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ダンジョンズ&ドラゴンズ

『ダンジョンズ&ドラゴンズ』("Dungeons & Dragons" : 略称はD&D)は、アメリカのファンタジーテーブルトークRPG。世界で最初のロールプレイングゲームであり、他のロールプレイングゲームの原点ともなり、最も広くプレイされた作品である。日本語版はいくつかの出版社から翻訳されていたが、2014年現在ではホビージャパン社によって発売されている。ゲイリー・ガイギャックスとデイヴ・アーンソンによってゲームデザインされ、アメリカのTactical Studies Rules(後に"TSR, Inc."に改名)社が1974年に制作・販売した。その後、何度か改版を重ねたが、1997年にウィザーズ・オブ・ザ・コースト("Wizards of the Coast":略称WotC)社がTSR社を買収して以降は同社より販売されている。2000年には大幅に変更を加えた第3版が発売され、2008年に第4版、2014年には第5版が発売された。第3版以降のナンバリングは『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ 第2版』に続くものであり、かつてのD&Dの改版ではない。オリジナルの共同制作者であるゲイリー・ガイギャックスは2008年に、デイヴ・アーンソンは2009年にそれぞれ他界した。最初の発売以来、ルールシステムに幾度かの改訂を重ねており、その過程でいったん『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(日本のユーザーの間では赤箱・青箱などの俗称で呼ばれる)と『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ』("Advanced Dungeons & Dragons" : 略称は"AD&D")の2つのシリーズに分かれた。前者は簡潔さを重視した製品であるのに対し、後者は広範な状況を再現できるように多数のルールやデータを持つものであった。2000年には『ダンジョンズ&ドラゴンズ 第3版』("Dungeons & Dragons 3rd Edition" : 通称"D&D3e")が発売されているが、これはAD&Dの流れの上での「第3版」であり、従来『ダンジョンズ&ドラゴンズ』と呼ばれていたゲームとは異なった思想と構造を持つシステムになっている。これに伴い、それまでに『ダンジョンズ&ドラゴンズ』と呼ばれていたシリーズは『クラシック・ダンジョンズ&ドラゴンズ』と銘打たれるようになった。2003年には、第3版を改定した第3.5版が発売されている(日本語版は2005年に発売)。2008年には、ルールをさらに大幅に改定した第4版がアメリカ合衆国にて発売された。日本語版も同年にホビージャパン社から翻訳展開が開始されている。2012年1月9日に、第4版に続くさらなる新版が開発中であることがWotC社によって発表された。その後、WotC社がD&D NEXTの英語版以外のライセンスを全世界で発行しないことを発表したことを受け、日本語版を出版することが不可能になった、とホビージャパンは2014年7月3日に発表した。(クラシックD&DおよびAD&D第2版まではTSR社より販売された)ゲームルールはD&Dのバージョンによって異なるところも多いが、ここでは多くのバージョンに共通する要素を中心に解説する。バージョン毎の個別の特性については、そのバージョンについて記述している節を参照のこと。D&Dは他のテーブルトークRPGと同じく「審判役であるゲームマスターが提示した物語(シナリオ)を、プレイヤーキャラクターを通して体験する」というゲームであり、提供されるシナリオによってゲームの雰囲気は大きく変わる。しかし、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』というタイトルが示すように「ファンタジー世界でダンジョンに潜って、そこに潜むドラゴンのようなモンスターを倒して、宝を奪う」というタイプのダンジョンアドベンチャーがもっとも重点的に扱われており、どのバージョンのD&Dでも基本ルールブックに「ダンジョン探索のためのルール」「モンスターと戦うためのルール」「マジックアイテムなどの財宝のデータ」の3つが丁寧にフォローされている。このようなゲームスタイルは、D&Dの原型に当たるのシステムを利用して、当時ブームとなっていたファンタジー作品のような世界を舞台とした一種のミニチュアゲームをプレイする、という形から始まったもので、やがて他にもこのような形態のさまざまなゲームタイトルが登場した。D&Dではゲームマスターのことをダンジョンマスター (Dungeon Master) と呼称する(以下DMと略)。プレイヤーは、まず人間、エルフ、ドワーフなどの種族を選択し、次にファイター(戦士)、ウィザード(魔法使い)、クレリック(僧侶、聖職者)、ローグ(盗賊、密偵)などのクラス(キャラクターの種別)を選択しプレイヤーキャラクターを作成する。プレイヤーキャラクターの基本的な能力は、以下の6つの能力値で表される。能力値の数値の決定方法はいくつかのルールがあり、プレイグループの好みで選ぶことができる、また、選んだ種族やクラスによって能力値の最終的な数値は変動する。キャラクターは能力値のほかに「技能(Skill)」と「特技(Feat)」という選択式の能力を作成時および一定レベルごとに得る。特技は第3版以降において登場する要素で、古いルールには見られない。特技はクラスの能力として得られる場合もある。AD&Dと第3版では、レベルアップ時にはすでに選択したものとは別のクラスを選び、複数のクラスを持つことも可能(いわゆるマルチクラス)。また、成長を通じてより高度なクラスに昇格することもできる。