蝶野 正洋(ちょうの まさひろ、1963年9月17日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名:同じ。アメリカ合衆国ワシントン州シアトル生まれ、東京都三鷹市育ち。闘魂三銃士の1人。1984年、新日本プロレス入門。同年10月5日、越谷市立総合体育館における武藤敬司戦でデビュー。87年3月に海外遠征に出発。89年10月に帰国後、91年8月、第1回G1クライマックスに優勝し大躍進を遂げる。G1は前人未到のV5を達成し、92年8月には第75代NWAヘビー級王座を奪取。96年にはnWo JAPANを設立して一大ムーブメントを起こし、その後、TEAM 2000を結成。2010年2月にデビュー以来26年所属していた新日本プロレスを離れ、2010年より後述の個人事務所・アリストトリストの所属となり、フリーランスとして活動、いまなお「黒のカリスマ」として、プロレス界に君臨し続けている。新日本在籍中にはnWoのメンバーとしてアメリカ合衆国のWCWにも登場した。元NWA世界ヘビー級王者、IWGPヘビー級王者。「オレだけ見てりゃいいんだオラ!」が決め台詞。私生活では1991年12月にマルティナと結婚。2006年7月に結婚15年目にして第1子となる男児が誕生、2009年8月に第2子となる女児が誕生している。なお現在では、大洗町のイベントが元で、『ガールズ&パンツァー 劇場版』応援大使や、さらに同作品の応援大使から転じて大洗大使にも就任し、活動している。大手製紙会社のサラリーマンであった父親の赴任先であるワシントン州シアトルで生まれ、2歳で帰国し、川崎市多摩区、東京都渋谷区を経て三鷹市で育った。東京都立永山高等学校ではサッカーと暴走行為に明け暮れ、その後「親が大学に行けとうるさいから」との理由で2浪した後に神奈川大学に進学するが、同時期に受けた新日本プロレスの新弟子試験に合格。大学に籍を置いたまま入門し、後に中退した。1984年4月に新日本プロレスへ入門し、同年10月に埼玉県で行われた興行でプロデビューした(初戦の相手は同じくデビュー戦の武藤敬司)。1987年の第3回ヤングライオン杯で橋本真也を破り優勝した。優勝後、海外遠征を行い、まずドイツのオットー・ワンツのキャッチ・レスリング・アソシエーション(CWA)に出場した。ドイツでは現在の夫人であるマルティナ・カールスと出会った。しばらくして、蝶野は北米に遠征し、アメリカ合衆国カンザスシティやアラバマのNWAテリトリーで活動を始めた。また後に、カナダ沿海州やプエルトリコでも活動した。アメリカではテーズ道場に短期滞在し、STFを伝授された。蝶野は1988年7月に新日本プロレスに短期帰国した。遠征からの帰国後は武藤敬司、橋本真也とともに「闘魂三銃士」として活躍するものの、人気は武藤と橋本の後塵を拝した。1989年4月、新日本プロレス初の東京ドームでの興行であるIWGP王座決定トーナメントに出場し、ビッグバン・ベイダーに準々決勝で破れた。この間には、アメリカ合衆国に戻ったり、短期間オーストラリアに遠征などした。1989年10月に新日本に戻ってからは、1990年2月10日に新日本プロレス2度目の東京ドーム興行のメインイベントにおいて、橋本真也とのタッグでアントニオ猪木・坂口征二組と対戦し、4月27日に武藤敬司とのタッグでIWGPタッグ王座を獲得、12月26日に師匠であるルー・テーズを破った(この試合がテーズの最後の試合となった)。翌1991年、新日本プロレスの夏期興行G1 CLIMAXの第1回大会において素晴しいパフォーマンスを見せた蝶野はメインイベンターとしての地位を確立した(決勝では武藤を破り優勝)。蝶野は1992年にも再びG1 CLIMAXで優勝し、同時にNWA世界ヘビー級王座を獲得した。このG1連覇により「夏男」と呼ばれるようになった。1992年9月23日、スティーブ・オースチンとのNWA世界ヘビー級王座戦において古傷の首を悪化させた。1993年1月4日、グレート・ムタとのNWA・IWGPダブルタイトル戦で敗戦した。1993年のG1 CLIMAXでは準決勝で馳浩に破れた。1994年1月、橋本真也のIWGPヘビー級王座に挑戦したが敗戦した1994年8月、G1クライマックス決勝でパワーウォーリアーを破り、3度目のタイトルを手にした。1994年のG1 CLIMAX優勝後、「武闘派宣言」によって入場テーマ曲も変えてヒールターン。黒を基調としたコスチュームに一新し、馳浩を大流血に追い込んだ末出血する頭部を掻きむしりながらのSTFで破った。テーマ曲など現在まで続くスタイルを確立した。週刊プロレスはこの蝶野を「BLACKJACK」と称した。1995年に天山広吉、ヒロ斎藤とヒールユニット狼群団を結成。1996年に新日本と提携していたWCWに参戦、ハルク・ホーガン率いるnWoに加入し、帰国後にその日本支部としてnWo JAPANを結成。