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GLAY

GLAY(グレイ)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド。1994年のメジャーデビュー以降、CD売り上げ、ライブ動員数などの日本記録を更新。所属事務所は、自主レーベルのLSG。公式ファンクラブは、『HAPPY SWING』。1988年、北海道函館市でTERU・TAKUROを中心に結成。その後TAKUROの高校時代の友人であったHISASHI、さらに上京後、地元が一緒で顔見知りだったJIROを加え1994年シングル「RAIN」でメジャーデビュー。1997年にリリースされた初のベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』は487万枚を売り上げ(出荷枚数は500万枚を突破)、当時のアルバムの売り上げ日本記録を更新して歴代1位となった。1999年には、幕張メッセ駐車場特設ステージでの単発コンサート『MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO'99 SURVIVAL』において20万人を動員した(この動員数は2016年現在日本記録、単独アーティストの有料ライブに限れば世界記録となっている)。1999年の千葉・幕張でのライブ以降も「GLAY EXPO」と題して、2001年には北海道で10万人、福岡では8万人。2004年には大阪で10万人。2014年にも宮城で5万5000人を動員した。(その動員数は北海道、東北、関西、九州の最多動員記録となっている)CD売上では2016年現在、オリコンの集計によるCD総売上枚数は3800万枚を突破している(日本歴代7位)。シングルでは「HOWEVER」「誘惑」「SOUL LOVE」「BE WITH YOU」「Winter,again」「とまどい/SPECIAL THANKS」の6作品(シングルのミリオンセラー作品数としては日本歴代4位)、アルバムでは『BELOVED』『REVIEW-BEST OF GLAY』『pure soul』『HEAVY GAUGE』『DRIVE-GLAY complete BEST』の5作品がミリオンセラーを記録している。また、2016年にリリースされたシングル「G4・IV」がオリコンチャート1位を獲得したことにより、1996年リリースの「グロリアス」から2016年まで21年連続オリコン週間シングルランキングトップ10入り(日本歴代1位タイ)となった。またシングル・アルバム共に90年代・2000年代・2010年代と、3つの年代でオリコン1位獲得を果たしている。デビュー以来2016年現在に至るまで正式な活動休止宣言をしたことはなく、新譜の発売やライブ活動を毎年行っている。由来には諸説あるが、Jun GrayやBOØWYの歌詞がもとになっている、とHISASHIは証言している。音楽のジャンルが黒(ロック)でもなければ白(ポップ)でもないという意味で、TAKUROがGRAY(英語で"灰色"の意)を考案し、ビートルズがバンド名を造語にしたことに因み、"R"を"L"とした。また函館の冬空の色(灰色)にもかけている。一方、2010年5月25日に放送された『DON!』(日本テレビ系)に出演した際にバンド名の由来を聞かれたところ、TAKUROは「前は、黒でもなければ白でもない…と言っていたが、実際は響きですね」と答えた。メンバー共通して好きなバンドにRED WARRIORS、BOØWYなどがある。デビュー当時からロックとロッカ・バラードの両方をこなしている。2000年代以降はストリングスやラップ、ダンス・ミュージック、フラメンコやサンバに至るまでロック以外のサウンドも用いるようになる。また、メンバー4人の音楽性がそれぞれ異なっていることも特徴の1つである。と語っている。1998年2月15日、午前10時から全国コンサートツアーの前売券約11万5千枚が発売開始された。この時は、長野オリンピックのスキージャンプ・ラージヒルの競技の最中だったが、電話予約が殺到したため発売開始から約2時間に亘って日本全国的に電話回線が通じにくくなる事態が発生し、メインプレスセンターに居る報道関係者の送信事務が困難になった他、国際電話もつながりにくくなり、各国の記者、報道機関にも大きな影響を与えた。1999年末、レコード大賞の受賞を巡ってメンバー間で論争となり、レコード大賞を受賞してそのまま解散というストーリーが一度決定されていた。出世街道をひた走ってきた外部からの印象とは裏腹に、「自分たちの手を離れて大きくなりすぎたGLAY」にメンバーが戸惑いを覚え始めたという。また「EXPO '99」を終えてメンバーは目標を見失った節があり、『HEAVY GAUGE』は内省的な曲が並び、シングル曲は全てこのアルバムのためのバージョンが収録されるなど、全体を通して重苦しい雰囲気が漂うアルバムは『BEAT out!』から『pure soul』とは対照的なものであった。年が明けると同時に解散騒動は立ち消えになったが、2000年のツアー『GLAY ARENA TOUR 2000 "HEAVY GAUGE"』の前半の最中にJIROが脱退の危機に陥る。GLAYが解散の危機に陥ったのはこの2回だけであり、以後はメンバーが「続けることが大事」といった旨を度々口にするようになる。1997年から3年連続で紅白歌合戦に出場していたが、2000年以降は年越しライブを優先させるため出場していない。当時は、スポーツ紙が一面で取り上げるなど、大きな衝撃を起こした。2003年のツアー『GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2003』の最中にイラク戦争が開戦したのに際し、TAKUROは新聞に意見広告を寄せ、更に反戦歌となる「CHILDREN IN THE WAR」を同ツアーで披露した。2011年3月11日に発生した東日本大震災を受けて、3月14日に朝日新聞厚生文化事業団を通じて2000万円を寄付。3月16日には、TERUが被災者に向けた弾き語りの楽曲をTwitterに投稿。これをバンドアレンジしたものを5月5日にデジタルシングル「Thank you for your love」として発表した。また、氣志團との対バン等の『Thank you for your love』と題した公開録音・ライブをいくつか行う。その収益は全額義援金に充てられ、更に2000万円分の楽器を石巻市の小中高等学校に、同年12月にクリスマスプレゼントとして寄付した。2015年10月2日には、平成27年9月関東・東北豪雨の被災者支援に、200万円を読売光と愛の事業団に寄付した。1998年に、GLAYのメンバーとサポートメンバーのTOSHIによってNEVER MIND(ネバーマインド)という覆面バンドが結成された。GLAYの友人という設定である。デモテープとCDを発表している。NEVER MINDとしてのメンバー設定は以下の通り。I LOVE 入浴 - 1998年9月15日にライブで無料配布された。収録曲I LOVE N.M - 2000年5月26日発売に、少量がCDショップで販売された。収録曲

出典:wikipedia

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