クラシックD&Dではエルフ、ドワーフなどの種族はそれ自体がクラスであり、ファイターなどのクラスは原則的に人間のみである。また、マルチクラスのルールも存在していない。D&Dでは、全てのキャラクターおよびモンスターに「そのキャラクターは善人か悪人か」「そのキャラクターは秩序を守る方か守らない方か」という倫理観を表す属性が付けられている。これをアライメント(alignment; アラインメント)と呼ぶ。例えば、「混沌にして善」という属性のキャラクターは「他人の作った決まりに従う義理はないが、困った人は見逃せない」というキャラクターになる。アライメントは性格というより徳に近く、生まれつきのものであり滅多なことで変化もしない。これは後発の一部の作品に影響を与え、後に登場したRPGでもこのようなシステムを採用する例がある。行為判定のルールはD&Dのバージョンによって異なる。クラシックD&DおよびAD&Dでは行為判定は煩雑で、戦闘の命中判定は20面ダイス1個を使った上方判定、戦闘以外の行為に関する判定(技能判定)は20面ダイス1個を使った下方判定であった。他にも、ダンジョンで罠を解除する判定(盗賊能力判定)はパーセンテージロール、ドワーフが隠し通路を発見する判定は「6面体サイコロで特定の出目を出す」など、行動の種類によって判定方法が全く異なっていた。D&D3版以降はほぼ全ての行為判定が20面ダイス1個を使った上方判定に統一された。ただし、この他にもダメージ決定などで4面、6面、8面、10面、12面、20面まで6種類の多面体ダイスを使用する。D&Dでの戦闘は、攻撃側が攻撃目標の「アーマークラス」 から算出される目標値以上の値を20面体サイコロで出せば攻撃が命中したと扱うというシンプルなルールとなっている。アーマークラスは攻撃目標の着ている鎧の種類や敏捷力の能力値によって決まる。クラシックや第2版以前のAD&Dでは「アーマークラスが低いほど攻撃が当たりにくいことを表す」とされ、アーマークラスから攻撃命中判定の目標値を決定するためのという表が用意されていた。基本的にアーマークラスが低いほど攻撃命中判定の目標値が高くなる(防具を装備するとアーマークラスが下がる)。このルールは直感的にわかりにくいということもあり、第3版以降のD&Dではアーマークラスは「アーマークラスが高いほど攻撃が当たりにくいことを表す」と改定された。第3版以降のD&Dではアーマークラスそのものの数値が攻撃命中判定の目標値となり、THAC0は廃止されている(防具を装備するとアーマークラスが上がる)。攻撃が当たった場合、ダメージ量をダイスで決定して、その分だけ相手のHP(ヒットポイント)が削られる。ダメージ決定に使用されるダイスの種類と数は使用された武器や魔法によって異なる。盾や鎧はマジックアイテムなどでない限りはACを良くするためのものにすぎず、与えられるダメージを減少させるような効果を持たない。ダメージによってHPが0以下になるとそのキャラクターは倒れる。クラシックD&Dなどではこの時点で即死となるが、D&D3版以降は「行動できないがまだ息はある」という状態となり、適切な治癒行為を行えば戦線復帰できる。HPが0以下になって倒れたキャラクターは、治癒行為が行われずに長時間放置されるか、治癒行為を行う前にさらなるダメージを受けることで死亡が確定する。また、特別な魔法やマジックアイテムを使えば、死亡が確定したキャラクターを生き返させることもできる。D&Dでの戦闘はミニチュアゲームの影響を多大に受けており、戦場をスクエアマップ(四角いマス目が書かれたマップ)で表現してその上にプレイヤーキャラクターやモンスターのミニチュアを置くことでキャラクターたちの戦場での位置を表すという遊び方が推奨されている。第3.5版からはスクエアマップとミニチュアの使用は推奨ではなく必須要項となった。ミニチュアについてはD&D専用のミニチュアが昔から様々なメーカーより発売されており、ゲームをプレイしない人にもファンタジーミニチュアのコレクションとして好まれることもある。ただし、正規のミニチュアを使わなくてはゲームができないわけではなく、サイコロや消しゴムなどコマとなる代用品を使えばゲームは可能である。スクエアマップについては1マス1インチのものが使われ、1マスがゲーム世界の5フィートを表す。白紙のスクエアマップに戦場の地形を書き込むという使い方が一般的であるが、地形などの絵柄が印刷済みのスクエアマップも市販品として発売されている。また、ただの紙ではなく耐久力のある厚紙に印刷されたスクエアマップもあり、そのようなものは「タイル」と呼ばれる。タイルは厚紙である利点を生かして小さなパーツに分けられていることが多く、このパーツを組み合わせることで戦場を自由にデザインすることができる。D&D第3版以降においては「機会攻撃(Attack of Opportunity)」というルールが実装されるようになった。これはウォー・シミュレーションゲームで言うところのZOCと類似したルールである。機会攻撃とは、「自分のキャラクターと隣接しているマスを他者が通り抜けたとき、その瞬間に一回だけ手に持っている近接武器で相手を攻撃してもよい」というものである。このルールの存在により、キャラクターやモンスターが移動を行うとき、「敵対勢力からの機会攻撃を受けることを恐れずに最短距離を走り抜けるのか、それとも、機会攻撃を避けるため遠回りをして移動するのか」という選択を常に迫られるようになる。クラシックD&D、AD&D、第3版では、キャラクターが習得している魔法をいつでも使えるわけではない。キャラクター毎に「魔法(呪文)を一日に何回使えるか」が決められており、毎朝に今日一日に使う予定の魔法を回数制限内で決めなくてはならない。例えば、一日に魔法が4回使えるならば「今日使う魔法は、《マジックミサイル》を二回と《ディテクトマジック》一回、《リードマジック》を一回」などと決めるわけである。このルールにより、魔法を使うキャラクターを受け持つプレイヤーは「今日の冒険に必要な魔法は何か」を戦略的に推理する能力が必要になる。