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枝幸町

枝幸町(えさしちょう)は、北海道宗谷総合振興局管内の南部に位置する町。毛がにの漁獲高日本一。町名の由来は、枝幸町によればアイヌ語「"esausi"」(エサウシ/岬の意)によるとしている。知里真志保「地名アイヌ語小辞典」によれば、エサウシは"esasi"(エサシ/岬の意)のナヨロ(名寄)地方のアイヌ方言。宗谷地方の南東部に位置し、東部はオホーツク海に面する。海と山にはさまれた険しい地形で国道238号が南北に縦貫する。幌別川河口付近は湿原地帯。西部(旧歌登町)は山岳が広がり、面積の8割が森林。明治中期には、町内に金鉱床が発見され、金の採掘で賑わったことがある。その名残は今町内のウソタンナイ砂金採掘公園に見られる。オホーツク海沿岸地域は比較的温暖だが、旧歌登町は内陸であることから冬季は非常に寒冷であり、しばしば道内の朝の最低気温でニュースに「歌登」の地名が登場する。沿岸部の北見枝幸(測候所)と内陸部の歌登(アメダス)の気温1931年1月27日、歌登上幌別の北海道森林気象観測所で-44℃が観測されている。2006年(平成18年)3月20日に、旧枝幸町と、隣接する旧歌登町が対等合併し、現在の新たな枝幸町が誕生した。合併まで経緯は、旧枝幸町と旧歌登町が法定合併協議会を設置、2006年(平成18年)3月20日をもって新設合併を行い新町名を枝幸町とすることで合意し2004年(平成16年)12月14日に調印。同月21日に両町議会で合併関連議案を可決した。2005年(平成17年)1月20日に合併申請書を提出、同年3月24日の道議会で合併議案が可決、2006年(平成16年)3月20日合併。廃止前 → 廃止後の統合先注:枝幸・音標・歌登・志美宇丹の森林事務所は宗谷森林管理署に再編時も廃止対象から除外。名寄公共職業安定所枝幸相談室は委託職員がいるのみで名寄公共職業安定所の事務官は1ヶ月に1度のみ来る沿岸部では漁業、内陸部では酪農が盛ん。毛蟹の産地として知られ、日本一の漁獲量を誇る。また、鮭の水揚げ産地としては日本で十指に数えられる水揚げ量があり、遡上する前のいわゆる銀毛の鮭が多いため水揚げ高は屈指の水準を誇る。市場関係者には名が知られ、脂がのったメヂカ鮭や鮭児も水揚げされる。近年はホタテ稚貝撒き漁業の漁獲高を伸ばし、毎年安定した漁獲量を保っている。夏でも冷たい海域のために貝毒の発生が少なく、また栄養も豊富であるために貝柱が大きいので、国内消費向けだけではなく、ホタテ貝柱を遠く中国やフランス、北米などに輸出するに至っている。この他にも、カレイ、ナマコ、リシリコンブ、エゾバフンウニなど、様々な魚介類が水揚げされている。特に乾燥ナマコは「枝幸産北海キンコ」として知られ、生産量日本一である。檜山支庁に同じ読みの江差町がある。区別のために枝幸町は「北見枝幸」、江差町は「檜山江差」と呼んで区別することがある。また、テレビやラジオ等では枝幸町は「道北の枝幸町」、江差町は「道南の江差町」と呼んで区別する。明治29年(1896年)、国内および世界各国から枝幸にの観測隊が次々と訪れた。米国の天文学者デビッド・トッド博士を隊長とする一行も枝幸に観測小屋を建設し皆既日食を待ち構えていたが、当日は曇天で観測は失敗した。それにもかかわらず当時の枝幸の人々が非常に協力的であったことにトッド博士は感激、世話になったお礼として百科事典や文学書などを何冊も寄贈し、何年も続いた結果千冊余りにものぼった。人々は寄贈された図書を後世に読み継がせようと明治36年(1903年)に道の認可を得て北海道最初の公立図書館を枝幸に誕生させた。昭和15年(1940年)の大火で全焼したが、地元の医師の発起と図書の寄贈により昭和53年(1978年)に再建され、今日に至る。2011年7月1日から8月15日かけて枝幸町マスコットキャラクターの公募が実施され、応募人数146人、応募総数187作品のキャラクターが集まり、公募後その中から枝幸ブランド協議会の選定委員25人が大阪府に住むデザイナーの塩﨑あゆみの「えさっしー」を最優秀賞とし、枝幸町のマスコットキャラクターとして決定した。同年12月27日に「えさっしー」が枝幸町のマスコットキャラクターに決定したことが発表された。

出典:wikipedia

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