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深夜放送

深夜放送(しんやほうそう)とは、一般的に午前0時から早朝5時頃までの深夜から早朝の時間帯のラジオ放送、あるいはラジオ番組を指す。民間放送局の場合は設備の保守・メンテナンスの理由から、基本的に日曜日深夜に相当する月曜日未明の2時頃(早い局は午前0時)から早朝5時頃(局により午前4時まで)にかけて放送は休止されているが、STVラジオ(不定期で日曜日に道内全域または一部地域で放送休止あり)・兵庫県のラジオ関西のAM局、FMノースウェーブ(北海道)やFM大阪等一部のFM局ではその時間帯も休まず放送している所もある。宮城県の東北放送や鹿児島県の南日本放送も日曜深夜は放送休止となっているが、実際には月曜早朝4時の放送開始まで音楽を流している。しかし、日曜深夜の放送休止の民放局でも年末年始や報道特番その他特別編成で日曜日深夜にも特別に終夜放送を行う場合もある。その一方でNHKやイギリスの大部分のラジオ局では完全24時間放送の編成を行っており、設備保守で放送休止するのは極希である。逆に、エフエム富士・エフエム愛媛・ラジオ沖縄・岐阜放送では深夜放送(終夜放送)が全く行われず、連日2時間から4時間程休止されている。時刻表示はタイムテーブルには0時 - 5時では無く「24時」 - 「29時」表記が使われる事が多い。一般に一日の放送は深夜放送が終わる29時(=5時)まで続き、翌日の放送は終わった瞬間の5時より始まる。放送休止時間が挟まる場合は一週間の放送が終わる26時(=2時)まで。放送局内の日付管理もこれに従っており、マスターで翌日の送出プログラムに切り替える「日替わり処理」をこの時刻で行う(局毎に日替わり時刻を決めている)。新聞においてもラジオ面で、在京の民放3社(TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送)の深夜番組の番組表のみを収録している新聞が、特に北海道、東北地方、北信越地方、中国地方によくみられる。(山形新聞や、中日新聞の名古屋本部版などのように全く載せていないもの(近畿地方以西では中国地方以外では大半が深夜放送欄を掲載していない)や、日本海新聞ではニッポン放送のみ(終日分)掲載している例もある)日本における深夜放送は、1952年4月1日にラジオ東京(現在のTBSラジオ)が占領軍の軍人並びにその家族をターゲットとして放送を開始した『イングリッシュ・アワー』がその起源とされる。1959年にはニッポン放送の子会社「株式会社深夜放送」(現・フジサンケイエージェンシー)が深夜から早朝の空いている枠を利用して音楽やディスクジョッキー番組を行った他、文化放送やラジオ関東(現在のアール・エフ・ラジオ日本)等も相次いで深夜放送に参入した。特に、文化放送の『S盤アワー』は有名。ただしこの当時の深夜放送はニッポン放送(株式会社深夜放送)が終夜放送を行っていたのを除いては、何れも深夜1時から3時頃に放送を終了していた。1960年代後半になると、1965年に文化放送が若者向け深夜ラジオ番組として『真夜中のリクエストコーナー』を土居まさるのディスクジョッキーでスタートさせ、これが成功した事を受け、1966年にラジオ関東が『オールナイトパートナー』(6月10日開始)、朝日放送が『ABCヤングリクエスト』(4月開始 - 1986年10月まで放送)、ラジオ大阪が『オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に』(開始日時不明 - 1968年10月まで放送)を開始したのに刺激される形で、東・名・阪の各放送局が相次いで、終夜放送の開始に踏み切った。翌年の1967年には『パックインミュージック』(TBSラジオ)・『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)・『MBSヤングタウン』(MBSラジオ)が、更にその翌年・1968年には『ミッドナイト東海』(東海ラジオ)がスタートした。各局のこうした動きに対抗する様に、文化放送は、1969年に『セイ!ヤング』をスタートさせた。多くの地方局で、深夜1時 - 5時帯に『オールナイトニッポン』『パックインミュージック』の何れかをネットしたが、その直前となる夜11時 - 深夜1時頃の時間帯に自社製作の番組を放送した所も少なくない。深夜帯は電離層の反射の影響でかなり広い範囲で番組の聴取が可能になる事から、ネットされていないキー局の番組が全国で聴取される一方、『アタックヤング』(STVラジオ)・『ジャンボリクエストAMO』(東北放送)等、地方局の番組でありながら全国区の人気を獲得した番組も多い。また若者向けを意識し、局によっては夜ワイド枠と合わせる形で、夜9時及び10時から深夜0時から深夜1時といった編成を行う事もあった。