また、このようなルールのため、多くのRPGに見られる「マジックポイント」の概念はない。一日の魔法の使用回数はレベルによって増加していく。魔法の習得については、レベルが上がるたびに自動的に習得していくクラスもあるが、「ウィザード」(クラシックD&Dでは「マジックユーザー」)と呼ばれるクラスは、「お金と時間をかけて呪文を学ぶ」ことで魔法を習得することができる。レベルによる成長とは関係ない部分で魔法を習得できるのはD&Dの特徴的な部分である。このような独特の魔法システムは、ジャック・ヴァンスのサイエンス・ファンタジー小説『終末期の赤い地球』 (" )からのオマージュとされており、魔法の呪文の具体的な効果にも同作からの影響が見られる。第3版ではウィザードとは違い、使える呪文を事前準備なしですぐに使うことができる「ソーサラー」というキャラクタークラスが存在する。第4版においては、ウィザードの秘術呪文は(クレリックの信仰呪文やファイターなどの武技と同様に)「パワー」と「儀式」に分けられ、前者はある程度制限はあるものの事前準備なしで発動できるようになっている。防具では防ぎきれないような特別な攻撃を受けたとき、その攻撃を防ぐことができるかどうかを決定する「抵抗判定」が「セービングスロー(ST)」である。セービングスローのルールはD&Dのヴァージョンによって異なるが、必ず実装されている。『アドバンスト・ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ』が第3版に改定された際、基本ルールが大きく変更・整理された。この第3版以降のD&Dが基本ルールとして採用しているのが、d20システムと呼ばれる、WotC社による汎用ルールである(詳細はd20システムの項目を参照のこと)。このルールの導入によってシステムの汎用性が高まった結果、『火吹き山の魔法使い』で有名な『ファイティング・ファンタジー』シリーズをもとにしたシナリオが発表されたり、『クトゥルフの呼び声』『トラベラー』『ストームブリンガー』など既存のロールプレイングゲームの有名タイトルのd20コンバート版が怒濤のように発表されるなどの現象が見られた。日本オリジナルのRPG『メタルヘッド』と『ワースブレイド』もd20版が出版された。D&Dは当初はダンジョン探索が中心のゲームであったこともあり、背景となる世界については重視されていなかった。ルールブックでも背景世界については大まかな指針が示されるだけで、ダンジョンマスターの裁量に委ねられる部分も多かった。しかし、緻密な背景世界グローランサを持つ『ルーンクエスト』をはじめ、特徴的な背景世界を持つロールプレイングゲームが増えてくると、D&Dでもドラゴンランスをはじめとしてさまざまな背景世界が発表されていった。どれもファンタジー風の世界観をベースにしている。それぞれの背景世界は「キャンペーンセッティング」と呼ばれるサプリメントを導入することで遊ぶことができる。各キャンペーンセッティングは、基本ルールブックからいくつかのルールやデータを追加したり、逆に削除したりすることで、D&Dを特定の世界設定に適応させることができる。D&Dには特定の世界設定でしか使えないサプリメントも数多くあり、もちろんそれらはまずその世界の「キャンペーンセッティング」を導入していないと使えない。以下に代表的なキャンペーンセッティングを挙げる。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』は世界的に商品展開しているロールプレイングゲームの一つである。販売元のアメリカはもちろん、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリアなどのヨーロッパ諸国では各国の言語に翻訳されて販売されている。また、欧米諸国の言語を使用しているオーストラリア、カナダ、ブラジルなどといった国々でも同じく商品が販売されている。アジアにおいては日本、中国、台湾、韓国で商品展開された。その国独自にローカライズされたオリジナル製品も存在しており、たとえば日本においては『ミスタラ黙示録』(メディアワークス/電撃ゲーム文庫)や『若獅子の戦賦』(ホビージャパン/HJ文庫G)などのリプレイが日本オリジナル作品として存在している。メディアミックス展開も豊富であり、TSR社時代は『ドラゴンランス』や『竜剣物語』などの小説シリーズ(日本語版は富士見書房、エンターブレイン、メディアワークスより出版)、TVアニメーションシリーズ(日本では未放映)、『プール・オブ・レイディアンス』や『アイ・オブ・ザ・ビホルダー』などのパソコンゲーム(日本語版はポニーキャニオンより発売)、『ダンジョンズ&ドラゴンズ タワーオブドゥーム』や『ダンジョンズ&ドラゴンズ シャドーオーバーミスタラ』 などのアーケードゲーム(日本語版はカプコンが開発・販売)が複数国で展開された。2000年以降に版権がウィザーズ・オブ・ザ・コースト社に移ってからもメディアミックスには力が入れられており、新しい背景世界であるエベロンを舞台にした小説シリーズ(日本語版はホビージャパンより出版)、映画化(日本公開名『ダンジョン&ドラゴン』)、『バルダーズ・ゲート』や『ネヴァーウィンター・ナイツ』などのパソコンゲーム(日本語版はSEGAより発売)、MMORPGである『ダンジョンズ&ドラゴンズ_オンライン ストームリーチ』(日本語版はさくらインターネットが運営)などが展開している。アメリカではいわゆるゲーマー以外にも一定の認知がされている知名度のある作品であり、それゆえに、海外のドラマや小説などでは、小道具として使われることがある。一例としては、スティーヴン・スピルバーグが監督した映画、『E.T.』の冒頭シーンでは、少年たちが『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を遊んでいる風景が観られる。