株式会社大阪取引所(おおさかとりひきじょ、、略称:OSE)は、株式会社日本取引所グループの子会社で、金融商品取引所である。所在地の大阪府大阪市中央区北浜一丁目にちなんで北浜とも呼ばれている。諸藩の蔵屋敷があった江戸時代の大坂の米穀取引所を起源に、五代友厚らが発起人となって設立された大阪株式取引所が前身である。なお、1730年(享保15年)に設立 された堂島米会所で行われた帳簿上の差金の授受によって決済を行う「帳合米取引」が、世界で最初の公設の商品先物取引と言われる。この伝統から、大阪株式取引所の草創期から帳合米取引をベースにした定期取引(および後の清算取引、現行法でいう先物取引(futures)の方法にあたる)が行われていた(終戦後、証券業界では証券取引法に基づく証券取引所開設の際に証券業界で清算取引の再開を求めていたが、GHQにより清算取引の禁止を求められた経緯もあり個別株式の先物取引の復活は今日に至るまで実現されていない)。戦後は東京証券取引所とともに日本の株式市場の一翼をなしていたが、東証との経営統合や、持株会社の日本取引所グループの子会社化を経て、日本取引所グループでのデリバティブ専門取引所に位置付けられ、現物市場を東証に移管し、東証からデリバティブ市場の移管を受けて、2014年3月24日に現社名に改名している。大証は指数先物・オプション市場において重要な地位にあると言える。具体的には、日経225先物等、大証の株価指数先物の日本における取引シェアは約60%を占め、同オプション取引においてはほぼ100%を占めている。株券オプションにおいても、約85%のシェアを誇っている。又、1743年(寛保3年)には、金相場会所が当地に移転し、1763年(宝暦13年)には、幕府公認となった。さらに、正金銀の取引だけでなく堂島米市場を参考にした帳合取引も盛んであった。また、デリバティブ取引の売買高ランキング(2008年)では大証は世界15位であり、26位の東京金融取引所や33位の東京証券取引所などを抜いて日本では最も上位にあった。しかし、世界的な金融危機の影響で、株式関連のデリバティブ取引が低迷したことを受け、2009年12月30日に公表された「平成21年売買状況(概算)」によると、2009年の取引金額は前年比37.5%減となり、金利・為替を主力とする国内の他取引所と比較して大きな影響を受けた。上場投資信託(ETF)の上場にも意欲的で、日本で初めて株式以外の商品を対象にした金ETFを、2007年8月10日に上場し、同年10月23日には、上海証券取引所に上場している主要50銘柄の株価で算出する上証50指数に連動する海外株価指数連動型ETFを上場した。海外の株価指数に連動するETFの日本国内上場はこの例が最初とであった。2000年に光世証券社長の巽悟朗大阪証券取引所社長の主導により、新興企業向け株式市場であるナスダック・ジャパン市場を創設したのを皮切りに、各取引所が新興市場を創設。店頭(ジャスダック)市場とスダック・ジャパン市場が2003年3月末の統合に向けた協議に入る。因みに、大証自身も、株式をジャスダック(旧・ニッポン・ニュー・マーケット-ヘラクレス)に上場していた(証券コード:8697)。システム障害や災害等の対応策として、2008年3月31日に兵庫県中部にデリバティブ取引の売買システムのバックアップ施設を設置した。また、現物株の売買システムについては、ジャスダック取引所と提携し、どちらかのシステムが稼働不能になった場合、相手方のシステムで取引を執行させる体制を引いた。一方、ジャスダックの大株主である日本証券業協会は、証券取引所の再編の一環として、経営体力の低下したジャスダック取引所を、売買システムのバックアップ体制で提携関係にある大証と経営統合させることを検討した。その後、大証はジャスダック取引所に対して2008年11月19日から12月17日までの間公開買い付けを行い、発行済み株式の76.1%を取得、連結子会社とした。2010年4月1日には大証を存続会社としジャスダック証券取引所を吸収合併、そして同年10月、旧ジャスダック・NEO・ヘラクレスの3市場を統合し、新ジャスダックが発足した。2009年7月21日には、国内の証券取引所としては初となる、外国為替証拠金取引(FX)を扱う市場「大証FX」を開設している。これは、国内初の原則オークション方式による外国為替取引である (東京金融取引所のくりっく365は、マーケットメイカー方式)。2010年3月16日、大証は2011年1月〜3月中に行うデリバティブの新売買システム導入に伴い、日経平均先物などのデリバティブ取引の午前立会いと午後立会いの間に設けていた、午前11時〜午後0時半の間の昼休みを廃止、日中取引は午前9時から午後3時10分までの「一場制」とすることを発表した。ただし、現物株取引に関しては従来どおり昼休みを設けていた。2013年7月12日を以て現物株式の取引を終了。同年7月16日からはデリバティブ(金融派生商品)に特化。2014年3月24日、東証の国債先物取引などのデリバティブ部門を吸収し、商号を「株式会社大阪取引所」に変更した。かつては前場の株式取引時間が東京証券取引所より10分早い午前8時50分から始まっていたが、その後午前9時00分に改められている。デリバティブ取引は、2011年2月14日に導入された新売買システム(J-GATE)によって前場と後場の区別がなくなり、09:00 - 15:10 の連続取引となった。さらに、2011年7月19日より夕場(イブニング・セッション)が延長され、翌3:00までとなり、ナイト・セッションとなった。2016年央の次期デリバティブ売買システムの稼働開始時に、日中立会の開始時刻を8時45分へ繰り上げ、ナイト・セッションの終了時刻を5時30分まで延長する計画がある。現行の取引システムのプログラム改修や開発は、大阪府吹田市佐井寺4丁目1(大阪証券業協会が所有する大阪証券業協会総合運動場(証券グラウンド)内)に位置する取引所電算センターの中で日夜行われている。マシンは、富士通製汎用機。基幹システムの開発言語はCOBOL。取引システムには、2006年よりAIXを使った日立製作所のオープンシステムが使われているが、先物取引システムについては、2011年2月14日にNASDAQ OMXのパッケージソフトを使ったシステム(J-GATE)に更改された。平和不動産の所有で、下層階は旧市場館の外観を保存したものとなっている。エントランスホールの大型モニターには、大阪取引所の顔である日経225先物取引の取引値が表示されている。テナントは、地下1階と1階に「ポンテベッキオ」など飲食店が、2階は銀行とクリニック、3階には大阪経済大学(北浜キャンパス)が入居し、社会人向けの実践的カリキュラムを提供している。5階は見学スペース「OSEギャラリー」(2015年2月2日オープン)となっている。オフィス棟の上層部にはSCSKの西日本(北浜)オフィスや証券会社が多数入っている。旧市場館は1935年長谷部竹腰建築事務所の設計で竣工。施工は大林組。2004年の新ビルでも円形のエントランスホールの外観のみ残されている。
出典:wikipedia
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