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東京パフォーマンスドール

東京パフォーマンスドール(とうきょうパフォーマンスドール)は、日本のガールズグループ、女性アイドルグループ。略称は、TPD。スタイリッシュに歌って踊る女性アイドルグループのスタイルをJ-POP史上において初めて打ち出した。1990年(平成2年)4月、原宿RUIDOを母会場にEPICソニーレコード(現・エピックレコードジャパン)・Fプロジェクトが企画した「ゴルビーズ」が起源。のちにTPDのメンバーの中心となる3人によって構成されたこのグループは、当時のソビエト連邦共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフの愛称「ゴルビー」に由来し、ゴルバチョフの進めるペレストロイカにちなんで芸能界に革命的な衝撃をもたらそうと名づけられた。そして、プロデュースを依頼された中村龍史により、ノンストップで歌とダンスを繰り広げるライブ・「ダンスサミット」を毎週行う7人組集団として「東京パフォーマンスドール」を結成。同時にEPICソニーレコード内に「Cha-DANCE」レーベルが設立され、CDやビデオ、LDなどは基本的にこのレーベルよりリリースされた。ダンスサミットは原宿RUIDOで開催され、6月に第一回公演が行われた。当初は観客が数人でしかもそれはメンバーの家族のみという事もあったが、口コミで徐々に観客を増やし、次第に公演チケットの争奪戦が行われるようになる。ダンス、楽曲、照明、衣装に関しては、EPICソニーのプロジェクトチームによって、それぞれにこだわりのある構成がなされた。特に初期の楽曲に関しては、古きよき外国ダンス曲の音楽を中心として、まったく新しくリカバーさせることによって、新しいイメージを作り上げていった。当時は「身近な女の子がアイドルに」というコンセプトが一段落した後であり、対照的な職業的集団、「ダンスのプロ」的要素をコンセプトにしたTPDはネオ宝塚の趣も持ち合わせ、初期アルバムの帯には、〝帝都超少女歌劇団〟といったキャッチコピーも見られた。初期のころは所属メンバーが流動的であり、CDについてもグループ内ユニットやメンバー単独でのリリースも行われていた。しかし組織内におけるメンバーの意識やパフォーマンスに差が出てきたことなどから二軍制を導入。その結果、メインをつとめる1軍(フロントメンバー)と2軍(ライブメンバー: 「東京パフォーマンスフィーユ」、「ファイヤードールズ」、「TPD DASH!!」等、時期によって名称が変わる)で構成。このことが影響したのか、結成時メンバーであり、ソロシングルのリリースもある篠原リエが脱退している。1stアルバムのロコモーションでは、「初代東京パフォーマンスドール」としての米光・柳瀬・木原・涼子・リエ・川村・井口の7人の名前があり、最終ページ近くには、「Best of luck 井口&柳瀬」の文字や、SATOMI KIHARA,RYOKO SHIONOHARA,CHISA KAWAMURA,RIE SHINOHARA,MIHO YONEMITSU,MAI YAGITA,YURI ICHII,KAORI NAKATA,NATSUKO KIFUSHIともある。フロントメンバーは、その多くが積極的にソロ活動も行うなど多彩な活動を展開。CDの売上自体は最高順位がシングル34位、アルバム13位と他のアイドルグループに比べ見劣りするものの、テレビやラジオ等のレギュラー出演などにより1993年(平成5年)ごろから人気が上昇し、1993年8月16日・17日の日本武道館2Days公演、1994年8月7日の横浜アリーナ公演も成功裏に終えた。その後、1995年(平成7年)秋までにのフロントメンバーが相次いで卒業。新井雅をリーダーにメンバーを一新するもCDリリースすることはなく、1996年(平成8年)中に活動停止、自然消滅的に解散した。中村龍史によるプロデュースの一環として、博品館劇場におけるミュージカル寄りの公演を行っていたこともある。2014年8月1日よりインターネットラジオ「帰ってきたパフォーマンスドール TPD RETURNS」が開始。メインーパーソナリティは木原さとみ・八木田麻衣・及び当時サウンドプロデュースを手掛けていたアッキー清水。隔週金曜日に更新され、2016年6月17日終了まで全48回が放送された。