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中京競馬場

中京競馬場(ちゅうきょうけいばじょう)は、愛知県豊明市にある競馬場。施行者は日本中央競馬会(JRA)および愛知県競馬組合(ただし現在休止中)、管理者は名古屋競馬株式会社(後述)。基本的に中央競馬では、毎年1月、3月、7月、12月の4開催、26日間(平成28年度)に渡ってレースを開催。非開催時は競馬場内場外発売所「パークウインズ中京競馬場」として発売・払戻業務を行っている。かつては地方競馬(愛知県競馬組合主催)も開催していたが、2002年以降は競馬開催を休止しており、場外発売所としてのみ使用している(後述)。2010年(平成22年)4月(高松宮記念終了後)~2012年(平成24年)1月までコースの全面改造工事が行われ、距離設定も大幅に変更された。(いずれも*はコース改修で新設された距離)改修前は、芝コース・ダートコースともに中央競馬で唯一、「平坦」「小回り」「左回り」の3条件が揃ったコースであった(ただし新潟競馬場改修後は内回りが似た条件になっていた)。コーナーは半径が前半で大きく、後半で小さく取られている「スパイラルカーブ」を採用。このため、中京巧者と呼ばれていた馬も少なからずいた。障害コースは第3コーナーから第1コーナーに向かう襷コースがあるほかは専用コースはなく、芝コースに仮設の竹柵を置いて(置き障害)レースを行っていた。一周距離は芝・ダートとも福島競馬場と並び中央競馬の競馬場では最も短いが、ゴールまでの直線は中山競馬場よりわずかに長かった。3-4コーナーにかけて緩やかな上り下りの坂があり、ゴール前200mからゴールまで緩やかな上り坂になっているがほぼ平坦だった。*印の距離の競走は、改修前の時点では施行されていなかった。芝1000m、1700m、ダート1600mについては出走可能頭数が他のコース設定より減るためである。なお、芝2800mは1994年に京都競馬場の改修工事による変則日程の関係で、通常では阪神競馬場の芝3000mで行われる「阪神大賞典(GII)」が中京競馬場で行われた際に使用されたが、施行されたのはこの1回だけである。開場当時は砂コースしか存在しなかった。この砂コースはアメリカの施設を参考にして建設された。砂コースは現在のダートコースとはやや異なるもので、当時の重賞競走の記録等でも「砂」と表記されている。1970年に砂コースが芝コースに改修され、1974年に調教用コースがダートコースに改修されている。かつては1コーナー付近にポケットがあり、芝1400m・3000mの設定もあったが、1993年のスタンド増築時に廃止された。また芝1600mの設定もあったが、こちらはスタート直後に1コーナーのカーブがあって危険とされた為、行われなくなった。なお、芝1400m・1600m・3000mの設定は2012年の改修で再設定されている。中京競馬場は、JRA直営の他9場とは異なり、スタンドの一部(ツインハット部分)を除き所有し、施設を整備してきている。競馬法により、東海地方に国営競馬(現在の中央競馬の前身)の開催場をという声に応えるため、1952年8月に設立された。翌1953年8月に競馬場が完成、農林省(現・農林水産省)と施設貸借契約を結び、第1回国営中京競馬を開催することになった。現在は、所有する競馬場の諸施設の修繕等の他に、競馬場近接地にある競馬客用駐車場の管理・運営を行い、JRAの行う中京競馬開催日のイベント・PR活動に協力している。なお、名古屋競馬場を運営する特別地方公共団体の愛知県競馬組合とは別の法人で、愛知県等の地元自治体や名古屋鉄道などの地元企業が出資する非上場の株式会社である。また、中央競馬に馬主登録しており、活躍した持ち馬にグリーンサンダー(佐賀記念勝ち)、メイケイペガスター(共同通信杯勝ち)などがいる。勝負服は緑、青袖、白山形二本輪。現在は冠名として「メイケイ」を馬名に使用している。1953年に国営競馬の中京競馬開催が開始されると、同年10月8日から愛知県競馬組合が主催する地方競馬の中京開催も始まった。しかし、1993年の施設改修後に利用料が大幅に引き上げられたため開催日数は徐々に減少、2002年の正月開催を最後に中京での地方競馬開催は休止している。ただし開催権は引き続き愛知県競馬組合が保持しており、地方競馬全国協会でも地方競馬の競馬場のひとつとして明記している。1971年から1995年までは全国の地方競馬で唯一、芝コースを使用してレースが行われていた。