また、アメリカでは社会的な批判にさらされたことも何度かあり、多神教の神官や、黒魔術的な魔法を使う魔術師をプレイヤーキャラクターに用いることから、これを「異教的、悪魔的」とするキリスト教団体などからのバッシングや、「現実と空想の区別がつかなくなる」として実際の犯罪や失踪事件と絡めて報道されたメディアバッシングの事例などがある。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』は、アメリカ合衆国でウォー・シミュレーションゲームのデザインの仕事を行っていたゲイリー・ガイギャックスと、そのウォーゲーム仲間であったデイヴ・アーンソンの二人が中心になって1974年に出版された。この「初代」のD&Dは現在は『オリジナル・ダンジョンズ&ドラゴンズ』と呼ばれている。ガイギャックスは1970年頃からゲーム出版社ガイドン・ゲームズでウォーゲームをデザインする仕事をしていた。ガイドン・ゲームズはジェフ・ペレンとガイギャックスを共著者とするミニチュア・ウォーゲームのルールセット "Chainmail" を発売した(第1版1971年、第2版1972年)。"Chainmail" にはファンタジー世界の戦闘のための追加ルールが付属していて、ファンタジー・ウォーゲームとして遊ぶことが可能であった。一方、デイヴ・アーンソンはブラックムーアというファンタジー世界のゲーム設定を作っていた。ブラックムーア城には地下迷宮があり、これがRPGのダンジョンの元になった。文通仲間でゲーム大会でもセッションを行っていたガイギャックスとアーンソンは、"Chainmail" を改造してファンタジー世界での個人戦闘を扱うゲームを私家版で作って遊んでいた。これに徐々に戦闘以外の要素(ダンジョンの探索など)のルールが加わっていき、最終的に "Chainmail" とは別のゲームができあがる。ガイギャックスらはこのゲームを "The Fantasy Game" と名付け、出版してくれるメーカーを探した。しかし、"The Fantasy Game" は「ロールプレイングゲーム」という今までにないゲームであったため、どの出版会社からも「何をすれば勝利になるかわからないゲーム」として奇異の目で見られ、出版を断られた。そこでガイギャックスは1973年に幼馴染のドン・ケイとともにゲーム出版社として Tactical Studies Rules を立ち上げ、そこで "The Fantasy Game" を発売することにした。このゲームは発売直前になって、ガイギャックスの妻の提案で "Dungeons & Dragons" に改名された。こうして誕生した「初代」の『ダンジョンズ&ドラゴンズ』が世の中に初めて出たのは1973年のゲームイベント EasterCon の会場でのことである。この時点でのD&Dはまだ私家版のゲーム的なもので数もごくわずかしか刷ってなかったが、その手ごたえを上々とみたTSR社のメンバーは正式に商業出版に乗り出すことを決意。1974年に1000部を刷り販売を開始した。D&Dは、ゲームファンだけでなく、ファンタジーなどのファンにも注目され、瞬く間に大ヒットを記録することになる。販売から二年後の1975年にはガイギャックスとの共同経営者であるドン・ケイが心臓発作により死去したため、ブライアン・ブルーム (Brian Blume) が共同経営者になった(ブルームはD&Dの出版に際して融資を行った人物でもある)。この際に社名が TSR Hobbies, Inc に変更された(後にTSR, Inc.に改名)。1977年に新生TSR社はガイギャックスたちが作り出した『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のルールを大幅に改訂し、上級者向けの『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ』と入門者向きの『クラシック・ダンジョンズ&ドラゴンズ』 (1985年に株式会社新和により日本語翻訳されたシリーズ)の二つのシリーズのラインで新たに展開を始めた。以後のガイギャックスは『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ』の製作に関わっているので、実際にオリジナルのD&Dの思想を受けついているのはこちらである(アーンソンは TSR Hobbies, Inc の製品には関わっていない)。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』はアメリカだけでなく、欧米諸国を中心に広まっていった。ロールプレイングゲーム自体の知名度も高まり、様々なメーカーから独自のロールプレイングゲームが発売され、また、テーブルゲームではなくコンピュータゲームとしてのロールプレイングゲームも開発されるようになっていったが、それでもなお『ダンジョンズ&ドラゴンズ』はRPGのスタンダードという地位を保ち続けた。ドラゴンランスなどのゲームを元にした小説も世界的なヒットを成し、1980年代まではTSR社はRPG界では著名な存在であり続けた。1986年10月にガイギャックスはTSR社を離れており、この頃の『ダンジョンズ&ドラゴンズ』はすでに新しい世代によって作られているものであった。TSR社は1990年代半ばに財政危機に見舞われ、最終的には1997年にウィザーズ・オブ・ザ・コースト社に商品の権利とともに買収されて歴史を閉じた。ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社は1990年に設立されたテーブルゲームを中心としたゲーム出版会社であり、世界初のトレーディングカードゲームである『』を作り出したことで知られるメーカーである。TSR社を買収した1997年当時は『マジック:ザ・ギャザリング』の国際的な展開の成功により、ゲーム界では知られたビッグネームとなっていた。