最も代表的なものは、以下の7名による編成である。ライブビデオなどでメンバー紹介されたことがあるメンバー東京パフォーマンスドールには、前述のフロントメンバー、ライブメンバーの他に「研修生」と呼ばれるレッスン生が在籍していた。研修生には、その技量を審査するため、オリジナルメンバーの公演にバックダンサーとしてたびたび出演させ、その評価により正式メンバーに昇格、研修生として継続、または見込みがない者として退団のいずれかを判断されるという制度を採っていた。研修生が日頃の成果をアピールする場として、一部のライブメンバーと研修生のみが出演する「新人公演」を原宿RUIDOで毎年1回から2回程度開催し、オリジナルメンバーの楽曲をレパートリーとしてパフォーマンスを行った。TPDの成功とその人気から、TPDを模したユニットも数多く生まれた。大阪パフォーマンスドール(OPD)に始まり、中国出身の4人による上海パフォーマンスドール(SPD)という公式なものから、阿波パフォーマンスドール(APD)、新宿2丁目パフォーマンスドール(S2PD)、代々木アニメーション学院パフォーマンスドール(YAGPD)などといった非公式なものまで存在した。また、2010年1月初旬には、中村龍史が新しくプロデュースするSay-Youパフォーマンスドールが結成される。当初は2009年11月デビューを予定していたが、メンバー6名及びスタッフが新型インフルエンザに感染したために延期された。しかし、2010年8月に予定されていたライブが諸般の事情により中止され、その後オフィスひらめWEBサイト上で解散を発表した。1993年8月16日・17日の日本武道館での公演を宣伝する際に、2日間の公演であることを「1日だけならCoCoだってやってるじゃない」というフレーズを使って宣伝した。CoCoは当時「アイドル冬の時代」と言われた時期においてアイドルグループの中では、頭ひとつ抜けた人気を持っていたグループである。このことから、かなり方向性は違うがメンバーが同世代であるCoCoを、TPDがかなり意識していたような様子が見られる。TPD名義によるシングルはCoCoのラストシングル「You're my treasure〜遠い約束」(1994年7月6日発売)と同時期に出た「今夜はネヴァーストップ」(1994年7月1日発売)を最後にリリースされなくなり、またCoCo解散の1カ月前(1994年8月31日)に、篠原・市井・米光を「卒業」させTPD DASH!!を吸収し一体化するなど、歩調を合わせるような事象も見られていた。ver(version)は、書籍「TPD in the case」を参考にした。Cha-DANCEレーベルより発売されたもの。1996年のグループ自然消滅後、約17年を経た2013年になり、新たにオーディションなどを行って新装開店の形で復活。2013年6月19日にCBGKシブゲキ!!(東京都渋谷区)でのイベントにてお披露目された。ただし、オーディションの段階ではTPDのメンバー募集であることは伏せられていた。同年8月15日からCBGKシブゲキ!!にて演劇とライブを融合させた「PLAY×LIVE 『1×0』(ワンバイゼロ)」の公演を開始。演劇パートではエピソード毎にメンバーが主役を演じ、ライブパートではノンストップで歌とダンスを繰り広げ「ダンスサミット」を復活させた。2014年6月11日「BRAND NEW STORY」にてCDデビューした。コスチュームデザイン担当の北迫秀明によると、衣装のコンセプトは「近未来感」「エレガントさ」等であり、イメージカラーは白である。TPDのスタイルをMMMatsumoto(松本昌幸)は、ガールズユニットの進化形と評している。「そもそもアイドル/ガールズグループ自体が総合表現。音楽もダンスも映像・照明も衣装・メイクも演劇も何より演者本人という資質・キャラクターも、すべてが連動する表現の在り方。~ この成り立ちをTPDは最大限で実践し、歌とダンスに止まりがちな今の活況に風穴を開ける。」リーダーの高嶋菜七は、TPDの方向性として次のように語っている。「他のグループにない新しいことにどんどん挑戦したい。お客様に「こんなグループがあるんだ」と新鮮な驚きを抱いて頂けたらうれしい。新しい風を吹かせたい。」

出典:wikipedia

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