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小林昭二

小林 昭二(こばやし あきじ、1930年9月26日 - 1996年8月27日)は、日本の俳優、声優。本名同じ。東京市淀橋区(現在の新宿区淀橋町・大久保町・戸塚町・落合町一帯)出身。血液型はAB型、身長は164cm、体重は58kg。日本大学芸術学部映画学科中退。劇団俳優座養成所の第2期生で、同期には小沢昭一や土屋嘉男がいる。1952年に新東宝の『殺人容疑者』で銀幕デビュー。以降も舞台を中心に各社の映画に出演する一方、円谷プロダクションや東映製作の特撮テレビ作品で活躍。『ウルトラマン』のムラマツ隊長(キャップ)、『仮面ライダー』の立花藤兵衛役などが有名である。また、『ゴジラシリーズ』や『ガメラ2 レギオン襲来』にも出演し、日本を代表する特撮シリーズを映画・テレビ含めてほとんど制覇した。第一次怪獣ブーム・第二次怪獣ブーム・変身ブームを股に掛け、その人柄は当時の多くの共演者から慕われていた。時代劇や現代劇でも数々の作品に出演しており、悲運な小市民から重厚な黒幕、さらには狂気を感じさせる悪役まで幅広い役柄を演じ、いぶし銀の存在感を見せた。市川崑監督からの信任も厚く、金田一耕助シリーズには全作に顔を出している。地味な役ばかりだが、最終作『病院坂の首縊りの家』では『無法松の一生』を想起させる渋い見せ場が用意され、貢献に報いられた。また、ジョン・ウェインの声の吹き替えや時代劇作品のナレーターなど、声優としての実績も数多い。自身を評して「几帳面な性格」であると述べている。それゆえ『西部警察シリーズ』にベテラン刑事・南長太郎役で出演した際を振り返り、「(刑事たちが何も悩むことなくすぐに)スッと拳銃を出して撃ってしまう」という点に初めは違和感があったと述懐している。1996年8月27日に肺癌のため、昭和大学附属藤が丘病院にて死去。。後輩役者の面倒見がいいという面でも信頼され、初代『ウルトラマン』の出演者やスタッフからは普段から「キャップ」と呼ばれ親しまれていた。ムラマツキャップ役を演じるにあたって、黒部進ら共演者に「子供番組であるからといって、子供に媚びることはない。一般ドラマと同じように演じること」と諭したという。『ウルトラマン』の出演が決まったきっかけは、関係者によると前作『ウルトラQ』でゲスト出演した際の自衛官役が好評だったことからだった。ムラマツを演じていた当時は、「科学特捜隊の『白いヘルメット』や『オレンジの制服』が非常に恥ずかしくて嫌だった」と話していた。この制服に関しては、黒部進や他の出演者も同様のコメントをしている。第26・27話「怪獣殿下 前・後篇」で大坂城ロケを行ったが、当時無免許だった小林は隊員服のまま科特隊専用車で城下を一周したところ、警察に捕まってしまった。平謝りだったが、撮影中に免許をとり、「パトカー連れて帰って来た」と有名になったという。第37話「小さな英雄」で、デパート内で科特隊員が怪獣ピグモンを発見するシーンロケで、先に科特隊の反応を撮影し、のちにピグモンのみを撮影したため、演者の驚く表情が少々大げさだった。ラッシュを見た小林は、「ピグモンを見ての反応としてはおかしい」として撮り直しを進言。スケジュールを押して、再びデパートでロケをさせた。絵づくりに対するこだわりの伺えるエピソードである。1997年の映画『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』には、前作同様かつての『ウルトラマン』のレギュラー俳優がゲスト出演しており、前年に逝去した小林も二瓶正也の持つ遺影として登場した。東映プロデューサーだった平山亨によれば、TBSで『ウルトラマン』と次回作『キャプテンウルトラ』の番組引継ぎパーティーが行われた際に小林と歓談する機会を持ち、小林の子供番組に対する真摯な姿勢に深く感銘を受けたという。このことが、のちに『仮面ライダー』の立花藤兵衛(おやじさん)役の起用に繋がったという。『仮面ライダー』第1話から『仮面ライダーV3』の最終回(第52話)まで全話に出演。以後のシリーズにおいても、プライベートでの休暇は藤兵衛が劇中に登場するまでの冒頭の数話までだけとなり、多忙だったという。この「仮面ライダーシリーズ」では出演者のみならずスタッフからも「おやじさん」として親しまれていた。『仮面ライダー』に主演した佐々木剛は、大野剣友会も含め若手の多い現場で揉め事が起きなかったのは小林の存在によるところが大きかったことを語っている。