八代駅(やつしろえき)は、熊本県八代市萩原町一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)・日本貨物鉄道(JR貨物)・肥薩おれんじ鉄道の駅である。熊本県南部の主要都市である八代市の中心駅である。JR九州の鹿児島本線と肥薩線、肥薩おれんじ鉄道の肥薩おれんじ鉄道線の計3路線が乗り入れており、鹿児島本線は当駅が(門司港側からの)終点、肥薩線と肥薩おれんじ鉄道線は当駅が起点である。JR九州と肥薩おれんじ鉄道の共同使用駅となっているが、肥薩おれんじ鉄道線(当駅 - 川内駅間)はかつてJR九州・鹿児島本線の一部だったものが、2004年の九州新幹線(鹿児島ルート)の部分開業に伴って肥薩おれんじ鉄道に経営移管されたものであり、移管以前の当駅は旅客駅としてはJR九州のみの単独駅であった。JR九州における当駅の所属線は鹿児島本線である。当駅を経由する全旅客列車が停車する。普通列車は当駅始発・終着が主であるが、当駅を跨いで肥薩線・人吉駅と鹿児島本線・熊本駅を結ぶ区間に快速列車及び臨時快速「SL人吉」が運行されている。また2016年3月26日のダイヤ改正以降は肥薩線・吉松駅発着のいさぶろう・しんぺい(1往復)が熊本駅まで延伸運行されるようになり、当駅に停車するようになった。さらに肥薩線からの普通列車のうち朝の1本は鹿児島本線に乗り入れ新八代駅まで運行されるほか、肥薩おれんじ鉄道線からの列車も、一部の普通列車や観光列車「おれんじ食堂」が新八代駅まで、土曜・休日運行の快速「スーパーおれんじ」は熊本駅まで乗り入れる。2016年3月26日のダイヤ改正で「九州横断特急」の区間短縮(熊本 - 人吉駅間の廃止)及び特急「くまがわ」の快速列車への格下げがなされ、以降は当駅を経由する定期運行の特急列車は存在していない。いずれの特急列車も肥薩線と鹿児島本線を直通するもので、廃止前は「くまがわ」は熊本駅まで、「九州横断特急」は熊本駅からさらに豊肥本線に乗り入れて別府駅まで結んでいた。現在同市の広域旅客輸送の玄関口としての役割は、2004年に誕生し博多駅方面・鹿児島中央駅方面などと九州新幹線で直接結ばれている隣駅・新八代駅に譲っている。またかつては当駅発着列車と、近隣の八代港発着のフェリーとの連絡運輸も行われていた。八代港からは天草諸島各港へのフェリーが発着していたが、天草方面への他ルートによる交通が整備されてきたこと、及び九州新幹線・新八代駅開業により当駅の優等列車の発着や観光客が大きく減少したことにより産交バスの八代港連絡バスが2010年9月30日限りで廃止されたため、同年10月1日をもって連絡運輸を終了している。八代駅は1896年(明治29年)11月21日に、後に国鉄鹿児島本線となる路線を建設した私鉄の九州鉄道によって、松橋 - 八代間開通とともに開設された。この時の駅の位置は現在地よりも西側の、出町公園があるあたりであった。九州鉄道は1907年(明治40年)7月1日に国有化され、当駅は国有鉄道の駅となった。しかしその後、人吉まで後に肥薩線となる路線が開通する際に当初の駅の位置では折り返し運転が必要になることから、これを避けて現在地点に移転することになった。これにより、千丁 - 初代八代間の線路から分岐して弧を描くようにして現行駅に入る線路が建設され、2代目の八代駅が1908年(明治41年)6月1日、八代 - 人吉間の開通と同時に開業した。この際に初代八代駅は2代八代駅と結ぶ線路に付け替えられて、貨物用の球磨川荷扱所として使用されるようになった。1909年(明治42年)10月12日、国有鉄道線路名称が制定されて門司から人吉に至る路線は人吉本線と命名された。しかしまもなく11月21日には人吉 - 吉松間開通により鹿児島までが全通して鹿児島本線と改められた。1912年(明治45年)7月11日に球磨川荷扱所は正式に球磨川駅となり、鹿児島本線に属する貨物駅となった。営業キロは、マイル時代は0.8マイル、メートル法施行後は1.3 kmとされた。1923年(大正12年)7月15日、当駅で鹿児島本線から分岐して日奈久までの路線が開通し、当初はこちらが肥薩線と名付けられた。