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御堂筋

御堂筋(みどうすじ)は、大阪府大阪市の中心部を南北に縦断する街路。国道25号および国道176号の各一部に指定されている。現代の大阪市における南北幹線の基軸である。名前は北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)が沿道にあることに由来する。大阪市の北の玄関口梅田と南の玄関口難波を船場・島之内経由で結ぶ、全長4,027メートル、幅43.6メートル(24間)、全6車線の幹線道路で、日本の道100選のひとつ。交通量が増加したため1970年、大阪万博の開催を機に国道1号・国道2号と交差する梅田新道交差点より南の全車線が南行きの一方通行となる。平日の昼12時間の交通量は、自動車28,000 - 38,000台、歩行者10,000 - 26,000人となっている。沿道には4列に並んだ約970本のイチョウが植えられており、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」(1994年)のひとつに選定されている。11月下旬から1月中旬まで全区間が御堂筋イルミネーションとして木々が電球で彩られる。毎年10月には、1983年から2007年まで御堂筋パレードが開催されていたが、代替イベントとして2008年から2013年まで御堂筋kappo、2014年は御堂筋ジョイふるが行われた。最高速度は平日8 - 20時が50km/h、休日と平日の20 - 翌8時が60km/hである。大阪国際女子マラソンや大阪マラソンなど、大規模なマラソン大会でのコースとして使用されることがある。路線データ記録上、御堂筋の名が初めて現れるのは1615年(元和元年)、大坂夏の陣の落人狩りなどを記録した徳島藩の「大坂濫妨人落人改之帳」の中で、捕らえられた男女のうち、男1人の居場所として「大坂御堂筋」と記されているのが最初である。松尾芭蕉の没地は現在の大阪市中央区久太郎町4丁目付近で、御堂筋拡幅により現在は御堂筋の車線上にある。江戸時代以来、御堂筋と呼ばれていた区間は船場のうち淡路町通以南に過ぎず、淡路町通以北は淀屋橋筋と呼ばれていた。これは、淀屋橋から南下した淀屋橋筋が淡路町通で終わり、西へ少しずれて御堂筋が始まるため、別の道路とみなされていたことによる。淀屋橋筋は淀屋橋(土佐堀川)を渡って中之島へ出ることができ、現在のように一本道ではないが大江橋(堂島川)と蜆橋(曽根崎川)を渡って曾根崎新地へ出ることもできた。一方の御堂筋は長堀川への架橋はなく島之内へ出ることができず、堺筋・心斎橋筋などと比べて見劣りのする、人通りの少ない道であった。大阪 - 神戸間を結んでいた蒸気機関車は、1889年(明治22年)には東京まで結ばれるようになり、大阪駅は次第に大阪の玄関口として重要視されるようになった。1908年(明治41年)には現在の四つ橋筋が梅田 - 難波間を結ぶ最初の南北幹線(道頓堀川以南の経路は現在と異なる)として竣工したものの、下船場・堀江経由となり、基本的に大阪市電のために敷設された道路で、幅員も狭かった。船場・島之内を経由する南北交通路の必要が叫ばれるようになったことから、1919年(大正8年)に大阪市は、梅田 - 難波間の梅田新道・淀屋橋筋・御堂筋を第一次都市計画事業の都市計画街路第1号線として、延長4km、幅員44m(24間)へ拡幅する事業計画を発表した。大阪市助役から市長となった關一の都市計画により、1926年(大正15年)から地下鉄御堂筋線建設と合わせて総工費約3,375万円をかけて24間幅へ拡幅する工事が行われた。梅田新道が母体となる淀屋橋交差点以北は、1911年(明治44年)の大阪市電敷設の際に12間幅に拡幅されていたこともあって、大江橋北詰交差点以北の拡幅工事は1927年(昭和2年)に早々と竣工。大江橋以北の街路樹はプラタナスで、淀屋橋交差点以北には大阪市電の軌道も残された。一方、淀屋橋交差点以南は近世依然の3.3間幅からの拡幅工事となり、用地買収に時間がかかって1929年(昭和4年)にようやく着工し、1937年(昭和12年)5月11日に竣工。大江橋と淀屋橋が現在の橋に架け替えられ、新橋(長堀川)と道頓堀橋(道頓堀川)が初めて架橋された。淀屋橋以南の街路樹はイチョウで、軌道がない一直線の目抜き通りとなった。そして、以前の淡路町通の屈折も無くなり、梅田新道・淀屋橋筋を合わせて全線御堂筋となった。このように、竣工当初は中之島の南北で趣が相当異なっていたが、後年になって大阪市電は廃止され、大江橋以北のプラタナスもイチョウに植え替えられ。なお、大江橋以北にはイチョウとは別にクスノキも植えられている。御堂筋周辺の建物は、1920年(大正9年)12月1日施行の市街地建築物法に基く百尺規制によりその高さが揃っている。1969年の建築基準法改正で規制が容積制になったため、以降は大阪市が高さを指導してきた。1995年から御堂筋に面する外壁の高さが50m、10m後方部分が60mと指導される。2007年(平成19年)2月から一部の地区で1階を公共の空間とするのを条件に、後方部分の高さ制限が140mに緩和されている。1970年(昭和45年)より梅田新道交差点以南で南行き一方通行を実施。2006年(平成18年)6月の改正道路交通法により導入された民間駐車監視員制度・放置違反金制度で、全線が最重要路線に指定された結果、沿線の放置車両が劇的に減少した。また大阪市が2007年(平成19年)4月に路上喫煙禁止条例を施行したのに伴い、7月に過料1,000円を徴収する喫煙禁止区域に御堂筋の車道と歩道が指定されることが正式決定され、10月より施行された。2012年(平成24年)4月1日、国道25号(国道25号と国道165号との重複区間)の梅田新道 - 難波西口間約3.7kmが指定区間から除外され、国土交通省から大阪市に移管された。街路樹は、イチョウ・クスノキのほかにケヤキ、プラタナスがある。地下空間には、地下道や地下鉄が走る。淀屋橋から長堀通り(本町)までの区間の歩道脇に、著名彫刻家のブロンズ像が建つ。旧淀川(堂島川・土佐堀川)には、全国橋梁設計公募1等の作品によってつくられた大江橋、淀屋橋が架かる。沿道の中之島に大阪市庁舎と、日本銀行大阪支店があり、淀屋橋から本町にかけて、高さ31mに統一したビル群が立ち並ぶビジネス街となっている。

出典:wikipedia

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