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スワヒリ語

スワヒリ語(スワヒリご、"Kiswahili")は、ニジェール・コンゴ語族ののバントゥー語群に属す、アフリカ東岸部で国を越えて広く使われている言語。ケニア、タンザニア、ウガンダでは公用語となっている。スワヒリ語自身では、言語を表す接頭辞ki-を付けて"Kiswahili"(キスワヒリ)と呼ぶ。なお"Waswahili"はスワヒリ語圏の人々を、"Uswahili"はスワヒリの人々の文化を指す。 スワヒリ語は東アフリカ沿岸地域の多くの民族の母語となっているバントゥー諸語の一つである。 数世紀にわたるアラブ系商人とバントゥー系諸民族の交易の中で、現地のバントゥー諸語にアラビア語の影響が加わって形成された言語であり、語彙の約35%はアラビア語に由来する。しかしあくまでもアラビア語の影響は語彙の借用にとどまっており、語幹はあくまでもバントゥー諸語の物であるため、ピジン言語やクレオール言語ではなく、バントゥー諸語のひとつに分類されている。また、ペルシャ語、ドイツ語、ポルトガル語、インドの言語、英語からの借用語も見られる。母語としての使用者は、ザンジバル全域で使用されているほかはケニアおよびタンザニアの沿岸部において使用されるのみであるが、現在、東アフリカでは主に第二言語として数千万人に使用されており、異なる母語を持つ民族同士の共通語としての役割を果たしている。タンザニア、ケニアでは公用語、コンゴ民主共和国では国語に定められている。また、ウガンダは1992年にスワヒリ語を小学校の必修科目に指定し(実態は伴っていない)、2005年には東アフリカ連邦構想を念頭に公用語に指定した。スワヒリ語とその近縁の言語は、コモロのほぼ全域(コモロ語参照)、ブルンジ・ルワンダ・ザンビア北部・マラウイ・モザンビーク・ソマリア南部沿岸地域の一部でも話されている。コモロ語はスワヒリ語の近縁の言語であるが、アラビア語からの借用要素がより多いものである。スワヒリ語話者はかつて北はモガディシュまで広がっており、紅海南部の港市やアラビア半島南岸、ペルシャ湾岸でも通用した。しかし、20世紀半ばまでにソマリアにおけるスワヒリ語の範囲はキスマヨ、バラワおよび周辺の海岸沿いと沖合の小島のみへと狭まり、1990年にはスワヒリ語話者を含む多くのバントゥー系が内戦を避けてケニアへ流れた。現在ソマリアに残っているスワヒリ語話者の人口は定かでない。また、アフリカ連合においては英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語と並んで6つの公用語のうちのひとつとなっている。スワヒリ語話者の増大と言語の地位上昇に伴い、世界各国の放送局がスワヒリ語放送を開始している。スワヒリ語圏以外でスワヒリ語放送を行っている、あるいは行っていた放送局は、BBCワールドサービス、ボイス・オブ・アメリカ、ドイチェ・ヴェレ、ロシアの声、中国国際放送、ラジオ・フランス・アンテルナショナル、ラジオ・スーダン、ラジオ・南アフリカなどである。ガスリーによるバントゥー諸語の分類法では、スワヒリ語はGゾーンに属する。スワヒリという語は、アラビア語で「海岸に住む人」を意味する「sawāhalii سواحلي」に由来する(sawāhaliiは「sāhil ساحل」(海岸、境界)の複数形「sawāhil سواحل」の派生語)。知られている最も古いスワヒリ語文献は、1711年にキルワ島でアラビア文字で書かれた手紙である。これはキルワ王国のスルターンが、モザンビークのポルトガル人と、地元の同盟国に向けて書いたものである。この手紙は、現在はインドのゴアにある歴史的公文書館に収蔵されている。このほか、知られている最古のスワヒリ語文献の一つには1728年の『Utendi wa Tambuka』(Tambukaの物語)と題するアラビア文字による叙事詩がある。ラテン文字が一般化したのはヨーロッパ諸国による植民地化以後のことである。スワヒリ語は「メタヒリ (Methali)」、すなわち言葉遊び・洒落・韻文の形をとる諺・寓話の類が発達している(例:"Haraka haraka haina baraka" 英訳:Hurry hurry has no blessing)。メタヒリはスワヒリラップ(Swahili rap, Swah rap)の中にも見ることができ、音楽に文化・歴史・地域的な質感を与えている。