創業者・大崎信一から家業を継いだ息子の大崎勝一は、珍味蒲鉾を数多く開発したが、その一つにかに肉を詰めたきゅうりをノズルから出した魚肉で巻く「かに胡瓜」という製品があった。この「かに胡瓜」の製造工程で魚肉にカニの汁が混ざり、これがカニにそっくりの味がし、これをソバ状にしてそれを束ねて締め付ければ、カニ足肉のように、筋目のついたものができるのではないかと考案。1974年(昭和49年)に商品化し、棒状のカニ風味カマボコ「カニスチック」を発売した。これが今日もっとも一般的な形状である「カニカマ」である。2013年(平成25年)に大崎誠一は、農林水産省後援、日本食糧新聞社主催の「食品産業功労賞」を「カニカマ」発明普及貢献・「世界食」海外開拓の貢献者として受賞している。「カニスチック」を発売直後に公正取引委員会から「カニがほとんど入っていないのに、カニを名乗るのはまかりならん。カニの絵もダメ」とお叱りを受け、「フィッシュスチック」という商品名に変更した。発売と同時に「魚肉製品の製造方法及び同装置」という特許出願をしている。最初は手作業であったが、各人の手の強弱も違うので製品が不揃いだった。そこで機械の開発を進めたが、なかなか上手くいかず。ソバ状の魚肉を自動的に結束する機械の完成は1976年(昭和51年)だった。他社のフレーク状のカニ肉もどきは、この頃から売れ始めたが、大崎水産の「フィッシュスチック」は売り上げが伸びず、1976年の売り上げは5億円だった。しかし1978年(昭和53年)から、売り上げが異常に伸び、この年が売り上げ10億円。1982年(昭和58年)の売り上げは40億円に達した。それにつれて、同業他社も、このスチック状のカニ風味カマボコ製品にワッと飛びつき、1983年(昭和58年)には50社を越える業者がカニカマを生産するようになった。カニカマはカマボコメーカーにとっても救世主的な商品だった。1981年(昭和56年)9月に、先の大崎水産の出願が特許公報で公告され、特許が降りる見通しが強まってから、業界内がギクシャクし始め、業者や機械メーカーから数件の異議申し立てが特許庁に出され、特許が降りなかった。カマボコ業界の集まりである全国蒲鉾水産加工協同組合連合会(通称・全カマ)は、1982年(昭和57年)6月に「カニ足蒲鉾特許問題協議会」を発足させ大崎水産と交渉を重ねた。大崎水産を始め、多くの業者が早くから海外市場にもカニカマの売り込みを図り、1983年(昭和58年)の海外輸出は1万5000トン以上を記録した。「カニ足蒲鉾特許問題協議会」は「カマボコが大量に輸出されたなんて、の快挙なんです。外国でもカマボコになじみができたのは、今後の業界にとっても大きな財産です。もとを作った大崎さんの功績を讃えるのは当然です」と話した。水産業界の中でも気を吐いたのは最大手の大洋漁業(現マルハ)で、同社は1973年(昭和48年)にアンゴラ沖で大量に捕れた小型のズワイガニに、スケトウダラのすり身を混ぜ、80%カニ肉で製造し発売した『カニ棒』が「カニカマ」の先祖と主張している。大洋漁業は1977年(昭和52年)から、スケトウダラ100%のカニカマを生産し、アメリカで売り込みを図ったが、芳しくなく、その後1979年(昭和54年)にアラスカのタラバガニが壊滅状態になり、アメリカの国内景気の悪化で、本物のカニが口に入りにくくなって売れ始めた。加えて、アメリカ西海岸に寿司屋が林立するほどの日本食ブームになって1981年(昭和56年)6月頃から、爆発的に売れ始め、その後ヨーロッパでも売れ始めた。大崎水産からカニカマの機械製造を許可された山口県宇部市の食品機械メーカーであるヤナギヤが1979年(昭和54年)に カニ風味蒲鉾製造機を開発し、機械による大量生産が可能となった。1982年には海外への販売も開始し、後述する世界的な普及のきっかけとなった。2011年現在では、同社のカニ風味蒲鉾製造機械は世界シェアの70%を占める。カニカマは世界各地で安値で食べられるサラダなどのトッピングとして広がり、水産加工メーカーとしてはいち早くヨーロッパ、アメリカ合衆国に進出を果たした紀文食品のマリーンを足掛けに、日本から多く輸出された。しかし、EU、アメリカの水産食品製造施設へのHACCP導入により、対応できる日本の企業が限定されること、現地生産の増加、BSE等の影響で輸入冷凍すり身が高騰したことなどから輸出は減少傾向となり、現在海外では韓国製のものが多く流通している。EU、アメリカでは肉より魚を好む傾向が強くなり、日本食ブームが追い風となって、世界の消費量は拡大している。カニカマを指す「スリミ(surimi)」という単語も定着している。フランスではこのスリミと野菜類を普通のフランスパン(バゲット)よりも柔らかい食感のスエードワ(スウェーデン風パン)で挟んだものを「スウェーデン風サンドウィッチ」と称して街のパン屋などで広く売られている。またアメリカには"KANI"という商品名のカニカマも存在しており、スシバーなどでは蟹を意味するcrabに対して、kaniと言えばカニカマのことを指すという誤った用法が定着している地域もある。中国では日本から技術導入した工場が現地製造している。「人造蟹柳 レンザオシエリュウ rénzào xièliǔ」などと呼ばれるが、鍋料理など、各種の中華料理に加工されて普及しており、「蟹柳」と書かれた料理を注文する際には、本物のカニ肉を使ったものか確認が必要である。また、本物のカニが安価に手に入るタイやフィリピンでも、代用品としてではなくカニカマ自体が人気食品となり、鍋や天ぷらの具として一般化している。1990年代初頭の中国のホテル等ではジンの香りのするマヨネーズと和えて珍しい一品として食された。タイではカニカマは寿司の具、刺身の一種としても認識され、タイ資本の日本料理店では刺身盛りの中にも登場し、寿司の具でも定番人気となっている。もちろん本物のカニでないことはタイ人も知っているが、ごく普通にシーフードの一種として扱われ、スーパーマーケットでも必ず魚売り場に置かれている。アイスボックスを使った「カニカマボックス」を設置する店も多く、国民食として定着している。2015年1月時点で、日本での消費量は年間5万トン。世界では50万トン消費されている。一番消費量が多いのがヨーロッパ地域で、1位:フランス、2位:スペインである。類似商品に「エビカマ」と「ホタテ風味かまぼこ」がある。
出典:wikipedia
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