『サテライトNo.1』(サテライトナンバーワン)は、中国放送(RCCラジオ)制作で放送されていた公開ラジオ番組。提供元でもある家電販売店の第一産業本店(現・エディオン広島本店)のサテライトスタジオより公開生放送が行われた。司会は柏村武昭。第一産業(現・エディオン)の創業25周年に当たる、1972年5月7日に『サテライトX』の仮題で放送開始。新聞のラジオ欄には「只今タイトル募集中」と番組名が掲示された。その後タイトルは一般公募が行われ、1000通の応募の中から同月28日に『サテライトNo.1』とのタイトルが決定。放送開始当初は日曜日16時からの1時間放送で、後に日曜日17時からの1時間放送になり、1988年4月27日まで放送された。タイトルの「No.1」は、エディオンの源流会社の一つのデオデオの旧社名「第一産業」の「第一」が由来になっている。日本各地で評判だった、広島初のサテライトスタジオからの放送で、家電の売り上げ促進策の一環として電通と企画。電通経由で中国放送に協力を依頼し、当時『ビクター・ミュージック・ホリデー』で人気が出始めていた柏村武昭(当時・RCCアナウンサー)を起用した。木造の旧店舗時代は、2階のオーディオ売場中央にサテライトスタジオが設けられた。当時のスタジオは、2畳ほどの金魚鉢みたいな簡易的な物だった。放送開始当時、来場者数の多さに床の補強工事を行った話もある。1975年6月22日の現店舗建物のオープンで、7階に本格的なイベント会場が設置され放送された。1975年3月に柏村が中国放送を退社し、土居まさるの個人事務所に所属するフリータレントに転身後も中国放送との優先出演継続を行い出演を続行。放送終了まで続投した。ローカルブロックネット番組として成功を収め聴取率も首位を維持。ダイイチの支店網の充実に合わせて、ネット局の拡大や、本店のサテライトスタジオの他にもダイイチの支店内や、ダイイチの支店がある地区のホールなどで公開録音が行われた。番組の企画で、『痛快!赤ヘル音頭』や『サテライトNo.1』のレコードが制作・販売。1977年には本も出版された。1995年に『柏村・やすべえのサテライトNo.1』(かしわむら やすべえのサテライトナンバーワン)として復活、1年間放送された。本番組の終了後も、RCCラジオの日曜17時台は『ニンニキ日曜500』や『つないでサン局山陽路』」など、中国5県(4局)や山陽地方のネット番組の放送枠となり、また『ニンニキ日曜500』は本番組から引き続きダイイチの提供で放送された。詳しくは柏村武昭の項を参照のこと。司会進行役は終始柏村武昭。アシスタントは、放送開始当時に公募を行い、女子大生や主婦、OL、高校生などがアシスタントを務めた。1975年4月より林竹洋子が出演開始。1986年4月まで出演した。その後、「ヤングスタッフ」と称したアシスタントを募り、斉藤満喜子や松村邦洋が出演した。ダイイチ(第一産業)の店舗網拡大に合わせて制作局の中国放送の他、1974年4月から山口放送、少し遅れて山陰放送、1976年4月から南海放送、1977年4月から山陽放送で放送開始。ブロックネット番組になった。1985年4月には、さらなるダイイチの店舗網拡大により九州朝日放送(KBCラジオ)でも放送された。
出典:wikipedia
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