創設者のピーター・アドキソンが『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のファンであったこともあり、D&Dの商品展開はTSR社から速やかに引き継がれた。TSRのスタッフも同時に受け入れたため、ウィザーズ・オブ・ザ・コーストが『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の商品展開を引き継いだ当初はTSR時代とあまり変わらないような商品が出されていった。TSRのロゴマークや商標も引き継いでいたため、販売元がウィザーズ・オブ・ザ・コーストに変わったからといってD&Dに大きな変化が見られることはなかった。しかし、ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社は『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の権利を入手した当初から「新しいダンジョンズ&ドラゴンズ」を作ることを計画しており、2000年になって、"Dungeons & Dragons 3rd edition" を発売。『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ』と『クラシック・ダンジョンズ&ドラゴンズ』の二つに分かれていたタイトルを正式に統合させたこの新版の登場は、TSR時代とは全く異なる新時代のD&Dとして、ゲームファンや市場に対して衝撃を与えた。何より、「他社がD&Dのゲームルールを使用してもよい」というd20システムという考え方は、アメリカのロールプレイングゲーム市場にd20旋風を起こした。多くのメーカーは、システムの自社開発をすることなく新製品をd20システムで出せるメリットに注目した。さらに、大物タイトルであるダンジョンズ&ドラゴンズとデータ互換性をもたせることで、自社のゲームにあまり興味がないようなダンジョンズ&ドラゴンズのファンに対しても、自社商品に注目させることができるのである。この結果、アメリカのロールプレイングゲーム市場には数年でd20システムの製品があふれるかえるようになり、『Dungeons & Dragons 3rd edition』という新しいゲームを市場に浸透させるのに大いに役立った。また、ウィザーズ・オブ・ザ・コーストの『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の商品展開のさせ方の特徴として、D&D専用のミニチュアを大規模に展開させたことがある。ミニチュアゲームから発展したD&Dは初期の頃からファンタジーミニチュアの使用が推奨されるゲームであり、ラルパーサ社やシタデル社などからはD&D専用のミニチュアが過去にも販売されていた。しかし、ファンタジーミニチュアの定番であったメタルフィギュアは塗装や組み立てをユーザーに任せるものであり、模型趣味的な嗜好を持たないものにはハードルの高いものとなっていた。ウィザーズ・オブ・ザ・コーストはD&D専用に「塗装成型済みプラスチック製ミニチュア」を自社から販売することでユーザーの手間を大幅に削減した。このミニチュアは日本では「トレーディングフィギュア」と呼ばれる販売形態を持つ商品であり、食玩同様にブラインドボックスで販売されている。一つの箱の中にランダムで数個のミニチュアが入れられている。何が入っているかは開封するまでわからないため、高いコレクション性を持つアイテムでもある。また、このミニチュアはメイジナイトから端を発するコレクタブルミニチュアゲーム(トレーディングフィギュアゲーム)として単独で遊ぶこともできるようになっている。『Dungeons & Dragons 3rd edition』の改定版である『Dungeons & Dragons V3.5』では、ルールの改定により、スクエアグリッド(四角形のマス)を使った戦場マップの使用がゲームプレイに必須となり、マップ上でのプレイヤーキャラクターの位置をあらわすのになんらかのコマを使用することがすべてのユーザーに必要となった。この頃からミニチュアの需要はD&Dの商品展開において大きなウェイトを占めるようになり、日本においてもルールブック発売元のホビージャパンから輸入販売の形でD&Dのトレーディングフィギュアをユーザーに対して供給している。2008年6月にはルールを再度改定した『Dungeons & Dragons 4th edition』を発売。d20システムも4th edition対応に改定され、トレーディングフィギュアも4th editionに対応した新しい種族、モンスター、キャラクタークラスのミニチュアがラインナップされた。しかし、リーマン・ショックに伴う景気後退から、2009年をもってミニチュアの製造をやめ、以後は厚紙のトークンを製品に付属させることになったが、2012年に「ダンジョン・コマンド」シリーズのミニチュアゲームに付属する形で復活している。"(ミニチュアに関する詳細はダンジョンズ&ドラゴンズ ミニチュアゲームの項目も参照のこと。)"日本でのD&Dの展開は1985年から始まったが、継続的に展開しているわけではなく、何度もの中断期を挟んでいる。翻訳展開が中断するたびに異なる出版社へと翻訳権が移行したため、商品展開の仕方は出版社によって大きく違い、時期によって全く違うゲームの様相を見せている。日本でのD&Dの出版史は「翻訳以前」「新和時代」「メディアワークス時代」「ホビージャパン時代」の4つに分けることができる。これらの時代ごとの詳細については下記で詳述する。ゲームが展開された時期がはっきりと出版社によって分かれていることから、ホビージャパンが『ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ 第3版』という名前でD&Dを発売したことに対し、新和版がD&D第1版、メディアワークス版がD&D第2版だという誤解を持つ者もしばしば見受けられる。