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黒磯駅

黒磯駅(くろいそえき)は、栃木県那須塩原市本町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅である。東北本線は当駅を境に南側は直流電化(1,500 V)、北側は交流電化(20,000 V・50 Hz)と電化方式が異なっており、旅客列車の大部分を占める普通列車ではそれぞれの電源方式専用の電車が運用されることから、貨物列車と一部の臨時列車を除き、運転系統が分断されている。当駅より南側の直流区間である上野駅 - 当駅間はJR発足後に「宇都宮線」の運行名(愛称)が与えられており、当駅はその終端駅となり正式路線名の「東北本線」で案内される当駅 - 盛岡駅間とはラインカラーでも区別されている。当駅を境に郡山方面は主に2・4両編成の列車(一部6両・8両編成)が1時間あたり1本、東京方面は主に4両編成(一部は5・10両編成)の列車が15 - 40分間隔で運転されている。国鉄時代から運用上の境界扱いの駅であり、東京近郊区間も当駅までとなっている。Suica首都圏エリアの端にあたる。JR支社境では豊原 - 白坂間が大宮支社と仙台支社の境界となるが、輸送指令は東京駅から当駅までを東京支社が担当し、当駅以北を仙台支社が担当している。単式ホーム1面1線、島式ホーム2面4線、合計3面5線の地上駅である。駅舎側の1番線のみ単式ホームで、駅舎上部を東北新幹線が通過している。社員配置駅。Suica対応自動改札機が設置されている。駅舎内にはみどりの窓口(営業時間は7時から18時)・自動券売機・指定席券売機・NEWDAYS・立ち食いそば店・待合室・コインロッカー・観光案内所がある。1982年(昭和57年)の東北新幹線開業前には多くの特急・急行列車が停車したことから、かつてはホーム上にも待合室や売店等が設けられていた。これらは新幹線開業後も残存していた優等列車の大部分が廃止された1990年代初頭に全て撤去された。なお、2008年(平成20年)にホーム上の待合室が改めて設けられた。かつては、皇族が那須御用邸に向かう際の最寄り駅としてお召し列車が当駅に発着しており、一般の入口の脇に皇室専用の出入口や待合室が設けられている。しかし、東北新幹線の開業、さらに1989年(昭和64年)の昭和天皇崩御後は基本的に隣の那須塩原駅を利用するようになったため、ほとんど使われていない。そのため、以前1番線に存在した、お召し列車到着の際に駅長の立ち位置を示す印は、ホーム嵩上げ等の改良工事により消滅した。そのほかにも国鉄時代は宇都宮鉄道公安室黒磯公安部として鉄道公安職員が常駐しており、お召し列車の運転時以外も駅構内警備や旅客列車への警乗を行っていた。駅構内の跨線橋は、かつては階段のみが設置されていた。2010(平成22)年度から翌年にかけて跨線橋が更新されるとともにエレベーターが設置された。夜間滞泊は上野方面(E231系・E233系)が4本、福島方面(719系)が1本設定されている。以下は平常ダイヤにおける運用方法で、現地の案内もこれに従っている。東北本線は当駅を境に南側(宇都宮線区間)は直流1,500 V、北側は交流20,000 V・50 Hzで電化されていることから、当駅には日本では現存する中で唯一の地上切り替え方式の交直接続設備がある。駅構内の架線は直流・交流の両方に切替られるように区分(セクション)されており、その区分境にはデッドセクションとそれを表示する電車線区分標があり、構内の信号機には直流または交流が加圧されていることを表示する架線電源識別標識が取り付けられている。駅構内には、黒磯変電所からの交流・直流の電源を地上からの指令で駅構内の区分された架線(セクション)に切替えて流すことができる交直切換断路器が設置されている。ここでは直流・交流それぞれの専用車両が使用される普通列車は本駅で乗り換えとなる。また、駅構内に数か所のデッドセクションと交流区間で使用されている碍子形同相セクションがあり。そのため、E233系やE231系、205系などの直流電車は1番線に進入する際、1番線から東京方に進出する際にデッドセクションを通過するため、駅の到着直前、発車直後に室内灯が非常灯を残し消灯することがある。なお、3番線は他の番線と異なり直流だけが流れる電源区分となっており、直流区間からのみ列車が入線可能な配線である。電化から1970年代までの機関車牽引列車が主体の時期は、旅客列車でも上野から福島、仙台方面への客車による普通・急行列車が多く存在し、当駅に停車してEF58形やEF65形等の直流専用電気機関車と、ED71形やED75形交流専用電気機関車との機関車交換を行っていた。