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西之島

西之島(にしのしま)は、小笠原諸島の島(無人島)。海底火山の活動により生じた火山島であり、時には海面近くの噴火口からの火山噴出物により「新しい陸地」が生じることもある。1973年と2013年に近傍で噴火し、それぞれ陸地を形成した。2013年の噴火では、1年以上に渡り非常に活発な噴火活動が見られていたが、2016年5月頃から地殻変動観測で火口周辺の沈降と考えられる変動がみられており、6月には火山ガスの放出量の低下も確認されている。。英語でもと表記するが、とも呼ばれる。これは1702年にこの島を発見したスペインの帆船「ロザリオ号」による命名である。行政区画は、東京都小笠原村。西之島は東京の南約1,000km、父島の西約130kmに位置し、火山列島(硫黄列島)と同一火山脈に属し、付近では海底火山活動が活発である。西之島は海底比高4,000m、直径30kmの大火山体の海面上に現れた山頂部にあたる。2013年の噴火前までは西之島の東南海面下に旧火口があったが、2013年に旧火口の西方海面下に出来た新たな火口から噴火が始まり旧火口が埋め立てられ、現在ではこの新火口群のうち第7火口が火砕丘となって西之島の最高地点を形成している。周囲の海は、島の北方沖合い約1200m、西方約400mまで水深5m未満の浅瀬で、その先は火山体の急峻な斜面となり、数千mの深海に至る。西之島は海洋島であり、2008年時点では1973年の噴火後まだ時間が経過していなかったため植物相は貧弱で、スベリヒユ、オヒシバ、イヌビエ、グンバイヒルガオ、ハマゴウ及びツルナの6種しか確認されていなかった。これらの多くは、種子の海流散布を行う植物である。動物では、アカオネッタイチョウやアオツラカツオドリ、オオアジサシ、オーストンウミツバメ、カツオドリ、オナガミズナギドリ、セグロアジサシなどの12種類の鳥類の生息、そのうち9種類の繁殖が確認されていた。その他にはアリやクモ、カニの生息が確認されていた。1975年には新属新種のニシノシマホウキガニが発見された(同種は他の島にも生息が確認されたが、西之島では噴火活動によりその後の生息が確認されていない)。それ以前にはアホウドリも生息していたとされる。2008年8月1日に国指定西之島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されている(面積29ha)。島全域が特別保護地区である。島に人は居住していない。2013年11月以降の継続的な噴火活動で流れ出した溶岩により、1973年の噴火以降に形成された島の全域が覆われ、2015年時点で植物の存在が確認できない状況にあるが、動物については2015年合同調査で、1ha程の僅かに残る旧島部分でアオツラカツオドリの繁殖が行われている事が確認された(それまでの10年間で唯一子育てが確認されていた)。西之島(旧島)は4000m級の山体をもつ海底火山の火口縁がわずかに海面上に現れた部分にあたる。かつての西之島は面積0.07km、南北650m、東西200mの細長い島だった。この海底火山は噴火の記録はなかったが、1973年に「有史以来初めて」噴火し、大量の溶岩流や噴出物が海面上まで堆積して西之島付近に新しい陸地を形成した。この陸地は「西之島新島」と命名され、当時は「新島ブーム」とマスコミに報道され、大きな話題となった。西之島の東南側の火山体の火口は、1911年の測量では深さ107メートルあったが、この噴火により50メートル未満まで浅くなった。1年に及ぶ噴火が収束すると、新島は南側からの波で強い侵食を受け、最初の数年は年間60 - 80mの速さで海岸が後退した。新島は波で削られて失われ、火孔や標高52mの丘も消失したが、削られた土砂が波で運ばれて湾内に堆積した。堆積の速さが侵食を上回ったため、侵食されながらも面積が増加した。1982年には湾の一部が海から切り離されて湖になり、1980年代を通して堆積を続け、1990年頃には湾口は無くなり完全に一体化、旧島北端を頂点とした、釣り鐘のような四角形状の島になった。形状が安定すると面積は減少に転じ、1999年時点での新島部分の面積は0.25km、最高標高は15.2mである。また、旧島部分を含めた西之島全体の面積は0.29km、最高標高は25mであった。2003年時点で島の大きさは、東西約760m、南北約600m程で、安山岩を主体としていた。島の付近では数年おきに海水の変色や蒸気の吹き上げが観測されていたが、2013年には旧火口の西方に出来た火口が噴火し、40年ぶりに新しい陸地を形成した。1973年と2013年のどちらも、当初は西之島から海面を隔てた「別の島」であったが、溶岩の噴出や堆積が進んで西之島と一体化している。2013年の噴火は1973年の噴火と比較して溶岩流出量が非常に多く、また1973年の噴火による堆積で水深10メートル未満の浅瀬が広がっていたことにより、島の急激な成長に繋がった。一連の活動はなおも継続しており、陸地の規模は変化するとみられる。なお、西之島から噴出しているマグマについて、伊豆諸島の島である三宅島、八丈島、青ヶ島、鳥島などは玄武岩マグマを噴出するが、西之島では大陸地殻に似た安山岩マグマを噴出しているため、大陸形成過程の謎を解明する手がかりになるのではと研究者が注目している。1973年5月30日、西之島の東南方600メートルで海底火山の噴火があり、同年9月11日に新しい島が出現した。同年12月21日には海上保安庁により「西之島新島」と命名された。この時点で新島の大きさは、東西550メートル、南北200 - 400メートル、面積0.121平方キロメートル、標高52メートルに達していた。その後も火孔の増加、噴石の堆積やマグマの流出により新島は成長を続け、翌年には西之島と陸続きとなり、上が開いた「コ」の字形(馬蹄型)の地形の内側に湾をもつ島となった。西之島の形状変化を時系列順に示す。左上に「※」が付いているものは、新しい陸地(新島)部分の単体の数値。3隻からなる合同調査団が西之島に接近し、2013年噴火以降初めての本格調査が行われた。調査の様子はNHKで放送された。気象庁の火口周辺警報によって島の周囲4キロメートル以内には人が近づくことができないため、調査には無人のヘリコプターや潜水艇などが使用された。放送された内容は以下の通り。西之島に井戸水はない上に農耕にも適さないため、遭難船の漂着者を除いて人が居住していた記録はない。ただし、西之島では産出しない半深成岩でできた、お面のようにも見える長さ23cmの石が東海大学の調査隊によって採取されている。

出典:wikipedia

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