しかし実際には、新和版は『ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ』第4版、メディアワークス版は『ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ』第5版の翻訳で、ホビージャパン版はそれらとは異種のシステムである『アドバンスト・ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ』の第3版である(系譜も参照のこと)。D&Dは日本語での翻訳が開始される1985年以前より一部の好事家たちに注目されていたゲームであった。特に日本ではテーブルトークRPGブームに先行して、ボードゲームとしてのウォー・シミュレーションゲームのブームが1980年代初期からあったのだが、ウォー・シミュレーションゲームのファンたちにとってD&Dは「ウォー・シミュレーションゲームから派生した全く新しいゲーム」として認知度はそれなりにあり、熱心なゲーマーはゲームショップなどで輸入品を買い求め、自分達でプレイを行っていた。そのようなゲーマーたちの中には、安田均や大貫昌幸など後の国産テーブルトークRPG業界で重鎮と呼ばれることになる者たちも多くいた。また、D&Dの認知度は当時(1980年代初期)のパソコンユーザーの間でも高かった。『ウィザードリィ』や『ウルティマ』などのコンピュータRPGがパソコンユーザーの中で注目される中で、その影響源にもなったゲームとしてD&Dに興味がもたれるようになっていったのである。1983年頃から本格的なテーブルトークRPGが日本のメーカーからも発売されるようになったが、D&Dが日本語でできるようになるまでは1985年まで待たねばならなかった。すでにいくつかのテーブルトークRPGが日本語で発売され、RPGの元祖であるD&Dの翻訳が待望される中、1985年に株式会社新和よりついに日本語版のD&Dが出版される。基礎となったルールは原語版でいうDungeons & Dragonsの第4版(ボックス型ゲーム)。現在では「クラシックD&D」と言われるルールである。ボックスの体裁や掲載イラストなどは原語版のものをそのまま用い、翻訳はオーアールジーと大貫昌幸がメインになって行われた。新和はDungeons & Dragonsのサプリメントやシナリオ集、スペルカードなどのアクセサリーなどを好調に翻訳していき、また、1988年には『オフィシャルD&Dマガジン』という専門のサポート雑誌を創刊。重厚な体制でユーザーのプレイ環境をサポートした。また、この「新和時代」においてのD&Dの広がりに貢献したのがグループSNEである。グループSNEは翻訳や製品の開発こそしなかったものの、小説『ドラゴンランス戦記』の翻訳や、リプレイ『ロードス島戦記』の連載など、メディアミックス方面においてD&Dの精力的な紹介活動を行っていった。新和のD&Dは好調に展開し、1980年代はテーブルトークRPGといえばD&Dが代名詞になるくらいに日本でも独占的なシェアを持つに至ったが、1989年の『ソード・ワールドRPG』の販売をきっかけに日本のテーブルトークRPGに安価で手軽な文庫形態のゲームが多くなってくると状況は変化する。新和のD&Dはコストの高さから初心者へのエントリーゲームとしての地位を徐々に失っていくことになり、1990年代にはユーザーの間でのD&Dの位置付けが「中級者以上のマニア向けゲーム」というものにシフトしていく。新和自体も販売戦略を中級者以上向けにシフトし、サプリメントなどは徐々にヘビーユーザー向けなものが増えていった。これが結果的に良い方向に傾き、多くのライバル国産ゲームが出てくる中でも、国産ゲームとは雰囲気の異なる「洋ゲー」風味のコアな製品のラインナップに一定のファン層をD&Dは掴み続けることになる。しかし1991年に新和が始めた『アドバンスド・ダンジョンズ&ドラゴンズ』(原書での『AD&D 2nd』)の翻訳販売がうまくいかず、日本におけるD&Dの展開は急速に下降線をたどる。この失敗の要因は多数あるが、今までのD&DユーザーをAD&Dに上手く移行させられなかったことも大きいとも言われる。新和は今までのD&Dファンが何も言わずともAD&Dに移行することを目論んでAD&Dを契機にそれまでのクラシックD&D路線を全て打ち切ってしまったのだが、D&Dユーザーの多くは、今まで集めてきたクラシックD&Dのサプリメントの資産やルールのノウハウが使用できないAD&Dには簡単には移行できなかったのである。そしてクラシックD&Dの性急な打ち切りは、それまでのユーザーの多くをD&Dから遠ざけるきっかけになってしまった。結局、新和はAD&Dのごく基本的な製品(コアルール)を翻訳した後はサプリメントも「ファイターハンドブック」「キャンペーンガイド」の二冊を出したのみで市場から完全に撤退してしまった。シナリオ集もキャンペーンセッティングも出版されなかったため、実際のプレイに必要な環境を揃えきれたとは言えないものとなってしまっている。D&D関係の展開はその後空白期を迎え、それから三年後にメディアワークスによるD&D翻訳が始まることになる。また、初期は富士見書房の『ドラゴンランス戦記』や角川書店の『ロードス島戦記』など、他社を絡めた多彩なメディアミックスを行っていたにもかかわらず、後期になると他のテーブルトークRPG市場とはほとんど交流を持たない形で閉じこもってしまっていたことが急激な衰退につながった部分もある。インターネットなどでユーザーが自分から情報を掴むことのできない時代、自社の会報(オフィシャルD&Dマガジン)以外のゲーム雑誌に紹介記事も載せず、メディアミックス的な広告戦略も行わないようになったD&Dは、ユーザーコミュニティを急速に閉塞化させたのである。新和版の翻訳の精度については、特に初期の版は誤訳が多かったことで知られている。現在でも語り草になっている伝説的な誤訳に「プルトニウム貨」がある(プラチナ金貨 "Platinum Pieces" の Platinum を Plutonium と誤認)。