交直両用車両も1980年代まで運転されていた455・457系による急行列車、EF81形を使用していた一部の貨物列車は当駅に停車しパンタグラフを降下、電源の切り替え後にパンタグラフを再上昇させ発車する形をとり、気動車使用列車も信号取り扱いが電源切り替えに連動する関係上停車していた。近年では快速「フェアーウェイ」(郡山方面への延長運転時。2009年〈平成21年〉以降は運転無し)や臨時特急「あいづ」が当駅に停車し、電源を切り替える。また、交直両用車両などで自動列車選別装置を装備する車両は地上子との連携により、駅構内をあらかじめデッドセクション化させて信号を切り替えることが可能であり、これにより乗務員が車両の交直切り替え操作を行った上で、停車せずに車上切り替えを行うことが上下列車とも可能となった。この改良工事が行なわれたヨンサントオ(1968年〈昭和43年〉10月)以降、特急列車の多くが当駅を通過するようになり(「はつかり」・「やまびこ」等)、2015年(平成27年)8月24日時点では、EF510形牽引の「カシオペア」は当駅を通過していた。1975年(昭和50年)以前はキハ80系・キハ181系気動車が「つばさ」で当駅を通過しており、信号取り扱いの関係上、自動列車選別装置を装備した。なお、通過列車は下りは1番線、上りは5番線の線路を走行する。かつて当駅以北に直通する特急列車が停車していた時代も機関車牽引列車以外は基本的に通過列車と同じく下り1番線、上り5番線に停車することとされ、臨時にそのほかの線へ入線する場合は455・457系など同じく停車後電源と信号を切り替える形で運転した。日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物列車は当駅で運転停車して機関車交換を行う列車がほとんどだが、交直両用のEH500形が牽引する列車の一部は運転停車して乗務員交代とともに電源の切り替えを行い、直通牽引する。上述の列車選別装置を持ち当駅を交直切り替えしつつ通過可能な交直流電気機関車が牽引する列車以外は、当駅で機関車を交換するため10分から20分間程度運転停車するダイヤが組まれている。また、当駅東側にはJR貨物関東支社の黒磯機関区(乗務員基地)が存在する。JR東日本では2008年(平成20年)の作業員感電死亡事故を踏まえ、交流・直流が混在する複雑な当駅構内を直流化することを決定し、2017(平成29)年度末の完成を目標にデッドセクションを当駅構内から当駅 - 高久駅間に移設する工事を行っている。この工事に伴い、同年12月頃までの予定で祝日を含む毎週月曜日に、5時27分発の上り始発列車を那須塩原駅始発に変更し、当駅からの代行バスを運行している。工事完了後は北部からの交流専用車両の当駅への入線は不可能となるため、直流専用車両と交流専用車両の旅客列車を当駅で接続させる現状の運行形態の変更が避けられないが、この件については2015年(平成27年)11月時点での報道や公式な発表はなされていない。(JR貨物の交流専用機ED75形は2012年〈平成24年〉までに交直両用機のEH500形に置き換えられたため不都合はない)2005年(平成17年)以降、当駅で販売されている駅弁は無い。太平洋戦争前は駅前にあった煙草屋旅館が駅弁の製造・販売を行っていたが、1950年(昭和25年)に発足した高崎鉄道管理局が当駅を管轄することになった時点では販売業者がない状態となっていた。電化による機関車の付け替えで停車時間が長くなることから、高木弁当と殺生石伝説に由来する九尾の狐をトレードマークとした九尾弁当本舗ことフタバ食品黒磯営業所が1956年(昭和31年)に営業認可を申請、1957年(昭和32年)から営業を開始した。1960年代以降急行列車が順次電車・気動車に置き換わった後も、この駅で特急列車の通過待ちを行うことが多かったため、駅弁を買い求める利用者は多く、夜行列車が発着する時間帯も弁当の販売を行っていた。高木は「特製幕の内弁当」、「あゆづくし」、「高原肉めし」、「なめこ汁」など、九尾は「キジ焼き栗めし」、「九尾すし」、「九尾の釜めし」などが代表的な製品だった。九尾の製品は、フタバ食品九尾弁当部という表記の時代もあった。九尾すしは後年、「九尾ずし」、「九尾の味」と2度改称、九尾の釜めしは横川駅の「峠の釜めし」と同様の益子焼の器が用いられていた。2001年(平成13年)に高木弁当が廃業、2005年(平成17年)にフタバ食品黒磯営業所が撤退し、販売は終了した。かつては、東野交通「マロニエ号」が 黒磯駅 - 羽田空港の空港リムジンバスを運行していたが、2013年12月16日をもって氏家駅始発となり、当駅発着の高速バス路線はなくなった。

出典:wikipedia

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