このように若者向けの番組が人気を博する一方で、深夜3時以降の時間帯には長距離トラック運転手向けの番組も登場する。その先駆けとなったのが1968年スタートの『日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲』(文化放送)。1974年にはTBSラジオが『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』をスタートさせ、早朝に近い時間帯で激しい鍔競り合いを演じた。更に90年代半ば頃から、文化放送・東海ラジオ・ラジオ大阪・ラジオ関西の深夜帯を中心にいわゆるアニラジが編成される様になった。現在も深夜放送の時間帯については主として若者や長距離トラック運転手向けの番組を中心にした編成を行う放送局が多いが、後述の中高年層を想定したNHK『ラジオ深夜便』の人気を受け、1990年代以降未明の番組については『オールナイトニッポンエバーグリーン』(ニッポン放送)に代表される様に中高年層を意識した編成を行う民放ラジオ局も増加している。FMラジオにおいては、1967年に当時大学の実験局だったFM東海において放送を開始した『JET STREAM』が深夜放送の先駆けとされる。『JET STREAM』は初代DJだった城達也の静かな語り口等もあって絶大な人気を博し、FM東海が民放・FM東京となった後も現在まで続く長寿番組となる。1984年にはジャパンエフエムネットワーク(JFN)がいわゆるBラインネットで『FMナイトストリート』の放送を開始。1988年には同番組が放送時間を延長し終夜放送化した。また同年に開局したJ-WAVEが開局当初から終夜放送を実施した事に刺激される形で、1989年にはFM東京が『スーパーFMマガジン』をスタートさせ終夜放送を開始。この為1990年代以降、FM局でも終夜放送が普及する事となった。FM局の場合はAM局と異なり、夜になっても電波の届く範囲は広がらない事や(アナログ放送なので使われているのは超短波。遠くまで飛ぶ様に打ち上げ角を高くすると逆に受信範囲が中抜けになる。電離層反射が無いので終いには宇宙に飛び出してしまい意味が無くなる)、1982年のFM愛媛開局まで民放FM局は四大都市圏にしか存在しなかった、地方のFM局はAM局と比べて番組の自社制作能力に劣る所が多い等の理由で、地方独自の人気深夜放送番組といったものはあまり存在しないが、中には『FM ROCK KIDS』(AIR-G')等、放送当時地元では絶大な人気を誇った番組もある。NHKについては、長い間24時(午前0時)放送終了・午前5時(FMは午前6時)放送開始で報道特別番組の場合以外は深夜放送とは全く無縁であったが、昭和天皇の危篤状態に際しての24時間特別報道体制をきっかけに1989年の崩御後に放送時間の延長や特別番組による実験を経て、1990年に民間放送が想定していない中高年層に向けて製作された「ラジオ深夜便」で本格的な深夜放送へ参入、1992年にNHKラジオ第1放送の24時間化が行われた。またFM放送でも1998年に24時間化された。放送設備の点検・整備があっても予備放送機を使った減力放送を行っている為、完全24時間放送の編成となっているが年数回程度各局の任意で放送休止する事がある。第1・FMと複数のラジオチャンネルを有するNHKの特徴を生かし、曜日に関わらずいずれかの局で放送が行われている。今や終夜放送は迅速な災害報道にも役立てられている。なおNHKワールド・ラジオ日本は、ラジオ第1の終夜放送化以前から24時間放送を行っている。但し、短波で放送される周波数は時間帯により異なる。一方、海外衛星テレビ受信装置〈DVB〉で受信している場合は時間帯に関係無く、受信したチャンネルで常時24時間聴取可能である(4つの音声チャンネルのうちの1チャンネルは年数回のメンテナンスを除き、完全24時間の日本語放送となっている)。短波放送ではラジオたんぱ(現在のラジオNIKKEI)も、1980年代に深夜の報道番組として『ニュース・オールナイト』を放送していた事がある。しかし、21世紀突入と相前後して、世界的な不況、多メディア化による広告収入の減少等から、テレビのみならずラジオでも経費削減の動きが広がっており、NHKの様な災害対策基本法に基づく義務を負わない民放では終夜放送の廃止、あるいは深夜の自社制作取り止めの動きが広がっている。日曜深夜(月曜未明)のみ、放送休止時間を設定している放送局は膨大になるため割愛する。1980年代の日曜深夜(放送休止直前の26:00まで)はアイドルラジオ(女性アイドルがトークをする番組)が多かった。

出典:wikipedia

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