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フルクサス

フルクサス(Fluxus) は、リトアニア系アメリカ人のジョージ・マチューナスが主唱した前衛芸術運動、またその組織名である。ラテン語で「流れる、変化する、下剤をかける」という意味を持つ。1960年代を代表する芸術運動として、ネオダダ、ポップアートと並び称される。1962年9月にジョージ・マチューナスが西ドイツのヴィースバーデン市立美術館で「フルクサス国際現代音楽祭」(全4回)を企画したのがフルクサスの始まりとされている。このコンサートにはアリソン・ノウルズ、ヴォルフ・フォステル、エメット・ウィリアムズ、ディック・ヒギンズ、ナム・ジュン・パイク、ベン・パターソンらが出演した。このコンサートは評判を呼び、翌1963年にかけて、デンマーク・イギリス・フランス・ドイツ・オランダの各都市を巡回した。まるでハーメルンの笛吹きのように、各国の現代美術家たちを刺激し、巻き込んでいった。マチューナスは、その最中の1963年2月にフルクサスを「反芸術主義による芸術共同体」としてまとめあげようとマニフェストを書き上げたが、社会的・政治的領域までに踏み込んだ「過激なアジ文」に賛同する者は一人もいなかった。(1991年、ディック・ヒギンズはインタビューで「フランスやドイツのダダイストのように分裂するのだけは避けよう」「イデオロギー的な線引きを厳密にし過ぎないにしよう」と参加者間で話し合って決めた結果だったと明かしている。)フルクサスは自らの「イベント」を「ハプニング」と区別していた。「イベント」は、スコアに基づき、特定の行為を明確に行うもので、日常的な物を芸術の舞台に持ち込み、その垣根を壊し、日常に芸術的な物を持ち込ませるという反芸術的な意図を持っていた。全てのコンサートが終了した後、マチューナスはニューヨークのキャナル・ストリートに居を構えた。そして、フルクサスの名簿の作成、コンサートの企画・運営、新聞の作成、フルクサスメンバーの作品を様々な形態(「フルックス・キット」など)で販売するなど、猛烈な勢いとあふれんばかりの情熱でフルクサスを芸術グループとして組織していった。また、世界をいくつかの区分に分け、それぞれの区分に統括責任者を置き、自らはニューヨーク本部のチェアマンとして君臨し、1960年代後半には自らの建築の腕前を生かし、「ロフトを改造し、内装を整え、芸術家に廉価で売る」という事業「フルックス・ハウジング・コーポレイティヴ」を行い、ソーホーを芸術家の街にするきっかけを作った。日本人ではオノ・ヨーコ、武満徹 、一柳慧 、小杉武久 、塩見允枝子 、刀根康尚らがフルクサスに参加した。初期フルクサスは、創始者であるジョージ・マチューナスと、その賛同者である芸術家たちという二つの軸を持っていた。マチューナスは「芸術共同体」を夢想し、芸術家が創作活動に没頭でき、自由に作品を発表できる土壌を整えたが、芸術家はインフラにただ乗りする形で、結局「芸術共同体」としての道は歩まなかった。マチューナスはその夢を果たせぬまま、1978年に死去する。彼は晩年「フルクサスは結成後数年すると、グループの名前というよりも一つの生き方、物事のやり方を指すようになってしまった」と回想していた。マチューナスの死後、フルクサスに興味を持つ研究者やグッズコレクターが現れ、その需要に応える形で世界中で公演を続けている。

出典:wikipedia

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