現代スワヒリ語にはアラブ語やペルシャ語以外にも英語からなどの借用語が多く含まれており、クレオール言語の一つと見なされているが、学説上では単一言語起源説と複数の言語的な核の存在を想定する説で分かれている。上記のようなさまざまな説があるものの、アフリカ東部沿岸にポルトガルが来航した16世紀初頭までにはスワヒリ語としてある程度整った言語体系がすでに成立していたと考えられている。しかし、その範囲はそれほど広いものではなかった。スワヒリ語が沿岸部全体に拡散していくのは、ポルトガルがこの地域の覇権を握った16世紀からと考えられている。アラブ人がポルトガルによって排除されたことから、それまでこの地域の商業用言語であったアラビア語の影響力が衰退し、かわってスワヒリ語が商業言語として台頭してきた。スワヒリ語を母語とするシラジ人がこのころザンジバルを中心に勢力を拡大しているのもスワヒリ語拡散の一因となった。17世紀にはポルトガルに代わってアラビア語を母語とするオマーンのヤアーリバ朝がこの地域の覇権を握るが、ほどなくしてオマーン本土で混乱が生じたため強力な統治を行うことができず、文化的影響はそれほど大きくなかった。こうしてイスラーム化した海岸部を中心に海岸部諸都市の母語となったスワヒリ語は、1800年ごろから内陸部への伝播がはじまる。海岸部と内陸部との交易がさかんとなり、とくに海岸部のザンジバルシティに本拠を置いたオマーン王国ブーサイード朝のサイイド・サイード王の下でキャラバン交易は急拡大する。奴隷や象牙などを求めて内陸部にキャラバンが分け入っていき、それに伴ってリンガフランカとしてのスワヒリ語の拡大が始まった。1880年代にキリスト教の宣教師によってスワヒリ語のラテン文字表記が開発されると、それまでアラビア文字を通してあったイスラム教との強いつながりが弱まり、純粋な交易用言語となったスワヒリ語はキリスト教徒などにも受け入れやすいものとなった。19世紀末になるとザンジバル・スルタン国領だった海岸部はイギリスとドイツに分割されたが、両国ともに支配用の言語としてスワヒリ語を重視し、積極的な普及を行った。第一次世界大戦が終わり、ドイツ領だったタンガニーカがイギリス領となると、イギリスはこの地域を英領東アフリカ植民地としてまとめ、域内のリンガフランカとしてスワヒリ語を利用した。しかし、この時期までのスワヒリ語は方言の連続体であり、いわゆる標準語が存在しなかった。そこで1928年6月にモンバサで東アフリカの植民地間会議が行われ、そこで標準語採用が正式決定された。候補はケニアのモンバサ方言とザンジバルのザンジバル都市部方言であったが、イスラムと結びついているモンバサ方言に対し交易用言語としてより広範囲に広がっていたザンジバル都市部方言のほうが好適と判断され、1930年には領土間言語委員会が設置されてザンジバル都市部方言を元とした標準語制定が開始された。この委員会にはスワヒリ母語話者が存在しなかったが、これによって正書法が確立され、また辞書編纂などによって標準スワヒリ語はこの時期に確立した。さまざまな言語・文化を背景に持つ広範囲の地域で通用する共通語として発展した経緯があるためか、スワヒリ語はサハラ以南の言語としては珍しく声調を持たない。ただしモンバサで話されるMvita方言は例外。標準スワヒリ語は 、、、、 の5母音。音素 の発音はIPAにおける と の中間である(イタリア語のuに似る)。母音弱化は強勢にかかわらず起こらない。欧米の言語に多い二重母音はなく、連続する母音は別々の母音として発音される(例:"chui" (豹))。註:かつてはアラビア文字が使われたが、現在では公的な場面や学校教育ではラテン文字表記を用いている。ただし、現在でもイスラム教徒の私信などにおいてアラビア文字で書かれることがある。スワヒリ語をアラビア文字で表記する場合、アラビア語に由来する単語に関しては元々のアラビア語の通りに綴られる。その際、スワヒリ語では発音上、区別されない音素も、アラビア語の通りに表記し分けられる。以下スワヒリ語に特有のアラビア文字表記に関して説明する。nd、nj、nyに関してはそれに対応するアラビア文字を二字並べて表記する。p,chを表記する文字はアラビア語には存在しないが、スワヒリ語ではペルシア語と同様、b、jの点を3点に増やした形で表記する。gはアラビア文字のghの点を2点に増やし、点を横に並べた形で表記し、ngはnとghの点を2点にしたものを並べて表記する。