また、佐々木が火傷を経て芸能活動を再開した直後に再会し、佐々木が舞台でセリフが上手に喋ることが出来ない旨を小林に相談すると、芝居のコツなどをアドバイスしている。『仮面ライダーX』放送時、自身の出演していない放送の回までチェックして、主演の速水亮に「今回の芝居はここが良かった」と電話で演技をアドバイスしていた。速水は「本当に普段から頼りがいのある"おやじさん”そのものでした」と語っている。『仮面ライダーストロンガー』出演時も初主演の荒木茂らを食事に連れていったという話が残っている。『仮面ライダーアマゾン』で共演した松田洋治がまだ小学生だったため、車で撮影所まで送っていたという。宮内洋とは『仮面ライダーV3』で共演後も時代劇などで会うことが多く、共演の際にも小林を「おやっさん」と呼んで慕っており、逝去後に「素晴らしい人だった」と悼んでいる。後年、『テレビ探偵団』にゲスト出演し、『ウルトラマン』や『仮面ライダー』を振り返った。その際、『仮面ライダー』の第68話で藤兵衛がライダーだけでなく怪人(イカデビル)までに特訓しているシーンが話題になって理由を問われると、「おやじさんは博愛主義者なんですよ。だからライダーだけでなくショッカーにも…」と語っていたが、本当は敵の弱点を知るための偽装特訓であり、司会者から「おやじさん、いい加減なこと言っては駄目ですよ」と突っ込まれる一幕もあった。しかし、当時の歴代仮面ライダー(『仮面ライダーBLACK RX』まで)が紹介され、「私は7号までですね」と『ストロンガー』まで出演したことはしっかりと覚えており、ライダーたちに対しても「長く一緒にいると情が沸く」と語っていた。1979年に再開した新シリーズ『新・仮面ライダー』の企画段階で、平山は再び小林に立花藤兵衛として出演することを依頼したところ固辞され、「スケジュールも合わせるし、出演料も出来るだけのことはするから」と再三頼み込んだが「お金のことなんかではない」と返事された。困り果てた平山は東武ホテルで小林とついに直談判に及んだところ、小林は「役者ってのはわがままなもので、先へ先へ進んでいこうなんて思うのよ。お世話になって、こんなに思ってくれて、こんなこと言っちゃ申し訳ない、とんでもない不遜なことだと思うけど、勘弁してよ」と辛そうに語ったという。小林の主旨は「藤兵衛役を卒業し、役者として、さらに次の段階に進みたい」とのことで、プロデューサーの阿部征司も平山に「平山さん、大成功した番組なんて二度とやるもんじゃないですよ、うまくいって当たり前、失敗すれば大火傷、第一、他に能がないみたいで損ですよ」と説得。平山は常に先を目指そうという小林の役者魂に感銘を受け、逆に自身の停滞を反省し、喜んで送り出す気持ちになったという。その後、志度敬太郎を演じていた田畑孝の病気による降板を理由に立花藤兵衛を再登場させるため、出演依頼したが、小林はこれを再び拒んだ。代わりに別の後見人役を推薦してもらったが、それが塚本信夫だった。この推薦に際して、小林は劇団俳優座の後輩である塚本を「じゃあ僕と同じウルトラシリーズの隊長を演じた俳優ならどうでしょう」として紹介したとのことである。結局、『仮面ライダー (スカイライダー)』の出演自体は辞退したものの、放映開始前の特別番組では立花藤兵衛として出演、新番組への引継ぎ役を務めている。平山や阿部プロデューサーとは『ライダー』終了後も親交が深く、『ザ・カゲスター』『燃えろアタック』『特捜最前線』などの平山・阿部プロデューサー作品には快くレギュラー出演やゲスト出演をしていた。後年、『とんねるずのみなさんのおかげです』内の『仮面ノリダー』においても“おやっさん”こと立花藤兵衛役を演じたが、これは同番組スタッフの熱心なオファーが実ってのものだった。1997年の仮面ノリダーでの最後の決戦『恐怖ラッコ男』でも回想シーンとアミーゴに飾られている遺影として登場した。2016年の映画『仮面ライダー1号』では、本郷猛が拾い上げる写真として『スカイライダー』の特別番組以来37年ぶりに登場した。小林の死後、声優としての持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。NHK日本テレビTBS・MBSフジテレビテレビ朝日テレビ東京

出典:wikipedia

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