この路線はそのまま延長されていき、1927年(昭和2年)10月17日に全通して、こちらを経由する路線が鹿児島本線に、当駅で分岐して人吉を経由する路線が肥薩線に、名称を入れ替えられた。球磨川駅は、1945年(昭和20年)6月10日に書類上は廃止となった。しかし実態としては貨物扱い設備が存続し、八代駅構内の扱いで営業が継続されていた。1989年(平成元年)11月12日に、交流電化区間としては初めての着発線荷役方式を導入した新しい貨物取扱設備が旅客駅に隣接する位置に設置されて使用開始したことから、旧球磨川駅の設備は廃止となった。球磨川駅へ至る線路跡は道路に転用され、駅の跡地は八代市により球磨川駅地区土地区画整理事業が施行され、出町公園などになっている。この公園にはかつての球磨川駅跡であることを示す説明板と国鉄C57形蒸気機関車の動輪の展示が行われている。2004年(平成16年)3月13日、九州新幹線の新八代 - 鹿児島中央間開通に伴い、当駅より南側の鹿児島本線が川内駅まで並行在来線として経営分離され、第三セクターの肥薩おれんじ鉄道が運営を引き継いだ。このために当駅に肥薩おれんじ鉄道の設備が設置されている。島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線および切欠けホームを1線追加した2面4線の構造の地上駅である。JR九州側のホームでは、1番線と2・3番線を結ぶエレベーターを2機設置している。単式ホームの鹿児島側と切欠式ホームを肥薩おれんじ鉄道が使用する。JR九州と肥薩おれんじ鉄道の駅舎は独立しているが線路は繋がっていて1番線ホームの中間部分にJR九州と肥薩おれんじ鉄道の仕切と連絡改札口があり乗換取扱を行っている。JR九州の改札口は一つだけだが、「やつしろ全国花火競技大会」開催時は多客のため、1番線の熊本方にある跨線橋の横の柵が開かれ臨時改札口として使用される。運転信号関係はJR線、肥薩おれんじ鉄道ともJR九州の係員が担当しており、鹿児島本線、肥薩線、肥薩おれんじ鉄道とも列車の夜間滞泊がある。また、JR駅舎と肥薩おれんじ鉄道駅舎の両方にコインロッカーが設置されている。駅舎は1番線ホームの熊本側に面する。出改札業務をJR九州鉄道営業が受託している業務委託駅で駅係員が終日常駐している。自動券売機2台、みどりの窓口やPOS端末、待合室が設置されており、待合室のすぐ隣にファミリーマートJR八代駅店が入店している。2012年12月1日よりSUGOCAが利用可能となったが、自動改札機の設置は行われずICの読み取り機のみ設置してあり、肥薩おれんじ鉄道との連絡改札口にも改札口手前にIC読み取り機が設置されている。有人駅で駅舎は肥薩おれんじ鉄道本社や乗務員宿泊施設に隣接する形で1番線ホームの鹿児島側に面する。自動券売機1台、待合室、出札窓口、改札口が設置されている。駅業務は連絡改札口の改札を含めて唯一肥薩おれんじ鉄道の直営駅であり、社員が出改札業務や駅施設管理まで担当している。なお、窓口はJRのPOS端末などは置いておらずSUGOCAも対応していない。また窓口の営業時間が下記の通り朝から夕方までの時間に限られており、それ以外の時間帯は無人駅になる。かつては2004年の開業時より地元のNPO法人ネット八代が長らく駅業務の業務委託を行い、メンバーが駅業務の傍ら定期的に母親の育児相談や高校生の食育料理教室などの催し物も開催していたが、2015年3月31日を以て業務委託を終了し、翌4月1日から直営駅となった。また、開業時より改札口付近で地元八代産の野菜、魚、惣菜、パンや調味料などの食料品、土産品、日用品などの販売が行われていたが、業務委託終了に伴いこれらの販売も全て終了した。このほか駅構内の南東側に3本の留置線があり、日中は肥薩線や肥薩おれんじ鉄道の車両が留置される。このため肥薩おれんじ鉄道の朝と夕方の一部の列車は当駅で列車の増結・分割を行う。そのほか肥薩線と肥薩おれんじ鉄道の列車はダイヤ上の都合や車両に不具合が発生した時、朝ラッシュやイベント開催時、団体乗車など多客の乗車が発生した場合などには当駅で予備車両との車両交換や列車の分割・増結を行う事もある。また通常は深夜・早朝の夜間停泊のみ電車車両も留置されるが、「やつしろ全国花火競技大会」開催時は臨時列車が多数運行されるため、この留置線に夕方から夜間にかけて一時的に鹿児島本線の電車車両が多数留置される。