vはアラビア文字のwのものの上部に点を3点加えた形で表記する。母音の表記に関しては大陸のものとザンジバルのものとで若干異なる。スワヒリ語は原則母音の長短を区別しない言語であり、アラビア語に由来する語彙以外は、全て母音は母音符号のみで表記する。a,i,uはアラビア語の母音符号と同様のものを使用する。eに関しては、大陸では子音の下部に縦に直線を引き、ザンジバルではレ点のような符号を子音の下部に打つ。oに関しては大陸ではuの符号を、180度回転させたものを子音の上部に打ち、ザンジバルではレ点を子音の上部に打つ。参照:Taathira za Kiarabu katika Kiswahili pamoja na kamusi thulathiya (Kiswahili-Kiarabu-Kiingereza) / I. Bosha ; edited by A.S. NchimbiDar es Salaam : Dar es Salaam University Press 1993バントゥー諸語全体の特徴でもあるが、名詞はいくつかの部類に分類され、部類ごとに特定の接頭辞が付く。その部類を名詞クラスと称する。さらにどの部類の名詞を形容するかによって形容詞が変化し、どの部類の名詞を主語あるいは目的語にするかによって動詞が変化する。このため、文脈上明らかな場合は 主語や目的語を省略できる。に則って単数と複数を別々に数えるなら、祖語には22クラスあったとされ、ほとんどのバントゥー諸語が少なくともそのうち10クラスを有している。スワヒリ語には16クラスあり、うち6クラスが単数名詞、5クラスが複数名詞、1クラスが抽象名詞、1クラスが動詞の不定詞(名詞的な扱い)、3クラスが場所を主として示す。単数が"m-"、複数が"wa-"で始まる名詞は「生物」、とくに「人」を示す(例:"mtu"(人)・"watu"(複数)、"mdudu"(虫)・"wadudu"(複数))。 単数が"m-"、複数が"mi-"で始まる名詞は「植物」を示すことが多い(例:"mti"(木)・"miti"(複数))。動詞の不定詞は"ku-"で始められる(例:"kusoma"(読む))。それ以外のクラスは区分が複雑である。単数が"ki-"、複数が"vi-"で始まる名詞は、しばしば工具などの「人工物」を示す。この"ki-/vi-"交替は、語根が"ki-"で始まる外来語にまで適用される(例:"kitabu"(本、アラビア語の"kitāb"に由来)→"vitabu"(複数))。このクラスは「言語」も示し(例:"Kiswahili"(スワヒリ語))、指小辞としても使われる。かつてのバントゥー語では別々だったクラスが合流したものである。"u-"で始まる名詞はたいてい抽象名詞を示し、複数はない(例:"utoto"(子供であること?))。"n-"や"m-"または接頭辞なしで始まり、単複同形のクラスもある。単数が"ji-"または接頭辞なし、複数が"ma-"で始まるクラスは、しばしばとして使用される。名詞だけ見る限り所属クラスが不明確な場合でも一致を確かめれば分かる。形容詞や数詞は通常、名詞の接頭辞をとる。動詞は別の接頭辞の体系をとる。(下記参照)同一の名詞語根に異なる名詞クラスの接頭辞を付加することで派生語を作れる。スワヒリ語の名詞クラスのシステムは文法性の一種とされるが、ヨーロッパの言語に見られる文法性とは異なる点がある。ヨーロッパの言語の文法性がほぼ恣意的であるのに対し、スワヒリ語における名詞のクラス分類は多分に意味的な関連性に基づいているのだ。しかし、名詞クラスを「人」や「木」といった単純なカテゴリーと捉えることはできない。意味が拡張され、拡張された意味に似た単語意味がまた拡張され、ということが行われた結果、名詞クラスは意味で繋がった網となっている。今でもその繋がりは広く理解されているが、非スワヒリ語話者には分かりづらいものがある。スワヒリ語では普通の人の名詞クラスは「人」だが、盲人などの障害者は「もの」で表現されていた。この障害者差別的な語法に反対し、近年多くの障害者や人権団体などが障害者を「人」クラスで表す語法を広めている。有名なスワヒリ語にはJamboがあるが、「物事」の意味で、"Hujambo.

出典:wikipedia

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