1994年、『央華封神RPG』『クリスタニアRPG』などを出版していたメディアワークスによりD&Dの翻訳販売が再開される。翻訳を担当したのは新和版の黎明期にメディアミックス展開に貢献したグループSNEの安田均である。基礎となったルールは原語版でいうDungeons & Dragonsの第5版である "Dungeons & Dragons Rules Cyclopedia"。これの翻訳版である日本語版は『ダンジョンズ&ドラゴンズ ルールサイクロペディア』と名づけられた。Rules Cyclopediaはいわゆる「クラシックD&D」の最後のバージョンであり、今までのD&Dがプレイヤーキャラクターのレベルに応じてBASIC Set、EXPERT Set、COMPANION Set、MASTER Set、IMMORTAL Setと散逸していた基本ルールを一つにまとめあげたクラシックD&Dにおける決定版である。ルールサイクロペディアの原書は製品の体裁も今までのようなボックス版ではなく、入手しやすいハードカバーの書籍となっていた。メディアワークスが翻訳した『ルールサイクロペディア』の特徴は、日本市場向けのローカライズを徹底したことにある。当時の国産テーブルトークRPG市場のメインストリームは「文庫によるルールブック出版」と「リプレイや小説によるライトノベル市場とのメディアミックス」であり、ルールサイクロペディアもそれに則って日本独自の展開をしたのである。そのため、製品はハードカバー書籍ではなく文庫で発売された。大判書籍全ての内容が文庫に入りきるわけはないため、収録されたルールは全体の3分の2ほどを抜き出した抄訳版となり、「プレイヤーズ」「ダンジョンマスターズ」「モンスターズ」の3冊に分割された。キャラクターのレベルも9レベルまでしかフォローされなかった。イラストも原書版のものは使われず、日本人のゲーマー層に受け入られやすいポップなものに変更されている。翻訳されなかった部分は後にサプリメントの形で増補していく予定になっていた。メディアミックスについてはリプレイ『ミスタラ黙示録』や小説『竜剣物語』などを同じく文庫で出版することで実現していた。またルールブック発売と同時期にカプコンからアーケードゲーム『ダンジョンズ&ドラゴンズ タワーオブドゥーム』が稼動したが、これもメディアミックスの一環であった。サポート雑誌は電撃アドベンチャーズであった。しかし、メディアワークス版D&Dが展開を始めた直後、日本のテーブルトークRPG市場全体が急激に衰退しはじめる(テーブルトークRPG冬の時代を参照)。この時期はメディアミックスと安価な文庫による大規模展開を目指していたゲームの多くがバブル崩壊を起こし壊滅的な打撃を受けることになるのだが、メディアワークス版D&Dもこの例外ではなかった。ルールサイクロペディアの未翻訳部分を収録する予定であった「上級ルールブック」も発売は無期延期となり、1996年に出たシナリオ集『ナイツ・ダーク・テラー』を最後にリプレイや小説も含めて商品展開が全く行われない時期が続く。そして、1997年にはD&D販売元のTSR社がウィザーズ・オブ・ザ・コースト社に買収されたことから、メディアワークスは契約を解除され翻訳権を失い、メディアワークス版D&Dは正式に展開の終了を宣言した。これによりメディアワークス時代は終焉を迎えたのである。メディアワークス時代は結果的に展開期間こそ短かったものの、その間に三冊のシナリオ集(『キングズ・フェスティバル』『クイーンズ・ハーベスト』『ナイツ・ダーク・テラー』)を翻訳しており、新和時代で未訳であったことも相まって評価を受けている。1997年、販売元のTSR社がウィザーズ・オブ・ザ・コースト社(以後、WotC社と記述)に買収された際、WotC社がTSRの契約を引き継がなかったため、メディアワークスのD&D翻訳権は失われた。これは、ホビージャパン社がトレーディングカードゲーム『マジック・ザ・ギャザリング』日本語版を発売する際に(発売開始年は1995年)、WotC社のアナログゲームの独占翻訳権を結んでいたことに起因する。つまり、D&Dの版権がTSR社からWotC社から移った時点で、日本語のD&Dを出版できるのはホビージャパンだけになったのである。一方、アメリカでは2000年に入るとWotC社はD&Dブランドの大刷新を行った。ルールを大きく変更したAD&Dの三版が新たに『Dungeons & Dragons 3rd edition』(以後、D&D 3rdと略す)の名前で「AのつかないD&D」として発売され、それまでの『Dungeons & Dragons』のシリーズは「クラシック」と銘打たれるようになった。D&D 3rdはアメリカで大きな話題を呼び、その評判は日本にも伝わってきた。従来のD&Dファンはもちろん、海外ゲーム好きにもD&D 3rdは一つの「話題の新作」として注目され、当時の未訳ゲームの中では桁違いにプレイされるようになった。旧来のAD&Dと異なり、シンプルで遊びやすい、洗練されたゲームシステムは日本の多くのゲームデザイナー/ライターにも刺激を与え、彼らの手によって商業的な場でも紹介やリスペクトがされていき、未訳ゲームに特に詳しくないようなテーブルトークRPGファンに対しても徐々に知名度を上げていった。また、同時期に『ドラゴンランス』や『ダークエルフ物語』などのD&D小説がアスキーからハードカバー版として新たに翻訳されなおして出版されたことも、日本のテーブルトークRPGファンにD&Dを「思い出させる」要因になっている。そのような動きの中で「(昔ながらのゲームではなく)今話題になっている最新の海外ゲーム」としてD&Dの翻訳待望論の声が高まっていき、2002年についにホビージャパン社により『Dungeons & Dragons 3rd edition』が翻訳展開を行うことが発表されたのである。