石垣市(いしがきし)は、沖縄県八重山諸島の政治、経済、産業、交通の中心地となっている市である。沖縄県八重山事務所(旧・八重山支庁)所在地であり、数々の島から成り立つ隣接自治体である竹富町役場も市内にある。近年は、離島ブーム、ダイビングなどの海洋レジャーを目的に島外からの移住者が増え、人口が増加する現象が見られている。また、日本最南端・最西端に位置する市でもある。熱帯雨林気候であり、一年を通して高温多湿である。2010年6月1日に「すぐやる課」を開設、沖縄県内では西原町に次いで2箇所目である。石垣市と竹富町、与那国町では2002年6月に「八重山地域合併検討会」を、12月に任意合併協議会を設置し、2003年7月には法定合併協議会に移行したが、与那国町では2004年10月に行われた住民投票で反対多数となったため、協議会は休止(12月に解散)となった。その後、同年11月に石垣市と竹富町は任意協議会を設置し、12月には法定協議会移行を議会に諮ったが、竹富町議会では法定協議会設置案を3度にわたり否決し、2005年2月28日に4度目の審議でようやく可決して法定協議会が設置された。合併期日は2005年10月1日、新市名は「八重山市」に決定し、3月18日に合併協定調印に漕ぎ着けたが、合併関連議案を石垣市は可決した一方で、竹富町は2度にわたり否決し、結局合併を断念することとなった。かつて石垣間切だった地域は●印、大浜間切だった地域は◆印、宮良間切だった地域は■印
★印は1964年5月まで大浜町だった地域。2003年以降、本土からの移住者が急増し、住民票の移動だけでも3,000人、住民票を移さない人を含めると5,000人に達する(2005年4月現在)。本土の競争社会に見切りをつけ南国の楽園にあこがれて移住したり、退職した団塊の世代が老後の住処を求めて転入しているが、石垣島では目立った産業が無く、殊に若者の場合は計画を立てずに移住すると経済的に行き詰まるケースもある(読売新聞2005年4月12日付)。また、転入した新住民と地元コミュニティーとの軋轢や乱開発によるインフラストラクチャー整備への負担増の問題もある(日経ビジネス2007年5月14日号)。石垣市で最も多い苗字は「宮良(みやら)」(「八重山手帳」南山舎発行、2007年版より)。運輸業については#交通参照1993年(平成5年)に本土を襲った大冷害の際、水稲の種籾不足を解決するために当時の岩手県農政部長だった高橋洋介(北上市出身、後の岩手県副知事)の発案により、二期作可能な石垣島にて緊急種籾増殖が行われた事がきっかけ。以後、両市のマラソン大会上位入賞者の相互派遣など交流が行われている。(TVの単位はch)(単位はNHKAMがkHz、ほかはMHz)
出典:wikipedia
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