富司 純子(ふじ すみこ、1945年12月1日 - )は、日本の女優・司会者。血液型O型。和歌山県御坊市出身。旧芸名は藤 純子(ふじ じゅんこ)。本名は寺島 純子(てらしま じゅんこ)、旧姓は俊藤(しゅんどう)。父は俊藤浩滋、夫は七代目尾上菊五郎、長女は寺島しのぶ、長男は五代目尾上菊之助。2007年(平成19年)に紫綬褒章受章。2016年(平成28年)春の叙勲で旭日小綬章を受章。5歳の時に大阪市へ移り、7歳から日本舞踊を習う。大阪市立本庄中学校卒業。中学のときに宝塚歌劇のファンになり、中学卒業時に宝塚音楽学校を受験しようと考えて、宝塚コドモアテネに通っていたこともあった。しかしながら、父の反対があり受験を断念。1962年(昭和37年)、京都女子高等学校2年生のときによみうりテレビの歌謡番組『ハイハイ、マヒナです』のカバーガールとして姉・允子と共に出演。その当時は大阪の芸能プロダクションに所属していた。1963年(昭和38年)、当時共演をしていた名和宏の勧めで、父・俊藤浩滋の勤務先である東映京都撮影所へカメラテストに行った際にマキノ雅弘にスカウトされ、藤 純子の芸名をもらい、『八州遊侠伝 男の盃』で千葉真一の恋人役でデビュー。同年、ABCテレビのコメディー『スチャラカ社員』の若い女給役で出演。1967年(昭和42年)、『尼寺(秘)物語』で初主演。1968年(昭和43年)、『緋牡丹博徒』で本格的な主演で主題歌も歌い、ヒット。主人公「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子でシリーズ化され、若山富三郎・菅原文太と共演した1970年(昭和45年)の第6作目『緋牡丹博徒 お竜参上』はシリーズの代表作となった。『緋牡丹博徒シリーズ』の他に『日本女侠伝シリーズ』、『女渡世人シリーズ』もヒットし、東映スターの仲間入りをした。背に彫った緋牡丹の刺青を見せる『緋牡丹博徒』については、当初は肌を見せることに抵抗があり、出演を拒んでいたが、俊藤に説得されて渋々応諾したという経緯がある。しかし『緋牡丹博徒』の人気を直に感じて「父の凄さを初めて理解した」と回想している。1972年(昭和47年)、NHKの大河ドラマ『源義経』で共演した歌舞伎俳優の四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)と結婚し、『関東緋桜一家』を最後に引退を表明。1974年(昭和49年)、寺島 純子(てらじま じゅんこ)の本名でフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会に就任し、「司会者」として芸能界に復帰。1977年(昭和52年)より3年間、出産・育児のため番組を一時降板したが、1980年(昭和55年)より復帰。歴代司会者では森光子に次いで2番目の長寿司会在任期間(10年11か月)となった。1983年(昭和58年)には、NHK『勇者は語らず いま、日米自動車戦争は』で女優としても復帰。1989年(平成元年)には、高倉健との『あ・うん』で映画への出演を再開。この際「白紙の新人女優としてスタートしたい」、「寺島は夫の名字」との意思から芸名を富司 純子(ふじ すみこ)に改めた。1998年(平成10年)『おもちゃ』で26年ぶりに映画に出演、各助演女優賞に輝く。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の10位になった。2014年発表の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本女優3位となっている。2006年(平成18年)、映画『フラガール』で日刊スポーツ映画大賞助演女優賞を受賞。同賞の主演・助演賞の2冠は渡哲也、真田広之、鈴木京香に続き4人目。2010年(平成22年)、連続テレビ小説『てっぱん』で主人公の祖母役を演じ、ギャラクシー賞2011年度2月月刊賞を獲得した。
出典:wikipedia
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