その総帥としてグレート・ムタ(既に武藤敬司として活躍)ら日本人、外国人メンバーを次々と増員し、「nWo Tシャツ」が大量に売り上げられるなど、一大ムーヴメントを起こし、同年「プロレス大賞MVP」を受賞した。1998年8月8日、大阪ドームで藤波辰爾を破り、8回目の挑戦にして遂に悲願のIWGPヘビー級王座初戴冠。しかし首の負傷により、防衛戦を行うことなく王座を返上、長期欠場に入った。復帰後の1999年、AKIRA、ドン・フライらと共にTEAM 2000を結成。武藤率いるnWoと抗争を開始し、2000年に武藤との決着戦に勝利。nWoを消滅(実際にはWCWとの提携解除に伴いnWoの使用権が消滅したため)させ、nWoの残存勢力を吸収し組織を拡大。同年、所属選手の大半が離脱し、存続の危機に陥った全日本プロレスから渕正信が新日本に登場。蝶野がマイクパフォーマンスで応戦し、対抗戦の口火を切った。単身全日本プロレス日本武道館大会に歴史的参戦。渕とシングルマッチを行い勝利後、「お前ら家に帰ってマスでもこいてろ!」とアピールし全日本ファンを敵に回した。2001年は武藤率いるBATTと抗争。2002年、蝶野は4度目のG1チャンピオンとなった。また、札幌大会でアントニオ猪木に指名され、新日本プロレスの現場責任者となった。2002年5月2日の東京ドーム大会でプロレスリング・ノアの三沢光晴と初対決。30分ドローに終わる。8月には4度目のG1優勝を果たした。大会後、魔界倶楽部、高山善廣、藤田和之ら外敵との抗争に入り新日本隊に合流し、TEAM 2000は自然消滅。2003年にノアに初参戦、三沢と組み小橋建太・田上明組と対戦。5月2日の新日本東京ドーム大会では小橋の持つGHCヘビー級王座に左足靭帯損傷の状態で挑戦。敗れるも「ミスタープロレス対ミスタープロレス」と称されたこの試合で蝶野は小橋のハーフネルソンスープレックス6発を受けきって見せ、小橋と共にファンの大喝采を受けた。2005年にはヒールユニット、ブラック・ニュー・ジャパンを結成。8月、G1で5度目の優勝を果たし、同年に急逝した橋本真也に優勝を報告した。長州力が新日本に戻ってくると反長州を掲げ抗争を開始。2006年には新日本社長サイモン猪木と抗争を開始する。2007年1月4日、東京ドーム大会で武藤とタッグを結成して勝利。G1 CLIMAXにおいて真壁刀義に敗北をした後、リング上にて長州、越中詩郎、マシン、ライガーを呼び出し、新軍団結成を呼びかけた。2007年9月1日 - 2日、幕張メッセ国際展示場・11ホールにおいて「蝶野王国2007 in 幕張」を開催。長州力率いる『LOCK UP』、藤波辰爾率いる『無我ワールド・プロレスリング』、新日本プロレスの3団体合同興行となった。これと同時に三田証券と組んでイベントを証券化することも発表された。資金調達の手法としてファンドの活用を行うことはプロレス界にとって初めてのことであった。2008年から、自身がGM(ゼネラルマネージャー)を務める「PREMIUM」興行を開催。2009年1月4日、東京ドーム大会でケビン・ナッシュ、カート・アングル、長州力と日米レジェンドタッグを結成し、G・B・Hに勝利を収めた。10月3日、ノア・大阪府立体育会館で行われた三沢光晴追悼興行に参戦。かつて戦った小橋と、GHC王者の潮崎豪とタッグを結成した。10月12日、蝶野正洋25周年特別興行「ARISTRIST IN 両国国技館」開催。自身は小橋と武藤とタッグを組んでメインイベントに登場して勝利した。2010年1月4日の東京ドーム大会を最後に、蝶野は首や両膝の治療と本人曰く「体のリビルド」のために長期休養に入った。1月21日に自身の25周年記念パーティーを行い、これに先立って行った会見の中で、2010年1月末をもって新日本プロレスを退団し、アリストトリスト所属のフリーランスとなった。派手な技はあまり使わず、基本的でシンプルな技を中心に試合を組み立てる。相手にやられて虫の息になったように見せかけて(いわゆる「死んだフリ」)、相手レスラーの隙を突いて攻め立てる試合が特徴である。蝶野は新日本プロレスのシングル最強決定戦である G1 CLIMAXを5度優勝していることから夏男とも呼ばれる。ベビーフェイス時代に3度、ヒールターンしてからは2度優勝を果たしていて、しかも5回中4回がリーグ戦形式による公式戦を勝ち上がっての優勝である。ARISTRIST(アリストトリスト)は、蝶野正洋と夫人のマルティーナが二人三脚で始めたブランドで渋谷区表参道に個人事務所兼ショップを構えている。蝶野が試合で着用する黒色のガウン、レッグガード付きロングタイツも夫人のデザイン。アリストトリストは、アリスト(上流)&トリスターノ(庶民)の2つの言葉を組み合わせた造語。
出典:wikipedia
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