その際には肥薩線の車両は留置線ではなく1番線と2番線の間にある中線に留置される。JR貨物の駅は、旅客駅の北東にある。取扱量の約80%が駅至近にある日本製紙八代工場に係わる製品となっている。1面のコンテナホームと2線のコンテナ荷役線がある。ホームの北側に接する荷役線は側線だが、南側に接する荷役線は着発線荷役方式(E&S方式)を採用する着発荷役線である。また、駅構内には営業窓口のJR貨物八代営業所も置かれている。貨物列車は、1日1往復のみ熊本駅方面との間に高速貨物列車が設定されている。1989年(平成元年)11月に旅客駅隣接地に移転する以前は、コンテナホームや荷役線などの貨物取扱施設は旅客駅の西方の球磨川沿いにあり、旅客駅から側線が延びていた。この位置は1896年(明治29年)に開業した初代八代駅の位置であり、1908年(明治41年)6月の八代駅移転の際、その跡地に荷物扱所として開業。その後、1912年(明治45年)7月11日付で荷物駅の球磨川駅となり、1942年(昭和17年)4月1日付で貨物駅に変更された後、1945年(昭和20年)6月10日付で八代駅に統合され、八代駅の貨物取扱施設となった。八代地区でコンテナ取扱が始められるに当たってコンテナホームなどが整備された。国鉄時代末期の貨物取扱縮小に際しては近隣の貨物取扱駅の機能が集約され、拠点として位置付けられた。国鉄分割民営化後、旅客駅付近の機関区・客貨車区跡地を活用した基盤整備事業が行われることとなり、この事業によって1989年(平成元年)11月に貨物取扱施設は旅客駅隣接地へ移転し、旧施設は閉鎖された。跡地はやつしろハーモニーホールや出町公園となっている。かつては、旅客駅の北側にある日本製紙八代工場への専用線があった。同工場内には製品発送用ホームや製紙用化学薬品の受入れ設備があり、有蓋車による製品の発送や、タンク車による液化塩素等の受入れが行われていた。有蓋車による製品発送は、1996年までにコンテナへの置き換えを完了して廃止となり、タンク車による化学薬品の受入れも2005年までに終了したため、以後は専用線は使用されておらず線路も撤去された。また、旅客駅の西側には、興人八代工場・三楽オーシャン(現・メルシャン)八代工場・日本セメント八代工場への専用線が接続しており、中心市街地を迂回して各工場へ延びていた。このうち日本セメント専用線は1980年(昭和55年)2月1日に、他二社の専用線は1984年(昭和59年)2月1日に廃止となった。日本セメント八代工場跡地は、ゆめタウン八代とヤマダ電機テックランド八代店となっている。みなみの風が販売している。主な駅弁は下記の通り。1日平均乗車人員および乗降人員の推移は下記の通り。2004年、九州新幹線が部分開業して以降、新八代駅が新設したことで、乗降人員が少なくなっている。駅舎のある西側は八代市の中心市街地の東端を成している。東側の駅裏は日本製紙八代工場となっている。駅前に産交バスと神園交通が乗り入れている。産交バスは八代営業所が担当。かつては八代営業所(八代産交)発着を中心に駅前ロータリーから熊本・宇城方面、旧泉村・東陽村方面、球磨(坂本・神瀬・白石・日田地・川原谷地区)・人吉方面(ひとよし号)、水俣方面(水俣産交)、薩摩川内方面(快速さつま号)、阿蘇くまもと空港(エアラインやつしろ号)、八代港方面(郡築・産島地区)など広範囲へ多数のバスが設定され、松橋営業所所属の大型車両や水俣営業所所属の車両も八代駅前に乗り入れていたが、沿線の過疎化や少子高齢化に伴う深刻な乗客減などにより2010年10月1日のダイヤ改正で運用形態が大幅に見直されて八代営業所所属の小型車両、中型車両のみの運用となり、この日から新設されたコミュニティバス(みなバス・ゆめバス・まちバス)や八代市役所発着の運行を中心とした近距離で地元密着型の合理的なダイヤに変更された。その後もダイヤの見直しで運行路線の系統整理や運行範囲の縮小を重ねたため、駅前発着の路線バスは本数が少なくなり運行範囲も大幅に短縮されてしまっている。2015年10月1日現在では次のとおりである。
出典:wikipedia
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