現在は名古屋競馬場のダートコースで行われている駿蹄賞や東海桜花賞のほか、1989年には中央・地方全国交流競走「名古屋市制100周年記念」(1990年からは地方全国交流競走「ターフチャンピオンシップ」に変更)も芝コースで行われていた。中京開催を行っていたころは地方競馬招待を勝ったリュウアラナス、オールカマーを勝ったジュサブロー、テレビ愛知オープンを勝ったトミシノポルンガなど、中央の芝でも活躍した馬が多数いた。中央に移籍して活躍したステートジャガーやヒカリデユールのほか、オグリキャップも笠松所属時に芝の中京盃を勝っている。かつては笠松競馬に所属していた騎手の安藤勝己も中京の芝コースは乗り慣れていた。現在、中京競馬場では名古屋競馬・笠松競馬開催時の場外発売のみ行われている。特別競走「名鉄杯」では、名鉄電車の「ミュージックホーン」をアレンジしたファンファーレを使用する。レース発走前には名鉄ブラスバンドによるファンファーレの生演奏が行われることもある。2012年現在は「ペガサス」「ツインハット」の2スタンドが使用されている。現在のメインスタンドである「ペガサス」は2012年2月4日にプレオープンし、同年3月3日の第1回中京競馬初日にてグランドオープンした。2011年10月に新スタンドの愛称を公募した結果『ペガサス』となることが決まり、それに合わせて中京競馬場のマスコットキャラ『ペガスター』が採用された。「ペガサス」には国内の競馬場としては初めて屋根に太陽電池パネルが設置される。パネル面積は720㎡(スタンド屋根面積の約半分)、年間発電量は約12万kWで、競馬開催のない平日であれば競馬場内のほぼ全ての消費電力を賄える(競馬開催日の消費電力に換算すると約2%相当)。また中京競馬場は東海地震発生時の広域避難場所に指定されていることから、耐震性能についても「(2012年時点の)耐震基準の25%増し」とされている。4階にB指定席(765席 禁煙 1,500円)と車椅子指定席(5席 禁煙 1,500円)がある。いずれも屋外指定席となっている。地下には「勝ち馬ビュー」と呼ばれる、検量室を一般のファンが見られるゾーンも設けられた。東京競馬場の「ホースプレビュー」と同趣旨の施設だが、中京では地下馬道等の間隔がないため、ガラス越しにダイレクトに検量室の様子を見ることができる。西側に隣接する搭形の建物。1993年に旧メインスタンドが大改修された時に増設され、正門から見た形状が帽子を2つ並べたようにみえることから「ツインハット」の愛称がついた。6階建てで、6階には馬主・来賓席、4階・5階にはA指定席(4階304席禁煙/5階504席禁煙 2,000円)、3階にはシニア席(131席禁煙 無料)、1階にはシニアサロン(掘りごたつ席は28席禁煙 500円/椅子席は25席禁煙 500円)がある。ペガサスオープン時に6階のS指定席(120席禁煙 3,000円)は廃止された。2015年に、6階にi-seatとラウンジシートがオープンした。「在来スタンド」とも呼ばれる。1970年に完成、1993年に大規模な改修を行った。2010年春開催を以って閉鎖・解体された。5階建てで、4階にはB指定席(336席禁煙 1,500円)とC指定席(370席禁煙 1,000円)、5階にはC指定席(350席禁煙 1,000円)があった。同スタンドは、老朽化に加え1981年の建築基準法施行令改正に伴い大幅に強化された耐震基準(いわゆる「新耐震基準」)に適合していないという問題を抱えていたため、「ペガサス」へ建て替えられることになった。出典:JRA公式サイト 中央競馬レコードタイム 中京競馬場出典:JRA公式サイト 中央競馬レコードタイム 中京競馬場(改修工事前)かつては競馬場に厩舎地区が存在し、競走馬の調教が行われていた。京都競馬場や阪神競馬場の収容能力が限界となったために設置されたもので、1969年8月、栗東トレーニングセンターの設置により栗東に集約移転された。なお、栗東トレーニングセンター開設の際には中京競馬場所属の厩舎が第一陣として移動した。ここに厩舎を構えた調教師の中でも星川泉士は、1958年第18回のタイセイホープ、1959年第19回のウイルデイールで皐月賞連覇をなし遂げたことで知られる。また、アドラーブルやフサイチコンコルドで知られる小林稔が厩舎を開業した際も中京所属で、後に、第1回高松宮杯にシュンサクオーで勝利した際、小林は「縁ある中京の新設重賞をどうしても勝ちたかった」と語っている。ちなみに、この小林は国営中京競馬の勝利騎手第1号でもある。

出典:wikipedia

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