2002年の年末(実質的には2003年の年始)に、『Dungeons & Dragons 3rd edition』(3eと略)のプレイに最低限必要な三分冊のコアルールブックの最初の一冊目が『ダンジョンズ&ドラゴンズ プレイヤーズハンドブック』の名前で翻訳された。翻訳が始まった当初は展開速度は遅めで、コアルールの三冊が揃うのに半年くらいの時間がかかったことから、メディアワークス版の時以上に先行きが危ぶまれもしたのだが、コアルールの翻訳が揃ってからはサプリメントの翻訳を順調に続け、第4版の2013年現在においても日本語で発売されているテーブルトークRPGの中ではトップクラスの展開を保っている。翻訳については新和やメディアワークスように外部の会社に任せる形でなく、ホビージャパン自体が桂令夫や岡田伸などのゲーム翻訳家と契約して独自の翻訳チームを組んでいる。翻訳が開始されたときはちょうどアメリカでは改訂新版に当たる『Dungeons & Dragons 3.5 edition』(3.5eと略)が出版され、その後のサプリメントも全て3.5eのものにシフトしていくことが告知されていたため、いまさら3eというのはタイミングが悪いのではないかという不安もあったが、2005年には日本語版の3.5eも翻訳され、アメリカ本国の商品展開とのすり合わせに齟齬はないようになっている。なお、日本語版の3eが展開している時には、3.5eで内容が大きく変わるサプリメントは翻訳されなかった。2008年6月にアメリカ本国でD&Dルールが第4版 ("Dungeons & Dragons 4th edition") に移行したことを承けて、ホビージャパンも同年12月に第4版の翻訳販売を開始。アメリカ本国との発売時期の差は数箇月にまで縮まっている。翻訳にあたってはウィザーズ・オブ・ザ・コースト社からの強い要請で、レイアウトや体裁を原書版から一切変更しないことになっている。そのため、メディアワークス版であったようなローカライズは、ABC順をアイウエオ順に変更する以外は行われていない。しかし原書版に忠実な製品作りの反動として、製品の価格が他の国産テーブルトークRPG製品の平均よりも倍近い物になってしまっている。これは翻訳製品は価格帯が高くなりがちな上に、フルカラーである原書版を日本語版でも再現しているために起こっている弊害の一つである。また、ホビージャパンはD&D関連製品を通常の問屋流通でなく返品不可の玩具流通の経路で卸しているため、高価格なD&D関連製品は書店では取り扱われにくい。価格の高さと流通の弱さは「ユーザーの間口を激しく狭くしている」と展開の初期から指摘されているが、この点を改善することは現状の日本のテーブルトークRPG市場規模ではほぼ不可能であり、ウェブ上での通販に力を入れたり、独自の玩具流通を持つことを生かして『ダンジョンズ&ドラゴンズ ミニチュアゲーム』やダンジョンタイルを展開したりと、現状の弱点を受け入れる形でそれを生かすアプローチが試みられている。原書版に忠実な展開を行っているという点では新和版に近いものがあるが、閉鎖的な印象の強かった新和版よりも日本のテーブルトークRPG市場とのマッチングが意識されている。翻訳製品のローカライズがされない代わりに日本独自のサプリメントを製作したり(これはD&Dではなくd20システムのサプリメントという形で販売している)、リプレイの雑誌連載などを積極的に行ったりしている。1974年にTSR社より発売された、最初のD&Dは現在では"Original Dungeons & Dragons"と呼ばれている。ゲームデザインはゲイリー・ガイギャックスとデイヴ・アーンソンが中心になって行われた。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の原型となったのは、ジェフ・ペレンとガイギャックスが以前に作っていた " というミニチュアゲームである。従来のミニチュアゲームでは同じ種類のミニチュアはすべて同じ能力を持つのが前提であったが、この "Chainmail" のファンタジー追加ルール(ガイギャックスたちはSFやファンタジー小説の読者でもあった)では、ミニチュアをプレイヤーの任意に成長させられるルールを搭載し、プレイヤーの嗜好によってミニチュアの能力に個性を持たせることができた。"Chainmail" を遊んでいたガイギャックスとアーンソンは、ゲームのコマの騎士に戦闘以外の様々なこと(たとえば、戦場にある城砦の地下牢=ダンジョンを探索することなど)を行わせると面白いのではないかと思い、それらのルールを "Chainmail" に搭載しようとした。しかし、ガイギャックスたちは自分たちがコマの騎士たちに行わせたい戦闘以外のことがあまりに多いことに気づき、すべてを明確なルールとして記述するのは不可能であると判断した。そこで、スポーツの審判のように「ルールブックにない状況が発生したときに判断を下す役割」をゲームに投入するというアイデアを組み込んだ。これがロールプレイングゲームの「ゲームマスター」という概念に発達することになる。ここまでゲームを改造することにあたり、これはもはやChainmailではなく全く新しいゲームとして売ったほうがいいと判断し、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』というタイトルのゲームが誕生したのである。ボックス型のコンポーネント(装丁)の製品で、箱の色は白色(1973年にゲームイベント会場などで先行発売されたバージョンは木目色の箱)。中には以下の三冊のブックレットが封入されていた。テーブルトークRPG以外のD&D関連作品。日本語版が出版されたものを中心に記載。英語でのみ書かれているものは日本では未訳のもの。D&Dを元にコンピュータゲーム化した作品が多数作られている。以下、代表的なものを挙げる。

出典:wikipedia

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